男はサングラス越しに照りつける太陽を見上げる。
日の光が真上から照らしつける中、風はもうすぐ春が訪れる事を柔らかく告げる。
星の海にたゆたっていた男は、ようやく今更ながら季節というものを実感した。
それはすなわち男が季節を忘れるほど逃げていたという事に他ならない。
その事に苦笑しつつ、男は手にした花束を肩にかけながら石段を登る。
石床をかつかつと歩くと、視界に一つの人影が映る。
人影はどこかひっそりとした佇まいをしていた。

人影は麗しい女性であった。
女性は墓に水をやり、花を添えてから、まるで祈るように瞑目している。
藍色の髪は深い海の色を称えたように艶立ち、枝毛もほつれも何一つ無い真っ直ぐなものであった。
肌は長きに渡り日の光を浴びていないが故に白く、シミ一つ浮かんではいない。
サングラス越しに、男は眩しそうにそれを見つめる。
瞑目を終えた女性が、はたと男に気付き振り向く。
その動きに合わせて艶やかな藍色の髪が波立つ。
男は胸の奥が確かに疼くのを実感した。

しばし、二つの人影を静寂の帳が包み込む。
帳を上げ、沈黙を破ったのは女性であった。

「こんにちは」

それはあまりにも陳腐であり、使い古された挨拶であった。
しかし、何よりも鮮やかにその言葉は男を打つ。
いっそ、それは清々しいとさえ言えるものであった。
男は驚いたようにサングラスの奥の瞳を見開くが、それはほんの数秒のことであった。
薄い唇に、寂しげな、けれども柔らかい笑みを浮かべると軽く会釈する。

「こんにちは。お知り合いのお墓ですか?」
「ハイ………婚約者の……夫になるはずだった人のお墓です。アナタもお墓参りですか?」

男は笑みを浮かべたまま手にしていた花を見せるように掲げる。

「ええ、知人の」





                              ◇





「だぁ〜〜何でこうなるんだよ!!!」

ヤマダジロウは不満気に脚を伸ばして踏ん反り返る。
それを桃色の髪の少女、ラピスは何かのウインドウを真剣に見る傍らで煩わし気に横目で睨み付ける
すると、ラピスの心情を代弁するかのように、ヤマダジロウの眼前に幾つものウインドウが現れる。

『うるさいです劇画顔!!』
『マスターはアナタと違って繊細でデリケートなリアルロボット物の主人公なんです!!』
『ヤマダジロウ如きに説得されて丸く収まるわけないですぅ!!』
『アナタはゲキガンガーでも見ながら一人緊縛プレイでもしていやがれこの●●●●野郎です!!』

そのフレームが尽く真っ赤なのは彼…もとい『彼女』の心境なのだろう。
そのフレームを脚で蹴飛ばして、ヤマダは髪の毛を掻き毟る。

「普通、あの展開だったら艦長と結ばれてハッピーエンドってなもんだろう!!」

雄叫びを上げるヤマダに、ラピスは溜息を一つ零す。
ついっとシートをヤマダの方に向けると、冷めた目で見つめる。

「ジロウ馬鹿?」
「んだと!?てか俺はダイゴウジ『シャラップです!!ジロウ・ヤマダ!!』ぬおうッ」

鼻先数ミリというところに展開されたウインドウに、ヤマダが仰け反る。
尻餅をつくように、不貞腐れた子供のようにシートに座るヤマダを前にラピスはバッタが運んできたミルクティーを一口飲む。


「変わらないものなんて無い。人も、心も、環境も。永遠の愛なんて幻想。そんなのマンガかアニメだけ。ゲキガンガーだけ」
『ゲキガンガーだったらナナコさんと結婚したら幸せになりましためでたしめでたしなんでしょうけどね』
「でも現実は違う。離れてる間に見てきたものが違って、価値観が変われば想いも変わる」

ムスッとしたようにヤマダがラピスを睨む。
それを、無言で言葉を告げることを許可するようにラピスは視線で促す。
ヤマダはバッタが運んできたコーラを一気に飲み干し、込み上げるげっぷを堪えようともしないで吐き出す。
ラピスが不快そうに眉をしかめるが、それに頓着せずに口の中に流し込んだ氷をがりがりと噛み砕いていく。
削岩機のように瞬く間に氷を噛み砕いたヤマダは挑戦的な視線をラピスに送る。

「けどよ、この際ゲキガンガーは百歩譲って置いておくとしても、アキトの奴は艦長の事が好きなんだろ」

その言葉に、ラピスは形の良い鼻を鳴らす。
それは小ばかにするような、虚勢を張るような仕草であった。

「これだからゲキガ馬鹿は…」

『これだから劇画顔の童貞バタメンは…』

「おいちょっとまてコラ!!桃色おちびはともかくオカマAIの言葉は聞き捨てならねぇ!!!」

『オカマじゃありません!!ユーリは女装が好きで、マスターラブなだけの普通の美少年ですぅ!!!劇画でゲキガなバタメンとは違うんですぅ。そもそもユーリは認めてませんから。ヤマダがマスターの親友ポジなんて。ユーリの脳内はいつだってマスター×ユーリなんです。百歩譲ってもアカツキ×マスターか、月臣×マスターしか認めません』
「何処まで故障してやがるこの腐れAI!!」
『ファック・ユーです腐れ■■■!!今ならプライスレスで喧嘩売ってあげます。グラブラで宇宙の藻屑にして差し上げます。マスターにはヤマダはゲキガンガーの森に行ったって伝えておくから安心して藻屑になりやがれDEATH!!!』
「ユーリ私は?」
『そうでした。ラピス×マスター×ユーリがFAです!!』

「だぁぁぁーーーー!!!!ちょっと黙れぇぇ!!この馬鹿AI!!で、桃色おちび、一体何がいけないっていうんだよ」

ラピスは唇を湿らせるように、少しだけミルクティを飲むと、テーブルがわりのバッタの上にカップを置く。

「人の感情は変わるもの。でも大切な人が一気に大切じゃなくなるっていうわけじゃない」
「はぁ?」


「アキトは……多分アキトはリセットする気なんだと思う」






                              ◇







男は手にしていた花束を墓に添えると、そっと手を合わせる。
墓石にには『天河家之墓』と彫られており、そっと苦笑を浮かべる。
確かにこれは墓だ、ゲキガンガーのように、全てが夢のように思えた、全てが永遠に続く幸せだと、無条件に思えた男の墓だ。
男は、そんな一人の男に心の中でサヨウナラを告げる。
立ち上がると、艶やかな藍色の髪の女性が微笑んでいた。
彼女を前にして、男は自分の心の在り様に不思議さを覚えた。
愛しい。溢れそうな程に愛しさを覚えている筈なのに、そこにスッポリと抜け落ちたように肉欲が無かった。
健康そうな肌艶をし、柔らかな笑みを浮かべている女を前にして、その姿を一目見られただけで自分の中の何かがすとんと納得している
抱き締めたい程狂おしい感情に晒されるかと思っていたが、驚く程心が落ち着いていた。

ああ……そうか。

男は変わったものと、変わらぬものを理解した。
自分の胸にある変わってしまった想いと、変わらぬ思いに気付いた。
そして、それはおそらく女も同じであろうと、彼女の浮かべる笑みが物語っているように思えた。
女は男から視線を一拍だけそらすように、墓碑銘に目をやる。

「優しい人でした。優しくて……そして寂しがり屋な人でした」
「今でも彼の事を?」
「愛してると……思います」

その言葉に男はサングラスの奥の瞳を閉じる。
痛みを堪えるように閉じた瞼に、日の光がちりりと当たる。
女は、寂しげに微笑みを浮かべる。
そんな笑顔を浮かべられるようになったのか、それとも、自分が見たことがなかったのか、男は暫し考えた。
しかし、そんな問いかけに意味は無いと、すぐさま切り捨てる。
全ては今が物語っている。
何か言葉を告げようと、逡巡した時、女のぷくりと瑞々しく膨らんだ唇が開き、言葉の形を成す。

「でも、そろそろふっきれてしまおうかなって……そう思っています」
「え?」
「新しく、もう一度やり直そうなかって。もう一度変わってしまった彼と、今日から変わっていく私とで………まずは恋に落ちることからやり直そうかなって…」

何処までもロマンチックに、夢物語に憧れていた彼女なりの、今を見た言葉。
男は清々しささえ覚えながら、その言葉を受け止める。
まるで救いのような、赦しのような、癒しのような言葉に思えた。
サングラスを持ち上げながら、男は吹っ切れたように微笑む。


「そうですね。そうなると……そうなるといいですね」
「ハイ。私もそう願っています」


男は一礼すると、女の前から立ち去った。
春を告げる風が少しだけ暑く感じた。






                               ◇






「ユリカさんに会ったんですねアキトさん」

石段を降りるアキトに、一人の少女がするりと歩み寄る。
プラチナブロンドの髪を下ろし、神秘的なそのいでたちに男 ――― アキトは見惚れそうになる。
アキトの視線に気付いたのか、少女――― ルリは照れ臭そうに髪を指で弄る。

「髪……下ろしたんだね……見違えた」
「ハイ、そろそろ妹を卒業しようかなと思ってますから」
「そっか……」

ルリは石段の上の方に視線を移す。
まるで、そこに何か懐かしいものでもあるかのように。
その顔には悲哀など何も無い。
アキトは、つくづくと思う。
つくづく女というものは変わるものだ。
ルリの手にしている花束に目をやり、次いでルリの視線に従うように石段の上に向ける。
今日は千客万来だ。
あの男も喜ぶだろう。

「ルリちゃんも墓参りかい?」
「ハイ。兄に。好きな人が出来ましたって……」

わかっていながらそんな詮無き事を聞いたアキトに大胆なルリの発言。
イタズラっぽく、そして未成熟ながらも、何処か艶然さを匂わせる表情をアキトに向ける。
その視線の意味するところに気付いて、アキトは尚も気付かぬフリをすることなど出来ないなと、内心呟く。
髪を下ろした事が彼女の意思表示。
それはわかっている。
ルリは一歩アキトに近付くと、至極自然な動作でアキトの顔にそっと自身の顔を近づける。
それはあまりにも柔らかく、優しい動作であり、アキトはルリが離れてからも、一瞬動けないままであった。
ルリは白磁の如き頬を真っ赤に染めると、ニ段、三段と石段を上る。
そして、くるりと、アキトの方へと向き直る。


「言っておきますけど、容赦なくガンガン攻めさせてもらいますから。心を鎧で覆う暇も無いくらい」



パンと、頬を張るような少女の大胆な宣言に、アキトは嘗ての彼とも、昔の彼とも違う笑みを浮かべた。
清々しく、それでいて、色々な事を見知っている男の笑み。
無知な笑みでも、皮肉な笑みでもない、無邪気な男の笑みにポッと灯が点ったようにルリが真っ赤になるのを見遣りながらアキトは石段を降りていく。







                              ◇







アキトは首元に手をやると、ネクタイを緩め、ボタンを一つ外す。
そうして、ポケットをまさぐると、携帯にスイッチを入れる。


「ラピス。もうそろそろ帰るよ。それから、ガイの奴はいるか?……そうか、いるか。じゃあ冷蔵庫から氷とアカツキからもらった酒を出しておいてくれ」


サングラスを外すと微かにぼやけた視界に眩しい光が飛び込む。
アキトは晴れ晴れとした笑みを浮かべながら、一言二言話すと、電話を切る。
自分の心が生きている。
その事が純粋に嬉しいとさえ感じられた。
踊りだしてしまいそうなくらい、そんな当たり前の事が嬉しい。
春の匂いに満ちた暖かな風に身を任せながら、アキトは残る石段を降りて行った。





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