【Side:阿主沙】

「うっ……ここは……?」
「目が覚めましたか? あなた」
「船穂……」

 水浸しの広間。そこで儂は大津波に流され、気を失っていたようだ。
 目を覚ませば船穂に膝枕をされていた。

「あの時も……こうやってお前に看病してもらったのだったな」
「もう随分と昔の話ですよ。まだ、覚えていらしたのですか?」
「忘れるはずがない」

 そう、忘れられるはずがない。船穂は儂が愛した三人目の女性だった。
 一人目は神木瀬戸樹雷。少年ながら憧れに似た淡い恋心を抱いていた事を今も覚えている。
 二人目は天木魅月樹雷。天木家の先々代の当主にして、儂と霧封を引き合わせてくれた恩人だ。
 しかし魅月は……彼女は、もうこの世には居ない。

(いや、違うな。魅月はここ≠ノいる。そう、いつも儂の傍に)

 霧封と共に儂を見守ってくれている。指を立て『阿主沙ちゃんダメよ』と今も近くで叱ってくれているかのような幻覚を見た。
 そうだ。このままではいけない、と儂は覚悟を決め起き上がると、船穂に深く頭を下げた。

「船穂……すまなかった」
「あなた……」
「儂の目が曇っておったようだ。あの時に誓ったのにな。どんな事があっても船穂を信じる。守ってやると……」

 魅月の代わりなどではない。船穂という一人の女性を好きになり、儂は船穂を樹雷へ連れて帰る事を心に決めた。
 周囲の反対を押し切って船穂を第一皇妃としたのも儂の我が儘だ。その事で船穂にどれだけの苦労を掛け、辛い目に遭わせたか、と思うと今でも『これで本当によかったのか?』と悩む事がある。
 しかしそんな儂の我が儘に何も言わず、船穂はこれまで誠心誠意尽くし付き合ってくれた。

「顔を上げてください。現にあなたは私との約束を守ってくださいました」
「……船穂?」
「咄嗟に障壁を張って大津波から身を挺して皆を守ろうとしてくださったのでしょう? その中に私は含まれていなかったのですか?」
「それは……何だ。皇として当然の事をだな。第一、そういう事では……」
「それに瀬戸様に聞きました。今回の一件の首謀者を捕まえるために、自ら囮になる事を決意されたと……。先日の林檎殿との一件も、それを相談されるために密かに会われていたとか……そうとは知らず、申し訳ありません」
「……は? いや、それは……」

 直ぐに察した。

(あのクソババアめ……)

 今回の事も全て、鬼姫の思惑にまんまと乗せられ、手の平の上で踊らされていただけに過ぎないのだと。
 しかし――

「……その何だ。儂の方こそ、本当にすまなかった。……これからも、よろしく頼む」
「はい。不束者ですが、どうぞよろしくお願いします」

 改めて言われると照れくさくなって、思わず顔を背けてしまった。

(正木太老……か)

 振り向いた先、子供達に囲まれ、林檎と桜花の二人に儂と同じように看病されている太老の姿が目に入った。
 周りの者達の表情を見れば分かる。どれだけ、あの少年が大勢の人達に愛されているのかが――

「……負けた。完敗だ。本当に凄い少年だな」
「ええ、良い子ですよ」

 そういう船穂の笑顔を見て、ようやく自分が大きな過ちを犯していた事に気付かされた。
 それは遥照へ向ける母の顔≠ニ瓜二つだった。愛情には違いないが、儂は言葉にするのも恥ずかしい大きな勘違いをしていたようだ。
 愛しき我が子を想う母の表情。船穂にとってあの正木太老という少年は、実の子と同じように大切な存在なのだろう。

「跡継ぎに欲しいものだが……少し遅かったな」
「あら、諦めるのは早いですよ?」
「しかし、阿重霞と砂沙美には既に……まさか」
「また、作れば良いだけの話ではありませんか」

 次に生まれた子が女の子だった場合、その子を太老に嫁がせればよい、という船穂の案に少々驚きを隠せなかったが、またそれも一興かと思わせられた。
 純粋な地球人の西南殿はともかく遥照に天地まで、家出娘の二人然り皇位継承権を持つ全員が樹雷皇になる事を面倒に思っておる。これも『柾木』の血か、と苦笑を溢さずにはいられなかった。
 その点、太老には皇として大切な資質と、それに見合うだけの実力。そして何よりも、樹雷に居てもらわねばならぬ理由がある。
 まだ数千年先の事かも知れぬが、太老という新しい皇の下、樹雷がどう変わっていくのかを見てみたい。そうした想いが儂の中で膨れ上がっていた。

【Side out】





異世界の伝道師/鬼の寵児編 第56話『思惑と策謀』
作者 193






【Side:太老】

「ダメ! 桜花がするの!」
「いえ、ここは私にお任せください。これでも看護師の資格を持っておりますので」
「そんな事を言って、お兄ちゃんとキスしたいだけでしょ?」
「うっ……そういう桜花ちゃんだって……私はその……嬉しいとは思いますが……ですが、これはあくまで人命救助のためで……」

 五月蠅いな……何を騒いでいるんだ?

 ――ムニュ
 その時だった。まどろみに包まれた意識の中で、俺の唇にマシュマロのような柔らかい何かが触れる。
 しっとりとしていて生暖かく、そうこれはまるで――

『龍皇!?』
「な、何だ!?」

 林檎と桜花の大声で驚き、飛び起きた。
 そう、龍皇が俺の顔の上に乗っていたのだ。

「ううっ……龍皇のバカ……」
「折角のチャンス……いえ、太老様がご無事なら……」

 何だか知らないが、ガックリと肩を落としている二人。俺が気を失っている間に、何かあったのだろうか?
 周囲の状況を見て、ようやくぼーっとした頭に記憶が戻ってきた。

『まだ必要とされているのに、それを無駄にしてしまうのが……』

 そう確か、子供達に配り終えていないのにプレゼント箱を無駄にしてしまうのが勿体なくて、宙に投げ出されたプレゼント箱を回収しようと手を伸ばしたところで樹雷皇の光剣が無残にも箱を切り払い、次の瞬間、謎の爆発と閃光に襲われたんだった。
 で、何だかよく分からない間に内海が登場して、樹雷皇が怪しい男達を追い掛けていったかと思えば、大量の水が物凄い勢いで決闘場となっていた広間に流れ込んできて――

(ああ……それで気絶したのか)

 しかし、あの水は何だったのか?
 このパターン……物凄く覚えがあるのだが、やはりそうなのだろうか?
 これまでの経験から、『決闘』と『津波』で連想される答えは俺の中に一つしかない。

「美星様の船が直ぐ近くの湖に墜落されて」
「やっぱり……」

 林檎に事情を聞いて、犯人が美星だという事にこれ以上ないくらい納得が行った。
 幸いにも会場の人達に怪我人は出ていないようだが、水に押し流された会場の一部を見て『これは後片付けが大変そうだ』と溜め息を吐く。

「幸いにも決闘場となっていた広間とその周辺のみの被害で済みましたので、パーティーはこのまま続行されるとの事です」
「ちょっとしたアクシデントだったけど何だかんだで皆、楽しんでいるみたいだしね」
「本当にタフだよな……」

 林檎と桜花の説明でパーティーが継続されるという話を聞いて、ほっと胸を撫で下ろす。
 折角皆で準備をしたと言うのもあるが、楽しみにしていた子供達の事を思うと途中で中止にするのは可哀想だと思ったからだ。
 まあ、この程度は余興の一部と笑って済ませられる人達が、それだけここには多いという事だ。
 決闘の観戦をしていたのは樹雷皇族と連盟の重鎮達ばかりだし、予め決闘の巻き添えを食わないように少し離れた場所で観戦していた事も幸いしたのだろう。怪我人が出なくて本当によかったと思った。

【Side out】





【Side:瀬戸】

『瀬戸殿。気を遣って頂き、ありがとうございました』
「あら、何の事かしら?」
『林檎殿に偽の情報を掴ませたのは瀬戸殿なのでしょう?』
「……やっぱり、バレてたのね? いつから気付いてたの?」
『薄々おかしいとは思っていましたが、確信したのは瀬戸殿が割って入り決闘≠フ話を持ち出された時ですわね』

 林檎が阿主沙殿が自分の元に尋ねてきた理由をずっと考えていたから、親切心でその疑問に答えただけの事だ。
 皇として『家族(太老)を危険に晒す訳にはいかないので、自ら囮になるつもりで居る』と――
 その話を聞いて、林檎はいたく感心していた様子だった。悪口ならまだしも阿主沙殿の評価を上げてあげたのだ。文句を言われる覚えはない。
 しかし船穂殿の様子から察するに、余計な気遣いだったのかもしれない、と思わせられる。

『よく考えれば簡単な事でした。あの人にそんな器用な真似が出来るはずもありませんから』
「阿主沙ちゃん、態度に出やすいものね」
『ですがお陰様で、太老殿を『自分の息子≠ノする』と随分と張り切っておりましたわ』
「……船穂殿? まさか、とは思うけど……最初からそのつもりで」

 決闘の話が持ち上がった段階で確信していたのであれば、態々放置していた理由にはならない。
 それに彼女は『薄々おかしいと思っていた』と言っていた。

『さて、何の事でしょうか? しかし『伝説』に『鬼』、そして『皇』の名を継ぐ者ですか。随分と欲張りな話ですが、きっと太老殿なら銀河に名を残す傑物になる事でしょうね』

 間違いない。騙されたフリをして私の策を利用したのだ。
 普段余り表には出さないが、こうした腹芸は船穂殿の得意とするところだった。

「でも、阿主沙ちゃんに譲るつもりはないわよ?」
『それは太老殿が決める事。それに私も¢セ老殿が息子≠ノ成れば、と心より願っておりますもの』

 それは私に宣戦布告しているも同然の台詞だった。
 この七百年で本当に腹黒くなったものだ。いや、良い意味でも悪い意味でも樹雷の女として染まったと言うべきか?

(……阿主沙ちゃんの見る目が確かだった、という事かしらね?)

 それにあの騒ぎの中、先の先を読み、子供達を連れて自分達だけ避難していたというのだから、勘の鋭さもなかなかのものだ。
 この強かさは紛う事なき、樹雷の女性が持つ気性その物。

『ところで、空の大掃除≠ヘもう終えられたのですか?』
「ええ、まあ……これだけ戦力が揃っていればね」

 どんな敵が現れようと負けるはずがない。それだけの戦力が今、樹雷には揃っていた。
 西南殿の神武と福ちゃんだけでも十分すぎるくらいお釣りがくる程だ。
 美星殿の引き起こした騒ぎの所為で、誰にも注目して貰えなかった事が少々不満でならなかったが……。
 逆を言えば、あれだけの事があったというのに余り目立たなかった事が不幸中の幸いとも言える。
 色々と心配して対策も考えていたというのに、殆ど無駄になったカタチだ。改めて『確率の天才』の理不尽さを思い知らされた。

「西南殿にも久し振りに会えるわよ?」
『それは楽しみです。では、酒と料理を用意してお待ちしていますわ』

 そう言って通信を切る船穂殿。先程のやり取りを思い出し、思わず笑みが零れた。
 出会った頃は泣き虫な小娘に過ぎないと思っていた少女が、今では私と正面から張り合うような女性に成長した事に、嬉しさと驚きを隠しきれない。
 しかし太老の事に関しては負けるつもりも、譲ってあげるつもりもなかった。
 尤も――

「あの子の場合……素直に私達の思惑通りに動いてくれるとは、とても思えないけど」

 柾木家の血縁者は本当に手の掛かる子達が多いが、太老はその中でも最たるモノだ。
 あらゆる点で予想の斜め上を行く太老を思い通りにする事の難しさ。それはこれまでの事からも、嫌と言うほど痛感させられていた。

「でも、本当に『偶然』って怖いわね」
「ですね……こちらも予測ルートを三百まで絞り込んでいましたが、まさか内海様と兼光様が向かったルートにターゲットが居たなんて……」

 オペレーターの一人が信じられないといった顔で溜め息を溢す。だが、それも無理はない。
 これまでの捜査の全てが無駄とばかりに、『偶然』の一言で済ませられてしまっては、溜め息を溢したくなるのにも頷けると言うモノだ。

「木を隠すなら森の中とはよく言ったモノだけど」

 予想通り天木家の縁者が銀河軍と通じ、手引きをしていた事が判明した。
 以前に皇家の樹を欲して、アイライ縁の者と天木家の三女を婚姻させようと画策した愚か者が居たが、あれで全てを諦めた訳ではなかったという事だ。あの時に禍根は全て断っておくべきだった。
 天木家に孤児であった『華船』を養子として迎え入れ『雨木』の姓を与えた者達。あの時点で既にアイライの者達と通じていたのだろう。
 天木家の前当主『天木舟参樹雷』殿も、結局はその野心を利用された一人に過ぎなかったという事だ。
 今回の件は、あの事件に関与した者達の犯行であったのだから――

(今頃、舟参殿も胃が痛い事でしょうね)

 樹雷軍の内部ルートを使った犯行など、天木家を通じたからといって十年やそこらで用意できるモノではない。
 軍内部に通じた動きや、この用意周到さから考えても、何百年も掛けて準備を進めてきたに違いなかった。

「でも……これで大方、手札は潰した。後は連中がどう動くかね」

 今回の件、天木家も銀河軍も利用されただけの話。
 真に倒すべき相手は、その後に控えているアイライの原理主義者達だ。
 種は撒いた。後はどう芽が出るかだけだが、その要はやはり――

「狙われたのは、やはり太老で間違いないのね?」
「はい。決闘の隙をつき、太老様の命を狙ったものと思われます」

 銀河軍を解体の危機にまで追い込まれ、そして何百年と密かに進めてきた計画を潰されたのだ。
 それに見合う報復対象となるのは私、それに水穂、林檎に兼光……それに阿主沙殿も十分すぎる相手だ。
 だが、それは余りにもリスクが高すぎる。皇家の樹を欲しているからこそ、その皇家の樹の加護を持つ樹雷皇族の危険性を、彼等は誰よりも強く理解しているはずだ。
 そうした中で一番殺し易いと思われる太老を狙うのは当然。しかしそれが一番愚かな選択だという事に彼等は気付いていない。
 こちらの思惑通り、ちゃんと餌に食いついてくれた事を確認し……私は口元に薄らと笑みを浮かべた。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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