【Side:ユライト】

 正木卿の屋敷でお世話になり始めて二日目。色々と観察して分かった事は、正木卿は謎の多い人物だという事だけだった。
 まず第一に屋敷で飼われている二匹の魔獣。あんな生き物は一度として見た事が無い。
 勿論、世界の全てを知り尽くしているなどと自惚れるつもりはない。まだまだ私の知らない事など、この世界には沢山ある。
 高地独特の生態系か、もしくはあの機械と生物が融合したような外見から推測されるのは先史文明の遺産≠ゥ?
 何れにせよ、私の推測が及ぶような生き物で無い事だけは確かだった。

 それに貴族の屋敷といえば、通常であれば『貴族用』と『使用人』で浴室など区別されているのが普通だが、ここではそうした共有施設には一切の区別はなく、誰でも同じ施設や設備を気軽に利用できるようになっている。
 侍従達に聞いた話では、正木卿が領主になってからはそうした区別は一切廃止され、今のカタチに落ち着いたらしい。
 自尊心の強いシトレイユの貴族では、絶対にありえない考え方だ。これも、平民出身の彼ならではの価値観があってこそと言える。
 貴族社会では『成り上がり貴族』と彼の事を蔑む者もいるが、その実は元平民だからこそ分かる下々の生活や価値観を武器に、画期的な改革を打ちだし女王にも認められる多大な功績を上げ、大陸一とまで呼ばれる大商会を一代で築き上げた天才が彼だ。

 大勢の民に慕われる人徳に、敵味方問わず惹きつける圧倒的なカリスマ性。
 知力、体力、感性、そして才覚や度量に至るまで、彼が持ち合わせている実力は常識外れなものばかりだ。
 歴代の名君と呼ばれた王族の中にも、彼に並ぶほどの人物が果たして居るかどうか。

 分散統治されていた国々を統一し、高地間鉄道を始めとした様々な独自の技術体系を築き上げ、ハヴォニワを大国と呼ばれるまでの勢力に押し上げたフローラ女王。
 ラシャラ様の母君で、現在のシトレイユを大陸一と呼ばれるまでの勢力にするに至った土台を築き上げた偉人、ゴールド元皇妃。
 そして我が兄で、一人の聖機工に過ぎない身でありながら類い希ない才覚と政治手腕を発揮し、シトレイユ皇に認められ宰相の座にまで上り詰めたババルン卿。

 何れも現代に名を馳せる為政者達だが、正木卿はその人物達と比べても色あせないどころか、あらゆる点で勝っているとさえ思わせるほどに優れた才能を発揮していた。
 正木卿がこれまでに築き上げてきた功績、歩んできたであろう軌跡は常識外れなものばかりだ。
 僅か二年で、ここまでの頭角を現すまでに至った正木卿の力は、単に実力がある、才能がある、というだけで済まされるような内容では無い。
 黄金の聖機人にしてもそうだ。武術大会で見せたあの圧倒的な力。相手はまだ学生とは言っても、二十体の聖機人を相手に一人で勝利してみせた実力は見事と言う他無い。その上、武舞台を崩壊させて見せたあの光り輝く神の如き力。あれほどの力を持つ聖機人を自在に操る彼の力は、凡そ個人が保つ力というには余りに大きすぎる力と言えた。

(やはり、彼は……)

 二年前に突然ハヴォニワに姿を現し、頭角を見せ始めるまでは何をしていたか分からない。それ以前の経歴が一切掴めない謎の多い人物だ。
 あれほどの実力がありながら、今まで名前は疎か、噂の一つすら立たなかったというのだから不自然極まり無い。
 この世界の常識から逸脱した発想力から生み出される技術の数々。それは高地出身だからと言うだけでは説明が付かない次元の物だ。
 確かに高地にはエナの海とは違う独自の文化と技術体系が確立されているが、彼の発想力の原点はそうしたところから来ている物とはとても思えない。

 ――異世界人

 それならば、これまでの事にも納得の行く説明が付く。

「確かめなくてはなりませんね」

 召喚の時期が噛み合わない事や他にも様々な疑問点が残るが、そう考えるのが今は一番妥当だ。
 それ以外に、彼の存在を説明する事が出来ない。
 確たる証拠もないが、彼が異世界人であると考えるのが一番自然なのもまた事実だった。

「やはり少しずつ情報を集めていくしかないみたいですね」
『……そうね』
「どうかしましたか? ネイザイ」
『そういえば、お風呂にまだ入っていない事を思い出してね』
「…………」

【Side out】





異世界の伝道師 第164話『安らぎの無い温泉』
作者 193






【Side:太老】

 農耕地の視察を終えて屋敷に戻ってきた頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。
 夕飯はマリアと一緒に向こうで御馳走になってきたし、後は風呂に入って寝るだけだ。

「マリアはお風呂どうする? 先に済ませるか?」
「私はこの後、ユキネと少し仕事の話がありますので、お先に済ませてくださって結構ですわ」
「仕事なら俺も手伝うけど……」
「ありがとうございます。ですが、お気になさらないでください。二、三確認があるだけですから」
「うーん、じゃあ、俺は風呂に入って寝るよ」

 無理に手伝うと言ったところでマリアを困らせてしまう事は分かっていたので、素直に身を引く事にした。
 ユキネが一緒なら、マリアに無理をさせるような事は無いと思ったからだ。
 それに商会の事ならともかく公務に関する事なら、俺が聞いてはいけないような内容もある。
 自分がよかれと思ってした事でも、相手にとっては迷惑な事だってある。親切の押し売りは良くない。

「あっ、マリア。ユキネさんに『庭の修復作業ご苦労様』って伝えて置いて」
「はい。では、お兄様。お疲れ様でした」
「マリアも無理しないようにな」

 本来、マリアの護衛として同行するはずだったユキネは、今回の農地視察に付いて来なかった。いや、付いて来られなかった。
 その理由はコノヱとの模擬戦で破壊した庭の修復を、罰としてコノヱと二人でやらされていたからだ。
 俺だけならまだしも、マリエルに後で厳しく絞られた事が相当に堪えたらしい。
 結果、俺とマリアの護衛にはタチコマと警備部が付く事になり、二人は庭の修復作業のために留守番となったと言う訳だ。
 で、話は戻るが、マリアの話と言うのが夕食時に気にしていたユライトの件の可能性は高い。恐らくはユキネに夕食の時の話を相談して、今後の対応を考えるつもりでいるのだろうと考えた。
 ユライトには悪いが、マリアはかなり警戒している様子だしな。当分、信用を得られるようになるまでが大変だろう。

「あっ、そういや、風呂どうしてるんだ?」

 肝心な事をすっかり忘れていた。ユライトに客室をあてがったはいいが、部屋にはトイレも無ければ風呂も備え付けられていない。
 トイレの方は全て個室となっているので特に問題は無いと思うが、問題は風呂の方だ。
 うちの風呂と言えば、別棟にある室内の共同浴場と屋敷の離れにある露天風呂、後は小さな個人用のシャワーくらいしかない。
 共同浴場の方は露天風呂ほど広くなく老朽化が激しいという話で、露天風呂を使用人達に解放するようになってからは余り使われていない。
 となると、前者の露天風呂を使うしかないのだが、あそこは間仕切りが無く侍従達も使うために鉢合わせする可能性が高い。

「うわ……行き成りピンチじゃないか」

 報告がないという事はまだ大丈夫なのだとは思うが、もし侍従達とユライトが風呂で鉢合わせするような事があれば、大騒ぎになる事は間違いない。
 ユライトにその気が無くても痴漢の現行犯として捕まる可能性が高いだけに、このままにしておくと言う訳には行きそうになかった。
 後は街の視察を済ませれば首都に帰るだけなので、後二日ほど無事に過ごせればなんとかなる。
 とはいえ、何日もユライトに風呂を我慢してくれとはさすがに言えない。仮にもお客様だ。幾らなんでも、それは可哀想だろう。

 カリバーンに行けば別に風呂はあるが、そのために停泊させている港に行くのは難儀だ。
 ここはやはり、二日だけでも露天風呂をなんとか交代制で使えるように話を付けるしかない。
 侍従達には不便を掛ける事になるが、よくよく考えて見れば俺だって男なのだから、混浴が許されている今の状況が異常なのだと考えた。

「あっ、丁度よかった。皆、少し話があるんだけどいいかな?」
「――太老様!? はい、ええっと……何か御用でしょうか?」

 屋敷の侍従達が十人ほど集まっている姿を発見し、俺は声を掛けた。先程考えていた事を早速相談するためだ。
 様子から察するに仕事が一段落したところだったのだろう。休憩していたところ邪魔をして悪かったと思うが、出来るだけ早く解決して置かなくてはいけない問題だ。
 緊張した様子の侍従達に俺は事情を説明し、風呂の時間を交代制に出来ないか相談をした。
 一時間だけでも構わないので、三日、いや二日ほど彼女達に我慢してもらえれば俺としても助かる。

「それでしたら、ご安心ください。お客様に不自由をさせる訳にはいきませんので、マリエル様のご指示で早朝と深夜を除いて私達はあの露天風呂を使用できない事となっています」
「え? でも、それじゃあ……」

 侍従達の夜は遅い。彼女達が言う深夜とは、皆が寝静まった後の事だ。
 侍従達の朝は早い。彼女達が言う早朝とは、まだ外が薄暗い明け方くらいの時間の事だ。
 そう、それでは余りに不公平だ。それでは彼女達にばかり負担を掛ける事になってしまう。
 さすがにそこまでしてもらうのは悪いと考えたのだが、皆が納得済みの事だと言って聞いてはくれなかった。

「お気になさらないでください。ここは太老様のお屋敷なのですから、私達に遠慮をされる必要は無いのですよ?」

 当然といった様子で、そう言ってくれる侍従達の言葉が嬉しかった。俺は使用人に本当に恵まれた生活を送っていると思う。
 マリエルにせよ、うちの屋敷の侍従達は皆、他人(ヒト)を気遣う事の出来るよい娘達ばかりだ。
 そこまで言われて文句を言えるはずもない。メイドの鏡とも言うべき優しい侍従達の気遣いを、俺は素直に受け取る事にした。
 まあ、それにユライトの件に関しては彼女達が警戒しているというのをマリアから聞いていて知っているし、俺が考えているような事故が起こらないように予め配慮しておいてくれたのだろう。
 マリエル辺りなら気がつきそうな事だ。

「ありがとう。それじゃあ早速、ユライトさんを風呂に誘ってみるよ」

 侍従達に礼を言い、ユライトを風呂に誘うために客室へと向かった。
 扉の前に『入浴中』の札を掛けておけば誰も入って来ない、という話だったので安心して風呂に入る事が出来る。
 ユライトの件を抜きにしても、シンシアやグレース、それにマリアくらいまでならまだしも、さすがにマリエル達と鉢合わせると気まずくて仕方が無い。
 俺も男だ。気にならないといえば嘘になるが、彼女達は俺を信用して気を許してくれているのに、そんな彼女達の厚意を逆手にとって裏切るような真似は出来なかった。

 それに考えて見れば、これはこれで嬉しいサプライズかもしれないと考えた。
 本来、疲れを取るはずの温泉が、俺にとっては癒しどころか、ここ数日は疲れを溜める原因の一つになっていたくらいだ。
 今まで邪魔が入ってばかりで、ゆっくりと温泉に浸かる機会が無かった気がするので、今日こそは露天風呂でのんびり寛ぎたいと思う。

「ユライトさん。一緒にお風呂に行きませんか?」

 部屋の前で声を掛け、コンコンと何度かノックを繰り返してみるも部屋の中から応答はない。
 さすがに客室を勝手に開けるのも悪い気がしたので、今日のところは素直に諦める事にした。
 まあ、侍従達の話では既にユライトに風呂の話はしてあるという事だったので、もう夜も遅いし風呂に入って寝た後かもしれないと考えた。

「うーん、仕方ないか。一人で風呂に入って寝るか」

 男同士、裸の付き合いも悪くないと考えたのだが、寝てしまったのなら仕方が無い。時間はたっぷりある。また誘えばいいだろう。
 俺はそう考え、一度部屋に戻って着替えを取ると、洗面用具を片手に露天風呂へと向かった。

【Side out】





【Side:ネイザイ】

 正木邸の屋外にある露天風呂。湯に浸かりながら月明かりの下で、私は一時の休息を味わっていた。
 ネイザイ・ワン。それが私の名前。ユライト・メストの共犯者であり、運命を共にする者、それが私だ。

「全く、ユライトは気が利かないんだから」

 風呂は大切な身嗜みの一つだ。目的に熱心なのはいいが、風呂を忘れるのは頂けない。
 先に眠りに落ちたユライトに、私は小さく愚痴を漏らした。

 全身の疲れを取るように手足をだらしなく伸ばし、首まで湯に浸かってまったりと寛ぐ。
 自然の中、星を眺めながら大きなお風呂に入るというのは最高の贅沢だった。
 まさに至福の時。本当にここの侍従達は仕事環境に恵まれている。そこらの下級貴族よりも良い暮らしをしているとさえ思えるくらいだ。
 私がこれまでに見てきた使用人の扱いとここでの暮らしは、天と地ほどの開きがあった。

「正木太老ね……」

 正直な話、私も彼の事を計りかねているといった点ではユライトと同じだが、本能的に彼は敵にはならないとも感じ取っていた。

 ――警戒するほどの敵ではないと思われているのか
 ――泳がせておいても直ぐに捕らえられると思っているのか

 本当のところ、彼が何を考えているのかは分からないが、彼からはババルンのような悪意を感じない。
 注意して置くに越した事はないが、警戒しすぎるのも良くない。特に、最初からユライトに裏がある事を見抜いていた観察眼や鋭い洞察力といい、これだけの組織を僅か二年で作り上げた手腕は侮れない物がある。『ハヴォニワの粛正』と呼ばれる事件やシトレイユでの一件を顧みるに、一度敵に回った相手には一切の容赦がないようだが、ここの侍従達やあの村人達の様子を見るに、味方に付ければ心強い人物である事は疑いようが無い事実だ。
 ならば、敵に回すのは得策ではない、と私は考えていた。

(ユライトの身体は保ってあと半年……時間は余り残されていないわね)

 ユライトは、ババルンの件もあって正木卿に対する警戒を解けない様子だが、私達には残念ながら時間が余り残されていない。
 特に幼い頃から病弱と診断されてきたユライトの身体は、今現在、かなり危険な状態にあった。
 彼は上手く自分の身体の事を隠している様子だが、私には分かる。今はまだ安定しているが、恐らくは後半年も保たないだろう。
 ユライトが駄目な時は、例え私一人になっても計画を遂行する覚悟があるが、正直言って今の状況ではそれも難しい。
 せめて、正木卿の協力が得られれば状況が好転する可能性はあるが、あの慎重な姿勢を示しているユライトがそれに賛成するかどうかは別問題だ。

「えっ?」
「へっ?」

 ジャブ、と水面が波立つ音がしてそちらを振り返ると、湯気の向こうに一人の男性の姿が見えた。
 そう、正木太老だ。互いに目が合い、予期せぬ状況に向こうも驚いた様子で、眼をパチリと開いては閉じるを繰り返す。

「あー、えっと……ごめん。出直してくる」
「待って!」

 気まずそうな顔をして、背を向けて立ち去ろうとする彼を私は慌てて呼び止めた。
 何故、そのような行動で出たのかは自分でも分からない。
 本来、私はユライトと違って表に顔を出してはいけない。知られてはいけないのだが自然と口が開き、彼を呼び止めていた。

「マサ……太老様。よろしければ、御一緒に如何ですか?」

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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