【Side:太老】

 エメラに付き合わせて、俺だけが寝る訳にもいかないので、ランの紅茶特訓に付き合ったまではいいが、まさか朝までにあの紅茶缶を全部開けてしまうことになろうとは思いもしなかった。
 十杯目辺りまでは覚えていたのだが、それ以降は数えるのもバカらしくなり、気が付けば朝になっていた。

「本当に助かったよ」
「いえ、それは一向に構わないのですが、ランさんは従者の教育を受けておられないのですか?」
「いや……まだ従者になって日が浅いし、勉強中なんだよ」

 どうにか、エメラに『合格』の一言をもらえたランは、ソファーにもたれかかり、死んだように眠っていた。
 掃除や裁縫、料理といった基本的なことまで、ランはやることなすこと全部大雑把で、使用人として評価した場合の成績は、赤点と言って差し支えないほど酷いものだった。
 エメラが同じ従者として、ランの能力に疑問を持つのは無理もない話だが、まさか『この間までスリをやってました』などと正直に話せるはずもない。エメラには悪いが、今は話題を切り替え、曖昧に言葉を濁させてもらう。

「ああ、そういえば、何か用があったんじゃないの?」

 すっかり忘れていたが、エメラが深夜遅くに部屋を訪ねてきた理由を、未だ聞いていなかったことを思い出した。
 無理矢理付き合せてしまった俺が言えた義理ではないが、何の理由もなしに夜遅くに男の部屋を訪ねてくるとは思えない。
 思い起こしてみれば、大浴場の件の時から、どこかエメラの様子はおかしかった。
 マリア達の乱入があって、それも曖昧なまま流れてしまったが、何か話があったのは確かだと思う。
 知り合ったばかりのエメラと、共通の話題というと考えられるのは一つだけだ。
 恐らくは――

「ダグマイアのこと?」
「……はい」

 案の定、ダグマイアのことだった。俺が言ったことを、気にしていたのだろう。
 従者として主に忠実なエメラに、『ダグマイアを甘やかすな』と言ったところで、受け入れ難い話だということは分かっていた。
 今となっては少し酷なことを言ったか、と思わなくもないが、間違ったことを言ったとは思っていない。
 ダグマイア本人の問題とはいっても、余り周りが構い過ぎるのも良いことだと思わないからだ。

「私はやはり、ダグマイア様の下に戻ろうかと思います。
 その上で、ダグマイア様が間違っているのであれば、それを正して差し上げたい」

 ラシャラの傍に残ることも出来ただろうが、エメラはダグマイアの従者であることを望んだ。
 焚き付けておいてなんだが、あのダグマイアの曲がった根性を叩き直すのは骨が折れると思う。
 それでも、それがエメラの選んだ道ならば、俺は応援してやりたいと考えていた。

(今は、エメラやババルンを信じよう)

 これだけ想ってくれる人達が傍にいて改心できないような、そんな救いようのないバカではないだろう。
 ハヴォニワの男性聖機師達も、きちんと向き合って話をすれば、話の分からない連中ばかりではなかった。

「それがエメラの選択なら応援するよ」

 ダグマイアも、早くそのことに気付いてくれるといいのだが……今は、エメラの言葉を信じる他ない。





異世界の伝道師 第96話『帰国』
作者 193






 結局、あの後も一睡も出来ないまま、船の時間がきてしまった。
 俺とマリア達は、ラシャラとエメラ、それに正木商会シトレイユ支部の職員達に見送られ、首都郊外の港まで足を運んでいた。
 ここから船に乗って、丸一日かけてハヴォニワに帰ることになる。

「太老、色々とすまんかったな」
「シトレイユ皇やダグマイア達のこと? ラシャラちゃんが気にすることじゃないよ」

 シトレイユ皇のは自業自得、ダグマイアや男性聖機師達の件も因果応報。
 娘だから、皇族だからといって、ラシャラに謝ってもらうようなことではない。
 どっちかというと、国皇がヌイグルミになってしまったことで、これから苦労することが目に見えているラシャラの方が何かと心配だった。

(さすがに、あれじゃあな……)

 まさか、ヌイグルミ状態のシトレイユ皇に公務をさせる訳にもいかないだろう。
 それ以前に、あれでは臣下に説明をして納得させるのも一苦労だ。
 下手に混乱をきたすくらいなら、当分の間は意識不明ということにして黙っておく方が無難だ。
 何れにせよ、国皇不在の今、ラシャラや宰相のババルンが苦労を背負い込むことになるのは明白だった。

「ラシャラちゃんも、大変だと思うけど頑張ってね」
「うむ。ここは我の国じゃ、父皇がいなくとも立派に役目を果たしてみせる」

 俺を安心させようと思ってか? 胸を張って、そう答えるラシャラが健気だった。
 しかしラシャラなら、その言葉通りシトレイユ皇の分まで立派に役目を果たし、国を盛り立てていくことが出来るはずだ。
 それに彼女は一人ではない。商会の職員達、それに優秀な従者達に、宰相のババルンもいる。
 皆の力を合わせていけば、きっとこの苦難も乗り越えていけるだろう、と俺は信じていた。

「お兄様、そろそろ出港の時刻ですわよ」
「ああ、直ぐ行く」

 マリアが船の昇降口で声を張り上げ、出港の時間がきたことを知らせてくれた。
 お世話になったマーヤとアンジェラ、それにタイミングが悪かったこともあって、結局、顔を合わすことがなかったヴァネッサにも、一言挨拶くらいはしておきたかったのだが、余り無理も言えない。
 シトレイユ皇が不在の所為で何かと忙しいらしく、城の仕事に懸かりきりになっているためだ。
 本来であれば、ラシャラも見送りになど来ている余裕はないはずだった。
 忙しい時間を割いて、送別会を開いてくれたり、見送りにきてくれただけでも感謝しておかないと。

「エメラも頑張って。陰ながら応援しているから」
「はい。色々とありがとうございました」

 エメラも、これから色々と大変だろうが、彼女ならきっと大丈夫だろう。
 次に再会した時、エメラの教育でダグマイアがどう変わっているかが、密かに楽しみでもあった。

「それじゃあ、行くよ」
「うむ。気をつけてな」

 シトレイユ支部の職員達も、旗を振って別れを惜しんでくれていた。
 その気持ちに応えようと、大きく手を振って、ラシャラ達に別れを告げる。

「――また戻ってくるから! それまで、元気で!」

 水穂と相談をしたら、その後はシトレイユ皇のことを何とかするために、また戻って来なくてはいけなくなる。
 半月後か一ヵ月後かは分からないが、シトレイユ皇国に戻ってくる日も、そう遠くはないだろう。

 俺は、皆の姿が見えなくなるまで、大きく手を振り続けていた。

【Side out】





【Side:ラシャラ】

 結局、太老にはずっと世話になりっ放しの十日間じゃった。
 療養してもらうつもりでシトレイユに招いたというのに、アクシデント続きで返って心労を掛けるような結果を招いてしまったことを、我は申し訳なく思っていた。
 それでも、太老は不満一つ漏らすことなく、逆に我のことを気遣ってくれる。

「行ってしまったの」
「はい。ですが、『戻ってくる』と仰っていましたし、また会えますよ」

 エメラの言うとおり、最後に太老は『戻ってくる』と言葉を残していった。
 我等のことを心配して、あのようなことを言ってくれておることは分かっていた。
 太老も忙しい身、商会本部やハヴォニワの事情を無視して、そう何度もシトレイユを訪れることは出来ぬであろう。
 次に会えるのは半年後か、一年後か、何れにせよ、我が聖地に赴くまでに会える可能性は低い。
 確実に会えるとすれば、我の十二の誕生日、戴冠式の日を除いて他にないじゃろう。

 その時には、大陸中の王侯貴族が招かれ、大々的な催し物が開かれる。
 マリアや、フローラ伯母は勿論のこと、当然ハヴォニワの大貴族である太老も招かれることになる。
 皆の興味は、我が皇位を継ぐことではなく、シトレイユの実権を誰が握るのか、と言う事に尽きるじゃろう。
 出来れば、太老に無様な姿は見せたくはないものじゃ、と我は考えていた。

「ダグマイアの下に戻ることを決めたのじゃったな」
「はい。このまま、ダグマイア様の傍を離れることになれば、後悔だけが残る気が致しましたので」

 自分でそう決めたのなら、我からエメラに言う事は何もなかった。
 少し惜しいと思う気持ちがあるとすれば、ダグマイアには勿体無いと思うほど、エメラが優秀な従者じゃったということだけじゃ。
 これから益々忙しくなることじゃし、出来ればエメラのような優秀な人材には、傍で手伝って欲しかったのじゃが、これもまた仕方のないこと。
 自ら『ダグマイアのことを甘やかすな』と言ったくらいじゃし、太老もこうなることを大方予想していたのじゃろう。

「メスト家の従者、ということは、どういうことかは分かっておるのじゃろ?」
「存じています。最悪の場合、ラシャラ様や太老様とも敵対することになる、ということも」
「そこまで覚悟しておるのなら、我からは何も言う事はない。言っておくが、我は知り合いだからといって、手心など加えぬぞ?」
「心得ておきます。その旨は、必ずダグマイア様にも」

 宰相派と皇族派、その対立はシトレイユの実権を巡り、これからも尚、激しさを増していくことになる。
 その中心にいる我と、宰相派の中心となるメスト家。ダグマイアの従者を続ける以上、エメラとも敵対関係になる。
 そして太老も、明確に示してはおらぬが、ババルンを敵視し、警戒しておることは間違いない。
 エメラにとっても今回の決断は、苦しい選択じゃったに違いない。

「御主も、色々と不器用で、難儀な性格をしておるの」
「知っています。でも、不器用でも、私にはこう言う生き方しか出来ませんから」

 そう苦笑を漏らしながらも、以前とは違うエメラの雰囲気を我は察していた。

(全く、厄介な強敵を作ってくれたものじゃ。少々恨むぞ、太老)

 ババルンだけでも厄介じゃというのに、一筋縄では行きそうもない強敵が誕生してしまった。

【Side out】





【Side:太老】

 シトレイユ皇国を出発して、そろそろ丸一日が経とうとしていた。
 気付けば、もうハヴォニワの領内だ。
 この十日余り色々とアクシデント続きだったことや、ランの紅茶特訓に付き合った所為で、疲れていたのもあるのだろう。
 船の中では何もせず、ずっと横になっていた。

 マリエルが気を利かせて起こさないでくれたので、ぐっすりと眠ることが出来た。
 こうして何も考えず、一日寝て過ごしたのは随分と久し振りのことかもしれない。

「やっぱり、住み慣れた土地の空気は違うな」

 眠気覚ましに、と甲板にでて、大きく深呼吸をした。
 遠出をする度に思うことだが、我が家に帰ってくると、何故かほっとするから不思議だ。
 考えてみれば、自領の問題を解決したかと思えば、今度は矢継ぎ早にシトレイユへの出張だったし、自分で思っている以上に疲れていたのかもしれない。

「理想を叶えるために! より住みよい世界を造るために!
 ハヴォニワよ! 私は帰ってきた――っ!」

 城が見えたところで、力一杯ネタを叫んだ。何となく、帰ってきたってことを実感したかったからだ。
 とは言え、シトレイユ皇の件や、保留のままになっている軍事訓練の件もある。
 コンビニや交通整備の見直しなど、細かなことも含めれば、やることは他にも山積みで残っていた。

(余り、のんびりすることも出来なさそうだな……)

 そのことを考えると、帰ってきたばかりだというのに、色々と気が重くて仕方なかった。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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