【Side:太老】

 地球の暦で言うと、そろそろ三月に差し掛かろうかという今日この頃。
 雪解けも終わり春の訪れを感じながら、俺は今日も山積みとなった書類と格闘する日々を送っていた。
 ハヴォニワの気候は俺の生まれ故郷と良く似ている。夏は日本に比べると涼しく過ごしやすいが、春夏秋冬と季節はちゃんと分かれているし、一日は二十四時間。一ヶ月三十日の一年が十二ヶ月と分かり易く、地球と比べても月や日の数え方に大きな違いはない。
 俺が異世界人ながら、ここでの生活を過ごしやすいと感じているのも、そうしたハヴォニワの風習や風土が理由の背景にあった。

 そう、俺はこの世界の住人とは違う。別世界からきた『異世界人』と呼ばれる存在だ。
 こちらの世界に俺が飛ばされて来てから、約二年の時が経過しようとしていた。

「太老様。こちらの書類にもサインをよろしくお願いします」
「うげっ!」

 ようやく一山片付け終えたと思ったところに、ドンッと追加された書類の山に思わず表情が引き攣る。
 マリエルに『マジ?』とばかりに視線を送るが、『当然です』とばかりに頷き返された。

「……さすがにこれは多すぎない?」
「現在、正木商会は飛ぶ鳥を落とす勢いで急成長を遂げていますから、このくらいは当然です。支部の国外への進出や都市開発計画。それに新事業の促進など、仕事は増える一方ですから仕方が無いかと」
「それは景気の良い話で……」
「人手を増やすなりして対策は講じていますが、従業員の育成が追いついていないのが現状です。屋敷のメイド達まで商会の仕事に駆り出されているんですよ?」
「うぐぅ……ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」

 領地視察を三日後に控え、今はその準備に追われているところだ。
 主には差し迫った商会の仕事の片付け。一応、正木商会という大陸有数の大商会の代表を務めている以上、これが俺の仕事だ。
 領地視察は商会の仕事と言うよりは、どちらかというと領主としての立場の側面が強く、領地経営を担ってくれている部下が有能だからといって、俺がその責任を放棄して任せきりと言う訳にもいかない。聖地入りを間近に控え、その前に貴族としての責任を果たすため、領地に一度戻って様子を見ておこうというのが今回の視察の目的だった。報告書を机の上で見ているだけでは、分からない事も沢山あるしな。

 そのため、視察に安心して赴くためにも、こうして商会の仕事に掛かりきりになっている、と言う訳だ。
 ここ最近ずっと机にかじりついてばかりの気がするが、実際には水穂やマリエル達の方がもっと大変な仕事を担ってくれているのを知っているので、『休ませてくれ』なんて言える立場には無かった。
 さすがの俺も、そこまで空気が読めない男ではない。

「でも、後一ヶ月ちょっとすれば、学院に通うようになる訳だしな……」

 そうすれば、少しは仕事からも解放されるだろう、と考えていた。
 最初は気乗りしなかった聖地学院での聖機師修行だが、今ではそこが唯一の救いのように思えていた。
 こう毎日仕事漬けの生活を送っていると、一年でも二年でもゆっくりしたいと思う気持ちの方が大きい。
 聖地に行けば、学業優先という事もあって仕事も今よりは減るだろうし、どちらかというと修行よりもそちらの方を俺は期待していた。
 こんな生活をこの先何年も続けていたら、俺は間違い無く過労死してしまう。せめて、趣味の研究や機械弄りくらいは出来る余裕が欲しい。

「心配はご不要です。聖地学院支部の運営も順調との事で、ハヴォニワ本部の機能の一部を既にあちらに引き継げるように手配済みです」
「え?」
「ランさんが頑張ってくれたお陰で助かりました。予定していたスケジュールも大幅に短縮できましたので、太老様が聖地入りされて直ぐにでもこちらと変わりなく仕事に励んで頂けます」

 それはもう、爽やかな笑顔でそう答えるマリエル。それは俺にとって死刑宣告にも等しい言葉だった。
 聖地での修行に加えて、更に商会の仕事。今よりも悪い状況がこの先に待ち受けているかと思うと、気分は憂鬱の一言だ。

「あの……マリエル。本当に無理しなくていいからね」
「お気遣いありがとうございます。ですが、太老様が万全の状態で仕事に取り組めるようにサポートするのも、私達の役目ですから」

 それが当然とばかりに『お任せください』と答えるマリエルを見て、俺はそれ以上何も言えなかった。
 察してもらえないのは今に始まった事ではない。
 主人思いのマリエルの気遣いが、今は涙が流れるほどに悲しかった。

【Side out】





異世界の伝道師 第149話『太老の国』
作者 193






【Side:マリエル】

 相も変わらず太老様の頭の中は仕事の事ばかり。
 だが、太老様の目指す理想。商会の掲げる理念の大変さは理解しているつもりだ。

 ――より住みよい世界に

 太老様と一緒ならば、その夢や幻とも言える理想すら、いつの日か必ず叶えられると私達は信じている。
 商会の掲げる理念は、太老様だけでなくハヴォニワの民、商会で働く者達全ての共通の理想になっていた。

 本来であれば、聖地で修行に入られる太老様に商会の仕事まで押しつけてしまうのは本望では無いのだが、それで太老様がご納得されるとは思えない。聖地学院支部を設立した理由の一つに、そうした太老様の身の回りをサポートし、私生活だけでなく仕事に置いてもやり易い環境を整える、という大切な目的があった。
 太老様の覚悟は重々承知しているつもりだ。だからこそ、太老様の理想の邪魔をするような真似をしたくはない。
 太老様に納得して頂いて、その上で太老様が動き易いようにサポートするのが正木卿メイド隊(わたしたち)≠フ仕事だ。

「マリエル。お兄様はいらっしゃいますか?」
「――マリア様。はい、太老様でしたら書斎に籠もって仕事をされています」
「でしたら、邪魔をする訳にはいきませんわね。視察の事で少し相談があったのですが……」

 書斎に籠もって仕事をしている、と言う話を聞いて深くため息を漏らすマリア様。
 ハヴォニワ王国の第一王位継承者。現在のハヴォニワ女王フローラ・ナナダン様の御息女で、太老様の婚約者候補であられる御方だ。
 来月、シトレイユ皇国で行われる予定となっているラシャラ・アース様の戴冠式で、マリア様、そしてラシャラ様のお二人と太老様の婚約が正式に発表される手はずとなっていた。
 そこで同時に、シトレイユ皇国とハヴォニワ王国の同盟が締結される予定だ。

 世界は一歩ずつではあるが、新たな時代へと歩みを進めている。
 商会の理念であり、太老様が望まれた平穏な世界。
 ただの理想などではなく、具体的なカタチが徐々に姿を見せようとしていた。

「お兄様は、ちゃんと休みを取っていらっしゃるのかしら?」
「お休みですか? 十日ほど前に半日ほど休養されたと記憶していますが、あの時も工房に籠もられてワウアンリー様と何かなさっていたご様子でしたから」
「それは『休んでいる』とは言えないのでは……」
「……かもしれません。ですが、太老様ですし」
「……お兄様ですものね」

 マリア様と二人して大きなため息を吐いた。
 もっと休みを取って欲しいという気持ちはあるが、それを望まれるような太老様ではない。
 私達が気を遣って仕事を回さなかったとしても、ご自身で次々と新しい仕事を見つけて来られるような御方だ。
 そうして私達が想像もつかないような大きな仕事を抱えてきては、ご自身の負担を顧みず仕事に更に没頭される事は目に見えていた。

 そのため、私達は考え方を改める事にした。無理に休ませようとしても、太老様は絶対にご納得してくださらない。
 それならば、こちら側で仕事を分別し適度に仕事を回す事でその負担を減らし、少しでも太老様の仕事が円滑に進むようにサポートする事に専念しようと考えたのだ。
 結果的に太老様のご負担が減れば、私達の望みにも適う結果に繋がる。

「マリエル達には感謝しているのですけど、やはりお兄様にはきちんと休養を取って頂きたいのです」
「ご心配は尤もだと思います。しかし、私達の進言をお聞き届け頂けるかどうか……」
「そこなのですよね。周りを働かせて休養を取るなんて真似が出来るお兄様ではありませんし、もう少しご自身の身体を労ってくだされば、このような心配も必要ないのですが……」

 マリア様のご心配は当然だ。それほどに太老様は働き過ぎだと私達は考えていた。
 折角のお休みも、市場の視察や工房に籠もられてワウアンリー様と仕事の話をされているご様子。ゆっくりと休養を取ってくだされば、このような心配もせずに済むのだが、それを口にしたところで素直に聞き届けてくださる太老様ではない。
 他の事であれば譲ってくださるような内容でも、商会の理念や理想に関係する事に関しては太老様は一切の妥協を許さない。
 やるべき事に関しては他人にも厳しいが、それ以上に自分に厳しい御方だ。太老様が抱えられている覚悟と信念は、鋼のように強固な物だった。

「お兄様はハヴォニワに、いえ、この世界にとって欠かせない大切な御方です。理想も大切ですが、もう少しご自愛くださらないと……」
「仰る意味は分かりますが、それを太老様に納得して頂くのは難しそうですね……」
「ですが、このままと言う訳にはいきません。マリエル、あなた達も協力してくださいますわね?」
「はい。それが太老様のためになるのであれば――」

 こうして正木卿メイド隊(わたしたち)とマリア様。それにフローラ様達まで巻き込んでの一大作戦が開始した。
 太老様にご自身の立場を自覚し、休養をきちんと取って頂けるようにするための――

【Side out】





【Side:水穂】

「フローラ様……それは本気ですか?」
「本気よ。確かに太老殿は聖機師として有能でハヴォニワ一の大商会の代表を務めているけど、貴族としての立場は地方の辺境伯に留まっているでしょう? マリアちゃん、ラシャラちゃんと結婚するのなら二人との釣り合いを考えても、このくらいの立場はあって然るべきだと思うのだけど?」
「……最初からそのつもりでしたね。あの広大な未開拓地域を領地として与えたのも、この布石と言う訳ですか」
「あら? 何の事かしら?」

 フローラはとぼけて見せているが、その態度からも考えている事は明白だった。
 ラシャラちゃんの戴冠式。それと同時に行われるハヴォニワとシトレイユの同盟締結。ラシャラちゃん、マリアちゃんの二人と太老くんの婚約発表。
 その計画の確認と打ち合わせを行っている中、フローラの口から飛び出した予想もしなかった出来事。

 ――タロウ・マサキ辺境伯をマリア姫、ラシャラ姫との婚姻と同じくして大公に任命し、ハヴォニワ西部の自治権を認める

 というハヴォニワ議会からの非公式の通達だった。非公式とは言っても既に根回しは済んでいて、決定事項と言える内容だ。
 太老くんがマリアちゃんと結婚すれば、ハヴォニワ王家との縁戚関係になる。そしてラシャラちゃんと結婚すれば、同時にシトレイユとも縁戚関係になる訳だ。
 これはその立場とこれまでの功績を利用して、太老くんをハヴォニワの大公に任命。その領地を大公国≠ニする事で、太老くんの独立を認めるというものだった。

 その見届け役としてシトレイユの議会。現在の主流派となっている皇族派が後見人に名を連ねていた。
 少し考えれば簡単な事だった。ラシャラちゃんもマリアちゃんも、どちらも大国の一人娘だ。
 太老くんの現在置かれている立場や、各国の政治的な思惑。そして正木商会が経済に与える影響からも、各国の勢力バランスを取る意味でハヴォニワかシトレイユ、どちらかに婿入りさせる選択は好ましくない。
 マリアちゃんの第一子が次のハヴォニワ王国の後継者に、そしてラシャラちゃんの第一子が次のシトレイユ皇国の後継者になるシナリオだ。
 有能な聖機師の血を皇家に取り入れる事が出来る上に、両国とも正木商会との深いパイプを持つ事が出来る。
 両国の立場と思惑を擦り合わせた場合、妥協点として太老くんの独立を認めるという方策は、確かに悪い方法ではなかった。

 しかもシトレイユに配慮しつつ、ハヴォニワの利にも十二分に適っているのだから、やり方が実に巧妙だ。
 ハヴォニワ西部の土地は、太老くんに粛正された嘗ての公爵家や反対派の貴族達が大半の割合を占めていた場所で、その多くは現在太老くんの領地に併呑されるか、王家の直轄地になっている。それが全て、大公就任と同時に太老くんの物になるという話だ。
 領地の殆どが山や森に囲まれていて開拓が進んでいない場所だったのが、太老くんの行った改革とも言える領地運営計画のお陰で人口は増え、手付かずだった開拓は商会の後押しもあって進むばかりだ。ただ土地を遊ばせておくよりは、その流れに乗った方がハヴォニワとしてもメリットが大きい。

 大公に任命され、名分上『国』になるとは言っても、ハヴォニワ皇家に認められた独立領という扱いだ。
 これまで税収を期待できなかった場所が一気に金のなる木へと変貌を遂げ、ハヴォニワの国庫を潤してくれるのであれば反対する理由は彼等にはない。大公という立場も見方を変えれば、ハヴォニワに太老くんを縛り付けるための首輪とも言えた。
 娘の幸せのためと言いつつ、国の利益を最大限に考えている辺りは為政者として正しい判断力だ。やはりフローラは侮れない人物だと、私は再認識させられた。

「とは言っても、まだ関係者だけが知る内々の話よ。婚約すら、まだ先の話なのだし」
「ここまで用意周到に準備を進めておいて、それは通用しないと思いますよ。『人の口に戸は立てられぬ』と言いますし、少なくとも特権階級の者達の間で噂になるのは時間の問題でしょう?」

 フローラがその事に気付いていないはずがない。だからこそ、今この時期に私にその事を話したのだと察していた。
 貴族達の間で噂が広まれば、国民の間で噂が広まるのも時間の問題だ。大公国が実現するのはまだ先の話でも、それが信憑性の高い話となれば、周囲の太老くんを見る目は大きく変わるはずだ。
 そして大国の姫との婚約発表が、その信憑性を大きく高める判断材料になるのは間違い無い。
 その結果、太老くんの世間での扱いは、ただの辺境伯に対する物では無くなる。

「聖地学院への布石ですか……」
「生徒会に堂々と入会するには、今の太老くんの立場ではまだ少し弱いでしょうからね。マリアちゃんとラシャラちゃんも、太老くんと一緒の方が嬉しいでしょうし。良い案だと思わない?」

 その言葉に嘘は無いのだろうが、他にも幾つか理由はあるのだと考えた。
 大体の想像はつくが、敢えて何も言わない事にした。少なくとも、こちらにもメリットはあると考えたからだ。
 フローラも、その辺りは承知の上で話をしているのだろう。

 聖地学院の生徒会といえば、王侯貴族や大貴族と呼ばれる家柄に生まれた者だけが入会を許されている聖地の花形とも言える存在だ。
 学院長の次に高い権限を有し、時には学院の行事や経営にまで口を差し挟む事がある、学院に置ける権力の象徴とも言うべき集まり。
 生徒会のメンバーに選ばれるのは、それだけで大変な名誉とされ、学院中の生徒の憧れの的ともなる。

 ただ選出基準は厳しく、先に挙げた通りまずは家柄や立場が重要視され、その上、学業成績が優秀である事も条件の一つにあげられる。
 有能な聖機師という側面、そして正木商会を始めとする功績の面で大きな評価を得てはいるが、辺境伯とはいえ太老くんは貴族社会の中では成り上がりという見方が多い。その点からも、生徒会に相応しくないという声も少なくはないはずだ。
 ただでさえ、下級課程を省略して上級生からの編入という異例の特例処置を受けて入学するのだ。太老くんに好意的な人達も大勢居るが、逆にそんな太老くんの事を疎ましく思っている人達も少なくない。
 フローラのやろうとしている事は、そうした妬みや僻みの声をハヴォニワ王家、そしてシトレイユ皇家の権威で黙らされる、と言っているに他ならなかった。
 ラシャラちゃんやマリアちゃんの婚約者であり、未来の大公ともなれば一貴族に接するのとは訳が違う。
 表だって太老くんを批難できる者達は、これで随分と少なくなるはずだ。
 事前にトラブルの芽を摘み取るという意味では、確かに効果的な方法ではあった。

(それに太老くんがバカにされて、ラシャラちゃんやマリアちゃんが黙っていられるとは思えないものね……)

 太老くんはそんな言葉に屈したり、気にして落ち込むような人間ではないが、太老くんの事を大切に想っている娘達が太老くんの事を悪く言われて黙っていられるとは思えない。場合によってはメイド隊の侍従達も全員敵に回ると思った方が良い。
 他にも色々と理由はあるのだろうが、フローラが一番危惧したのは恐らくそこだ。

「これでも、色々と周りに気を遣ってるのよ。太老殿の事となるとあの娘達、見境が無くなるから……」

 場所が場所だけに、余り事を荒立てたくない。その可能性のある芽は事前に摘み取っておく。フローラの言いたい事は分かる。
 ため息を漏らしながら、そう口にするフローラの背中には哀愁が漂っていた。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



押して頂けると作者の励みになりますm(__)m


目次 次話>>

作品を投稿する感想掲示板トップページに戻る

Copyright(c)2004 SILUFENIA All rights reserved.