【Side:琥雪】

「油断してました……。最初からこれが狙いだったんですね」
「この用意周到さから考えても、美瀾様も利用されたという事でしょうね」

 林檎様と水穂様揃って暗い影を落とし、悔しそうな表情を浮かべている。
 その原因は美瀾様の件が片付いたと思った矢先、そのタイミングを見計らったかのように寄せられた美守様訪問の知らせだった。
 樹雷の鬼姫と双璧を為す世二我の裏の最高権力者≠ニも言われているあの美守様が、先日の美瀾様の行動に気付いていない訳がない。
 そこから導き出された答えは一つしかなかった。
 太老様に接触する口実を得るため敢えて美瀾様の行動を見過ごし、接触のタイミングを計っておられたのだ。

 その事に私達が気付いた時には何もかもが遅かった。
 既に美守様は銀河アカデミーを出発された後で、明日にも樹雷に到着される事が決まっていたからだ。

 対策を練ろうにも余りに時間が無さ過ぎる。その行動の迅速さからも、さすがは美守様と言ったところか。
 罠に嵌めたつもりで、その罠すら美守様の手の内だったかと思うと背筋に冷たい汗が流れる。
 瀬戸様に丸投げしたつもりが、それすら美守様の計算の内だった可能性が高い。太老様への接触を邪魔されないために周囲の眼を別の方向に向けさせ必要な時間を稼ぐ。私達自身が美守様に有利な条件を与える結果に繋がった事を考えると、恐ろしい物を感じずにはいられなかった。
 表向きは美瀾様の行為に対する謝罪という事だが、それは建て前に過ぎないと私達は考えていた。
 狙いは太老様に直接面会する事。美守様の目的がなんであれ、態々当事者の名前を指定してきた辺り、狙いが太老様である事だけは確かだった。

「ですが、別に会談くらいなら問題ないのでは?」

 私の言葉に、何とも言えない表情を浮かべる林檎様と水穂様。
 だが美守様であれば、私はお二人が危惧するような最悪の事態には成らないと考えていた。
 今回の件も、狙いは単に太老様との会談の場を設けたかっただけ、といえばそれまでの話だ。

 美守様ほどの立場ともなれば、ただ顔を合わせるだけとはいっても、何らかの理由がなくては時間と場所を設ける事は難しい。
 太老様からアポイントメントがあったならまだしも、ご自身が直接会談を申し込むような事は立場上やり難いはずだ。
 ただでさえ世二我と樹雷。戦争が終結した今も両者の溝は深く、その事から考えても瀬戸様の庇護下にある太老様に何の理由も無くご自身から接触されるという事は、連盟内部に巣くう九羅密家の反対勢力を活気づかせる原因とも成りかねない。
 警戒しなくては成らないのは銀河軍内部の軍拡論者だけではない。
 瀬戸様と美守様を筆頭にした樹雷の神木家≠ニ世二我の九羅密家≠ニいう二大勢力を快く思っていない者は、それこそ数え切れない。
 裏の最高権力者として君臨し続けているお二人を蹴落とし、連盟の実権を握りたいと考えている欲深い者達は山のように居るからだ。

「琥雪さんのいう事も分かるわ。でも、相手はあの美守様でしょ……」
「私もそこが心配です。あの方はある意味で瀬戸様以上に考えが読めませんから……」

 確かにそう言われてみると、水穂様、林檎様の言い分も一理あると思った。
 お二人が心配されているのは、美守様が太老様に危害を加える事ではなく、美守様にどういう意図があって太老様に接触してきたか、という事だ。
 何の理由も無く、こんな無茶をする方では無い。それに瀬戸様と同様、無駄な事をされる方でも無い。
 それだけに、その行動には必ず何らかの意味があるはずだった。

「何だか、物凄く胸騒ぎがするのよね……」
「私もです……」

 水穂様と林檎様が浮かない表情をされているのは、その真意が読めないから。
 美守様が太老様に興味を抱く理由。
 太老様の実力を考えれば、興味を持たれても不思議ではないと考えるが、確かにそれだけでは無いように思える。
 お二人が抱えている不安と同じように、私も何とも言えない不安が胸の奥で渦巻いているのを感じていた。

【Side out】





異世界の伝道師/鬼の寵児編 第75話『女豹の誘惑』
作者 193






【Side:太老】

 毎度の事ながら、次から次へと本当に色々と起こるものだと感心する。退屈しない日常とは、こういう事をいうのだろう。決して、それを望んでいる訳ではないのだが……。
 美瀾の件で謝罪したいという人物が俺に面会を求めている、と琥雪から聞かされたのが昨日。
 で、ここは神木家の別宅にある応接間。そして向かいの席に座っているのが――

「初めまして、九羅密美守です」
「は、初めまして……正木太老です」

 彼女がまさか、あの九羅密美守≠セとは誰が思うだろうか?
 美守の事を知っている人であれば、ぽっちゃり体型の温和そうな老婆のイメージが思い浮かぶはずだ。
 それなのに美兎跳や美星と同じ、九羅密家の血縁者を思わせる外観。金髪に褐色の肌、それに青い瞳。短く刈り込まれた髪の毛に、引き締まったモデルと見紛うスタイルを持つ、スーツ姿の美女が目の前に座っていた。
 勝仁の件で落差には慣れているとはいっても、さすがにこれには驚かずにいられない。
 多分、彼女を見て美守本人だと気付く人は殆どいないのではないだろうか?

「私の顔に何かついてるかしら?」
「い、いえ……凄く綺麗な人だな、と思って……」
「あら、嬉しい事を言ってくれるのね」
「どうして今日はそっちの姿で? というか、いつもの姿は偽装だったんですか?」
「何故、その事を? いえ、そう言えばあなたが一歳の時に一度会っていたわね。まさか、覚えているの?」

 うっ……しくじったか?
 まあ実際、美守の言うように昔の事は覚えてはいる。マシスと美咲生が婚約発表をしたあの場所に俺も居たし、その事を言っているのだろう。
 原作知識に関しては今までずっと隠し通してきたものだし、ここで明かすつもりはない。
 話を合わせるために当時の事を覚えている、と話すと美守は感心した様子で溜め息を漏らした。

「なるほど……噂通りのようね」
「噂通り?」
「生まれながらにして明確な意思があり、あの白眉鷲羽に天才と言わしめた麒麟児」
「うっ……まあ、ちょっと早熟だっただけですけどね」

 身体は子供でも中身は大人なのだから嘘は言ってない。かなり早熟すぎる子供だったとは自覚しているが。
 しかし、前世からの記憶があるというだけで、よくある転生物の二次小説とかと違ってチート能力とか備わってないしな。
 ぶっちゃけ、そんな力があったらとっくの昔に俺の平穏(ねがい)は叶っているはずだ。
 まあ普通に考えて、そのチート能力を授けてくれそうな神様があの三姉妹な訳で、その時点で望み薄なのは言うまでもない話なのだが……。

 結論から言って、俺は一般人と大差はない。というか、思いっきり中身は凡人その物だし。
 あの柾木家の環境に順応していく内に、多少この世界でやっていける程度に知識を付け、身体を鍛えられただけの凡人に過ぎない。
 周囲は『麒麟児』なんて大層な二つ名で呼んでくれるけど、それって子供の頃の評価だからあてにはならないし。
 あれ自体、インチキみたいなものだ。
 子供の中に大人の精神が入っていた訳で、謙遜などでなく『麒麟児』なんて呼ばれるほど大層な人物ではないと俺自身は思っていた。
 実際、俺より凄い人なんて山ほどいる。秀才と言えるほど努力家でもないし、天才と言えるほど才能がある訳でもない。
 ただ、少し生まれが特殊だったというだけの話だ。

「早熟ね。まあ、そういう事にしておきましょう」

 そう言いながら、クスッと笑う美守。
 俺の話を信じていない様子だが、さすがに前世なんて突拍子もない話を信じてはいないだろうし、黙っていれば分からないはずだ。
 それに転生云々の話がバレたところで、原作知識の事さえバレなければ誤魔化しようは幾らでもある。
 さすがに『この世界が小説やアニメになっている世界からきました』なんて信じてもらえるとは思っていないし、頭のおかしい奴と思われるのが関の山だ。それに例え信じてもらえたとして、その後の事を考えると恐ろしくて本当の事を話す気にはならない。

 鷲羽(マッド)辺りなら、絶対に原因を究明しようとするだろうし、そうなったら俺は実験動物(モルモット)へ転身だ。
 実験動物(モルモット)は大袈裟じゃないかって? いや、絶対にやる。これだけは断言できる。マッドサイエンティストだし。
 俺が原作知識がある事に関して、誰にも口にしていない一番の理由はそこだ。
 正直、今でも思う事がある。

 ――何で、よりによって転生先がこの世界なのか、と

 まあ、今更それを言っても仕方がないのは理解しているし、今では大切な人や知り合いも随分と増えて、今の生活にもそれなりの愛着があるので死にたいほど悩んでいる、というほどではない。
 一つだけ不満というか願いがあるとすれば、普通とは言わないまでも平穏に静かに暮らさせて欲しいと言う事か。
 正直、この世界に生まれてからというもの、誰かさん達の所為で心休まる時が殆ど無い。

 今回の件もそうだ。
 一つ問題が解決したかと思えば、休む暇もなく次の問題がやってくる。
 どうしてこう、俺の行く先々でイベントが目白押しなのか?
 お陰で、俺の平穏(ねがい)は遠のくばかりだ……。

「普段の姿が偽装かという話だったわね。そう、こちらが本来の私の姿よ」
「何でそんな事を? 勝仁さんは分かりますけど、美守さんは隠す必要なんて無いと思うんですけど」
「簡単よ。若者の姿より、老人の姿の方が風格があるでしょう? 身体年齢なんかは今の技術ならどうとでもなるけど、どれだけ技術が発達しても体面を気にする人は大勢いるって事よ」
「ああ、何となく分かります。実年齢よりも、身体的年齢の方を重視するって事ですよね?」
「そういう事ね。その気になれば何千、何万年と延命する事が出来る今の時代、余り意味のない話とはいっても延命調整自体ここ数百年でようやく一般に浸透されてきたのが現実。長く生きるよりも自然な寿命で自然な生き方をしたい、というナチュラルな思考を持った人達も大勢居るし、利便性だけを追求した科学の発展が一概に素晴らしい物と決めつける事は出来ないでしょ?」

 美守の言いたい事は理解できる。身体的年齢だけでなく、性転換だってこの世界の科学力なら自由自在だ。
 同時に生体強化や延命調整が一般化された事で、寿命に関しても一般人でさえ数百年から数千年延命する事が普通となり始めていた。

 だが、技術は所詮道具でしかない。それを利用するのは人だ。
 科学の発展は新たな可能性を生み出し、常識や概念といった物を次々に塗り替えてきたが、だからといって人の感情や考え方まで大きく変えられる物ではない。子供を産むという行為さえ、その気になれば体外受精だって簡単な世の中だ。だが殆どの人は、自分の腹を痛めて普通に出産する事を望み、敢えて面倒で大変な方を選択している。
 寿命一つをとってもそうだ。何百年、何千年と生きる事を望む人もいれば、決められた寿命で一生を終えたいと願う人も大勢いる。
 それは何故か? どちらが正しいと言う訳でもなく、選択する人にとって何が最良かというのが重要な問題だった。
 生活が豊かになる、便利になるからといって何もかも機械任せでは面白味がない。人間とは、それほど単純には出来ていないという事だ。

 文化とはサイクルだ。季節毎に流行の服が変化していくように、今俺達が見ている世界はその規模がただ普通よりも大きいというだけの話。
 美守にとって、どちらの姿も偽りなどではなく、九羅密美守として存在するために必要な姿である事に変わりはない。
 老婆の美守がGPアカデミー校長としての姿なら、差し詰めこちらは九羅密美守個人としての姿といったところか?
 何人がその姿と真実を知っているのかはしらない。だが敢えて、その姿でこうして俺に会いに来たという事は――

「GPアカデミーの代表ではなく、九羅密美守個人として俺と話がしたかった、そういう事ですか?」
「頭の良い子は好きよ。察しの通り、弟のしでかした不始末の謝罪も兼ねているけど、本題はあなたに個人的な興味があってきたのよ」

 妖艶な笑みを浮かべる美守。何というか、背筋にゾクッとした悪寒が走る。
 それは鬼姫が時折見せる存在感と瓜二つだ。トップクラスに位置する者だけが持つ、圧倒的な雰囲気を纏っていた。
 これが持つ者と持たざる者の差。比肩する者が見つからないほど水穂や林檎も有能な人物だが、やはりそれでも彼女達には敵わない。
 誰もが厄介な人物と思いつつも、心のどこかで全幅の信頼を寄せ、その実力と存在を認めざるを得なくしている風格。
 俺の知る限り、この気配を身に纏っているのは極数人。美守を含めても片手で数えるほどしかいない。

 俺も何だかんだで言っても、そういうところは鬼姫に対し畏敬の念を持っている。
 色々と傍迷惑で無茶苦茶な人だが、その実力と才気は並び立つ者が居ないほど確かなものだと認めていたからだ。
 本当に嫌いなら興味が無いだけの話。鬼姫の事は人格に不満はあるものの尊敬はしている。俺にとって最大の鬼門、天敵には違いないが。
 だからこそ、よく分かる。美守も鬼姫と同じ類の人種だと――

(俺、食われるんじゃないか……)

 まさに規格外。俺からすれば、鬼姫、鷲羽(マッド)に並ぶ天敵と成りかねない人物だ。
 現在、その位置に一番近いのがアイリだが、やはりマッド≠竍クソババア≠ノ比べるとまだまだ甘いところが目立つ。
 しかし、美守は違う。実力は勿論いうまでもないが、纏っている雰囲気が鬼姫その物。全くの同格だ。
 びっしょりと冷や汗が手に滲む。猛獣に捕食された小動物の気持ちが、今なら嫌と言うほど分かるくらいだ。

「太老くん。九羅密家に来る気はない?」
「え?」
「率直に言うわね。あなたの事が気に入ったの。私の物にならない?」

 警報が頭の中で鳴り響いている。それだけは絶対に無理、と心の中で反芻していた。
 皆に一つだけ言っておく。愛の告白なんてストロベリーな甘い展開ではない。

 ――あなたの事が気に入ったの
 ――私の物にならない?

 鷲羽(マッド)のところから宇宙に連れ出され、鬼姫の下で一息ついたかと思えば、今度は美守のところで地獄の日々を送れと?
 無理です。てか、就職先が九羅密家(世二我)とか一番選択肢としてはありえない。
 まだ樹雷には救いがある。黒いのが玉に瑕だが、水穂や林檎、それに琥雪と味方になってくれる人達が居るからどうにか鬼姫の下でやっていけているが、それが九羅密家に行くとそうは行かない。
 美兎跳、美星……この二人だけでも不安要素一杯なのに、そこに加えて美瀾まで付いてくるのだ。想像するだけで最悪の展開しか思い浮かばない。

「お断りします」
「……随分とはっきりしてるのね」
「申し出は嬉しいですが、俺の居場所はここだけです。大切な家族を裏切りたくはありませんから」
「何となく、断られるような気がしてたけど……そんな風に思われている娘達は幸せ者ね」

 何か都合良く勘違いしてくれたようだが、納得してくれてよかった。
 水穂達が傍に居なかったら絶対にやっていけない自信がある。

 へたれ? へたれで何が悪い!

 それだけこの手の人物の下で働くって大変なんだよ。一度やってみたら分かるから、本当に。
 肉体的にもそうだが、過度のストレスから精神的に死ねる。いや、俺よく身体が持ってると思うよ。
 ここならまだ水穂達がギリギリのところで助けてくれるし、皇家の樹とか癒しがあるから何とかやっていけるだけの話だ。

「今日のところは諦めるわ。でも、まだ先は長い。互いの事をもっと知ってからなら、考え方も変わるかもしれないものね」

 いえ、考え方は変わりません。九羅密家に俺が行く事なんて絶対にない、と自信を持って言えます。
 これ以上、普通じゃない生活を送るなんてごめん被りたい。出来る事なら、静かに放って置いてください。

「最初の話に戻るけど、弟の件は心から謝罪します。美瀾には私の方で相応の罰≠与えておきますので。フフッ、美兎跳と掃除でもさせようかしら?」

 ごめん、美瀾。ちょっとばかり可哀想に思えたが、俺には何も出来ない。自業自得と思って諦めてくれ。俺を脅した罰だ。
 取り敢えず、美守も俺の平穏を脅かす存在という事で、最重要危険人物にピックアップしておかないと。
 美星や美瀾の件といい、俺は九羅密家の面々とは相性が最悪な気がしてならない。

(しかし、美瀾が言ってた留学の話って本気だったんだな……)

 本来であれば九羅密家≠ノスカウトされるのは名誉な事なのかもしれないが、益々平穏な日常から遠のいていくような気がしてならない。
 何としても、美守に諦めてもらえるように対策を練らなくては――
 この時ばかりは鷲羽(マッド)、鬼姫に続き、美守にまで目を付けられた自分の不運を恨めしく思わずにはいられなかった。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



押して頂けると作者の励みになりますm(__)m


<<前話 目次 次話>>

作品を投稿する感想掲示板トップページに戻る

Copyright(c)2004 SILUFENIA All rights reserved.