皇族や大貴族、それに投票で選出された者によって聖地の生徒会は運営されている。
 生徒会とは学院長に次ぐ権限を持っており、実質的に各国の代表として学院の運営に関わっていると言っても過言では無い。
 以前に学院長が教師の纏め役、ハンナが職員のリーダーと話をしたと思うが、生徒会とは言ってみれば聖地に出資している国々の代弁者とも言えた。

「それでは皆さんの自己紹介が終わったところで、本日の議題に入りたいと思います」

 生徒会長にして現教皇の孫娘『リチア・ポ・チーナ』の澄んだ声が、生徒会室の一角に設けられた会議室に響く。
 聖地は中立緩衝地帯。その運営には教会だけでなく各国の意見も取り入れられる。そのための会議を行うのが、この生徒会の役割だ。
 それに将来、国の重責を背負う立場にある子息女達の経験として役立てるため、重要な役割を任せているという側面もあった
 学院の運営に関わる事で、為政者に必要とされる知識や経験など様々な事を学ぶ機会とする訳だ。普通の生徒と彼女達が大きく違う理由はそこにある。

「次に、本年度の予算計画書についてですが――」

 リチアの司会進行で滞りなく進んで行く会議。生徒会の運営費は、小さな国の国家予算にも匹敵する額だと言われている。
 それほどの額を前にしても、生徒会の役員は誰一人動じる事無くリチアの話に耳を傾けていた。
 ただ一人を除いては――

(アホか!? なんで、生徒会の予算にこんな金額が必要なんだ!?)

 この数百倍。小国どころか、今や大国が傾くほどの金を動かしている大商会の代表とも思えない反応だ。
 根っからの小市民感覚が未だに抜けきらない太老からしてみれば、生徒会の予算計画書として渡された資料に載っていた数字は信じられないようなものだった。
 この学院にきてからというもの一般常識と懸け離れた、そのスケールの大きさに驚いてばかりの太老。
 これが学院全体の年間予算と言われればまだ分かるが、生徒会に当てられた運営費というのだから驚かずにはいられない。
 貴族の義務だと言われてマリアに連れられて生徒会入りをした太老だったが、さすがにこの展開は予想もしていなかった。

「俺も生徒会役員をした事はあるけど、さすがにここまで酷いのは初めての経験だ……」
「酷い?」

 生徒会の仕事と聞いて、前世からの記憶や中学時代に役員をやっていた経験から軽い気持ちで大丈夫だろうと考えていた太老。
 だが想像していた物と余りに懸け離れた現実に、思わず本音が漏れる。その言葉に反応したのはリチアだった。

「太老さんは生徒会の執務経験がお有りなのですか?」
「え?」

 私語を挟む者など誰一人居ない静かな会議室で、そんな独り言をいえば、注目を浴びるのは当然だった。
 今年度の予算計画書をさらっと見ただけで、『酷い』と言われれば気にならないはずがない。
 例年の計画書と比べても穴など見当たらない。何の問題もない出来だとリチアは自信を持っていた。
 それを一言で否定されたのだ。

「まあ、一応……。前の学校では副会長をやってたんで」

 リチアの目が見開き、周囲から驚きの声が上がる。副会長という言葉は、ここに居るメンバーを驚かさせるのに十分な破壊力を秘めていた。
 確かに前世や、そして正木太老として生まれ変わってからも、太老は生徒会の副会長を務めていた経験がある。
 だが、太老の知る生徒会とこの学院の生徒会では、規模も権限も必要とされる役割も大きく違っていた。
 この学院の副会長といえば生徒会長に次ぐ権限を持ち、ただの補佐役に留まらず時には教会や各国との交渉、意見調整を行う事がある重要な役職だ。行事の際には先頭に立って指示を飛ばす、実行委員達の実質的なトップとも言える。
 更に言えば、ここ数年は生徒会長が副会長の仕事を兼任している状態で要求される実務的なレベルの高さから、なり手が居ないというのが現実だった。

「なるほど……。それで……」

 先程、太老が一目見て、この予算計画書を『酷い』と評価したのも、その経験から来るものだとリチアは察した。
 事実、太老は大商会の代表を務めるような人物だ。生徒会長とはいえ、まだ実務経験が乏しい自分とではあらゆる点で比較にすらならない。
 自分には分からない欠点がこの予算計画書にはあるのだと、そう、リチアは考えた。

(確かに……。これが他の生徒の言葉ならともかく、太老さんなら或いは……)

 副会長という役職は生徒会長と同じく、誰でも成れると言う訳では無い。
 通常であれば、学院の成績や生徒会での実績を見て選出されるが、それでも選ばれない年があるほど難しい役職だ。
 ここに集まっているメンバーは全員、幼い頃から英才教育を施されてはいるが何れも経験が足りていない。それは生徒会長のリチアも同じだ。
 一代で大商会を築き、革命まで成し遂げた人物に意見できる者など、この中に居るはずもなかった。

「お兄様なら全く問題がないと思いますわ」
「うむ。我も太老なら異論はないぞ。寧ろ、これ以上の適役はおるまい」
「他の皆さんも異論はなさそうですね。では、折角の申し出。太老さんには今年度の副会長をお願いします」
「…………え?」

 太老の副会長就任を祝い、盛大に鳴り響く拍手。周りと太老の間で、大きな認識の齟齬が見られた。





異世界の伝道師 第221話『副会長就任』
作者 193






「お疲れ様です。リチア様」
「ありがとう、ラピス」

 ラピスの淹れた紅茶を口にし、ほっと安堵のため息を漏らすリチア。
 午前の授業には生徒会の議事で出られなかった事もあり、そのまま生徒会室で昼食を兼ねて休憩を取っていた。
 元々、皇族や貴族は幼い頃から英才教育を施されているとあって、成績で心配となるような生徒は少ない。生徒会の役員ともなれば尚の事だ。

 ――生徒会の議事は全てに置いて優先する

 それがこの学院の常識であり、教師も承知しているルールだ。
 生徒会は授業よりも優先される。それほどに生徒会の仕事とは、重要な役割を持っていた。

 聖地に出資している国々からしてみれば、この生徒会が唯一聖地に意見する事が出来る窓口とも言える。
 勿論、聖地の運営に口を挟むようなことは滅多に無いが、それぞれの国の利益と思惑によって動かざるを得ない事もある。
 そうした時に聖地に働きかける手段の一つとして、この生徒会はその役割を果たしてきた。
 生徒会役員の子息女達が『国の代表』と呼ばれているのも、そのためだ。故に基本的に皇族や大貴族以外は生徒会入りする事は出来ない。
 形式上は生徒によって選出された者も生徒会入りする事は出来るようになっているが、そこには目に見えるカタチでの身分の差が存在していた。

「え? 太老様が副会長に立候補されたのですか?」
「ええ、まさか生徒会に入会した初日にあのような事を言うなんて、本当に驚かされたわ」
「太老様はお優しいですから……。きっと、リチア様の身体の事を心配して……」
「そうね。それもあるのでしょうが、彼の狙いはきっと――」

 先程、生徒会が国の代表と述べたと思うが、その下には出身地ごとのグループが存在し、そのグループの実務を取り仕切る代表者――実行委員を彼女達はそれぞれ抱えていた。ラピスもその一人だ。
 リチアの従者にして、生徒会長直属の実行委員。生徒会が国会議員なら、彼女達実行委員は地方議員。
 出身地ごとの人員や名簿の管理、学院の行事や生徒会の催し物の手配、生徒同士のトラブルなどを解決するのが主な役割だ。
 生徒会の手足となって雑務をこなす――生徒達の憧れ、一見華やかに見える生徒会の裏を担っているのが彼女達、実行委員だった。

 ただ実行委員は他の生徒会役員と違い、王侯貴族と言う訳ではない。ただの女生徒だ。
 立場を公にすれば、騒ぎになるのは明白。生徒会役員というのはそれほどのステータスを持ち、生徒達の憧れの的と言える象徴的存在だった。
 最悪の場合、妬みによる決闘なんて事態も十分に考えられる。そうした事態にならないように配慮して、実行委員の正体は秘匿されていた。
 ラピスに関してもリチアの従者と言う事は知れ渡っているが、生徒会の実行委員を兼任している事は秘密となっている。
 そしてそれを詮索する事も、この学院ではタブーとされていた。

 そんなラピスに会議での事を話して聞かせるリチア。半分はプライベート、もう半分は生徒会の仕事を考慮しての事だった。
 太老が副会長に就任した以上、今まで以上に実行委員を務めているラピスも太老と顔を合わせる機会が多くなる。
 副会長とは、生徒会長に代わって実務レベルのあらゆる執務を遂行する立場にある重要な役職。実行委員と接する機会が一番多い。
 本来、生徒会役員は他国の実行委員と顔を合わせるような事は無い。しかし学院や生徒会の仕事を任せられている以上、他のグループとの交流を全く持たないと言うのは現実的に不可能だ。
 だからと言って役員がでれば、どの国が主導権を持つかといった事で揉める事態にもなりかねない。そこで公平な立場で彼女達に指示を出せる纏め役が必要だった。それが生徒会副会長の主な役割だ。
 生徒会長が表の顔なら、副会長は裏の顔。それ故に要求される能力は非常に高い物となる。生半可な者に務まる仕事では無かった。

「生徒会の副会長という立場は確かに大変ではあるけど、それを理由にすれば各国との交渉もやり易くなるわ」
「例の連盟の話ですか?」
「ええ、公に動けば教会を刺激し、どんな横槍を入れられるか分からない。でも生徒会業務としてなら、教会も口を出す事が出来ないわ」
「だから、太老様は……」
「自分から副会長に立候補した、と考えるのが妥当でしょうね。堂々と各国との関係を築くために……」

 確かに理に適った方法だと、ラピスはリチアの話を聞いて感心した。
 言葉にするのは簡単だが、それは副会長の仕事を全うする自信が無ければ出来ない事でもある。
 生徒会の役職すら手段の一つとしてしまう手腕に、改めて太老が他の生徒とは違うのだと実感するラピスだった。

「ですが、そこまで分かっているなら何故了承されたのですか? それではリチア様の立場が……」
「借りを少しでも返したかっただけよ。それに反対意見はゼロ。実績、能力、全てに置いて彼以上に相応しい人物はいない。生徒達のためにも正しい判断をしたと思っているわ」

 リチアの教会での立場が悪くなるのではないか、と心配したラピスだったが、それは杞憂に過ぎなかったと自分の考えを改める。
 その程度の事、リチアが分かっていないはずがない。それを承知の上でだした結論であれば、従者が口を挟むような話では無い。
 聖地に居る間は、リチアも教皇の孫娘である前に学院の生徒だ。
 生徒会長として正しい判断をしたと確信を持って話すリチアを見て、ラピスは自然と笑顔を浮かべていた。

「でも、楽しみね」
「楽しみですか?」
「ええ、私の作った予算計画書を一目見て『酷い』と評価した彼が、どんな計画書をだしてくるのか?」
「あはは……リチア様、根に持ってらしたんですね」

 先程、リチアが話して聞かせてくれた会議の様子を思い出し、ラピスは冷や汗を流す。
 教会の公務で忙しい中、生徒会の執務を疎かには出来ないと、あの計画書を毎晩遅くまでリチアが作っていた事をラピスは知っている。
 彼女もリチアの手伝いを行っていたからだ。その計画書を『酷い』の一言で切り捨てられて、悔しくないはずがなかった。

「正直な感想を言っただけよ。ここの生徒とは違い、政治と経済――その第一線で活躍する手腕。悔しいけど、今の私じゃ彼の足元にも及ばないわ……」

 これが他の生徒ならともかく、太老がそのように評価したからには何か理由があるのだとリチアは考えていた。
 それを知りたくて、副会長の最初の仕事として生徒会の予算計画書の作成を依頼したのだ。
 太老なら、きっと自分では考えも付かないような内容を提出してくるに違いない。そうした期待がリチアにはあった。

「こんな機会は滅多にあるものじゃないわ。確りと勉強させてもらいましょう」
「はい」

 太老が一代で築いた商会を、この短期間であそこまで大きくする事が出来た理由。その発想の源を知りたい。
 これまで数々の改革を成し遂げてきたその手腕を、自分の眼で確かめて見たいという思惑がリチアの中にはあった。


   ◆


「マサキ卿が副会長か。それで反対もせず、一言も話さなかったのか?」
「話すような事は何も無い。それに反対する理由も無い」
「素直じゃ無いね」
「全くだ」

 ダグマイアの話を聞いて、素直じゃ無いと評価するアランとニール。
 ダグマイアが生理的に受け付けないまでも、太老の実力を認めている事だけは二人にも分かっていた。

 三人が話をしているのは、上級生校舎にある遊興室。ルーレットやチェスに似た様々な遊び道具が部屋の至るところに見受けられる。
 学院の施設は生徒数に比べて広大なため、余り使われていない施設も多い。太老が無駄に広いと言った理由の一つもここにある。
 そうした施設を利用し、男子生徒達はお気に入りの場所を見つけ、その場所を自分達専用のテリトリーとして勝手気ままに使っていた。
 ここはダグマイアやアラン達が集まって話をする時に使っている部屋の一つだ。

 今日、新学期初めての生徒会の定例会議があると聞いていたアランとニールは、生徒会に在籍している友人の事を心配してここに来ていた。
 生徒会に在籍している友人とは――勿論、ダグマイアの事だ。
 代々シトレイユ皇国に仕える聖機工の家系で、現当主は先皇の信頼を得て宰相にまで上り詰めた政治家。そのメスト家の嫡子。
 シトレイユでは実質的に皇族の次に大きな勢力を持つ家だ。家柄は申し分無く、生徒会に在籍する権利を彼は十分に有していた。
 例え親の七光りであろうと、ダグマイアが名門の出である事に変わりはない。
 聖武会の一件で影で噂をする者はいても、直接彼に何かを言ってくる者が居ないのは、そうした事情があるからだ。

「そう言えば、ニールは彼と同じ学科だったな。どうだい? 彼は――」
「どうも何も……噂通り、いやそれ以上と言うのが正直な感想だった」
「へえ……」

 実際に聖武会で戦った事のあるアランだったが、アレはそもそも戦いとすら呼べる物では無かった。
 聖機師としての実力は疑いようが無い。なら、他の部分ではどうかとニールに尋ねたアランだったが、普段余り人を褒めようとしないニールが太老の事を高く評価している事に驚きを覚えた。
 ニールの人を見る目は、アランも信頼していた。だからこそ、こんな質問を投げ掛けたとも言える。

「突然、講義を始めた時には驚いたが、その知識には驚かされた。正木商会が教会を凌駕する技術力を有しているというのは真実だろう」
「例の技術開示の話は本当だったのか。また、思いきった事をするもんだ」

 ニールの話を聞いて、アランが驚くのも無理はない。
 商会の技術力が例え教会より上だとしても、それほどの技術を惜しげもなく公開するなど普通であれば考えられないような話だからだ。
 しかし太老はそれを行った。哲学科に受講希望者が殺到しているというのも、それを考えれば十分に頷ける話だ。

「それが奴の手口だ。哲学科の件や、そして今回の生徒会の件も――結果を得るための布石に過ぎないのだろう」

 言葉にするのは容易いが、それがどれほど難しい事かダグマイアにも分かっていた。
 生徒会の会議で一言も発しなかったのは、何も言わなかったのではなく何も言えなかったのだ。
 太老から逃げるように会議室を後にしたのも、今のままの自分では相手にすらならないと悟っていたからに他ならない。

 たった一言で、場を支配してしまった圧倒的な存在感。各国の皇族、大貴族を前にしても一歩も退かず動じない度胸。
 父の背をずっと見続けてきたダグマイアには、太老の実力と器の大きさがそれだけで分かってしまった。
 ババルンにも引けを取らない政治力と手腕。あの駆け引きの上手さは生まれ持っての才能だ。
 聖機師として有能なだけでなく、政治家としても第一線で活躍出来るほどの優秀な力を持つ太老の才能に、ダグマイアは嫉妬さえ覚えていた。

 為政者に必要な本物の資質。太老は、ダグマイアがずっと追い求めてきた資質の全てを備えている理想の人物だった。
 最も嫌悪している相手が理想と重なるという矛盾にダグマイアは葛藤する。
 だからこそ、正木太老という大きな壁を越えたい。ダグマイアはそう考えていた。

「ダグマイアの気持ちは分からないでもないけどね。でも、彼は余りに規格外すぎる」
「それは俺もアランと同意見だ。歴史上の人物と比べても、彼は異常だ」
「それでも、俺は奴に勝たなければならない。俺自身の手で、どんな手を使っても……」

 友人二人が心配をしていってくれている事くらいは、ダグマイアにも分かっていた。
 それでも太老が自身の理想と重なっていると悟った今、太老と馴れ合うような真似はダグマイアには出来ない。
 父に認められるためにも、理想を現実にするためにも、自分の限界がこの程度だと認める訳にはいかなかった。

「なら、これ以上は止めない。俺は親友として、キミの理想に協力するよ。ダグマイア」
「俺もだ。それに後から出て来て、全てを持って行かれるというのは癪だ。彼に一泡吹かせてやりたい」
「アラン、ニール……」

 友人二人の申し出に、心から感謝するダグマイア。
 相手は強大だが、この三人ならきっとやれる。ダグマイアはそう心の中で呟き、覚悟を固める。
 周りの取り巻きが離れていく中で、この二人だけはダグマイアを裏切る事なく最後まで残った本物の親友だった。

「それにチャンスかもしれないよ」
「チャンス?」

 アランの話に疑問の声を上げるダグマイア。それもそのはず、状況は最悪だ。
 あの一件以来ダグマイアの評判は悪く、折角集めた思想集団も機能しなくなっている。
 たった三人で、この状況を好転させるのは並大抵のやり方では難しい。だが、アランはチャンスだと言った。

「キミが作った思想集団(グループ)はリーダーを失い、今やバラバラの状態だ。そして一部のバカな生徒が早まった行動を取ろうとしている」
「なるほど、そう言う事か……」

 下級生の男子生徒が太老の関係者にちょっかいをだそうとしている話は、アランの耳にも届いていた。
 男子寮で大声を上げ、周囲の目も気にせずに剣士やセレスの所為だと喚き立てていたからだ。
 そんな連中の杜撰な計画が上手く行くはずもない。そこにつけ込む隙がある――とアランの話を聞いてダグマイアも気付いた。





 ……TO BE CONTINUED



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