【Side:太老】

「んー、絶好調!」

 体調も完全に元通りに快復し、天女からも解放されて気分は爽快だ。
 善意で看病してくれているのは分かるのだが、幾ら何でも食事はともかく添い寝はやり過ぎだ。
 挙げ句に最後は『一緒にお風呂』なんて、目を輝かせて言うモノだから対応に困った。
 天地も実の姉は少し苦手なのか、全然助けてくれようとしないし、着替えや食事を運んでくれていた砂沙美も苦笑を浮かべていた。

「まあ、台風も去った事だし、やっとのんびり出来るな」

 散々騒がせてくれた天女も、どこからか連絡があり、何やら慌てた様子で帰って行った。
 アイリからの呼び出しか、それとも……まあ、俺には関係のない話だが。
 ぽかぽかとしたお日様の日差しに包まれながら、俺はだらしなく縁側に仰向けに寝そべった。

「太老ちゃん、鷲羽お姉ちゃん知らない?」
「ん? いないの?」
「うん、そろそろ昼食だから声を掛けようと思ったんだけど、部屋にもいなくて」
「んー、またどこかフラッと出掛けてるんじゃない?」

 砂沙美から鷲羽(マッド)がいないと聞いて、益々今日は平穏に過ごせそうだ、と俺は安堵感に包まれる。
 普段が騒々しいだけに、こうして何事もない静かな時間は、とても貴重だった。
 身体は五歳児だが、精神は定年退職間際のオヤジのように老成している。それが、今の俺だ。
 天女からようやく解放されたのだから、少しはのんびりさせて欲しい。
 鷲羽(マッド)がいないのであれば余計に、そう思わずにはいられない。こんな機会は滅多にないのだから――

「魎ちゃんもいないみたいなんだよね……」
「だとしたら、どこか遠出してるんじゃない? 天女さんを送っていったとか?」
「そんな話は聞いてないんだけどな……」
「鷲羽様なら、瀬戸様と『大切なお話がある』とか言って、出掛けられましたよ」
「え? お婆様と?」

 洗濯カゴを両手に持ち、話に割って入ってきたノイケの言葉に、驚いた様子で考え込む砂沙美。
 魎皇鬼を連れて行ったとなると、間違いなく宇宙。それもかなり遠出した、という事になる。

(おおっ! 益々、のんびり出来そうじゃん)

 あの鷲羽(マッド)が瀬戸に会いに行った、となると樹雷関連の仕事の話か何かだろうから、用事が済むまで暫くは帰ってこないだろう。
 これは本格的に誰にも邪魔されず、久し振りにのんびり出来る、と考えた。

「…………」
「どうかしましたか? 何か気になる事でも?」
「あ、ううん! 何でもないよ! じゃあ私、昼食の用意に戻るね」
「……そうですか? それでしたら、この洗濯物を干し終わったらお手伝いしますね」

 何だか、少し砂沙美の様子がおかしかった。
 鷲羽(マッド)が瀬戸に会いに行った事が、そんなに気になるのだろうか?

「砂沙美ちゃん、本当に大丈夫? 気になるなら連絡も取れるけど」
「あ、ううん。ちょっと気になっただけだから大丈夫だよ」

 鷲羽(マッド)との直通回線は教えられているので、研究室に行けば連絡を取る事くらいは簡単だ。
 明らかに気にした様子で笑ってそう答える砂沙美に、俺はどうしていいモノか迷った。
 しかし、鷲羽(マッド)に連絡をすれば、この束の間の安らぎも終わってしまうかと思うと、非常に悩ましい問題だった。

「それよりも、また『砂沙美ちゃん』って呼んでる! 私……もう良い歳のレディなんだけど」

 生理年齢を考えれば、今の砂沙美は中学生くらいだ。
 しかし周囲が、散々『砂沙美ちゃん』と連呼している事や――
 どうしても大きな砂沙美のイメージよりも、小さな砂沙美のイメージが定着してしまっている事――
 それに幾ら同化しているとはいえ、砂沙美と津名魅を混同して考えられない事も、砂沙美のいうように呼びにくい理由にあった。

 砂沙美は砂沙美、津名魅は津名魅。それが俺の正直な感覚だ。
 別々に話をする機会も散々あったのに、今更、それを同一人物だと言われても、今一つピンと来ない。

 後は、前世での記憶と習慣に引っ張られている事も、影響しているのかもしれない。
 やはり、こちらの世界の住人として生活しながらも、どこか物語の世界の話として、客観的に物事を見ている自分に気付かされる事があるからだ。
 そうした事情もあって、『ちゃん』付けで呼ばない事に、違和感を感じていたのが理由として大きい。
 そのため結局、慣れた呼び方で定着していた。それに、呼び始めた当初は、砂沙美もこんな些細な事を気にはしていなかった。
 最近になってからだ。『ちゃん』付けで呼ばれる事を意識し始めたのは――

「それじゃあ、『太老ちゃん』ってのをやめてくれたら考える。前から言ってるけど、せめて『くん』付けで……」
「それはダメ! 『太老ちゃん』は『太老ちゃん』なんだから!」

 止めて欲しい、という互いの主張は理解されないまま、こうして平行線を辿ったままだった。

【Side out】





異世界の伝道師/鬼の寵児編 第2話『鬼と伝説』
作者 193






【Side:鷲羽】

「本来ならこちらから出向くところなのだけど、そちらにも色々と事情≠ェあるでしょうから……態々足を運んで貰って申し訳ないわね。鷲羽ちゃん」
「瀬戸殿も変わりがなさそうで何よりだよ。他人に聞かれて困る話、というのはお互い様だからね。その事に関して、私も文句はないよ。寧ろ、今回は瀬戸殿の素早い対応に感謝、かな?」

 これだけのやり取りでも、既に瀬戸殿が太老に目星を付けている事は確実だった。
 私の方から出向く、という話を聞いて確信していたに違いない。
 ここは皇家の船、瀬戸殿の第二世代艦『水鏡』の中。あらかじめ人払いがされ、ここにいるのは私と瀬戸殿の二人だけ。
 他人に聞かれて困る話でも、ここならたっぷりと悪巧みの相談≠熄o来る、という事だ。

「大体のところは気付いていると思うけど、原因は瀬戸殿の予想通りあの子≠セよ」
「なるほど。赤子の頃から言葉を理解していた天才児、とは聞いてたけど、やはり鷲羽ちゃんが彼≠自分の庇護下に置いていたのは、そうした理由からなのかしら?」
「……瀬戸殿には、やっぱり隠し事は出来ないね。ご推察の通りさ。あの子が本当に凄いのは、頭が良いとか喧嘩が強いとか、そう言った話じゃない。瀬戸殿も見てるだろう? 西南殿や美星殿、確率変動値に著しい偏りを持つ確率の天才≠」

 誤魔化しや下手な言い訳など通用しない。そう思った私は、全ての情報をださないまでも、正直に話す事にした。
 瀬戸殿も、その辺りの事は承知の上だ。ここで一番重要な事は、哲学士が語る講釈や、真実の追及ではない。
 太老が世界にとって……いや樹雷にとって危険な人物であるか否かだった。

「では、単刀直入にお聞きしますが……彼は鷲羽ちゃんにとって、どういう人物なのかしら?」

 私に挑戦するように笑みを浮かべ、鋭い眼光を向けてくる瀬戸殿。
 私にとっての太老。それは、私が太老の事をどう扱っているのかではなく、どう考え思っているのか? という事を問い掛けていた。
 だが、その答えは既にでている。私にとって太老は、ただの興味対象の実験動物ではない。

「家族さ。いや、『息子』と言ってもいい」
「……それでは、手を出す訳にはいかないわね。さすがに子を想う母親に勝てるとは思いませんし、あの伝説の哲学者殿を敵になど回して、七百年前の再現をしたくはありませんから」
「それを言うなら、孫達に嫌われたくない、の間違いじゃないのかい?」
「フフ、それは鷲羽ちゃんにも同じ事が言えるのではなくて?」

 瀬戸殿の言葉は、確かに的を射ていた。お互い、考えている事は同じという事だ。

「一つだけ条件をだしても?」
「何だい? こっちは文句を言える立場じゃないしね。ある程度の事なら相談に乗るよ」
「彼を二年、いえ一年ほど、私どもにお貸し願えますか?」
「……なるほど、直接見て判断したい、そういう事だね」
「アイリちゃんのご機嫌な様子や、水穂の話からも良い子だというのは存じてますが……私が納得しているだけでは、議会を納得させるには弱いですし」
「『樹雷の裏の最高権力者』がよく言うよ。納得しないのではなく、興味がある、の間違いじゃないのかい?」
「フフ、でも悪い話ではないでしょう? 鷲羽ちゃん」
「……その様子だと、今までずっと静観して会いに来なかったのも、やっぱり――」
「だって、鷲羽ちゃんが目を掛けている子を、横から奪っちゃ悪いでしょう? それに、水穂や天女ちゃんまで、随分と面白い事になっているみたいだし、私としてはあの子達にもそろそろ幸せになって欲しい、と願ってるのよ?」
「その方が面白そうだから、の間違いのような気もするんだけどね」

 やはり瀬戸殿は、どこまでいっても瀬戸殿だった。
 まあ、それが樹雷の皇族の良さであり、変わったところでもある。この感性は紛れもなく、樹雷の皇族のモノだ。
 だが、私もそうした瀬戸殿の性格を好ましく思っていた。

「貸すのは構わないけど、中学を卒業するまでは待ってやっておくれ」
「それは母親として?」
「そう、と言いたいけど、あの子の本当の母親、かすみ殿との約束でね。それに、そんな事を強引にすれば、お互いに困る事になるんじゃないかと思うんだが。水穂殿は怒らせると随分と怖い、って聞いたけど?」
「…………そうね。では、時期が来るまで待つ事にしましょう」

 これで太老の進路は決まったようなモノだが、あの子のためを思えば、これも良い経験になると考えていた。
 一つだけはっきりした事は、外からの干渉で、あの子の問題を他人が解決する事は、事実上不可能だという事だ。
 だとすれば当初の予定通り、出来る事は一つしかない。
 最悪の事態を回避する一番の方法は、太老が自分の力を自覚し、コントロールする事。

 ――正木太老ハイパー育成計画

 その計画の第一段階は、既に始っていた。

【Side out】





【Side:太老】

 のんびり出来ると考えていたのだが、完全に失念していた。
 そう、天女がいなくても、鷲羽(マッド)がいなくても、柾木家にいる限り、俺の平穏などあるはずがない。

「何しやがる! このバカ阿重霞!」
「それはこっちの台詞ですわ! あなたという人は毎回毎回――」

 取っ組み合いの喧嘩をし、居間で派手にやり合っている二人。言わずとも分かると思うが、魎呼と阿重霞の二人だ。
 喧嘩の原因はいつもの事。今日も畑仕事に精を出している天地に、お昼のお弁当をどっちが持って行くか、と揉めている真っ最中だった。
 そんな二人を放って置いて、さっさと砂沙美と一緒に弁当を買い物カゴに詰め、玄関から家の外にでる。

「ごめんね。太老ちゃんまで付き合わせちゃって」
「あそこにいたら巻き込まれそうだし、外の方が安全だから」
「あはは……二人とも負けず嫌いだから」
「いや、あれはそういうレベルの話じゃないと思うんだけど……」

 喧嘩する度に天井を抜いたり壁を壊したり、『負けず嫌い』で済ませられる話ではない。
 柾木家が段々と増築を重ね、ここまで大きくなっていったのも、ただ住人の数に合わせて拡張していったからだけではない。
 魎呼と阿重霞の巻き沿いを食い、そして美星の破壊によるところの比重が大きかった。
 二割くらいは俺も関与してなくはない、と言えるが……弁明させて貰うと全部不可抗力だ。
 美星の破壊に巻き込まれたり、魎呼と阿重霞の喧嘩に巻き込まれたり、鷲羽(マッド)の実験台にされたり、と被害者と言ってもいい。

 しかし、慣れというのは恐いモノだ。このくらいで柾木家の人間は当然動じないし、俺も何だかんだで慣れてしまっている。
 今では、食事中に大気圏を突き抜けて宇宙船が落ちてこようと、大して驚かなくなってしまった。
 あんなモノは地震や台風と一緒で、人災か天災かの違いくらいでしかない。

「お酒とかお醤油とか色々と足りない物も出て来てるから、向こうでノイケお姉ちゃんに合流したら、街で買い物して帰ろう。少しなら、御菓子も買ってあげるよ」
「それなら、ジャーキー買ってもいい? 戸棚に隠してあったの、魎呼さんと阿重霞さんの晩酌のあてにされちゃって」
「……いいけど、もう少し子供らしい御菓子とか欲しくならないの? 他にもナッツとかスルメとか、そんなのばかり買ってきてるよね?」

 いや、何かおかしいだろうか? 普通に美味しいと思うのだが……。
 ジャーキーとか、あの歯ごたえと、少しピリ辛の噛むほどに味が出て来る肉の旨味が堪らない。
 この身形では酒が飲めない事だけが残念でならないが、酒のつまみという物は、酒が飲めなくても味わい深いモノだ。
 チョコレートやクッキーなどの甘い物も嫌いではないが、たまに食いたくなる程度の事で、無理に欲しいと思うほどのモノでもなかった。

「あ、もう一つ欲しいのあったな」
「うん? 何々?」
「前に魎呼さんと酒屋に行った時に売り切れてた、イワシの缶詰!」

 あのイワシのオイルサーディンは、一度食べたら忘れられない味だ。
 それを楽しみに魎呼の買い物に付き合ったのだが、生憎とあの時は売り切れで仕方なくコンビーフの缶詰を買って帰った。
 しかし、危ないところだ。砂沙美の一言がなければ、うっかりと忘れるところだった。
 ジャーキーよりもまずは、街に行くのなら酒屋を覗いておかないと。あれ、あそこの酒屋にしか売ってないんだよな。

「……うん? どうしたの?」
「ううん……何でもない」

 地面に突っ伏し、ガッカリとした様子で肩を落としている砂沙美を見て、俺は意味が分からず首を傾げていた。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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