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フカイモリ【触手×少女】
(オリジナル)
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 可愛い娘や、よくお聞き。
 夜の森に決して足を踏み入れてはいけないよ。深い森の闇には魔物が棲んでいるのだから。狼よりも恐ろしい、貪欲で、淫蕩な化け物が――。

   ☆

 遠くで梟が鳴いている。
 どこからともなく聞こえてきた森の番人の声に、ティルデはビクッと肩を震わせた。辺りを見回しても、圧しかかってくるような闇が広がっているだけだ。
 冷たい夜の風にザワザワと木々の黒い影が蠢く。自分を取り囲むそれが大きく膨れ上がっていくような気がして、ティルデはぎゅっと目を瞑ってうずくまった。
(怖いよぅ……おばあちゃん……!)
 瞼の下に涙が溜まっていく。優しい祖母の顔を思い浮かべようとするが、風に哭(な)く森のざわめきによって真っ黒く塗り潰されてしまった。
 やはり、祖母の言いつけを破るべきではなかったのだ。決して夜の森に入ってはいけないと幼い頃から聞かされてきた。森の奥深くには恐ろしい魔物がいて、捕まってしまえば二度と戻ることはできない――。
 だが、ティルデはどうしても夜の森に入らなければならない理由があった。
(せっかくセレナの花を見つけたのに……)
 土で汚れた少女の手は、一輪の花が握り締めていた。丸い花弁が五枚重なった小さなそれは、しかし闇の中で仄白い輝きを放っている。
 まるで月光を灯したような花は、月の女神の名を取って“セレナ”と呼ばれていた。深い森の奥、月明かりの下で花を咲かせる不思議な植物である。
 セレナの花を摘み、それを清らかな水に浮かべる。夜が明ける頃には花が溶けて、月の魔力が宿る甘露ができている。それを口にすれば、美しい月の女神のようにどんな異性も虜にできるというのだ――。
 幼なじみのマリアンが教えてくれたおまじない。叶わぬ恋に胸を痛めていたティルデは、縋るような思いで禁じられた夜の森へやってきたのだ。
 町長の跡取りであるユーリス。すらりと背が高く、柔らかそうな髪は陽に透けると蜂蜜色に輝く。彼がエメラルドのような瞳を細めて微笑む度、町中の娘たちが頬を染めてはにかんだ。ティルデもその一人で、遠くから見つめることしかできなかった。
 ティルデは子供の時に両親を亡くし、祖母のトゥナに育てられた。二人っきりの暮らしは貧しく、とても“若様”であるユーリスに近づくことなどできない。そしてついに、ユーリスは町一番の美人と評判の高い娘を花嫁に見初めてしまった。
 麦藁のようなくすんだ茶色の髪に暗い灰色の瞳、十五歳とは思えないほど小柄で痩せっぽっちな体つき。水溜まりに映る自分を見る度、ティルデは惨めさに泣きたくなった。
 だから、得体の知れない力を使ってでも綺麗になってユーリスを振り向かせたかった――。
 なんとか目的の花を見つけることができたものの、気づけば帰り道が分からなくなっていた。恐怖と孤独に震えながら森の中を彷徨い続け、少女の心身は限界に達していた。
「おばあちゃん、助けてぇ」
 とうとう堪え切れなくなり、ティルデは嗚咽を洩らした。ぽろぽろと落ちる涙がセレナの花弁を濡らした。
 ――その時、森が震えた。
 ザァッと風が駆け抜け、もつれがちなティルデの髪が舞い上がった。思わず悲鳴を上げた彼女の耳に、風の音に重なって寒気のするような囁きが届いた。
『――アア、ナンテ可愛ラシイ、美味シソウナ娘ダロウ――』
「え……?」
 呆然と目を見開くティルデの足元に、ザワザワと何かが這い寄ってくる。黒い闇の中から現れたそれに、ティルデは「ひっ」と喉を鳴らした。
 湿った腐葉土の上を蛇のように進んでくるのは、数十、いや数百――数え切れないほどの蔦だった。縄のように太い蔦がうぞうぞと蠢き、波打ちながら押し寄せてくる。
「いっ、やぁぁ――!」
 あまりに信じがたい、吐き気をも催すような光景にティルデは後退った。すると、シュルリと手首に何かが巻きついてきた。

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