プレイを楽しむ自由と不自由
 前回、SLGと最も縁深いシステムの一つであるZOCについて主に初歩的な視点から少し語ってみましたが、今回は、ある意味より切実な、作品のテーマやスケールに関わらず発生する一つの問題とそれに対して過去、様々な形で示された回答事例について見て行こうと思います。端的に表現してしまえば、盤面を挟んで対峙する両軍指揮官、あなた方は一体だれなんですか、という一種の禅問答です。なので結論は出ません、よかったらこれから少しの間、一緒に考えてみて下さい。
 将棋、チェス、囲碁の様な抽象戦争ゲームとSLGの大きな違いの一つが、『プレイヤーは自軍移動フェイズ中に、全てまたは一部の自軍ユニットを』動かせる事です。『全く動かさなくても構いません』殆どのSLGにそのまま適用出来るルールです。
 指揮官として作戦発動、号令一下整然と進軍、或いは後退する隷下部隊。自らの作戦構想に従い意のままに自軍を率いるのは正にSLGamerの本懐ですよね。でも少し待って下さい、それってどうなの?、と一部の人々は戸惑い始めました。
 これは少し考えればむしろ当然の事です。

【有能すぎる部隊と指揮官】

 例によってのWW2欧州戦線、ナチス・ドイツ軍。東部戦線独ソ戦後期、総統閣下にして総司令官たるアドルフ・ヒトラーの“天才的”戦争指導には陰りが見え始めていました。
変わって乱発されるようになったのが悪名高い“死守命令”です。再三の意見具申にも決して撤退を許可せず、映画にもなった有名な、スターリングラードで発生したパウルス第6軍の包囲と降伏もこれが要因とされます。一方、その失陥に続く激戦、これも有名な第三次ハリコフ攻防戦の最中、守備と死守を命令されていたSS装甲軍団の指揮官、パウル・ハウサーは、再びの、ソ連軍によるハリコフの包囲と殲滅の危機に対して、敢然と死守命令を無視して全軍を撤退させました。
 ただの軍命違反でも重罪であるに加えこれは極端な例で、事実最高指揮官の死守命令には通例であればスターリングラードのとおりに無視出来ない強制力がありますので、一つの作例としてはゲームジャーナル(GJ)42号の「マンシュタイン最後の戦い」では、盤上で実際にマーカーの形で配置される“死守命令”を、ドイツ軍プレーヤーであるマンシュタインがチット引きで解除していくというシステムとして明確に再現されているくらいです。
 全軍最高指揮官の命令すら明示的に無視される史実に鑑み、まして通常の各級指揮官の指揮命令が、あからさまな抗命という形でないにせよ、末端の現場部隊まで水の様に染み通り遂行されるものだろうか、という当然の疑問が、この盤上で表現を試みられる戦場の上に無視できない要素として浮かび上がって来たのです。
 図版はちょうど、スターリングラードの作戦図です。IT技術と、場合によってはGPS等からの情報提供による支援を受けられる現代戦の指揮官であればともかく、当時はこの程度の手書きの地図を眺めながらの作戦指揮です。当然、図上に示される戦況は参謀がそれを書き起こした時点の、過去のものとなっています。盤上を隈なく眺め渡し、敵軍の次ターンの援軍の情報まで入手しながらさてとムーヴに着手するのとでは、やはり大きな差がある事が判ります。
 隙き無くZOCで構築された前線……そう、このZOCもその問題を緩和する一つの役目を果たしています。盤上に表示されたユニットは実はシンボルであり、前回述べましたように、実際の戦力は総司令の意図を汲んでZOCの範囲内に現場指揮官の判断により展開しているのだ、とすれば。そして更に、その意図の不徹底、連絡の悪さが、時によっては支援の遅滞や補給の不備が、総体としての攻撃や防御の予期せぬ戦闘結果という偶発性を含んだ振れ幅として表現される、とすれば、だいぶ問題は収まってきたかに思えます。
 一方こちらは同じくWW2、西部戦線後期、バルジの戦いの俗称で有名なドイツ軍最後の反攻作戦“ラインの守り”発動直前の、米軍による、SS装甲軍はどこにいったんだ、という“?”が並んだ作戦地図です。
 普通にSLGをプレイしていて敵軍を見失うという事は、まずありません。
 いえ、例えば海戦、空母戦などでは当然ありえます、どころか、正に本号の「第二次ソロモン海海戦」の様に見えない目標を探すところから勝負は始まります。しかしこちらにはまた別の問題があります。一番顕著であるのがWW2、太平洋での日米空母戦での天王山、ミッドウェイの戦いなどです。当時、米軍は暗号解読により、日本軍の機動部隊が攻撃して来る事を察知していました。しかし、日本軍は、米軍機動部隊の誘い出しを意図しながら、それを確定していたのではありません。その上両軍プレイヤーはそれどころか、当たり前なのですが日本軍が返り討ちに会い壊滅した史実まで既に知っています。
 こうした、プレイヤーが知りすぎ、判りすぎ、自由すぎる事の不自然に対して、様々なシステムやルールが考案されてきました。

【戦場の霧】

 コマンドマガジン(CMJ)53号、「8th Army:Operation Crusader」は、先に本誌で扱った、WW2北アフリカ戦線でのガザラの戦いに先んじて戦われた“クルセーダー作戦”をテーマとした作品で、陸戦であるにも関わらず英独両軍は2つの地図に別れ自軍を配置し指揮する、それこそ空母戦のような完全な“ブラインド・サーチ”のシステムが採用されています。これは、情報の不確実性に加え、当初攻勢に出た英軍がドイツ軍指揮官ロンメルの側面攻撃により一時退却、しかし追撃に対しては反撃し遂には攻守逆転によりドイツ軍を撃退に追い込み作戦目標であったトブルクの開放も達成するという激戦の模様を、この両軍手探りのシステムによっての表現を目指してのデザインです。
 他にブラインドサーチを用いた陸戦としては、SLG雑誌タクテクスのゲームコンテストに入選し、同65号に掲載されながらも現在では殆ど幻の名作と化していた。ドイツ軍のソ連侵攻作戦を扱った「バルバロッサの場合」が、山崎様、作者ご自身の手でシックス・アングルズ第15号「独ソ戦コレクション−1」として蘇っています。
 表現の手法として相応しくない戦場もある一方、そもそもブラインドサーチはやはり手間です。もう少し一般的なのが“アントライド”、交戦してみるまで実戦力が不明というシステムです。代表的な作品は、「Panzergruppe Guderian」でしょう。Strategy & Tacticsというアメリカのゲーム雑誌に掲載された後に、好評につきアバロンヒル他多くの会社から出版されている名作であり、上記バルバロッサ作戦途上での、スモレンスクの攻防を描いた作品です。ソ連軍に限り戦力不明の状態で盤上に配置され、ドイツ軍と交戦するときに初めて、判定チットを引く事でその戦力が確定します。中には“0”という数値まで存在し、その部隊は無条件で壊滅です。当時の、ドイツ軍による奇襲攻撃での混乱に加え、ソ連指導者スターリンによる軍部粛清の余波、その影響により上級司令部にすら自軍前線の戦力が把握出来ない混沌としたソ連軍の様相が再現されています。
 今少し手軽な手法としては、敵軍のスタックの中身の確認を禁じる場合、或いはユニットの戦力面を裏面に伏せるデザインもあります。

【指揮権制限】

 指揮官に与える情報を操作する一方、全軍が総司令官の指示のまま自在に動けてしまう、という不自然さを、配下部隊の作戦行動を敢えて限定する不自由によって解消する試みの一つが指揮統制、コマンドコントロールのルール化努力です。
 一番一般的な手法が前回にもご紹介したとおりに、指揮官の指揮能力を数値化してしまい、その範囲の中でのみ部隊を移動、戦闘させるという仕組みです。このシステムだと、主要方面の部隊は活発に行動しながら、勝利にとって重要度が低いと判断された戦線や部隊は殆ど寝静まった様に静かです。一見新たな不自然のようですが、戦況が膠着していても激戦が戦われている事は珍しくありませんので、両軍共に攻勢に出る余力が無いという表現でこれはこれで十分アリだと思います。
 もう一つの抜本的で決定的な手法として、部隊の作戦行動について指揮官の立場で実際に命令書を作成してプレイする、というデザインも実在します。MMP/The Gamers のTatical Combat Series (TCS) がそれです。SLGamerで何を書いているんだというくらいのある意味究極、超上級者向け作品でして、私自身もプレイどころか触った事もまだありません。
『OPシートの図はゲームマップを縮小したもので、プレイヤーはこの図上に作戦指示を記入します。一旦図に作戦指示を記入した後は、予備兵力や増援を編成表に追加する以外は、変更を加えてはなりません。図への記入には、米軍(NATO)式の記入法を用いるとよいでしょう。記入の例が英文ルールの背表紙に記載されています。プレイヤー同士が意味を理解できるならば、独自のシンボルを使用しても構いません。図を見ただけで、相手プレイヤーがOPシートの意図を理解できるものでなければなりません。』
 上記はゲームルールの一部抜粋です。このOPシートを選択ルールで逆に省略する事も可能で、そうすればプレイはだいぶ軽くなるそうです。ルールだけでしたら有志、「横浜シミュレーションゲーム協会」というサークル様のご好意により公開されている物があります。 http://www2.gol.com/users/idioten/list.htm こうしたものも存在する、という事だけ少し見てみました。
 また本誌前号でtakoba39714氏が論じた、チットアクティベーションシステム(CAS)、上記「マンシュタイン最後の戦い」でも少し触れています、チットによる活性化というシステムは、情報と指揮権へ同時に不確実性を与える効果を持ちます。

【戦場と指揮官と】

 プレイヤーの手足を少し不自由にしてみても、角度を変えると更に別の視点が存在します。例えばまた例に引きますが“バルバロッサ作戦”で、ソ連軍は前線の部隊に加え、中級、上級指揮官の作戦指揮自体にも不備が目立ちました。しかし、熟達したプレイヤーが受け持てば、そのソ連軍は或いはドイツ軍より有能な立ち振舞を見せてしまいます。これはプレイヤーの技量の問題としても必然的な、両者が競技する上では当然発生する課題で、通例、デザイン上の対処として、ソ連軍の初期配置戦力は殆どプレイヤースキルが及ばない形で、強力なドイツ軍の攻撃の前に消滅しますが、GJ7号「中央軍集団東へ」では、ソ連軍に対し先のCASによる作戦の不確実性に加え、“ドクトリンルール”による縛りを掛けています。戦闘教義、作戦・戦闘における軍隊の基本的な教則、運用思想です。
 一番最初はスタックが出来ず、共同攻撃も、移動にも制限を受けます。それが毎ターン、ドクトリンのチットを引く事で制限を解除され、次第に柔軟な作戦が可能となっていくというとても独特なシステムです。
 こうした、プレイヤーの行動をルールにより制限し選択肢を意図的に狭めるデザインを、場合により“陰謀ルール”と総称する事もあります。前出、ヒトラーの死守命令やスターリングラードの包囲をそうした形で表現しているものもあります。史実の忠実な再現を目指したあまりに、“なるようにしかならない”と評される作品も存在します。競技性が低いそれはつまりシミュレートの目的は達成されていますので、ソロプレイで史実を追うツールとしては良いかもしれません。

【何を楽しむ?】

 前回にまして茫漠としたテキストになってしまいましたがすみません。
 SLGの遊び方、楽しみ方はプレイヤーの数だけあると思います。
 ルールを熟読し、セットアップからの初動を確認しながら練り固め、策定した作戦構想が通用するのか他プレイヤーを相手に試してみる。史実と戦闘序列を見比べながら、部隊戦力レーティングの裏付けについてあれこれ思いを馳せる。
 そうした様々な方向性の中の一つとして、リアリティ、の一言で片付けたくない、某アニメでのセリフではありませんが、この風、この肌触りが戦争よ!、という、当時の指揮官の立場にどこまで迫れるか、らしく見せられるか、それを如何にプレイヤーに楽しんで貰うか。様々な思想でデザイナー達がSLGの為に試みた努力の一部を見てみました。
 実際に命令書を書くという究極の選択が一極にあり、そうしたものから全て自由な、全権白紙委任の戦場も今まで通りにあります。
 中段で一度述べましたように、ZOCやCRTの中にそうした戦場のエッセンスが既に抽象化し繰り込まれていると想像すれば、わざわざルールやシステムの形で具象化をする必要はないかもしれません。
 でももしあなたが、敢えて不自由を楽しむ、という今少し少し変わった形でSLGと付き合おうとしたとき、今回の様なアプローチも考えてみて貰えたら、その材料の一つになれば幸いです。





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