マジェンタ付近にあるミラノ屈指の高級住宅街の外れ、一際目を引く広い敷地に歴史を臭わせる石造りの古い洋館があった。
 ブランデッリ家の邸宅だ。太老はエリカに招かれ彼女の家族に挨拶をするため、ここブランデッリ家を訪れていた。

「お初にお目にかかります。『赤銅黒十字』総帥パオロ・ブランデッリです」
「これは、ご丁寧にどうも。正木太老です」

 名刺交換をするビジネスマンのように頭を下げ、太老はパオロと挨拶を交わす。
 想像していたよりもずっと若い太老の姿に、パオロは少し驚いた様子を見せた。
 見た目で判断するつもりはない。しかしサルバトーレ・ドニに勝利し、二柱のまつろわぬ神を倒した人物にしては余りに若い。
 歳の頃は二十前後と言ったところか? パッと見た感じは、どこにでもいる東洋人の青年にしか見えない。
 顔はそれなりに整っているが、悪く言えば冴えない。掴み所がないと言う点では、ドニに近いものをパオロは太老に感じた。

(いかんな。常識で囚われてはならぬ相手だというのに……)

 カンピオーネという埒外な存在をよく知るパオロから見て太老は、羊の皮を被った狼にしか見えない。
 どれほどの達人であろうと、人の身で魔王たるドニに勝てる人間など居るはずもないのだ。
 それだけで太老が普通の人間≠ナないことは誰の目にも明らかだった。

「ブランデッリっていうとエリカの……」
「はい。エリカ・ブランデッリは私の姪です。この度は我が姪の命を救って頂き、感謝の言葉もありません。このご恩は我が名と誇りにかけて必ずやお返ししますので、ミラノにご滞在の間は当家で寛いで頂きたく存じます」
「いえ、こちらこそお世話になります。それで、エリカのことなのですが……」

 やはり来たか――と言った様子でパオロは僅かに身を強張らせる。
 あの後、サルデーニャに現れたまつろわぬ神を太老が倒したことを、エリカからパオロは聞き出した。
 その際、生と死の境を彷徨っていたエリカの命を太老が救ったことも聞き、こう言う展開になることをパオロは予想していた。
 大切な姪の命を救ってもらったのだ。対価を求められれば、パオロは可能な限り太老の要求に応じるつもりでいた。

「すみませんでした!」
「……は?」

 直立不動で九十度頭を下げ、突然謝罪を始めた太老を前にパオロは戸惑いを見せる。

「エリカから事情は聞いていると思いますが、そのことで彼女を傷物にしてしまいました」

 傷物とはなんのことだ? と困惑を見せるパオロ。こんな風にパオロが動揺する姿は、エリカも見たことがないはずだ。
 太老にこうして頭を下げられる理由が、彼にはまったく思い当たらなかった。
 そもそも自分達が『王』と崇められる人物から頭を下げられるというのは、パオロからすれば居心地が悪い。

「この責任は必ず取ります! だから、どうか許してください!」

 ハッとパオロは何かに気付いた様子で目を見開く。
 エリカの様子がおかしかったことと『傷物』や『責任』の言葉から、ようやくパオロのなかで不思議に思っていたことが一本の線に繋がった。
 許してもらえないかというのは、エリカとの仲を許して欲しいという挨拶(メッセージ)なのだとパオロは太老の言葉の意図を理解し、そっと瞼を閉じた。

(よもや、こんなにも早くこの日が来ようとは……)

 エリカの両親が亡くなり、ずっと親代わりにエリカを育ててきたパオロにとって、来るべき日がきたかといった父親の心境を味わう。
 しかし、まさかカンピオーネに許しを請われる日が来るとは――とパオロは苦笑する。
 その気になれば、奪っていけばいいだけの話だ。『魔王』と呼ばれる者には、それだけの力がある。
 それに親代わりとは言っても、パオロはエリカの実の親ではない。こうして律儀に挨拶をする必要はないのだ。
 なのに、そうしたということは太老が筋を通そうとしてくれていることが、パオロには伝わった。

(彼が日本人だからか……。いや、これは彼の性格なのだろうな)

 こうして王に頭を下げられたとあっては断ることも出来ない。
 それに、この王にならエリカのことを任せても構わないと思うくらいには、パオロは太老のことが気に入った。
 太老の真っ直ぐな姿に、騎士に通じるものを感じ取ったからだろう。
 密かに行われたブランデッリ家当主と七人目の王の会談は、こうして静かに幕を閉じた。





異世界の伝道師外伝/新約・異界の魔王 第4話『挨拶と謝罪』
作者 193






(エリカの叔父さん凄みがあったよな。でも良い人そうだし、許してもらえて本当によかった)

 イタリアの魔術結社と言えばマフィアのようなものだと桜花に教わり、太老はパオロとの対談に応じたのだ。
 殺されるかもしれないと思い、最悪の場合は桜花を連れて逃げる算段まで太老は考えていた。
 それが話してみれば意外と話のわかる紳士的な男性だったので、太老からすれば嬉しい誤算だった。
 下手に誤魔化さず、ちゃんと謝罪したことがよかったのだろうと太老は妙な方向に勘違いしていた。

「よう、王様」
「いや、王様じゃないって何度も説明してると思うんだけど」
「またまた、聞いてるぜ。サルバトーレ卿だけでなく、まつろわぬ神も倒したんだろう?」
「倒したかどうかで言えば、倒したことになるんだろうけど……」

 頭を掻きながら「あれ事故だしな」と呟く太老を見て、ガンツは「今度の王様は謙虚だな」と豪快な笑みを浮かべる。
 太老がミラノに滞在を決めて五日目。ここでの生活も少しずつ慣れてきた頃だ。
 太老がどこの誰であろうと特別扱いなどせず、逆に日本のことを色々と尋ねてくるガンツは太老にとって親しみやすい話し相手となっていた。

「王様から借りたアニメ。全部見させてもらったぜ」
「もうか? 早いな。それでどうだった?」
「ああ、あれは凄いな。俺も驚きを隠せなかった」

 お洒落なオフィス通りのオープンカフェで怪しげなやり取りをする二人。
 二人が話しているのは日本語なので、日本人もしくは日本語に堪能な外国人でも通り掛からなければ誰かに聞かれる心配もない。それだけに堂々とした様子で二人は、日本のアニメ談議に花を咲かせていた。

「魔法とは魔砲だったんだな! あの発想はなかったぜ!」

 太老から借りた魔法少女アニメに痛く感動した様子で饒舌に話すガンツ。
 こうして日本のアニメについて熱く語ることが出来たのは、彼にとっても太老が初めての相手だった。
 今では太老のことを『師匠』と呼ぶほどに、以前にも増してガンツは日本アニメに嵌まっていた。
 主に視聴するのは魔法少女物ではあるが、そこがガンツらしいと言うべきか、太老と気が合うのもそこだろう。

「大の男が二人揃って、こんな人通りの多い場所で何をやっているのかしら?」
「おっ、姫じゃないか。どうだ? 一緒に魔法少女について熱く語り合わないか?」
「合わないよ……。太老もよくこの人の話についていけるわね。正直、感心するわ」
「昔取った杵柄って奴だな」

 太老の過去は気になるが、エリカもそこは深く追求する気にはなれなかった。
 適応力が高いというか、エリカから見て太老はカンピオーネとは思えないほど社交性に長けた人物と言えた。
 今や『赤銅黒十字』に所属する人間で、太老のことを悪く言う者は一人としていない。しかも、あのパオロにまで気に入られていると言うのだから驚きだ。パオロがエリカに向かって、『素晴らしい男性と巡り逢えたな』と口にするほどの人物。その話を聞いた皆からも祝福され、エリカからすれば何がどうなってそういう話になったのか不思議でならなかった。
 サルバトーレ・ドニを盟主と仰いでいるからには、組織としては太老に余り肩入れするわけにはいかない事情もある。しかし、そんな危険を冒してまでパオロは可能な限り太老に便宜を図ることを約束していた。その時点で、既におかしい。どうすれば、そこまであの叔父の信頼を得られるのか、エリカにはわからない。最初は太老のためにどうやって組織の協力を得ようかと画策していたくらいなのに、そのエリカの苦労も大して意味はなかった。
 太老は人を惹きつける才に秀でている。それは神話に登場する『英雄』に勝るとも劣らないカリスマと言っていい。
 まさに『王』の資質と言うべきものを、エリカは太老から感じ取っていた。

「ガンツ。クラレンスが捜していたわよ?」
「あっ、しまった! そう言えば、今日だったな。お、怒ってたか?」
「ええ、早く行った方がいいでしょうね」
「くっ……悪い王様。話の続きは帰ってからってことで」
「どこか行くのか?」
「ああ、ちょっくら出張することになってな。なんでも北アフリカで出土したって神器が――」
「ガンツ」

 エリカに睨まれ、口が滑ったとばかりにバツの悪そうな顔を浮かべるガンツ。

「おっと悪い。一応、機密なんだわ。悪いね、王様」
「いや、いいよ。気にしないでくれ。気を付けて行って来いよ」
「ああ、お土産は期待しといてくれ」

 ガンツが立ち去ったのを確認すると、エリカは困った顔でため息を漏らした。
 相手が太老だからまだよかったものの、任務の内容を漏らすなど騎士としての自覚があるのか疑わしいものだ。
 しかしそれだけ太老のことを信頼し、心を許しているということだろうとエリカは思うことにした。

「ガンツとは随分と仲が良いのね」
「男同士だしな。色々と話が合う部分もあるし」

 そう言う意味で訊いたわけではないのだが、話をはぐらかされた気がしてエリカは少しムッとした。
 しかしそれを表情に出さないのは、騎士としての矜持というより女の意地が強かった。
 男に嫉妬していると思われるのも悔しいし、ここで素直になるのも負けた気がして嫌だった。

「そう言えば、『紅き悪魔』を襲名したんだってな。おめでとう」
「あら? ガンツから聞いたの?」
「ああ、ちょっと悔しがってた」
「でしょうね」

 昨日、エリカはパオロに呼び出され、正式に『紅き悪魔』の名を継ぐことになった。
 ガンツとは筆頭騎士の座を競っていただけに、彼が悔しがる気持ちはエリカもわかる。それにエリカが選ばれたのは、やはり太老との関係を考慮した結果だ。その結果に不満がないと言えば嘘になるが、組織のためを考えて政治的な判断を叔父が下したことはエリカも理解していた。
 組織としては太老を表立って支持は出来ないが、やはり繋がりは維持したい。そこでエリカを太老の傍に置き『赤銅黒十字』の名を売り込むことで、他の組織に先んじて太老との関係を強固なものにしようと考えたのだ。それにパオロ自身、太老のことを気に入っていることも理由として大きかった。
 エリカの立場も考えての決断だろう。このまま太老との仲に反対してエリカを組織から放逐するよりは、二人の仲を認めて『紅き悪魔』の名を与えることでエリカを余計な干渉から守ろうとするパオロの親心もそこにはあった。

(叔父様には感謝しないとね)

 エリカもそんなパオロの想いに気付いていた。
 黙って『紅き悪魔』の名を継ぐことを決めたのは、パオロの気持ちを察してのことだ。

「太老、これからどうするつもりなの?」
「どうするって?」
「何か目的があるって言ってたでしょ?」
「ああ、そのことか。今のところは特に何かをするつもりはないよ。船の修理もあるしな。まあ、情報収集は続けるつもりだけど」

 太老の話を聞いて、納得した様子で頷くエリカ。一番の不安はこのまま太老がどこかへ消えてしまうことだった。
 もし、そうなってもエリカは太老を追い掛けるつもりでいたが、『紅き悪魔』の名を継いだばかりで、まだこちらでやることがある。
 しばらく太老にはイタリアに留まって欲しいと考えていただけに、エリカにとってそれは願ってもない話だった。

「情報収集ってあてはあるの?」
「パオロさんも協力してくれるって言うし、もう四年も調査を続けてるしな。大体の目星は付いてきてるし、なんとかなると思う」
「そう……」

 何か手伝えることはないかと言った質問だったのだが、太老の反応にエリカは嘆息する。
 ただ強いと言うだけでなく、こう見えて太老は頭が良く何かと器用な男だった。
 それだけにエリカからすれば、太老に少しでも恩を返したいと考えていても、なかなか太老の役に立つことが思いつかない。
 もう少し頼ってくれても――と思わなくもないが、それを言うのは恩着せがましく感じて、どうしても口に出来なかった。


   ◆


「お兄ちゃん出掛けてたの?」
「ああ、ガンツと会って、その後はエリカに街を案内してもらってた」
「ふーん」

 少し訝しげな表情で太老の話を聞く桜花。とはいえ、エリカとの仲は今更なので桜花としても余り厳しく言うつもりはなかった。
 今更一人や二人増えたところで大差はないと言うのが、桜花の出した結論だったからだ。
 それでなくても太老に好意を寄せる女性はたくさんいるのだ。エリカが何をしたところで、太老との仲が急速に進展するはずもない。そう簡単に上手く行くのなら、今頃は酒池肉林のハーレムを太老は築いているところだ。
 そうならないのは超が付く鈍感と、臆病なほど女性との既成事実を避ける太老の性格にある。太老にとって『据え膳食わぬは男の恥』というのは、人生の墓場への直通切符に他ならなかった。
 それだけにエリカとの仲も今以上に進展することはないだろうと桜花は考えていた。

「そう言えば、また来たよ」
「ああ、ドニの奴も懲りないな……」
「お兄ちゃんの仕掛けた罠を正面から突破しようという勇気は認めるけどね」

 ブランデッリの邸宅の敷地には、太老が侵入者対策に仕掛けた罠が張り巡らされていた。
 その最たるものが『虎の穴』だ。侵入者を結界内に閉じ込め、全六六六種からなる多種多様な罠で対象を捕縛する――桜花から見ても極悪としか言いようのない史上最悪の罠。正面突破なんて無謀な真似をするのはドニか、あちらの世界で『バカ』の名を欲しいままにするあの男≠ュらいのものだろう。
 しかし、カンピオーネの超感覚は侮れない。挑戦する度に距離を縮めているところは凄いと、桜花は素直に感心していた。

「で、ドニの奴は?」
「執事の人が迎えにきたよ。お兄ちゃんによろしくお伝え下さいって、こっちが恐縮するくらい頭を下げてた」
「あの人も苦労性だな……」

 アンドレア・リベラ――『王の執事』と呼ばれるドニの旧友にして最も信頼する側近だ。
 彼にしかドニの執事は務まらないと言われるほどイタリアの魔術師からは尊敬されていて、ドニがイタリアの盟主として君臨できているのも、アンドレアの努力があってこそと言われているくらいだった。
 ここ五日でドニが太老を決闘に誘おうとブランデッリ邸を訪れたのは三回。その何れも太老の仕掛けた罠に捕まって、連絡を受けたアンドレアが引き取りに来ると言った様子が恒例となりつつあった。

「それと、お兄ちゃん。そろそろ諦めた方がいいと思うよ」
「何をだ?」
「カンピオーネのこと。否定しても、高次元生命体を倒したことは事実なんだし」
「いや、あれは倒したとは言わないだろう? どう考えても事故だし、それに……」
「それに?」
「ドニやその他のカンピオーネのように碌でなしと思われるのが嫌だ」

 やはりそこかと桜花は嘆息した。カンピオーネに対して太老は余り良く思っていなかった。
 それはそうだ。四年前の事件に始まりドニには問答無用で斬り掛かられ、話に聞くカンピオーネは引き籠もりやら泥棒やら戦闘狂やら変身ヒーローやらと、一般常識の欠如した変人ばかりだ。
 太老からすれば百歩譲って神を倒した事実は認めても、そんなのと一緒にして欲しくはなかった。

「お兄ちゃんも余り変わらないと思うけど……」
「ん? 何か言ったか?」
「ううん、なんでも」

 ボソッと本音が漏れる桜花。太老に聞こえなくてよかったと桜花は安堵する。
 寧ろ太老と比べれば、カンピオーネなどまだ可愛い方だとさえ桜花は思っていた。
 そんな時だ。扉をノックする音が聞こえ桜花が返事をすると、メイド服姿の女性が部屋に入ってきた。

「太老様いらっしゃいますか?」
「ん、アンナさん?」

 メイド服の女性の名は、アリアンナ・ハヤマ・アリアルディ。
 エリカ直属の部下で流暢な日本語と綺麗な黒髪からも察しが付くように、日本人の祖父を持つという日系のイタリア人だ。
 この屋敷にいる間はエリカの指示もあって、太老達の身の回りの世話は彼女が担当していた。

「実はパオロ様から、太老様が戻られたら書斎にお通しするようにと」
「パオロさんが? なんだろう?」

 首を傾げる太老。そこで、ふと気付く。
 パオロには調査の協力を依頼していたこともあり、何か情報に進展があったのかと考えた。
 桜花に「ちょっと行ってくる」と伝え、アリアンナの案内で太老はパオロの待つ書斎へと向かった。





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