八歳の冬――それは何の前触れもなく、嵐のように唐突に訪れた。

「ううん、太老ちゃん大きくなって〜」
美砂樹(みさき)……お姉ちゃん」
「なーに? 太老ちゃん」
「……いえ、何でもないです。お好きなだけどうぞ」

 されるがまま、美砂樹の抱きしめ攻撃に晒される俺。
 柾木美砂樹樹雷(まさきみさきじゅらい)――あの瀬戸の娘で現樹雷王の第二皇妃、阿重霞と砂沙美の母親にあたる人物だ。
 性格はご覧の通り。子供のように無邪気、とにかく可愛いモノが大好きで、気に入ったモノには抱きつく癖があった。

 彼女への対処方法は一つだけ。気の済むまで好きなようにさせるしかない。
 そもそも、逃げようにも逃げられない。それもそのはず、銀河最強で知られる樹雷の闘士が数多く出場する、樹雷の名物『武闘七大大会』。
 それらを全て制覇した経歴を持つ実力者――それが彼女だ。
 樹雷皇家が長年行ってきた生体強化の影響を色濃く受け、桁違いの戦闘能力を身に付けた突然変異的存在。
 単純な戦闘力だけなら、樹雷皇家の歴史の中でも類を見ないほどの力を有しており、樹雷では船穂(ふなほ)と人気を二分し、闘士達の間で、憧れと信仰の対象にすらなっている人物だ。
 俺が少々足掻いたところで、この抱きしめ攻撃から逃れる術はない。

「ごめんなさい、太老殿。どうしても、あなたや阿重霞ちゃん達に会いたい、と言って聞かなくてね」
「いえ……それはいいんですけど。船穂様、今日は樹雷皇は?」
「あの人なら、公務があるので本星にお留守番です。そう言えば、太老殿は直接お会いした事はありませんでしたね」
「ええ、まあ……」

 柾木家でやっている年始の催しにも、樹雷皇が参加した事は一度もない。
 まあ、忙しい人だというのは分かっているし、俺も別に会いたいと言う訳でもないのだが……少し気になっただけだ。
 ちなみに、この船穂という人物はフルネームを『柾木船穂樹雷(まさきふなほじゅらい)』といい、樹雷皇の第一皇妃。勝仁……柾木遙照樹雷(まさきようしょうじゅらい)の母親にあたる。
 物腰穏やかで一見争いを好まない温厚そうな人に見えるが、これでも武術の達人らしく、棒術だけならあの美砂樹をも圧倒する実力を有しているらしい。
 どうして樹雷の皇族の女性というのは、一見、害がなさそうに見える人物ほど、こう武闘派が多いのか?
 滅多な事ではないと思うが、絶対に怒らせたくはない人物の一人だった。

 ちなみに美砂樹と船穂も樹雷皇と同様、親衛隊総司令官、情報総監、といった大層な肩書きを持っているため、余り地球に訪れる事はない。
 数年に一度、こうしてひょっこりとお忍びで顔を見せに来るくらいだ。
 ここには自分達の子供や孫がいるので、休暇を利用して元気な姿を確認しに来ているのだろう、という事は分かっていた。
 ちなみに、俺も二人に会うのは四年振りの事で、こうして直接会うのは三度目という事になる。

「阿重霞ちゃん! 砂沙美ちゃん! 会いたかったわ〜!」

 ようやく俺が解放された、かと思えば、今度は境内の掃除を終えて戻ってきた阿重霞と、天地にお弁当を届けて帰ってきた砂沙美の二人が、美砂樹の抱きしめ攻撃の的にされ、捕まっていた。
 あの様子だと、暫く解放してはもらえないだろう。
 何はともあれ、俺の方はようやく解放されて一安心、とほっと胸を撫で下ろす。

「太老殿、よろしければ神社へ案内をして頂けますか? 久し振りに遙照にも会っておきたいですし」
「え? それは構いませんけど……」

 何回か来ているはずだし、柾木神社の場所くらい知っていると思うのだが?
 でも、四年振りという事もあるし、折角遠くから訪ねてきてくれた客人を、一人にする訳にもいかない。
 美砂樹から逃が……この場から離れたかった、という事もあり、俺は素直に船穂を案内する事にした。

【Side out】





異世界の伝道師/鬼の寵児編 第4話『二人の皇妃』
作者 193






【Side:船穂】

 正木太老――柾木家の眷属、正木家に誕生した子で、彼の事をよく知る関係者には『正木の麒麟児』とも言われている超天才児。
 あの伝説の哲学士『白眉鷲羽』殿がお認めになったほどの子。生まれた時からはっきりとした意思を持ち、言葉も理解していたという頭脳は、後に鷲羽殿同様、歴史に名を残す『哲学士』になるのではないか、と期待を寄せられているほどだ。
 だが、頭の出来がよい、それだけの事であればよかった。
 しかし、才能と環境に恵まれ、将来を有望視されながらも、彼は今――誰よりも危うい立場に立たされていた。

(あの報告書が確かならば……)

 鷲羽殿より瀬戸殿に提出された一つのレポート。そこに書かれていた内容は、俄には信じがたいモノだった。
 瀬戸様の独断により、何の前触れもなく、樹雷管轄下に置かれた観察宙域。
 関係者は誰一人、その理由を察する事も、瀬戸殿のいう違和感≠感じる事も出来なかったが、その理由は瀬戸殿よりもたらされた情報と、鷲羽殿のレポートにより、明らかなモノとなった。
 証明する術はないが、確かにそこで何かが起こった、その事実だけは確認が出来たからだ。

 一つ、水鏡に残されていたデータと問題の宙域の星の配置が合わなかった点――
 一つ、ダ・ルマーという海賊の事を誰も覚えていなかった点――

 前者に関しては、アカデミーやGPの物、そして樹雷情報部のデータは全て、問題の宙域の異変を確認する事が出来なかった。
 そう、どこの組織にあるデータも、現在の宙域の座標データと寸分違わず一致していたからだ。
 それを『違う』と判断したのは、水鏡だけだった。いや、正確には皇家の樹だけが覚えていたのだ。
 これだけであれば、水鏡のデータの方が間違っている、と判断する方が本来なら自然なのかもしれない。
 しかし、もう一つ疑問とされた点が、次の問題、ダ・ルマーの事だった。

 現在はバルタ領に統合されている宙域を勢力圏に、樹雷勢力圏を脅かすまでに成長し、人々に恐れられた一大勢力があった。
 それが、嘗て『ダ・ルマーギルド』と呼ばれていた海賊ギルドだ。

 しかし奇妙な事に、組織その物は確かに解体されたが、誰がその組織を作ったか? 総帥は誰だったか? という点が、皆の記憶や記録から抜け落ちていた。
 それどころか、鷲羽様のレポートによれば、その宙域で目撃されたというGP艦の存在すら、誰も知らないというのだ。
 当然、GPにも出航記録はなく、その件に関する裏付けは一切取る事が出来なかった。

 次に、ダ・ルマー事件の首謀者として名前が挙がったのは、ダ・ルマーギルドの構成員の一人だった元海賊『タラント・シャンク』。
 しかし、彼は西南殿に捕らえられ、今では刑も執行され、処刑されているために既に話を聞く事も出来ない。
 それに幾ら実力と影響力があるとはいえ、タラントにあれだけの海賊をまとめられるだけの人望と器があるはずもない、という結論に結局は達した。

 調査は暗礁に乗り上げ、確認を取る手段がない以上、現在の情報で判断する事しか出来ないのだが、そうなると海賊達は、誰かも分からない人物に煽動され、あれだけ組織だった行動を取っていた、という事になる。
 あれほどの規模を誇る勢力を築き上げておきながら、果たしてそんな事がありえるのだろうか?
 謎は深まるばかり。そして聞き取り調査の結果、水穂ちゃん、天女ちゃん、アイリちゃん。
 太老殿と縁の深い人物ばかりが、ダ・ルマーの事をはっきりと覚えていたのだ。

 考えられる事は記憶の改変。いや、記憶だけでなく情報全ての辻褄合わせがされている事から推察するに、私達の知らないところで歴史に修正が加えられ、ダ・ルマーという人物やGP艦も最初からいなかったかのように書き換えられていた、という事になる。
 だが、このような広範囲に渡り、しかも歴史にまで影響を及ぼすような改変。頂神のあの方々でもなければ、決して不可能な事だ。
 そう、決して人間の力で可能な事ではない。だが、全ての状況が一人の人物を、事の原因として浮かび上がらせていた。

 それが、正木太老――鷲羽殿の庇護下にある少年の存在だった。

「そう言えば、船穂様は俺の事を『ちゃん』付けや『くん』付けで呼ばないんですね」
「はい? 変……でしょうか?」
「そんな事はないですけど、子供に対して『殿』っていうのは余り聞かないような……最初に会った時から、そうでしたよね?」
「太老殿を見ていると、余り『子供』という感じがしないモノですから。そういう太老殿も、私にだけ『様』付けをしていますよね? 美砂樹さんには『美砂樹お姉ちゃん』、他の方々にも『ちゃん』付けか『さん』付けが殆どだというのに」
「うっ……それは何というか」

 困ったような顔を浮かべる太老殿。こういう表情は年相応の物だ。
 このような少年が、世界の命運を握っているなどと、やはり信じられない。いや、信じたくはなかった。

 現在、この事を知っているのは、真≠フ樹雷最高議会の面々と、一部の関係者のみ。
 それが事実であれ、憶測や杞憂であったとしても、このような話を公表する訳にはいかない。
 そうなれば確実に、事の真相がどうあれ騒ぎ立てる者達が出て来る。そうした者達は人々の不安を煽り、太老殿を排除しようと動きを起こすはずだ。
 そしてそれを私は、そして彼の事を家族のように思っている彼女達≠焉A決してそのような事を望んではいない。

「お気に召さないのであれば、私も『太老ちゃん』とお呼びしても構いませんが?」
「いえ……それだけは勘弁してください」
「フフッ、冗談です。太老殿、一つだけお聞きしてもよろしいですか?」

 神社へと続く階段を上がる途中。先を行く太老殿を、私はそう言って呼び止めた。

「あなたは阿重霞ちゃんや砂沙美ちゃん、皆の事をどう思っていますか?」
「どう?」
「何でも構いません。好きでも嫌いでも、あなたの正直な気持ちをお聞かせください」

 私の質問に、少し思案した様子の太老殿。
 時間にして数秒に過ぎなかったが、私にはその返答までの時間がとても長く感じられた。

「皆、好きですよ。砂沙美ちゃんは家事とか、家の事をよくやってくれますし。まあ阿重霞さんは、もう少しお淑やかになって欲しいかな? と思いますけど。物を壊したり暴れさえしなければ、基本的にいい人ばかりですし。スキンシップが過激な人や、色々とやり過ぎな人達もいますけどね……」

 私は、彼の困った様子のその返答に、目を点にして呆気に取られてしまった。
 本人がここに居ないとはいえ、的確についたその物の例えに、彼の言うその時の状況が鮮明に思い描かれたからだ。

「プッ! ウフフフ……確かに、阿重霞ちゃんは少し落ち着きを身に付けた方がいいかもしれませんね」
「あ、内緒ですよ? こんな事を言ったなんてしれたら、後で何をされるか……」
「はい、二人だけの秘密です」

 ここに来た一番の理由。その答えは知る事が出来た。
 いや、ここに来る前から答えなど、分かりきっていた事なのかもしれない。

「太老殿」
「……はい?」
「ありがとうございます」

 そう言って、私は頭を下げた。
 何となくではあるが、こうして私に付き合ってくれた事にも、先程の答えにも、彼の思い遣りが感じられたからだ。

「どう致しまして」

 照れた様子で、鼻を掻きながらそう言う太老殿の仕草を見て、やはり、と確信した。
 最初から、私がここに来た本当の理由にも気付いていたのだろう。
 その上で、このような茶番に付き合ってくれた、という事だ。


   ◆


「もう、いいのかい?」

 境内の入り口で太老殿と別れた後、本殿の前で待ち構えていた鷲羽殿と鉢合わせをした。
 太老殿と私の対談を敢えて見過ごし、こうして待っていてくださったのだろう。

「はい。もう、十分な返事を彼から頂きましたから」
「そうかい」

 それ以上、鷲羽殿は何も仰ろうとしなかった。
 鷲羽殿も、こうなるような予感を持っておられたに違いない。
 背中を向け、手をひらひらと振って立ち去って行く鷲羽殿に、私は深く、深く、お辞儀をした。

【Side out】





【Side:太老】

 正直、本当の事を言おうがどうか悩んだが、美砂樹と違って船穂なら口も固いだろうと思い、本音を語る事にした。

「皆、好きですよ。砂沙美ちゃんは家事とか、家の事をよくやってくれますし。まあ阿重霞さんは、もう少しお淑やかになって欲しいかな? と思いますけど。物を壊したり暴れさえしなければ、基本的にいい人ばかりですし。スキンシップが過激な人や、色々とやり過ぎな人達もいますけどね……」

 それに、彼女の真面目な質問を前にして、下手な誤魔化しや嘘は良くないと判断したからだ。
 実の母親ではないとはいえ、美砂樹を実の妹のように想い、阿重霞や砂沙美の事を本当の娘のように可愛がっている船穂の事だ。
 地球で離れて暮らす二人の事が心配で、あのような事を聞いてきたに決まっている。

「太老殿」
「……はい?」
「ありがとうございます」

 やはり、俺の選択は間違っていなかったらしい。
 そう言って感謝を述べる船穂の表情は、先程までの重い雰囲気から一転して、心配事が解決したかのように晴れ晴れとしていた。
 俺の正直な気持ちや、二人の近況が聞けて、安心したのだろう。

「どう致しまして」

 丁寧に頭を下げて、感謝されるほどの事でもない。
 こんな程度の事で安心できるのであれば、本音を打ち明けて、本当によかったと思った。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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