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京都お庭番秘録
人間豹
(るろうに剣心)
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それはまだ江戸の名残りを色濃く残した明治のはじめ、ようやく春の気配が感じられるようになった、四月上旬のことである。
ここ三ヶ月ほど、京の都は恐るべき連続婦女暴行殺人犯の脅威に晒されていた。
狙われるのは若く美しい娘ばかり。
ある日ふっと姿を消し、一週間ほどたって落花狼藉の限りを尽くされた無残な亡き骸が発見されるといった事件が立て続けに起こっていたのである。
勿論警察が手をこまねいているはずもなく、懸命の捜査が行われているのだが、犯人の目星すらついていない有様であった。
そんなある日のこと−

京の町の南のはずれ、東寺から東へ五町ほどはなれたところに、春日森(かすがのもり)と呼ばれる森がある。
その森を通る細道を、一人の男が歩いていた。
それは黒のインバネスコートを着た、ひどくやせ型の足の長い男だった。
顔はトルコ人のようにドス黒く、頬が痩せて鼻が高く、びっくりするほど大きな、何かネコ科の動物を連想させる両眼が、普通の人間よりもずっと鼻柱に近くせばまって、ギラギラと光っていた。
風が吹きすぎるたびごとに、ゆったりとした足取りで歩く男のインバネスのすそやそでが、コウモリの翼のようにひるがえっている。
ゆっくりと大股で歩く男の前に、突然一匹の犬が飛び出して、けたたましく吠えはじめた。
男は手を振り回し、足を上げて小癪な犬めを追い払おうとしたけれども、何をいきり立っているのか、犬は一層猛り狂って吠えたてる。
するとなんとしたことか、男はやおら恐ろしい叫び声をあげたかと思うと、バッとインバネスの羽を広げ、興奮しきった犬に組み付いた。
そして押さえつけた犬の上に馬乗りになると、両腕を上下の顎にかけ、恐ろしい力を発揮して、一転して哀れな鳴き声をあげる犬の口を、バリバリと引き裂いてしまった。
ぐったりとした犬を血溜りのなかに残し、男は何事もなかったかのように歩み去る。
その惨劇の一部始終を、物陰に潜んでじっと見ていた女がいた。
女は葵屋という料亭の仲居で、名をお近という。
お近が尾行を続けていると、やがて男は道から横に逸れ、森の奥へ姿を消した。
男を追って森に入ったお近は、さっと木陰に身を隠した。
日本髪に結った髪を解くと、艶やかな黒髪がバサリと広がる。
ついで手早く帯を解き、身に纏っていた着物を脱ぎ捨てた。
再び木陰から現れたお近は、その姿を一変させていた。
腰まで届く長い髪を背中に流し、額には頭部を保護する薄い鉄板を縫いこんだ鉢巻を締めている。
男を誘う成熟した肢体を包む濃紺の忍び装束はノースリーブのうえ、スカート部分の両サイドには腰まで届くスリットが入っているという大胆なもの。
動き易さを重視した薄手の生地は凹凸豊かなプロポーションを少しも隠さず、腰に巻きついた暗灰色の帯が淫靡な曲線を描くウエストのくびれを強調し、バレーボールほどもある乳房と、プリッと引き締まった臀部の張り出し具合を際立たせている。
肌理の細かい肌は透き通るように白く、瑞々しさに満ち溢れ、すらりと伸びた手足には、革製の手甲と脚絆が装着されていた。
普段は葵屋の仲居として働くお近のもう一つの姿、それは徳川の時代より京の都の治安を影から守ってきた京都御庭番衆の女忍び「近江女」である。
近江女となった彼女を見て、葵屋のひょろりと背ばかり高い地味な仲居と同一人物だと見破ることが出来るものはそうはいないだろう。
大胆に素肌を露出させた忍び装束に豊満な肢体を包んだ近江女は、匂い立つような成熟した大人の女の色香を放っていた。
闇の奥を見据えた近江女の身体が、女豹のように跳んだ。
腰まで届く長い髪がうねり、深いスリットの入った忍び装束から覗く白い腿が艶めかしい。
近江女が忍び装束に着替えている間に、男は随分と先を行っていた。
男の黒いコウモリのような姿が、森のなかを大股に歩いていくのが見える。

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