「うぅ……昨日は羽目を外しすぎたわ」
「カレンさん。これ、わしゅ……我が家直伝の二日酔いの薬です」
「ありがとう、剣士くん」

 剣士から受け取った薬湯を一気に飲み干すカレン。昨晩は夜通しで太老と宴会をしていたために、微妙にテンションがおかしかった。
 皇家の樹の実で作られた通称『神樹の酒』と呼ばれる幻の酒。市場に出回る事は殆ど無く、政府の高官や王族であっても滅多に口に出来ない貴重なお酒がそれだった。
 類似品や偽物も数多く出回っている有名な酒だが、例え本物が市場に流れたとしても一般人がおいそれと手の出る代物でもない。
 その昔、この酒がオークションに出品された時には惑星一個と同じ値段がついたと言う話もあるほどだ。
 それを一升瓶にして二つ≠焉A剣士がお世話になっていると言うだけで太老に御礼としてもらったカレンは、立場や任務も忘れて舞い上がった。その結果がこれだ。
 過去にあるツテを使って、ほんの少しだけ本物を口にした事があるカレンだったが、これほど沢山の神樹の酒を飲むのは生まれて初めての経験だった。
 大の酒好きである彼女が立場も忘れて舞い上がってしまうのも無理のない話だ。
 ある意味で太老の取った行動は、これ以上ないくらいカレンにとって嬉しく予想外の展開だった。

「それで、これからどうする気なんですか?」
「何が?」
「太老(にい)の事ですよ……。俺と太老兄を引き合わせて何を企んでるんですか?」
「あら? やっぱり気付いてた?」

 悪気の無い様子であっさりと白状するカレンを見て、剣士はため息を漏らす。
 剣士がその事に気付くであろう事も、カレンに取っては織り込み済みだったと言う訳だ。
 カレンだけの独断とは思えない剣士は、恐らくは背後に彼女の主人であるゴールドもいるのだろうとアタリをつけていた。
 だが、卓越したサバイバル技術と戦闘力を持つ剣士ではあったが、こうした駆け引きの部分ではゴールドやカレンが相手では分が悪い。
 一見、高い水準で完成されたような強さをみせる剣士だが、その能力に似合わない『迂闊』さも持っていた。そこが彼の長所であり唯一の欠点とも言える部分でもあった。

 それは本人の性格によるところが大きいだろうが、剣士はまだ十五歳の少年だ。
 戦闘力で剣士に敵う者は少ないだろうが、こと交渉事や策略面での駆け引きでは彼はまだまだ年相応の子供と言って差し支えが無かった。
 しかし、その不安定な部分がまた剣士の魅力の一つとも言える。カレン自身、打算があって剣士を保護した事は確かだが、それだけで彼と行動を共にしている訳ではない。剣士のその性格を好ましく思っていた。
 能力の高い人間や完璧すぎる人間は警戒され疎まれるものだが、剣士にはそう言った部分で敵が少ない。
 彼自身の憎めない性格や人当たりの良さも幸いしているのだろう。周囲に安堵感を与えるほっとするキャラクターと言う点では、剣士は太老に無い魅力を持っていた。
 その性格が災いして年上の女性の玩具にされがちなのだが、実のところ剣士はその事に全く気付いていなかった。

「話には聞いてたけど、良いお兄さんじゃない」

 と言いながら帰り際に太老が置いていった、もう一本の酒瓶に頬ずりするカレンを見て、剣士はまた一つ大きなため息を漏らす。
 今のカレンを見ると、どう言う意味での良いお兄さんなのか、剣士は正直カレンの本心を計りかねていた。
 確かに太老を知らない人にとっては、それなりに良い兄に見えなくもない。そんな事を考えながら、剣士は本日三つ目のため息を漏らした。

「それに彼……剣士くんと違って、そっちの方の駆け引きも随分と上手そうだしね」
「駆け引き……ですか?」
「私のペースに惑わされる事なく、さり気なく探りを入れてくる辺り、侮れないわね」
「……カレンさん、あれって演技だったんですか?」
「当然でしょ?」

 と言いながらも、昨日の宴会の様子を思い出して、とても演技だけとは思えない剣士。
 それに剣士には、昨日の太老の姿も特に変わった様子は無く普段通りにしか見えなかった。
 剣士からすると、地球での日々を思い出す昔懐かしい宴会が見られただけで、あれのどこにカレンの言う駆け引きがあったのか理解できない。
 しかし昨日の今日で藪をつついて蛇を出したくなかった剣士は、グッと言葉を呑み込んだ。太老関連の話題と言う事で躊躇したというのもあった。

「そう言えば、カレンさんが連れてきた女の人って、確かラシャラ様の従者の方ですよね?」
「ええ、剣士くんが助けたあの赤い聖機人のパイロットが彼女よ」
「うっ……。あれは咄嗟に身体が動いただけで……」
「助けた事を責めてるんじゃないわよ? 元々、私達の仕事はラシャラ様の護衛だし、それに――」

 ――お披露目には十分インパクトがあったでしょうしね
 と微笑みながら言葉を続けるカレンを見て、剣士はどう反応していいか困った表情を浮かべていた。





異世界の伝道師 第210話『太老の弟』
作者 193






「太老の弟じゃと!?」
「え、はい……」

 一方その頃、ラシャラの独立寮でもちょっとした騒ぎになっていた。
 キャイアの報告から太老の弟、剣士の存在を知ったラシャラが驚いた様子で声を上げる。無理もない。太老が異世界人だと知る人物は限られている。ここに居るラシャラもその一人だ。太老が異世界人だと知る者達からすれば、その弟が現れたなど信じられないような話だった。
 太老や水穂と言う前例があるとはいえ、貴重な異世界人がこうも簡単にホイホイと現れて驚かない訳がない。
 まさに異世界人のバーゲンセール状態。明らかに普通の召喚とは違っていた。
 以前の太老の話から推測して、異世界からこちらの世界に来る何らかの手段があるのだとラシャラは考える。そうでなければ、納得の行かない話だった。

「確かに太老の弟なのじゃな?」
「はい。太老様ご自身が仰っていたので間違いありません」

 ラシャラの左手の薬指に輝く、皇家の樹の指輪。この指輪を持っているのは極限られた人物だけだ。
 この指輪の一件で太老の口から『異世界人』だとちゃんと告げられたラシャラだったが、その事はラシャラにしても既に予想のついていた事なので特に驚きは無かった。
 太老や水穂の能力を考えれば、極自然な事。寧ろ、異世界人という言葉で一括りに出来ない二人だとラシャラは太老と水穂を評価している。
 その時の事に比べれば、今回の件の方が遥かにラシャラにとって驚きが大きかった。

 新たな異世界人の出現。以前のラシャラであったなら、放って置かないような儲け話だったはずだ。
 しかし今のラシャラには、異世界人と言うだけで飛びつかない理由があった。
 極上の異世界人とも言うべき太老と水穂の二人を見ているラシャラからしてみれば、ただの異世界人など注目するに値しない。
 だが、今回ラシャラが驚いたのは少年の『異世界人』と言う肩書きよりも、『太老の弟』と言う剣士の立ち位置だった。

(太老の弟と言う事は、我の弟も同然!)

 自分と太老が結婚すれば、必然的に剣士が義弟になると考えたラシャラの顔付きが変わる。
 ここで出て来た相手が妹や姉、女性であったなら反応も違っていただろうが、今回はそうした憂いが一切ない男だ。
 戴冠式でフローラが言った太老との結婚権の話もある。婚約者と言う立場にあるとはいえ、年齢の事などを考えれば安心は出来ない。
 ライバルに差をつけたいと考えている者達にとって、剣士の存在は格好の的だった。

 ――将を射んとせばまず馬を射よ

 という異世界の言葉にあるように、まずは少しでも有利に事を進められるように足場を固めたいと考えるのが普通。
 だが、メイド隊の侍従達はああ見えて太老絡みの事になると融通が利かない上、ガードが堅い事をラシャラは知っている。
 それ以外に協力を求めようにも太老の周囲は基本的に女性が多いため、味方として引き込むのは難しい相手が多い。
 利用しているつもりでいて逆に利用されていた、と言った事になりかねない危険人物ばかりだ。

「こうしてはおれん! マリアにだけは出遅れる訳にはいかん!」
「あの、ラシャラ様……。私に何かお話があったのでは……」
「それどころではないわ! キャイア、御主も協力するのじゃぞ!」
「え、ええ!?」

 その点、剣士は男で『弟のような存在』と太老に最も近しい位置に居る。
 剣士を取り込む事は太老を攻略する上で有効な手札になる、とラシャラが考えるのは極自然な流れだった。





【Side:太老】

「お兄様! 聞きましたわよ!」
「へ?」

 書斎で昨日休んだ分の書類仕事を片付けていると、勢いよく扉を開け放ちマリアが飛び込んできた。

「何の話だ?」
「お兄様のご兄弟の事です!」
「ああ、剣士の事か」

 恐らくは昨日一緒にいた侍従の誰かに話を聞いたのだろうと察した。
 特に口止めしていた訳では無いので、マリアに報告が行ってもなんら不思議な話ではない。
 昼食の時、マリエルは何も言わなかったが、恐らくは彼女にも報告は行っているはずだ。
 この調子なら特に俺から連絡をしなくても、伝言ゲームの要領で直ぐにハヴォニワに居る水穂の耳にも届くだろう。

「そのような重要な話、どうして私に教えてくださらなかったのですか!?」
「いや、俺も知ったのは昨日だし……。それに重要って……」

 剣士に会えたのが嬉しくない訳ではないが、実のところそれほど大騒ぎするほどのニュースとも考えていなかった。
 俺、水穂に続いて三人目となると、さすがに目新しさも感じられない。
 それに俺からしてみれば、剣士がいつかはこの世界に来るであろう事は織り込み済みだった。
 鬼姫や鷲羽(マッド)辺りがきたのなら慌てて対策を練っているところだが、相手が剣士なら害もないし慌てる必要もない。

「私にとっては重要な事です。それに、キャイアさんとは御一緒だったと聞きましたが?」
「ああ、カレンさんに誘われたみたいだな。俺も驚いたよ」
「カレンさん?」
「剣士がお世話になってる人だよ。気さくなお姉さんって感じの人だったな」

 話も合うし、今までにあった年上の女性の中では親しみやすく話しやすいタイプの女性だった。
 挨拶に出向いたのは半分は興味本位だったのだが、どんな人か確かめたいというのも本音にはあった。
 その点でいえば、剣士も良い人に拾われたようで一安心と言ったところだ。

「とにかく! お兄様の弟であれば、私にとって家族も同然です!」

 そう言われてみると、確かにマリアと剣士は妙な共通点があった。
 幼い頃から一緒に育ち、本当の弟のような存在の剣士。同じく家族同然の付き合いをしている妹のような存在のマリア。
 まあ、確かにマリアには俺の口から説明するべきだったかもしれない。
 何の心構えも無しに、剣士の話を侍従から聞かされれば驚きもするだろう。今の態度にも納得が行った。

「当然、紹介してくださいますわよね?」
「そうだな。これから学院で顔を合わす事もあるだろうし……」

 昨日、再会の祝杯を交わしたところだが、ここは剣士の紹介を兼ねて大々的にパーティーでも企画するかと考えた。
 闘技場が予定よりも早く復旧して、確か支部の方で打ち上げパーティーが企画されていたはずだ。
 どうせなら全員に紹介して置いた方がいいだろうし、その席を利用させてもらうか、とマリアに話を振ると――

「それなら、私にお任せください! 直ぐに手配を致しますわ!」

 と言うので、話を振って置いて悪いが仕事も残っているし、遠慮無くマリアを頼らせてもらう事にした。
 この手の準備はマリアやマリエルに一任した方が早く済む。まあ、剣士には後で俺から連絡しておけば良いだろう。

「お兄様の弟であれば、私にとっても弟同然!」
「いや、剣士の方が年上だから……」

 というツッコミは既にマリアの耳に届いていなかった。


   ◆


「あれ? ドール、どこかに出掛けるのか?」

 一仕事終え、休憩がてら居間に足を運ぶと、大きなリュックに食べ物を詰めている制服姿のドールを見つけた。
 これから冬籠もりでもするつもりか? と訊きたくなるほどの大量の食糧を背負い何処に行こうとしているのか非常に気になる。
 それでなくても、先日無断外泊をしたばかりだ。心配するのは当然の事だった。

「三日ほど家に戻ってくるわ」
「家に?」

 その話を聞いて、ピンときた。家の人と仲直り出来たのかもしれないと。
 例え、関係が良好とは言えなかったとしても、自分から『家に帰る』と言い始めたのは良い傾向だ。
 家族と向き合わず逃げてばかりでは物事は一向に解決しない。
 俺も協力してやりたいが、そこはドールの問題だ。彼女自身にその気が無ければ意味が無かった。

(少しは前向きになってきたって事かな?)

 家出をして少しすっきりしたのかもしれないし、無断外泊をして叱られたのが堪えたのかもしれない。
 何にせよ、いつもやる気が無さそうにしているドールが、食べ物以外で自ら率先して行動を起こそうとしている事が俺は嬉しかった。

「ドール。部屋はそのままにしとくから、いつでも遊びに来いよ。ここはお前の家でもあるんだしな」
「……言われなくても直ぐに戻ってくるわよ」

 まだ食べてない料理が沢山あるし、なんて呟きながら背丈に似合わない大きなリュックを背負い、寮を後にするドール。
 何にせよ、初めて会った時に比べれば表情も柔らかくなった感じがするし、性格の方も親しみやすくなった気がする。
 メイドの仕事を通じて屋敷の侍従達とも上手くやれているようだし、シンシアもドールによく懐いていた。
 やはり少し素行が悪いだけで、根は優しくて良い子なのだと思う。後は家庭の問題が良い方に向かう事を祈るばかりだった。

「太老様、よろしかったのですか?」
「マリエル?」
「いえ、彼女をそのまま帰してしまって……」
「後は彼女自身の問題さ。それに、『直ぐに戻ってくる』って本人も言ってただろう?」
「……はい。太老様がそう仰るのでしたら、私からは何も言う事はありません」

 マリエルもドールの家庭の事情を心配して言ってくれているのだろうが、ここで俺達が出て行っても良い結果に結びつくとは思えない。
 ドールが自分で助けを求めてきたなら話は別だが、そうでないならドールを信じて見守ってやるのが一番だと考えていた。

「きっと太老様のお気持ちは彼女に伝わっていると思います」
「だと、良いんだけどね」

 俺だけじゃない。マリエルを始め、ここには腹ペコの家出娘を心配してくれるお人好しが沢山居る。
 特に見返りを求めてやっている訳ではないが、マリエルの言うように少しでもドールにその事が伝わっていればいいなと思った。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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