【Side:太老】

「太老殿、林檎殿、お帰りなさい。それに、桜花ちゃんもお久し振りです」
『船穂様!?』
「船穂お姉ちゃん!?」

 家に帰った俺達を出迎えてくれたのは水穂ではなく、何故か船穂だった。
 嬉しそうに船穂に抱きつく桜花。俺と同じく困惑した表情を浮かべている林檎。ここに何故、船穂がいるのかが分からない。
 取り敢えず、事情がよく分からないまま居間に向かうと、水穂がポツンと椅子に一人で腰掛けていた。

「……家出をしてきた?」
「はい。そう言う事ですので、これからよろしくお願いします」

 事情を説明しもらっても、状況が今一つ呑み込めない。ようは夫婦喧嘩をして家出をしてきた、そう言う事か。
 こういう場合、『実家に帰らせて頂きます!』と言うのが普通なのだろうが、船穂にとっての故郷とは地球の事で、八百年も前の大昔の話となれば実家と呼べる家は既にない。それに、やはり旦那と喧嘩をした事で、天地や勝仁に頼るのを避けたのかも知れない、と考えた。
 しかし、ここは確かに神木の別宅ではあるが、『夫婦喧嘩は犬も食わぬ』という言葉があるように、正直余り関わり合いになりたくはなかった。とは言え、船穂を追い返すような真似が出来るはずもなく、水穂も断れなかった事は、様子を見れば察しがつく。

(ここで夫婦喧嘩を始めないでくれるといいんだが……)

 一番の不安要素はそこだ。樹雷皇と船穂が本気で喧嘩をすれば、この辺り一帯は簡単に更地になってしまう。
 さすがに、そんな短慮な事はしないと思うが……船穂には確か、皇居の大広間を全壊させるという前科があったはずだ。
 しかし、今はそうならない事を祈りつつ、推移を見守るしかない。面倒な事にならなければいいが……。

「太老様、どちらへ?」
「飲み物でも入れてくるよ」
「それなら、私が――」
「いや、そのくらい自分でするよ。林檎さん達はゆっくり寛いでて」

 逃げるように台所に避難する。咽が渇いていたのは事実だが、気持ちを落ち着かせる時間が欲しかった。
 地球に居た頃に比べたら、直接的な被害は減った気がするが、アクシデントの頻度は余り変わってない気がする。
 やはり、どこに居ても平穏とは程遠い生活を強要されるようだ。これも運命と思って受け入れるしかないのだろうか?

「皆の分も作っていくか」

 自分の分だけというのも気が引けるので、全員分のジュースを作る事にした。
 切り分けた果実と氷をミキサーにいれ、あとはガリガリと掻き混ぜる。
 これで、天然百パーセントのフルーツジュースの出来上がりだ。

「船穂様もどうぞ」
「ジュースですか? ありがとうございます」

 人数分のジュースを作り、トレーに乗せて食卓に運ぶ。少し白味のある透明色のジュースが、そこにはあった。
 以前に瀬戸から送られてきたジュースの材料が何なのか、これを自分で作ってみて初めて分かった。

「太老殿……これはまさか」
「ええ、皇家の樹の実のジュースですよ?」

 少し前から続けている皇家の樹の世話。
 その御礼とばかりに、皇家の樹達が毎回のように樹の実をくれるものだから、食料庫には食べきれないほどの樹の実が保存されていた。
 こちらの食糧庫は時間凍結技術を用いた物で鮮度が落ちる心配はないので、こうしていつでもジュースにして、美味しく頂く事が出来ると言う訳だ。

「船穂様……太老くんのこういうところは、余り深く考えられない方がいいです」
「私達も毎日当たり前のように朝食に並んでいると、この状況にも慣れてきましたし……」
「まあ、お兄ちゃんだしね」

 水穂、林檎、桜花の何だか呆れたような一言に、俺は訝しいモノを感じつつ首を傾げた。

(こんなに美味しいのに……飽きたのかな?)

 やはり幾ら美味しい、健康に良いとはいっても、毎日のように口にしていれば飽きても不思議ではないか、と考えさせられた。
 とは言え、使わない事にはいつまで経っても数が減らない。
 俺一人で食べるには数が多すぎるし、どうしたものかと思案させられる事となった。

【Side out】





異世界の伝道師/鬼の寵児編 第28話『樹の実の活用法』
作者 193






【Side:林檎】

「林檎殿、少しよろしいですか?」
「船穂様?」

 船穂様がこの家で暮らすようになられてから二日目。やはり、船穂様が一つ屋根の下に暮らしている、と思うと何だか妙な感じだった。
 太老様と知り合ってから、一年が一日に濃縮されたかのような濃い毎日を実感している。
 こうした船穂様とのやり取りは、あの方が西南様と同じ、『確率の偏り』を才能に持つ方なのだと、実感させられる瞬間でもあった。

「あの……私にお話とは何でしょうか?」
「この間の事をお聞きしたいのです。主人と……その……」

 船穂様が何を仰りたいのか、ようやく合点がいった。
 先日、樹雷皇が何故、私の元に尋ねて来られたのかを、お知りになりたかったのだろう。
 しかし、あれは例え皇妃様といえど、簡単にお話出来るような話ではない。樹雷の機密に関わる重要な話だ。
 ここで漏らせば、私の事を信用して相談に来てくださった樹雷皇の信頼を裏切る事にもなる。

「申し訳ありませんが、私からは何もお話できません」
「それでは、やはり……」
「船穂様のご想像の通りだと思います。しかし残念ながら、私はその期待にはお応え出来ませんでした」

 船穂様も、事が機密に関する重要な話なので、私が答えられない事を察せられたのだろう。残念そうに溜息を漏らす。
 瀬戸様から殆ど何も知らされていない私では、樹雷皇の抱えている疑問にお答えする事は出来なかった。
 樹雷皇が『今日の事は忘れて欲しい』と最後に仰ったのも、船穂様のようにその事に気付き、察してくださったからだ。

「期待に応えられなかった? それでは、やはりあの人が自分から林檎さんに?」
「ええ……それは当然だと思いますが、私から樹雷皇にお会いする理由はありませんし」

 樹雷に仕えている身ではあるが、私の雇い主はあくまで瀬戸様だ。
 瀬戸様を通じて樹雷皇に話が行く事があっても、私個人が樹雷皇をお呼び立てするような事があるはずもない。

「そうよね。あなたには太老殿がいるのだし……全く、あの人ときたらっ!」
「はあ……」

 何やら納得した様子で頷いたかと思えば、樹雷皇の事を口にして不機嫌そうな表情を滲ませる船穂様。
 色々と腑に落ちないところがあるが、取り敢えず納得して頂けたようなので、私もそれ以上は何も尋ねない事にした。
 樹雷皇がお話になるかどうかは別として、後は当人同士の問題だと考えたからだ。

【Side out】





【Side:船穂】

 この家に来た一番の目的は、事の経緯を林檎殿に確かめるためだ。何かがおかしいと思っていたが、やはりあの人から林檎殿に迫った、という事がこれではっきりとした。
 全く……何と恥知らずな真似を。確かに、私にも反省するべき点はあると思う。公務の疲れやストレスもあるのだろう。しかし、その気のない女性を押し倒し、あのように強引に迫るなど皇として、いや一人の男性として許される行為ではない。
 感情に任せて皇居を飛び出してきてしまったが、その判断も今では間違っていなかったように思える。
 一緒に居るばかりが夫婦ではない。こうして一度距離を取る事で、互いに自分や相手の事を見つめ直す切っ掛けになれば、と考えたからだ。
 一度、あの人にはきちんと反省をして欲しい。私が愛した『柾木阿主沙』として今一度昔を思いだし、心を入れ替えて欲しかった。

「太老殿? 出掛けられるのですか?」
「ええ、まあ……桜花ちゃんと一緒に街をぶらついて来ようかと思って」
「では、私も御一緒しても構いませんか? 日用品など、身の回りの物を少し買い足しておきたいので」
「構いませんよ。桜花ちゃんもいいよね?」
「うん、船穂お姉ちゃんならいいよ」

 今の私達に引き替え、太老殿は十五歳とは思えないほど、しっかりとしていた。
 昨日の皇家の樹の実で作ったジュースには驚かされたが、あれは彼なりに私の事を気遣ってくれた証だ。
 口には出さないが、あのジュースからは太老殿の優しさが感じられた。

 林檎殿が、彼の事を好きになるのも無理はない。他にも彼の事を慕っている女性達は大勢いるが、皆、彼のそのさり気ない優しさに惹かれたのだろう。しかも、あれだけの才能と力を有しているにも拘わらず、彼はどこまでも自然体だった。
 自分というモノをはっきりと持ち、どんな環境や意思にも左右されない強い心を彼は兼ね備えている。
 生まれた頃から他人とは違う特別な力を持ち、多くの大人達の思惑と期待に晒されてきたにも拘わらず、状況に一切流されず変質する事なく、自分と言うモノを持ち続けて育った太老殿の強さは本物だ。

(鷲羽殿や瀬戸殿が目を掛ける理由にも納得が行くと言うものね)

 そんな彼だからこそ、名だたる方々に興味を持たれ、注目される結果へと繋がる。
 自分達よりも、たった一つでも優れたモノや、自分にないモノを持っている人間を、鷲羽様、瀬戸様といった特に秀でた方々は高く評価し、尊敬する傾向にある。彼の持つ能力に興味を抱いているのは確かだろうが、それ以上に彼の強さと生き方に、憧れと尊敬を抱くのは不思議ではなかった。

「思いっきり注目を集めてるな……」
「船穂お姉ちゃんが一緒だからね……」
「申し訳ありません……」

 こうなる事は、事前に予想できたはずなのに失敗した。太老殿や桜花ちゃんと街に出掛けられる事に浮かれて、肝心な事を失念していたようだ。今は遠巻きに見ているだけだが、第一皇妃が何の前触れもなく街に顔をだせば、大騒ぎになって当然の事だ。
 残念だが、ゆっくりと買い物をしている余裕はなさそうだった。

「まあ、仕方ないですよ。次からは変装してくるって事で……あっ、ちょっと待っててもらえます?」
「太老殿?」
「お兄ちゃん?」

 私と桜花ちゃんを残して、大通りへ走っていく太老殿。
 その先には、人込みの中で泣きじゃくる小さな女の子の姿があった。

【Side out】





【Side:太老】

「太老殿……その子は?」
「……人攫い?」
「……人聞きの悪い事を言うな」

 桜花の酷いツッコミはさておいて、俺が肩車をしているのは、市場で保護者とはぐれて泣いていたところを見つけた五歳の少女だ。
 どうやら孤児院の皆と買い出しに来ていて、はぐれてしまったらしい。
 これだけの情報を聞き出して、ここまで連れてくるだけでも難儀した。泣く子は手強い。

「孤児院ですか?」
「心当たりありません? この辺りにあるみたいなんですけど」
「それなら、多分あそこですね。案内致します」

 船穂が場所を知っているようで安心した。
 さすがに泣いている子供を見過ごす事など出来ず連れてきたはいいが、少女の話だけでは要領を得ず、どうしたものかと途方に暮れていたところだったからだ。
 今は、歳の近い桜花と、船穂と龍皇を見て安心したのか、泣き止んで先程よりも元気を取り戻していた。

「船穂様だ!」
『船穂さま――っ!』
「お久し振りです。元気にしていましたか?」
「あれ? この子達の事を知ってるんですか?」

 孤児院に着くなり、船穂の姿を見つけ、笑顔で駆け寄ってくる子供達の反応に驚く。

「ここは私が援助を行っている孤児院の一つなので……」

 遠慮がちに、そう話す船穂。自慢できる事なのだから、もっと胸を張って言えばいいのに……こうした謙虚なところは船穂らしい。
 しかしこの慕われ方は、普通に援助をしているから、というだけとは思えなかった。
 身分を笠に着ず、心から子供達の事を心配し、考えて行動している船穂の優しさが、ここの子供達にも伝わっている証拠だ。

「船穂様……やはり、船穂様でしたか」
「院長先生、ご無沙汰しています」

 街の方から息を切らせて走ってきた孤児院の院長と合流し、迷子の少女を引き渡して肩の荷を下ろす。
 先程まで、院長も街で少女を捜していたらしく、汗だくのその姿からも相当に慌てていた様子が窺えた。
 船穂を見かけたという街の人の話を聞き、もしやと思って孤児院に慌てて戻ってきたのだと言う。
 放っておけなかったとはいえ、少し余計な事をしてしまったかと思う。

「いえ、そんなことはありません! 本当に助かりました。こちらこそ、ご迷惑をお掛けしたようで申し訳ありませんでした」

 院長にそう言ってもらえると幾分か救われた気がする。しかし、こんなところに孤児院があるなんて全然知らなかった。
 自給自足もしているのか、孤児院の庭には小さな菜園のようなモノも見える。船穂が援助しているのであれば、設備も充実しているものと考えたのだが、現実はそんなに甘くはないようだ。

「申し訳ありません。もう少し、予算をこちらに回せればいいのですが……」
「いえ、これ以上の贅沢は申せません。この孤児院が存続できているのも船穂様のお陰なのですから」

 樹雷領内だけでも、ここを含めて数え切れないほどの孤児院があり、援助を必要としている子供達はここだけでなく大勢いるらしい。
 幾ら第一皇妃とはいっても、船穂が個人で支出できる援助額など高が知れている。他の国に比べれば、樹雷のそれは充実した物と言えるのだろうが、育ち盛りの子供達を養い、教育を施すのは並大抵の事ではない。ましてやここは宇宙、その規模も地球とは比べ物にならなかった。
 何事も金だけの問題ではないが、金が無ければ食べ物も、服も、生活する場所さえも、それに満足な教育だって受けられない。
 生活に必要な費用一つをとっても、子供達が何の不自由なく暮らせるだけの十分な援助を行うには、途方もない資金が必要となる。
 この菜園も、そんな子供達が金策に苦労している院長の姿を見て、孤児院の助けになれば、と自分達で始めたものらしい。

(俺も何とかしてやりたいけど……自分の生活費で精一杯な状態だしな)

 もう直ぐ配属先が決まり働く事になるが、俺も自分の生活費を入れなくてはいけない身だ。
 これからの事を考えると、余り無駄遣い出来るような状態ではない。
 第一、補助金や船穂の援助金でまだ足りない物を、俺一人の力でどうこうしようと言うのには無理がある。

(まてよ……?)

 ふと、どうしようかと考えていた矢先の事、皇家の樹の実の事を思い出した。
 あれなら、そのまま食っても美味いし、神樹の酒の材料になるくらいだ。
 余れば売ればいいだけの話で、そこそこの金になるはずだ。子供達の食費の足しくらいにはなるだろう。

「院長先生、甘い果物はいりませんか?」
「果物ですか?」
「沢山余ってて、どうしようか困ってたんです。よかったら貰ってくれると助かるんですけど」

 どうせ、俺達だけでは食いきれない物だし、だったら役立ててくれる人達に使ってもらった方がいい。

「太老殿……それはまさか」
「お兄ちゃん……凄く嫌な予感がするんだけど」

 しかし何故だか、俺と院長の会話を立ち聞きしていた桜花と船穂は、困惑した表情を浮かべていた。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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