【Side:太老】

「お兄ちゃん、もう引っ越しの片付け終わった? まだなら、桜花が手伝ってあげる」
「嬉しいんだけど、荷物と言うほど荷物もないんだよね」

 そう言って、部屋の隅に置いてあった鞄を桜花に見せた。肩に掛けられる程度のボストンバッグだ。
 中に入っている物も、下着とシャツにズボン、数着の着替えだけで、大した物は入っていない。
 発明品や研究用の資料は工房に置いてきたし、私物と言えるほどの物を実際それほど所持していなかったので、必要な物だけをまとめると、これだけになった。

「お兄ちゃん……幾ら何でもこれは……」
「え? 何かおかしいか?」

 桜花が呆れた様子で肩を落とし、深く溜め息を吐く。何か変なのか、と心配になった。
 しかし、確かに女性に比べたら少ないかも知れないが、男の荷物なんて、皆こんな物だと思う。
 着替えなんてローテーションで回せば、そう何着もいる物でもないし、歯ブラシなどの日用品なんて現地で買い揃えればいい事だ。
 こうして住む場所があって、食べる事にさえ困らなければ、最低限の生活には困らない。

「これじゃあ、やっぱりダメ! 買い物に行こう。ついでに街も案内してあげるから」

 そう言って、俺の腕を引っ張る桜花。気持ちは嬉しいのだが、それには重要な問題があった。

「え? お金がない?」

 そう、残念ながら俺は一文無しなのだ。今日の食費にも困る有様。水穂にすがって生きていくしかない情けない男だ。
 何故、宇宙に出る前にちゃんと確認しなかったのか、悔やまれる事ばかり。
 我ながら、本当に惨めな状況に置かれていた。

「お兄ちゃんって貧乏?」

 ――グサッ!
 と胸に桜花の悪気のない一言が突き刺さる。
 そう、貧乏だ。落とす金もなければ、消費する金すらない。一文無しの貧乏だ。
 しかし、他人に言われると……特に子供に言われると悲しいモノがあった。

「んー、そんなはずないんだけど……でも、それなら私が買ってあげる。お兄ちゃんの引っ越しの挨拶に」
「いや……それ、普通は俺が贈る物だと思うんだけど……」

 引っ越しの挨拶と言うのなら、引っ越しそばとか、本来は俺が贈るべき物だ。
 それを言うなら『引っ越し祝い』。しかし、子供に買って貰うなど、情けない事この上ない。
 桜花に同情されているんだと思うと、益々惨めな思いで一杯だった。

「お金の心配なら、しなくても大丈夫だよ? そのくらい、私も持ってるし」
「気持ちはありがたいんだけど、そう言う問題じゃなく……」
「もう! と・に・か・く、これからの生活が掛かってるんだから、男の面子とか、そんなの気にしてる場合じゃないでしょ!?」

 襟首を掴まれ、無理矢理、桜花に引き摺られていく俺。その後を、ピョンピョンと跳ねてついてくる船穂と龍皇。
 見栄を張って、幼女に心配を掛けて、怒られて……桜花に引き摺られる自分を顧みて、深い溜め息しか出て来なかった。





異世界の伝道師/鬼の寵児編 第19話『桜花、再び』
作者 193






「これが有名な天樹の市か……凄い活気だな」
「樹雷で安くて良い物を探すなら、ここは外せないからね。この辺りは、樹雷へ貿易にきた商人も仕入れにくるくらい、多種多様な店がひしめき合ってるの。雑多としてるから目的の物を探すのは、ちょっとした慣れが必要だけど……訳ありで他所から流れてきた腕の良い職人や、アカデミーに留学経験もある若手の技師や、引退してひっそりと市に出店してる職人さんもいるから、掘り出し物が多いんだよ」
「へえ、流石は地元民。桜花ちゃん、詳しいんだね」
「えっへん! よく買い物に来るしね」

 一般観光客の多い、表通りからは外れた場所だ。観光マップにも、この場所の事は記載されていなかった。
 こんな場所を知っている辺りは、やはり現地人の強みだ。樹雷に到着したばかりの俺とは違い、桜花は確かにこの辺りの事に詳しかった。
 しかし、凄い人の数だ。活気があるのは良いが、目を離すと直ぐに離れ離れになってしまいそうなくらい、人波でごった返していた。

「うわっ……え、ええっ!? お兄ちゃん、急に何を!?」
「こうしてれば、はぐれなくて済むだろ? 船穂と龍皇が落ちないように気をつけてやって」
「う、うん」

 船穂と龍皇を桜花に預け、ヒョイッと桜花を肩に乗せ、担ぎ上げる。慌てて姿勢を正す桜花。所謂、肩車という奴だ。
 小さな桜花が、こんな人混みの中をトコトコと歩いていたら、迷子になるだけならまだしも、人混みに呑まれて怪我をする危険だってある。それなら、こうして肩車をしていた方が安全だ。
 それに、この方が桜花も先がよく見えるし、案内もし易いだろう。

「お兄ちゃん、そこの店が必要な日用品を沢山置いてるよ」

 桜花の指差す先の店へと足を向ける。店内は、桜花の言うように、色々な種類の雑貨品が所狭しと置かれていた。
 中には何に使う物か、よく分からない物まであるが、品揃えが良いと言うだけあって、歯ブラシやコップなど地球でもお馴染みの日用品も確認できる。価格の相場が分からないので、残念ながら安いのか高いのか、よく分からないが……。
 桜花が買い物に来るような店だ。そんな、とんでもない価格の店ではないだろう。

「桜花ちゃんも、同じの買うの?」
「うん! お兄ちゃんと色違いでお揃いにするの」

 そう言って、満面の笑顔を浮かべる桜花。
 子供らしい可愛らしい発想だが、お揃いにするだけでこんなに喜んでくれるのなら、悪い気はしない。
 ここには砂沙美や阿重霞、魎呼もいない。それに、同じのにしたところで、桜花が一つ屋根の下で一緒に暮らす訳じゃない。
 大きな騒動にはならないだろう、と軽く考えて了承した。第一、ここで拒否をすれば、桜花が悲しむ事は分かりきっている。
 大人気ない事で意地を張って、子供を泣かせるような真似はしたくなかった。

「それじゃあ、会計を済ませてくるね」
「……よろしくお願いします」

 子供に会計をお願いするのは、やはり気が引けるが、金がないのでは仕方がない。
 ここまで来て、今更そんな事でごねても意味がないので、素直に桜花に頼る事にした。
 給料が入ったら、きちんと返したいと思う。

「う〜ん……」
「どうしたの?」
「お兄ちゃん、もしかして生体IDの登録を済ませてないの?」
「……ID? 登録?」
「入管手続きをする時に、一緒に登録を済ませちゃうはずなんだけどな」

 そう言えば、入管手続きなんかした記憶はない。
 それはそうだ。水鏡に乗船したまま入国して、その後は水穂について行ってそのままだった。
 一般ルートで入国した訳ではないので、その辺りの手続きがどうなっているのかが分からない。

「水穂お姉ちゃん、そそっかしいな……それじゃあ、お金がないはずだよね」
「えっと、ようは……そのID登録ってのを済ませればいいの?」
「うん、パーソナルとアストラルの双方チェックを採用した生体認証式になってて、口座から自動引き落としになってるから、地球のように財布を持ち歩いたりする必要もないよ。どの国でも、入管手続きの時にIDの登録さえ済ませてしまえば、後は全自動だから」
「そんな便利なシステムになっていたとは……」
「そう言えば、お兄ちゃん。宇宙に出るのは、これが初めて?」
「いや、アカデミーには天女さんに連れられて行った事があるけど、でも自分で支払いなんてした事なかったしな……」

 それに、もう随分と昔の話だ。
 俺も幼かった事もあり、支払いは全部、天女が持ってくれていたので、特に気にした事などなかった。
 まさか、そんなシステムになっていたとは、盲点だった。
 だとすれば、鷲羽(マッド)が言っていた、俺の貯金と言うのも――

「多分……手続きさえすれば、使えるようになると思う。それにお兄ちゃん、パパと同じところで働くんでしょ? だったら、ある程度ならツケ払いが出来ると思うよ」
「……そうなの?」
「月末の給料から天引きされるけど、月極の上限額は決まってるから払えなくなるような事はないし」
「桜花ちゃん詳しいね」
「うん。パパがよくツケ払いを使って変な店で飲んできて、ママに怒られてるの見てるから……」

 何ともリアルな会話だった。
 ついでに、兼光の小遣いが厳しいという事も分かったが、他人の懐事情を知ったところで意味がない。
 しかし、桜花のお陰で希望が見えてきた。お金の問題は、そのID登録さえ済ませれば、解決する事が分かっただけでも上々だ。

「それじゃあ、ここの代金は私が払っておくね」
「ごめん、後で必ず返すから……」
「気にしなくて良いよ。初めてだし、分からないのは仕方ないよ。それに、未来の旦那様を支えるのも、妻の務めだもんね!」

 最後のは、子供らしい可愛い冗談と思って聞き流すべきところだが、桜花のお陰で助かった事は確かだ。
 桜花には、素直に感謝する。しかし、やはり似ているようで、地球の生活とは随分と違うようだ。
 軽いカルチャーショックを受けながらも、まずは生活に慣れる事を考えようと思い直した。
 地球と同じ感覚で生活していると、痛い目に遭いそうだ。

「会計、済ませてきたよ。それじゃあ、お兄ちゃんのID申請に行こう」
「って事は、入国管理局でいいのかな?」
「うん」

 そうして、桜花に付き合ってもらい、入国管理局で無事にIDの申請をする事が出来た。
 早速、経理状態の確認をしてみたが、鷲羽(マッド)の用意してくれたお金もきちんと振り込まれていて、質素倹約すれば半年は暮らしていけるほどの金額がある事が分かった。
 ああ見えて、ちゃんと考えてくれていたようだ。それだけが、唯一の救いだったと言える。
 ちなみに、桜花には立て替えて貰った分の金額はきちんと返しておいた。俺のちっぽけなプライドのために、そこだけは強調しておく。


   ◆


「……なんだ? このダンボール」
「あっ、届いてたんだ。勿論、私の荷物だよ? 今日から、お兄ちゃんと一緒に暮らすんだもん」
「はい!?」

 家に帰った俺を待っていたのは、玄関に置かれた大量のダンボールだった。
 しかも、桜花の引っ越しの荷物だと知り、益々混乱する。
 寝耳に水とは、この事だ。そんな話は、誰からも、一言も聞かされていなかった。
 ここで一緒に暮らすのは、水穂だけだと思っていたのに……一体どこからそんな話に?

「ここにお兄ちゃんが住む事を教えてくれたの、美砂樹お姉ちゃんだもん」

 両手両膝をつき、俺は床に突っ伏した。そう、こうなった諸悪の根源≠思い出し。
 まだ、誰にもこの家の事を知らせていなかったにも拘わらず、桜花が真っ先に訪ねてきた原因。
 ここの事を知っていて、そんな事をしそうな人物といえば、たった一人しかいない。

「えっと……一応、聞いて置くけど、親御さんはこの事を?」
「勿論、知ってるよ。ママは『頑張ってきなさい。押しが肝心よ、押しが!』って応援してくれたし」

 少しは常識人と思っていた夕咲も、美砂樹と同類だったようだ。子供に、何を『頑張れ』という気だ。
 その後も桜花の説明を聞いて、既に退路は断たれているのだと気付くのに、大して時間は掛からなかった。
 美砂樹が関わっていた時点で、最初からこうなる事を想定して然るべきだった。

「仕方ない……桜花ちゃん、部屋に荷物を運ぶの手伝うよ」
「うん、じゃあ――」
「桜花ちゃんの部屋は二階の奥って事で」
「ええっ! お兄ちゃんと同じ部屋がいい!」
「……お願いします。それだけは勘弁してください」

 桜花ならそう言うと思って先手を打ったのだが、案の定、期待を裏切らない子だ。
 そんな事が地球に居る砂沙美や阿重霞、それに魎呼にバレてみろ……始祖樹『津名魅』、第二世代艦『龍皇』、伝説の海賊艦『魎皇鬼』の三艦が樹雷を攻めてきかねない。俺だって、七百年前の再現などしたくはない。
 あの三人から、本気で逃げられるとは思っていないだけに、出来るだけ危険は未然に防ぎたかった。
 桜花にもその辺りの事情を説明し、樹雷を火の海にしないために丁寧に根気よく説得する。

「ぶー、仕方ないな……それじゃあ、せめて一緒に寝るくらいはいいよね!」
「うっ、出来ればそれも……」
「嫌! お兄ちゃんと一緒に寝たい!」

 結局、話し合いの末、週に二日だけ一緒のベッドで寝る、という話で妥協してもらった。
 代わりに『一緒にお風呂』まで約束させられたが……こればかりは仕方がない。
 これでもギリギリの譲歩だ。水穂には口止めをしておかないと、こんな事が後で知れたら冗談ではなく、樹雷……いや、俺の最後の日が決まってしまう。
 子供を相手に、こんな事で怒っても仕方がない。代わりに、元凶とも言える美砂樹と夕咲に対し、沸々と怒りが込み上げてきた。
 俺の平穏を妨げる敵は、『樹雷の鬼姫』だけではないようだ。

「太老くん、ただいま――って、桜花ちゃんが何でここに!?」
「あ、水穂お姉ちゃん、お帰りなさい。今日から桜花も、ここに住む事になりました!」
「…………はい?」

 帰宅するなり、急な展開について行けず、俺に確認するように目で訴えてくる水穂。
 そんな水穂に、黙って首を縦に振るしか、俺に出来る事はなかった。
 困惑しているのは、俺も同じだからだ。

「お兄ちゃん、お姉ちゃん――これから、よろしくね!」

 そして、桜花が一番の台風だと確信するのに、さして時間は掛からなかった。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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