【Side:太老】

「随分と手際がいいな……山賊討伐の件に、こんなに早く動いてくれるなんて」

 軍から送られてきた報告書に目を通し、俺はその内容に驚きを隠せないでいた。
 取り敢えず軍事訓練の計画書をまとめはしたのだが、この報告書を見る限り向こうはそれどころではないようだ。
 農地開拓の方だけでも忙しいはずなのに、それもやった上で山賊討伐の方も態々軍艦を足につかって進めてくれているようで、それらの経過報告がそこには記されていた。
 現在で三割もの農地開拓がすでに済んでおり、その上で山賊討伐の方も七箇所に及ぶ拠点の制圧、二百四十名にも及ぶ山賊とその関係者の確保に成功したとそこには記されてある。一日一件のペースで山賊達の重要拠点を強襲している計算だ。

(やる気を出してくれてるのは嬉しいんだが……)

 何だか色々と胸騒ぎがした。しかし悪いことでもないので、労いの言葉でも返しつつ、しばらくは様子を見守ることにする。
 この様子では軍事訓練をやっている余裕はないだろうし、取り敢えずは向こうが何か言ってくるまで保留にして置こうと思う。
 どの道、こっちも明日には一度首都に戻らないとならない。商会の方をこれ以上留守にする訳にもいかないからだ。
 それにマリアから昨日、

「シトレイユに出張?」
「はい、本当は首都に戻ってからお伝えしようと思っていたのですが、こちらの方に思ったよりも時間を費やしてしまいましたので」

 シトレイユ支部の視察に行く予定があると聞かされたばかりだった。
 予定している日程は十日ほどらしいが、そうなると次に領地に顔を出せるのは、早くても一ヶ月くらいは先になる。
 首都に戻れば商会の仕事の方も、必要な物から片付けて行かなくてはいけないし、思っていた以上にやることは山積みだった。

(ううむ……全然ゆっくり出来る気がしない)

 先日まで暇だ暇だ、と仕事を探して憂いていたのが嘘のように思えるハードスケジュールだ。
 仕事が出来て万々歳なのだが、出来れば一箇所に腰を落ちつけて仕事に打ち込みたいものだ。
 とは言え、爵位を持つ上に商会の代表と言う立場もある。
 もっと家でゆっくりしたい、いっそ引き篭もりたいなどと、我が侭を言える訳もなかった。

「太老様、少しよろしいですか?」
「ん? 何かな?」

 首都に持ち帰る書類の整理をしていると、マリエルがノックをして書斎に入り、何やら遠慮がちに俺に尋ねてきた。
 よく見ると、後にはシンシアとグレースもいる様子。
 何かようか? と訝しげな表情を浮かべているとマリエルの方が先に話を切り出してくれた。

「えっと、シンシアとグレースを連れて行きたいってこと?」
「はい。水穂様の提案でお母様も首都に移り住むとのことでしたので、この子達だけをこちらに残して行くのは気掛かりですし……」

 そう言えば、そんな事を水穂から聞いていたような気がする。
 リハビリ自体は終わったらしいのだが、ミツキの新しい仕事先として以前に話していた新しい部署で、彼女を雇ってもいいかどうか聞かれたんだった。
 情報部のことに関しては水穂に全て一任してあるので、『好きにしてもいい』と返事を返して置いたのだが、確かにミツキが水穂に付いていくことになると、シンシアとグレースをここには置いていけない。
 とは言え、水穂も何も考えなしにそんな事を言った訳ではないだろう。
 向こうで準備を進めてもらっている屋敷の見取り図も渡してあるのだし、そのことも計算に入れているはずだ。
 この屋敷ほどではないが結構な広さだから、マリエルの家族が増えたくらいで部屋が埋まるようなことはない。
 さすがに以前のように、商会に部屋を間借りしてるような状況では安易に『連れて行く』などと口約束は出来ないが、現状では何の問題もない。

「まあ、そのことなら問題ないと思うよ」

 マリエルには水穂に一任してあるので、向こうに着いてからの部屋の割り当てなど、水穂と相談して好きにして構わないと伝えておいた。
 こっちの屋敷は残していく侍従達に見てもらうつもりでいるが、あちらの屋敷はマリエルに管理してもらうつもりで居たので、家族一緒に暮らせて丁度いいだろう。
 どの道、生体強化を施してしまった以上、ミツキを放り出すような無責任な真似が出来るはずもない。
 何かあった時のことを考えれば、手元に置いておいた方が何かとフォローがしやすいと言うのもある。
 水穂もそのことを考えているから、あんな事を言ったのだと俺は考えていた。





異世界の伝道師 第69話『明日のタロー』
作者 193






 取り敢えず軍の方には連絡だけ入れておいた。
 あちらも農地開拓の件や山賊討伐を並行して進めてくれているので、全ての成果が出るのは最低でも一ヶ月は先になる。
 逐次、経過報告だけ入れてもらうことにして、一ヵ月後に正式な結果報告を受けることにした。
 軍事訓練についての話は、それからでも遅くはないだろう。
 こちらもやることは結構残っているし、この状況は都合がいい。

「太老く〜ん!」
「…………」

 それよりも、これはどう言う状況なのだろうか?
 実は酔っ払ったような状況になった水穂に、俺は真昼間から絡まれていた。
 明らかにどこかおかしい。とは言え、俺の力で本気の水穂を振り切れるはずもない。
 実はこうしている今も、凄い力でギチギチと締め付けられていた。

「水穂さん! 昼間から破廉恥です! お兄様から離れてください!」

 マリアが必死に水穂を引き離そうとしてくれているが、マリアの力で水穂が引き離せるはずもない。
 本当にどうしたものか? と俺は頭を悩ませていた。

(そもそも、何でこんな事になったんだ?)

 その理由が分からない。顔を真っ赤にして泥酔したような状態になっている水穂。
 先程も言ったが、こんな水穂を見るのは俺も始めてのことだ。
 職務放棄をして真昼間から酒を飲むはずもなく、だとしたら何故こんな状況になっているのか? と言う事なのだが、

「酒臭くはないな……ちょっと水穂さん、大人しくしておいてもらえます?」
「うん!」

 元気一杯に返事をする水穂が、少し可愛いと思ったのはここだけの話だ。
 取り敢えず水穂を何とか言い聞かせ、何が原因か診察してみることにする。
 こうなった原因がどこかにあるはずなのだ。

「お兄様、これって……」
「……そういう事か」

 水穂の首元に発疹を見つけた。これは俺も見覚えがある、そう『ロデシアトレ』と呼ばれるエナの海特有の風土病だ。
 こちらの世界に来た当時、俺も発病した経験のある病気だった。
 あの時、俺は一週間ほどで発病したが、水穂は二週間以上の開きがある。
 個人差があるのだろうが、何も今頃になって発病しなくても、と思わなくはなかった。
 皇家の樹のバックアップがある以上、放って置いても大丈夫だろうが、この状態の水穂に絡まれ続けるのはさすがに勘弁願いたい。

「トリアム草の備蓄って……ないよな?」
「ええ……以前にも申しましたが、滅多に掛かる病気でもありませんし。
 首都に行けば幾らでも手には入るのですが……」

 問題はそこだった。高地に住む人でもない限り、まず発病することがないこの病気。
 しかも、最近は予防接種さえきっちりしていれば発病すること自体が殆どないと言う事で、態々トリアム草を備蓄している人は少ないのだ。
 あれは保管して置くにしても一手間掛かるらしく、面倒だと言うのも理由にあるのだろう。
 そして一番の問題はもう一つあった。

「この辺りには生息してないんだよな……」

 トリアム草はハヴォニワの北東部から聖地に繋がる渓谷に生息している特殊な薬草だ。
 当然、この領地内では手に入らない。
 首都に行けば城や商会の倉庫に若干備蓄はあるが、どちらにせよ直ぐに入手可能な物ではなかった。

「私、直ぐに船の手配をしてきますわ!」
「え、でも……」
「水穂さんが苦しんでるのに、このままにして置けませんもの!」

 そう言って俺の制止も聞かずに飛び出していくマリア。
 水穂なら別に急がずとも、二、三日で快復することは間違いないのに。

「太老くん、お姉さんといいこと≠オよっか?」
「いや、いいことは別にいいですから、大人しく寝ててくださいっ!」
「だーめ、『水穂お姉ちゃん』って呼んでくれなきゃ、悪戯しちゃうんだから!」

 取り敢えず部屋に寝かせようとベッドまで運ぶと、逆に押し倒されてしまった。
 俺の頭の中では危険を知らせる警笛が鳴り響いていた。明らかに緊急事態だ。
 俺の話など聞いてくれるはずもなく、邪な笑みを浮かべて俺の服を脱がそうとシャツのボタンに手を掛ける水穂。

「や、やめてくれ――っ! マリアカムバ――ック!」

 水穂に食われてしまう。俺は本気で貞操の危機を感じていた。

「逃げちゃだーめ。ほら、お姉ちゃんと脱ぎ脱ぎしましょうね」
「出来るか――っ!」

【Side out】





【Side:マリア】

 船の手配が終わって水穂さんとお兄様を呼びにきてみれば、何やらご機嫌の水穂さんと真っ白に燃え尽きたお兄様の姿があった。

「太老様、どうされたのですか?」
「さあ……? それよりも水穂さんは?」
「今は落ち着いたようで、ベッドで大人しく眠られています」

 椅子に腰掛け、真っ白に燃え尽きているお兄様を見て訝しげな表情を浮かべるマリエル。
 とは言え、私にも何があったのか、さっぱり分からないのだ。
 お兄様は何も教えてくれないし、幾ら話し掛けてもずっとあの状態だ。

「出来るだけ急いでもらってますので、夕刻には到着すると思います」
「そう、ごめんなさい。色々と慌しくさせてしまって」
「いえ、水穂様がご病気とあっては一大事ですし、どうぞ御気になさらないでください」

 現在、私とユキネ、お兄様や水穂さん、それにマリエル達メイド隊の侍従に、マリエルの家族、幾人かの使用人を乗せ、船は首都へと向かっていた。
 かなり慌しく出て来てしまったので、マリエル達には大きな負担を強いてしまった。
 本来の予定を全部潰して、取り敢えず荷物だけ積み込んで、着の身着のままで飛び出すようなことになってしまったからだ。

 こちらもウッカリしていた。
 お兄様の同じ世界の出身と言う事であれば、当然こちらの風土病に免疫力があるはずもない。
 早めに予防接種をして置けば、こんな事にはならなかったのかも知れないが、他にも色々なことがあった為に完全に失念していたのだ。
 簡単に予防できる病気ではあるが、ロデシアトレは発病すると高熱を引き起こし、最悪の場合は死に至るほど恐ろしい病だ。
 エナの海の国々で生まれた人々は生まれ持ちある程度の免疫力はあるので、この病気に発病することは滅多にない。
 高地の人々も予防接種で防げるとあって、発病する人は極稀なケースを除いて殆どない。
 私も以前にお兄様が発病したケースを見たのが初めてで、水穂さんのケースを入れても目にしたことがあるのは二件目と言う凄く稀な病気だった。
 故にロデシアトレに効果のある薬草の備蓄など、そう置いてあるものではない。
 そのこともあって、このまま水穂さんを放置しておく訳にもいかず、私達は急遽、首都に戻ることになったのだ。

「しかし、ロデシアトレとは珍しい病気ですね」
「ええ、やはり水穂さんも異世界人なのですね」

 マリエルの言うとおり、こうして実際に目にさせられると改めて思い知らされる。
 お兄様も水穂さんも、この世界の住人ではないと言う事が。

「屋敷の方は、こんなに急に出て来て大丈夫かしら?」
「問題はありませんよ。引継ぎの方は殆ど終了してましたし。
 ただ、『送別会が出来なくなった』と残してきた使用人達は残念がっていましたけど」

 マリエルの話に、肩を落としている侍従達の姿が目に浮かぶようだった。
 お兄様がどれだけ彼女達に慕われているか、それだけでも分かると言うものだ。
 以前よりもずっと改善された労働環境に、屋敷で働いている使用人達もお兄様に心からの忠誠を誓い、今まで以上に熱心に仕事に取り組んでいると言う話を耳にしている。
 領地運営の計画書の方もそれとなく見させてもらったが、この領地がハヴォニワ一の、いや大陸一の領地へと発展していくことは疑いようのない事実だ。その時が、今から待ち遠しくて堪らなかった。

【Side out】





「あーあ、太老様達、行っちゃったね」
「んー、でも屋敷の方を頼まれちゃった以上、その期待には応えないとね」
「よし! 皆で力を合わせて頑張ろう!」
『おおぉ――っ!』

 屋敷に残してきたメイド隊の侍従達は、声を合わせ威勢良く手を振り上げる。
 彼女達の役目はこの屋敷の管理と、太老から託された計画書に沿った領地運営を行っていくことにある。
 実際、かなり重要な仕事なので、彼女達が気合を入れるのも無理はない。
 普通であれば幾ら専属の侍従だからと言っても、一介の使用人に任せてもらえるような仕事ではなかった。
 だからこそ、それだけ太老に信用されているのだと、彼女達はそのことを嬉しく思い、仕事への意欲を高めていた。

「あれ? それって水穂様から頂いた奴よね?」
「うん。『番犬に最適だから上手く使いなさい』って水穂様が」

 侍従の一人が手の平に乗るくらい小さなキューブをくるりと右に一回転させると、二体の白と黒のバイオボーグが揺らめいた空間から、何処からともなくその姿を現した。
 成人男性の三倍ほどはあろうかと言う、大きな犬の姿を模したバイオボーグ。
 実際に水穂から使い方のレクチャーを受けていた侍従も、その巨大な生物とも機械とも分からない、不可思議な物を前に驚きを隠せない。

「この子達が番犬≠ネんだ」
「うん。餌も必要ないらしいよ」
「へー、随分と経済的なんだね」

 何やら、のほほんと的外れな会話をしている侍従達。
 このバイオボーグは、水穂が持ってきていた幾つかの簡易キットの中に入っていた物で、ギャラクシーポリスなどでも正式採用されている軍用兵器の一つだ。
 もっとも水穂達からすれば、本当に番犬程度にしかならない能力しか持ち合わせていないのだが、仮にも下っ端の宇宙海賊程度なら十分に取り締まれるくらいの戦闘力は備えている。
 それに生体反応や熱反応などを感知する探知システムも搭載しているため、侵入者の索敵にも有効であることもあり、屋敷の防備のためにと水穂が彼女達のために残していったものだった。
 特に餌など与えずとも、酸素と水だけで半永久的に活動が可能なため、経済的な点も長所の一つとしてセールスポイントになっている。
 実のところ、樹雷に売り込みにきた営業員から試供品≠ニ言う事で無理矢理押し付けられた物なのだが、水穂からすると余り使い道がなく、ずっと仕舞いっ放しにしていたのを忘れていた物だった。

「名前を付けてあげないとね」
「それじゃあ、シロとクロでいいんじゃない?」
「安直過ぎないかしら? でもま、覚えやすいわよね」
「あ、じゃあ、私が二匹の首輪作ってあげるね!」

 五人の侍従達に頭を撫でられ、何やらご機嫌の様子の二匹のバイオボーグ。
 こうして太老の屋敷に、二匹の番犬(ペット)≠ェ飼われることになった。





 ……TO BE CONTINUED



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