【Side:フローラ】

 ハヴォニワは国土の殆どが山と森に囲まれた緑豊かな国だ。
 だがその反面、喫水外を隔てた高い山や崖に囲まれた峡間が多く、大型船が通れるような場所が少ない事もあって移動ルートも限られている。
 だからこそ、高地間鉄道といった他の国には無い独自の技術や乗り物が発達した国でもあった。

 この地形が戦時に置いて、敵の侵攻を妨げる天然の要塞の役割を果たす訳だが、良い事尽くめと言う訳にはいかない。
 確かに山や森の幸は豊富だ。大自然の恵み。これは別名『森の民』と呼ばれるダークエルフ達が住む深い森に囲まれた地、シュリフォン王国にも引けを取らない物だ。
 しかし、それが障害となって入植開拓が進んでいない。領土の殆どが手付かずのまま、人の住まない未開拓地域と成っている訳だ。
 国内の実に三割の流通を賄う広大な農地を抱え、首都に次ぐとまで言われるほどの発展を遂げ、西の経済の中心地と言われているマサキ辺境伯の領地も最初は似たような状態だった。

 これでは国土の広さだけなら、シトレイユ皇国に次ぐとまで言われている広大な土地も宝の持ち腐れだ。
 私、ハヴォニワの女王フローラ・ナナダンは考える。それが、これまでのハヴォニワの常識であったと。

(太老殿が現れるまでの常識は、もうこの国の常識とは言えなくなっているわね)

 正木太老――彼がこの国の常識を、この国の在り方を変えてしまった。
 私は段々と変わりつつあるこの国の現状を実感しながら、いつものように執務机に向かい政務に取り組んでいた。
 今、目を通しているのは、これまでのハヴォニワでは問題にすらならなかった新たな問題。
 その意見を聞きたくて、先程話にも出た注目の人物、問題の当事者を呼び出していた。

「ごめんなさいね、急に呼び出したりして。太老殿の意見をどうしても聞いて置きたかったのよ」
「それは構いませんけど……さり気なく胸を押しつけたり、首の後に手を回すのはやめてくれません?」
「あら、ごめんなさい」

 こうして彼に迫るのは何度目の事か。またか、と言った呆れた様子で私を引き離す太老。
 相変わらず、彼は意地が悪い。これだけ分かり易くアプローチしているのだから、彼の方からもっと積極的に迫ってくれても良いと思うのだが本当に興味が無いのか、彼から迫ってくれたり、身体を求めてくれた事は一度としてない。
 夫に先立たれ十二になる娘がいるが、それでも私はまだ三十になったばかり。手入れを欠かした事のない張りのある肌には自信があるし、自分ではまだ若いと自負している。
 少なくとも、娘のマリアよりはずっと女らしい体つきをしているし、大人の魅力で溢れているはずだ。
 私は本気なのだが、全く手を出してくれない太老。これでは女としての自信が揺らいでしまいそうになる。

「太老殿。もしかして男色――」
「違いますから」

 はっきりと否定され、嬉しいやら悲しいやらなんとも言えない心境になった。





異世界の伝道師 第151話『女王の誘惑』
作者 193






 態々城にまで呼び出し、太老に相談しようとしていた問題は次の通りだ。
 太老とその商会の活躍により、国が豊かになる事で浮上した新たな問題。
 急速な経済の発展に伴いハヴォニワは現在、移住希望者が後を絶たず急速な人口増加問題に直面していた。
 住み慣れた土地を離れる事になろうと、少しでも豊かで平和な国で暮らしたいと願う人達は大勢居る。

 ――経済の中心地として賑わうハヴォニワでの成功を夢見る者
 ――安定した生活、遣り甲斐のある仕事を求めてやってくる者
 ――ハヴォニワ独自の技術、または知識を学ぶために留学を希望する者

 理由は様々だが彼等は全員、ハヴォニワでの生活を希望していた。

 しかし人が増えれば住む場所、働き口が必要となる。特に対応が難しいのが、大した蓄えもなく着の身着のままで入国を希望している難民達だ。
 人が生活を営むには、最低限『衣・食・住』の三つが必要だ。
 第一に住む場所に関しては、住める土地を確保しなくてはならない問題もあるし、働き口に関しては国が推し進めている開拓事業をそうした人達に割り振るにしても自ずと限界がある。田畑にしても元々の領民から取り上げるような真似は出来ない。正木商会でも職業教育や仕事を斡旋してもらってはいるが、それにも限界があるのが現状だ。
 そうした事情から、さすがに来る者拒まずという訳にはいかない。
 国を挙げて開拓事業に力を入れている背景には、そうした経済の発展の裏側の問題があった。

 ただ、居住可能な場所、開拓に関しては少しずつではあるが解決の目処は立ちつつある。
 街の拡張は現在も続けられているし、他国と違い積極的に聖機人を労働力として登用している事や、正木商会が開発したタチコマの活躍もあって以前とは比べ物にならないほど順調な勢いで土地の開拓が進められているからだ。

「何となく話の流れは読めてきましたけど……」
「一応、最後まで説明させて頂戴」

 話の流れから、何故呼び出されたのか理由を察してか、怪訝な表情を浮かべる太老。
 だがしかし、物事には順序がある。話を戻して本題に入る事にした。

 何をするにも金が掛かる。開拓が済んでそこに人を住まわせたからと言って、それで全て解決と言う訳にはいかないのが現実だ。
 直ぐに税収になる訳ではなく、その間そうした人達の生活を最低限保証するにも、やはり先立つ物が必要だ。
 だからと言って国の財源にも限りがあり、無理をすればその負担は国庫に直接ダメージとして返ってくる。
 入国の条件を厳しくする事で移住希望者を制限するのは簡単だが、それをやり過ぎてしまっては経済の発展を阻害する恐れもある。
 それに経済成長を促進するのであれば、より多くの人手が必要なのも確かだ。
 ならば、好調な経済を維持しつつ、財政が厳しい状況をどうすればいいか、答えは簡単だった。

 余裕が無いのなら、余裕のあるところに頼るしかない。

 ――タチコマを始めとする機動兵器の輸出や、タクドナルドを始めとするファーストフード店の世界展開
 ――ハヴォニワだけでなくシトレイユを始めとする諸外国にも支部を持ち、様々な国の都市と貿易を積極的に行う事で莫大な利益を上げている大商会

 正木商会に借款(しゃっかん)を申し入れる事で、ハヴォニワ政府は現状の維持を計った。
 結果、僅か一年余りで国と商会、その立場が逆転する結果となってしまったのだ。
 太老の大公就任や独立権の話も、実はその辺りの事情が深く関係していた。

 正木商会に借金をするという事は、マサキ辺境伯に借りを作る事と同意だ。
 このままの勢いで経済成長を続ければ、数年以内にハヴォニワの経済はシトレイユを抜き、三国一の経済大国にのし上がる事は間違いない。
 税収が増えればそれだけ早く借金を返済する事も可能になるが、現状ではそれ以上に移住希望者の問題や開拓事業を始めとする投資に金を吸い込まれているのが現状で、正木商会に頼らざるを得ないのが現実だ。
 例え財政が黒字に転じたとしても、返済にはより多くの時間が掛かる。

 後はお分かりと思うが、太老の大公就任、そして西部独立権の承認。どちらも、議会は納得せざるを得なかったのが答えだった。
 私もそうだが、国内の殆どの貴族や商人達が、正木商会に少なからず頼らなければならない事情を抱えていたからだ。
 結論だけを言えば、既にこの国は太老とその商会の存在無くしては成り立たなくなっている。
 彼がハヴォニワの未来を、この国の命運を握っていると言っても過言ではない。

「ようは金の無心ですか……」
「マリアちゃんにも相談したのだけど、『代表はお兄様ですから先にお兄様に話を通してください』とはっきり言われてしまったわ」

 我が娘ながら、さすがに『お金貸して』と言って素直に貸してくれるほど甘くはなかった。
 マリアはハヴォニワの姫であり、私の娘であるのは周知の事実だが、同時に正木商会の中核を担う人物の一人だ。
 ハヴォニワの姫だから、娘だからと言って決して甘い顔はしてくれない。公私の使い分けに厳しい娘だった。
 全く、本当に誰に似たのか。十二になったばかりとは思えないほど、大人顔負けの確りした考え方を持っていた。

「別に構いませんけど、ちゃんと利子は頂きますよ? これまでの分も例外なく」
「……ちゃっかりしてるわね」
「こっちも商売ですからね。公私混同はしません」

 どこから取り出したのか、算盤を片手に私にそうはっきりと告げる太老。
 商会に深く関わり過ぎた所為か、マリアがああなった原因を見つけた気がした。

「ううん、もう少し安くならないかしら……」
「これでも、大分サービスしてますよ」

 確かに金利は安い。でも、元が元だけにちょっとした利子でもバカにならない金額だ。
 目の前で太老が算盤を弾いて見せるも、それは目が飛び出るほどの驚く金額だった。
 このままズルズルと行けば二十年、いや五十年掛かっても返済できるかどうか……とはいえ、選択肢は一つしかない。
 既に後戻りは出来ないところまで来ているのだ。前に進む以外に道は残されていなかった。

 幸いな点は、彼にハヴォニワを乗っ取ると言った野心は無く、ハヴォニワ……いや、マリアに対し少なからず恩を感じてくれている事だ。
 こちらから関係を拗らせるような真似をしない限りは、彼の方から私達を裏切る事はない。そう思わせるだけの誠意と忠誠を彼はハヴォニワに示してくれていた。
 その事が貴族達も分かっているからこそ、大公就任と独立自治権という先の提案にも素直に応じたと言う訳だ。
 借金は別として、ハヴォニワの発展と娘の幸せ、その両方の条件に適っている現状は私にとって理想的とも言える状況だった。

「では、商談成立という事で。マリアと水穂さんには話を通しておくので、細かい調整は彼女達とやってください」
「未来の母親に、もうちょっと優しくしてくれてもいいのではなくて?」
「そう思うのなら、普段からちゃんとしてくださいよ。さっきみたいなのは無しにして」
「あれはただのスキンシップ。私はいつも大真面目ですよ?」
「……その方が、ずっと質が悪い」

 嫌がっていると言った感じではないが、そう言って呆れた様子でため息を漏らす太老。
 こうした話をした時のマリアと似たような反応だった。

 ハヴォニワはその昔、分散統治されていた国々を併合して生まれた大国だ。
 その時に生じた軋轢は今も目に見える形で残っていて、それがハヴォニワの改革や、封建派の貴族達の粛正に繋がった事は記憶に久しい。
 その後、太老は経済の側面から残った中立派の貴族達を味方に付け、自分やハヴォニワ王家に向けられる反対の声を完全に封殺してしまった。

 正直、私もここまで太老がやってくれるとは思っていなかった。
 貿易の成功は、彼の右腕とも言うべき人物『柾木水穂』の手腕があってこそだが、それでもそうした希有な人材を惹きつけ使いこなせている彼の力は評価に値する。
 結果的に、私が長い歳月を掛けてなし得なかった最後の一押しを、彼は僅か二年の間に解決し成し遂げてしまったのだ。
 その功績から考えても、本来であれば大公国など遠回しな事をせずとも、この国を彼に譲ってもそれはそれで構わないと私は思っていた。

 あんな手段を取ったのは、あくまでシトレイユや諸外国に配慮したからに過ぎない。
 それに上手く行けば、彼の国が諍いの緩衝材として機能してくれる可能性も考慮していた。
 少なくとも、彼と彼の商会にはそれだけの可能性と力がある。
 大公国は始まりに過ぎない。将来的には、三国を統一する事も夢ではないかもしれない。
 そのための先行投資と考えれば、今のこの現状や太老の独立を認める事は決して悪い判断ではないと考えていた。

「それじゃあ、担保は私の身体という事で――」
「ちょっ、何で上着に手を掛ける!?」
「大丈夫。怖いのは最初だけ、直ぐに気持ちよくなりますわ」
「それ、違うよね!? 普通は立場が逆じゃないか!?」

 だからこそ、私は考える。この国の未来を、そして自分の幸せを――
 この世界での結婚には二つの意味がある。聖機師としての結婚と、一生を添い遂げる意味での結婚だ。
 女王とはいえ、私も元は名の知れた聖機師。有能な聖機師の資質を持つ子を産み育てる、という義務と責任を忘れてはいない。
 それを抜きにしても、太老は相手として不満はない。寧ろ、私は異性として意識するほどに太老に好意を寄せていた。

 太老とマリアの子供をハヴォニワの後継者にする案が浮上しているが、何だったら私と彼の子供を次のハヴォニワの王にしてもいい。
 彼との間の子供なら、間違い無く有能な聖機師の資質を持つ子供が生まれる。武にも知にも優れた立派な王として育ち、必ずやハヴォニワを良い国に導いてくれるはずだ。

「さあ、太老殿。楽にして、私に身を委ねて――」
「楽に出来ないし、身なんか委ねられない! 誰かぁぁ! 食われる、襲われるぅぅ!」

 私は服を脱ぎ捨て下着一枚になると、顔を真っ赤にして慌てふためく太老に迫った。
 必死に視線を逸らそうとする太老。その様子からも、少なくとも女として意識はしてくれているようだ。
 なら、私にだってチャンスが――

 その時だった。バタンと大きな音を立て、執務室の扉が開け放たれた。

「お母様!? お兄様が城に呼び出されたと聞いて嫌な予感がして来てみれば、また破廉恥な真似をして!」
「……チッ!」
「今、舌打ちしましたね! 娘の私を見て! そんなのだから、色物女王なんてバカにされるんです!」

 我が娘ながら、感心するほど勘の鋭い()だ。
 娘に説教されるのも、これで何度目か。だからと言って、そのくらいで彼の事を諦められるはずもない。
 狙いを見計らったかのようにタイミング良く現れたマリアに近くにあった窓のカーテンで簀巻きにされ、私は部屋の外に引き摺られていった。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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