大嵐のなか銀色のポニーテールをなびかせ、『剣の妖精』の名を持つ少女は二人の王の戦いを見守っていた。

「どうしてこんなことに――」

 目の前の現実を受け止めきれず、少女リリアナ・クラニチャールは絶望と困惑に満ちた悲痛な声を上げる。
 遠く離れた場所を見通す千里眼の魔女術。『魔女の目』を通して視る彼女の瞳には、数キロ離れた場所で死闘を繰り広げる二人の魔王の姿が映し出されていた。
 南欧の魔術師達の尊敬と崇拝を一身に受け、イタリア魔術界の盟主として君臨する『剣の王』サルバトーレ・ドニと、バルカン半島に拠点を構え『東欧の魔王』の名で恐れられるサーシャ・デヤンスタール・ヴォバン――通称『ヴォバン侯爵』。イタリア半島とバルカン半島に拠点を構えるこの二人の王は折り合いが悪く、普段は互いに顔を合わせないようにアドリア海を挟んで勢力を二分しているとはいえ、決して友好的な関係とは言えなかった。

 それもそのはず。ヴォバンとドニの因縁は四年前にまで遡る。
 四年前、ヴォバンが多大な労力と犠牲を払って招来せしめた『まつろわぬ神』――英雄ジークフリートを倒したのが何を隠そう、このサルバトーレ・ドニだった。
 太老に儀式の邪魔をされ、更にはドニに獲物を掠め取られ、ヴォバンからすれば決して忘れられない過去の記憶。ドニもまた直接戦った太老ほどではないとはいえ、獲物を掠め取られたという点でヴォバンにとって因縁の相手だった。そして厄介なことに、今回二人が狙っている標的は一致していた。
 ――正木太老だ。

 ガッレリアでの戦いが忘れられず、太老との再戦を望むドニ。そして四年前の復讐に燃えるヴォバン。
 カンピオーネのなかでも特に闘争本能が強く、三度の飯より戦いが好きという二人だ。協力など問題外。
 だからと言って順番を譲るつもりは互いになく、そんな二人が顔を合わせれば話し合いではなく戦いに発展するのは当然と言えた。

「ここに七人目まで現れたら、ミラノが壊滅する」

 ドニとヴォバンの二人だけでも厄介なのに、そこに太老が参戦すれば、ミラノの壊滅と言った最悪の事態も考えられる。
 そう考えたリリアナはプライドを捨て、本来であれば一番相談をしたくないライバルを頼ることを決めた。
 赤銅黒十字の動きから、エリカと太老の関係を察知していたからだ。

「出来れば、あの女狐には頼りたくなかったが、そうも言ってはいられないか……」

 リリアナが所属する『青銅黒十字』は、『赤銅黒十字』と同じくミラノに拠点を構えるイタリア有数の結社だ。カンピオーネの動向には常に気を配っていることもあって『赤銅黒十字』が必死に隠そうとしている情報も、ガッレリアでの戦いやドニの動向から、かなり核心に近い情報を掴んでいた。
 リリアナは太老のことを聞いた時、すぐに彼が四年前に自分を助けてくれた東洋人と同一人物だと気付いた。そこで真っ先に警戒をしたのは、ヴォバンの耳に太老のことが伝わることだった。ヴォバンが太老のことを知れば、確実に復讐に動き出すことがわかっていたからだ。
 実際、『青銅黒十字』はこの四年間、ヴォバンから儀式の邪魔をした黒髪の東洋人を捜し出すように勅命を受けていた。それだけに組織の動向に注意を払っていたのだが、ヴォバンの信奉者として知られるリリアナの祖父が、太老のことをヴォバンに話してしまったのだ。

(幾らお祖父様の命令とはいえ、従えるはずもない!)

 組織としてヴォバンに肩入れする理由はわからなくもないが、だからと言って恩人を売るような真似に協力できるはずもない。
 太老に恩義を感じているリリアナは、そんな祖父の行動に疑問を感じていた。
 これは組織への――祖父への明確な裏切りだ。そうとわかっていてリリアナは携帯のボタンを押す。

「私だ。リリアナ・クラニチャールだ。伝えたいことがある」

 恩に報いるため、民を守るため。例え祖父の命令でも、騎士としてこれだけは譲れなかった。





異世界の伝道師外伝/新約・異界の魔王 第7話『青い悪魔の恐怖』
作者 193






「まずいことになったわね……」

 エリカはリリアナからの電話で、自分達が窮地に立たされていることを理解した。
 もしミラノが壊滅すれば、正木太老を擁護しバルカンの魔王を招き入れた『赤銅黒十字』はイタリア中の魔術師から責められることになる。面と向かってカンピオーネに文句を言えない分、組織への風当たりは強くなるはずだ。そうなれば、パオロとて太老やエリカを庇いきれなくなるだろう。
 実のところ太老の情報を隠蔽していたのは、こうした事態を恐れてのことでもあった。
 太老がカンピオーネだとわかった時点で、四年前の事件に太老が関わっていた可能性を考慮していたからだ。

「ヴォバンって、あのロリコン爺さんのことだよな?」
「ロリコンって……。やっぱり四年前のアレは太老だったのね」

 ヴォバンと太老の因縁には薄々勘付いていたが、もっと早くに確かめておくべきだったとエリカは今になって後悔していた。
 ドニどころかヴォバンにも狙われているとなれば、イタリアで太老に協力する魔術師はいないだろう。
 最悪、イタリア中の魔術結社を敵に回しかねない。

「で、結局どうなってるんだ?」
「今、サルバトーレ卿とヴォバン侯爵が戦っているらしいわね。このままいけば最悪、ミラノが壊滅しかねないわ」
「……ってことは気は進まないけど、やっぱり俺が行って止めるしかないか」

 太老の言葉の意味が理解できず、何を言ってるのかといった顔を浮かべるエリカ。
 リリアナがエリカに電話をしてきたのは助けて欲しいからではない。あれは早く逃げろと警告してきたのだ。
 ミラノに太老が顔をだせば、『青銅黒十字』は確実に太老の敵に回ることになる。四年前、太老に助けられた恩を感じているからこそ、リリアナはそんな事態を招きたくなかった。太老がエリカと行動を共にしていることも知っていて、リリアナは組織にそのことを報告していないくらいだった。
 サルデーニャにではなくヴォバンがミラノに真っ直ぐ向かったのも、リリアナが意図的に情報を隠したためだ。

「話をちゃんと聞いてた? 今回ばかりは叔父様も私達の味方は出来ない。そんなところにのこのこ出て行けば、最悪の場合ヴォバン侯爵やサルバトーレ卿だけでなくイタリア中の魔術師を敵に回すことになるのよ?」
「でも、どちらにせよ、このまま放っておけば街は壊滅するんだろう?」
「それはそうだけど……」

 それはその通りだが、今回に限って言えば『戦わずに逃げる』といった選択肢もある。無理に敵を増やす必要性はないのだ。
 太老がミラノにいなければ、『赤銅黒十字』も言い訳が立つ。知らぬ存ぜぬを通せばいいだけの話だ。
 確かに、このまま放置すれば街は危ない。しかし、それこそ太老には関係のないことだ。

「どうしてそこまでするの? ミラノがどうなろうと、あなたには関係のないことでしょう?」
「世話になった人達がいるからな。自分達だけ逃げるのは後味が悪いだろう」
「……それだけ?」
「それだけって……うちの家訓にもあるんだよ。『自分のケツは自分で拭け』ってな」

 想像もしなかった理由にエリカは呆れた。しかし同時に太老らしいとも思った。
 こんな考えの持ち主だから、まつろわぬ神と対等に戦えるのだろう。
 普通の人間なら少しは躊躇するものだが、太老にはそうした迷いが一切なかった。

「エリカお姉ちゃん、こうなったら諦めた方がいいよ」
「そうみたいね……」

 桜花の言うとおり少し呆れつつも、これが太老なのだとエリカは納得した。
 余計なお世話、善意の押しつけと思えることでも、こうだと決めたら絶対に主張を曲げない。
 相手が望んでいるどうこうではなく、自分が納得行くかどうかが一番重要なのだろう。

(本当に変な王様ね。でも、ある意味でカンピオーネらしいわ)

 物凄く優しいように見えて、誰よりも身勝手。これが太老の強さの根幹にあるのだとエリカは理解した。
 これもまた王の在り方。どれだけ本人が否定しようと、やはり太老もカンピオーネなのだ。エリカにとって、そんな太老の答えは満足のいくものだった。
 普通に考えれば、このまま逃げてほとぼりが冷めるまで身を隠すのが最善の選択だろう。しかし、そんな無難な選択をするようなら、そもそも彼等はカンピオーネになっていない。エリカもまた、そんな無難な答えを求めているわけではなかった。

「でも、どうするつもりなの? 船と飛行機はこの天候じゃ期待できないわよ」

 イタリア第二の都市ミラノのあるロンバルディア州は現在、嵐の真っ只中だ。
 北イタリア全域を覆った台風のような大嵐の所為で、本島に向かう船や飛行機は全便欠航している。
 それに今から向かったところで間に合うとは到底思えなかった。

「船ならあるじゃないか」
「まさか……」

 守蛇怪・零式――鋼鉄の船が、エリカの脳裏を過ぎった。


  ◆


 ミラノに拠点を構える『赤銅黒十字』の本部ビル。魔法使いの登場する童話や物語でよく見かける遠見の魔法。水晶の代わりに最新型の大型液晶テレビに映し出された二人の王の戦いを見守りながら、パオロ・ブランデッリは苦い表情を浮かべていた。

「やはり、こうなったか……」

 ミラノ市民の憩いの場となっているセンピオーネ公園は今、戦場と化していた。
 ドニの権能『斬り裂く銀の腕(シルバーアーム・ザ・リッパー)』によって八つ裂きに切り刻まれるフィラレーテ門。ヴォバンの放った稲妻と暴風が瓦礫や木々を吹き飛ばす。
 ミラノを代表する名所は見る影もなく、その歴史的建造物の価値を知る人間が見れば卒倒するような惨状が広がっていた。

「住民の避難は?」
「早くに決断したのが幸いしました。今のところ人的被害は出ていません」

 クラレンスの報告に安堵の表情を浮かべるパオロ。
 この嵐をカンピオーネの権能だと予想し、その動きから目的地をミラノだと当たりを付けたパオロは他の結社にも協力を呼びかけ、あらかじめ住人の避難を行っていた。

「姫には連絡をせず、よろしかったのですか?」
「これ以上、事態を悪化させるわけにはいかない。それはわかっているだろう?」
「まあ、確かに……ですが、あの王様なら何とかしそうですけど」
「例えそうだとしても、今の我々の立場で異国の王を頼るような真似は出来ない」

 クラレンスはパオロの考えを理解し、敢えてそれ以上は何も訊かなかった。
 正木太老を匿い、『東欧の魔王』をイタリアへ招き入れたことで『赤銅黒十字』は現在、微妙な立場に立たされている。今回の件で『赤銅黒十字』はドニから太老に乗り換えたと考える魔術師も出て来るだろう。その上で事態の収拾に異国の王を頼れば、ドニを盟主と崇める魔術師達は良い顔をしないはずだ。その結果、『赤銅黒十字』は正木太老の傘下に入ったと見なされかねない。
 これが中小の組織なら『王』の庇護を受けることは他の組織への強みになるが、『赤銅黒十字』のように名の売れている大きな組織が特定の『王』と親しくする場合、すべてがプラスに働くとは限らない。ドニと同じカンピオーネとはいえ、ここ欧州で太老の名はまだ余り良く知られていない。情報が封鎖されているので当然だが、『王』の名乗りを挙げたところでよく知らない異国の王を支持する物好きな魔術師は少ないだろう。
 そんななか七姉妹に名を連ねるイタリアの名門『赤銅黒十字』が太老の支持を表明すれば、イタリアの魔術界は真っ二つに割れ、ドニを盟主と崇める組織との間で対立が起こる可能性が高い。そうなれば『赤銅黒十字』に与しない南欧の魔術師達を敵に回す恐れがあった。
 名門故の妬みやしがらみもある。そうした事態を避けるために、パオロは慎重に情報を公開するタイミングを計っていた。今回はその慎重さが、あだとなったカタチだ。

「やはり、ヴォバン侯爵に情報を漏らしたのは……」
「あの老人だろうな。まったく大人しく隠居をしていてくれればいいものを……」

 今回の件、クラニチャール家が裏で糸を引いていると、クラレンスとパオロは読んでいた。
 クラニチャール家の前当主にして、ヴォバン侯爵の信奉者として知られる老人が黒幕だ。自尊心の高い人間で、身内であろうと手駒くらいにしか思っておらず、目的のためなら手段を選ばない狡猾な人物として知られていた。
 ヴォバンへの忠誠心からの行動だけでなく、今回の件を利用して『赤銅黒十字』の力を削ぐつもりなのだろう。
 最悪、計画が失敗すれば太老の怒りを買うことも予想されるが、ヴォバンが負けるとは考えていないのだと推察が出来る。

「はあ……面倒なことになりましたね」
「覚悟はしていたことだ。クラレンス、お前達には迷惑を掛けるが……」
「お気になさらず。我々とて、あの王様は気に入っていますからね。いざとなったら、欧州の魔術師全部とだって戦ってやりますよ」

 そう言って鷹揚に肩をすくめるクラレンス。この程度の面倒事は太老に協力をすると決めた時から覚悟していたことだった。
 それにドニは盟主として君臨すれど統治はせずと言った考えの持ち主だ。他の組織は快く思わないだろうが、例えこのまま太老についたところでドニは気にも留めないだろう。
 そんな話をしていたところで、クラレンスの携帯電話が鳴った。パオロに断りを入れて、電話に出るクラレンス。

「ああ、俺だ。どうした? なんだと――」

 電話に出たクラレンスが、ギョッとした表情で顔を青ざめる。

「何があった?」
「大変です。今度は『青い悪魔』が現れました」

 瞠目するパオロ。それは最悪と言っていい報せだった。


   ◆


 ――青い悪魔に出会ったら何も考えずに逃げろ。神に祈っても無駄、捕まったら諦めろ。何かを要求されたら黙って従え。
 そんな教えが魔術師達の間で徹底されていた。
 少女の姿をした青い髪の悪魔。四年ほど前からその姿を目撃されるようになり、確認が取れている数だけでも片手の指では足りないほどの神が、その悪魔に倒されているという。更には神器や魔術品を蒐集していることでも知られ、かの大英博物館やコーンウォールに拠点を構えるイギリスのカンピオーネ『黒王子(ブラック・プリンス)』が盟主を務める王立工廠も、その被害に遭っていた。
 神出鬼没で大胆不敵。出会ったら最後。運良く嵐が通り過ぎるのを待つしかない、まさに災厄と呼べる存在。その情け容赦のない残虐性と少女のような見た目から、邪神の類ではないかと推察され、『最凶最悪の邪神』『史上最大の天災』として魔術師達に恐れられていた。
 そんな史上最悪の悪魔が、ここミラノに降臨したというのだから、魔術師達が慌てないはずもない。ましてや――

「ぼ、僕の剣が!」

 ジュッという音と共に灼熱のレーザーに呑み込まれ、根元から消滅した剣を前に情けない声を上げる金髪の青年ドニ。
 ヴォバンはというと、その極太のレーザーに全身を焼かれ、灰になったところを少女の持つ掃除機のような物に吸い込まれてしまった。
 遠くから王の戦いを見守っていた魔術師達も、この予想外の展開には言葉を失う。
 強大な力を持つ王達が、たった一人の少女に為す術なく無力化されてしまったのだ。もはや悪夢としか言いようがない。

「喧嘩は他所でやりやがれです!」

 ちょっと居眠りをしていた隙に、風と波に流され隠していた船が座礁。
 船体が傷ついた挙げ句、イタリアの沿岸警備隊に見つかり零式はイライラしていた。

「お父様になんて言い訳をすれば……」

 空を飛んで逃げれば話は簡単だったが、まだ修復途中のためにそれも叶わず、威嚇のために放ったレーザー砲がスフォルツェスコ城を掠め、城壁の上で高笑いを上げていたヴォバンに直撃。嵐で座礁して光学迷彩が解けたのも、イタリア海軍に船が見つかったのも、零式にとって予期せぬ不幸だった。
 結果はこの有様だ。
 スクランブル要請を受け、出動するイタリア軍。立場を忘れ逃げ惑う魔術師達。茫然自失とするドニに、灰と消えたヴォバン。

「ううっ、全部お前達の所為ですよ!」

 元凶を排除し、残った鬱憤を魔術師やイタリア軍へと向ける零式。半分は八つ当たりと言ってもよかった。


   ◆


「おかしいな。零式と連絡が付かない。何やってんだ?」
「お兄ちゃん。私、嫌な予感しかしないんだけど……」
「奇遇だな。俺もだ」

 その頃、太老と桜花はまだサルデーニャ島に足止めを食らっていた。
 零式に迎えに来させようとしていたのに、何故か連絡が付かない。嫌な予感がする二人。

「お兄ちゃん、零式って船の修復作業をしてるんだよね?」
「ああ、大人しく修理に専念するように言っておいたんだけど」
「まさかとは思うけど、嵐の元凶と鉢合わせして戦闘になったりとかは……」
「幾ら零式でも、そんなバカなこと」

 ないとは言えず、なんとも言えない空気が二人の間に漂う。
 零式がイタリア本土で暴れているとも知らず、太老が後悔するのは、この十二時間後のことだった。





 ……TO BE CONTINUDE



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