膝下まで届くかのようなプラチナブロンドの髪。白く透き通った肌。
 白いドレスに身を包んだ、まるでアンティークドールのような美女が旅行者や買い物客で賑わうミラノの繁華街を優雅な佇まいで歩いていた。
 まるでそこに彼女がいないかのように、人々は女性に気付くことなくその横を通り過ぎていく。

「この街に、あの方がいらっしゃるのですね」

 彼女はこの街の人間ではない。この国の人間ですらない。
 遠く離れたイギリスの首都ロンドンから、魔王の噂を聞きつけやって来た異邦人だ。
 彼女のもとに報告が届いたのが今朝のこと。報告を受けるや周囲の制止を振り切り、彼女は文字通り光のような速さでこの街へと飛んできた。
 飛行機や船などを使わない画期的な方法で――幽体となって空を飛んできたのだ。
 それが彼女を神出鬼没な姫君と言わしめる理由。
 プリンセス・アリス――天の位を極めた魔女。
 グリニッジ賢人議会の前議長にして特別顧問。
 そして――

 太老達の活動を密かに裏からサポートする現地協力者の一人だった。





異世界の伝道師外伝/新約・異界の魔王 第9話『クラニチャールの陰謀』
作者 193






 太老との交渉材料に桜花を狙った誘拐犯は、やはり――と言うべきか、返り討ちに遭っていた。
 非日常的な光景。周囲を取り巻く大人達も、目の前の光景を現実の物として受け入れ難いのか、ポカンとした表情で成り行きを見守っている。本来なら警察を呼ぶか助けに入るべきだが、その少女がそもそも助けを必要としていない。寧ろ、助けを必要としているのは男達の方だった。

「おじちゃん達、どこの誰?」
「ひぃっ! た、助けてくれ! 俺達はただ頼まれただけでっ!」
「頼まれたって誰に?」

 嘘を吐いたら殺すと言わんばかりの殺気を男達に向ける桜花。カンピオーネの関係者と目される少女の言葉だ。これほどの実力差を見せつけられた後では、ただの脅しとは思えない。
 男達はなんとか逃げ延びる手段はないものかと周囲を見渡すが、自分達よりも遥かに小さな少女に伸され、無残な醜態を晒している仲間の姿が目に入り、絶望の色で表情を青く染めた。
 逃走用に用意した車も頭から地面に突き刺さり、とてもではないが使い物にならない。辛うじて意識のある男達も、まさに蛇に睨まれた蛙。どちらが強者でどちらが弱者かなど、誰の目にも明らかな状況だった。
 これ以上、少女の機嫌を損ねれば本当に殺される。例え逃げ延びたとしても、カンピオーネの怒りを買って無事でいられるとは思えない。受け入れてくる組織もないだろう。逆に太老に取り入ろうと考える魔術師達に追われる身の上となることは結果を見るより明らかだった。

「買い物を二度も邪魔されて、正直かなり頭にきてるんだけど」

 それは最後通告だった。
 自分達の命が目の前の少女に握られているのだと、受け入れ難い事実を男達はやっと理解する。
 一度目はドニに太老とのデートを邪魔され、そして二度目は見知らぬ集団に誘拐されそうになったのだから桜花の怒りは頂点に達しかけていた。
 しかも、買い物袋は車の下敷き。そのなかには太老に喜んでもらおうと市場を回って、ようやく見つけたイワシの缶詰も入っていたのだ。
 そのくらいで――と普通の人は思うだろうが、桜花にとっては何よりも大切なことだった。
 エリカやルクレチアと言った恋敵(ライバル)が次々に登場するなかで、どうにか太老の気を引こうと太老の好物を探しに街へと出たのだ。
 それに、ここ最近色々とあって疲れている太老を元気づけてあげたいという乙女の純情もそこには込められていた。

「ク、クラニチャールだ! あの老人にそそのかされて俺達は――」

 どこかで聞いたような名前を耳にして、桜花は首を傾げる。
 エリカにでも聞けば一発でわかるのだろうが、魔術師の家名に桜花は余り詳しくなかった。
 そんな桜花の疑問に答えるように、周囲を取り巻く人垣の中から一人の女性が割って現れた。

「クラニチャールと言えば、七姉妹の一つ『青銅黒十字』の重役を担うイタリア有数の名家ですわね。なるほど、かの家の老人はヴォバン侯爵の信奉者だったと聞きます。彼女を狙ったのは、侯爵復活の交渉材料とするためですか……バカなことを。カンピオーネの方々を相手に人質交渉など、かの方々の恐ろしさを知る一流の魔術師なら絶対にしない愚行ですわ」

 存外にクラニチャールの老人を含め、男達を二流だと罵る女性。
 彼女こそ、アリス・ルイーズ・オブ・ナヴァール。かのプリンセス・アリスだった。


   ◆


「お久し振りですわ。パオロ小父様」
「はあ……またですか、プリンセス」

 それがブランデッリの邸宅で、アリスを出迎えたパオロの第一声だった。
 旧知の間柄だからこそ、アリスがどんな人間かを知ったパオロならではのため息だった。

「ご安心を。今回の訪問は非公式なものですから、私は何も視ていませんし誰とも会っていません」

 それは要するに『黙っていてやるから貸し一つ』と言われているに等しかった。
 しかし、パオロとしては黙って受け入れるしかない。ことは七姉妹――イタリア魔術界全体に関わる問題だ。
 返り討ちに遭ったとはいえ、カンピオーネの身内に手をだしたのだ。クラニチャール家の失脚だけで済まされる問題ではなかった。

「それで、用向きは?」
「勿論、新たな王にご挨拶を――」


   ◆


「えっと誰ですか?」

 零式の予想だにしなかった第一声に、カキンと凍り付くアリス。
 屋敷のメイドに太老の部屋へと案内され、部屋の入り口で出迎えてくれた零式に『お久し振りです』と挨拶したのはいいが、零式から返ってきたのは『誰?』の一言だった。

「いや、誰はないだろう……。よーく思い出せ」
「そ、そうですわ! ほら、三年前に――その後も、ちょくちょく連絡を取り合っていたではありませんか!」
「三年前ですか? ちょくちょく?」

 余りにアリスが不憫で見るに見かねて助け船をだす太老だったが、零式は記憶にないとばかりに疑問符を頭に浮かべるばかり。船の生体コンピューターなのだから、記憶力が悪いはずもない。覚えていないなんてことは本来ありえないのだが、零式はそのありえないことがありえるほど性格が歪んでいた。
 太老や、太老が大切にする家族や関係者のことはちゃんと名前で覚えているのだが、問題はその他の有象無象。太老に直接関わり合いのない人達のことだ。
 彼女にとって人間とは、太老にとって役に立つ人間か、役に立たない人間かの二種類しかいない。
 太老をすべての判断基準の中心に置いている零式にとって、アリスは役に立つ人間ではあるが特別気に掛けるほど重要な人間ではなかった。
 当然、気安く話し掛けられても『誰?』と応えるしかない。
 そんなことに労力を割く気がない零式が、アリスのことを覚えているはずもなかった。

「ちゃんと思い出してやれ……不憫すぎる」
「お父様がそう仰るなら……ううん……あっ、もしかして」
「お、思い出してくれましたか!?」

 期待に胸を膨らませるアリス。しかし、

「罠に掛かった間抜けな幽霊! プラチナさん!」

 まともに覚えてもらえてなかったことに、アリスは涙した。


   ◆


「で、えっと……プラチナさん?」
「その呼び方はやめてください!」

 太老に『プラチナさん』と呼ばれ、やめてくれと叫ぶアリス。さすがに、その愛称は酷すぎる。仮にもプリンセスと呼ばれる淑女のプライドが許さなかった。

「普通にアリスとお呼び下さい。正木太老様」

 自己紹介をしていないのに名前をズバリ呼ばれ驚く太老だったが、零式と知り合いということで納得する。それにアリスが魔術関係者なら太老の名を知らないはずがない。
 ましてや、プリンセス・アリスといえば、魔術界にその名を知られる賢人議会の有名人だ。賢人議会はそもそもカンピオーネの脅威から、祖国(イギリス)と女王を守るために発足された組織。カンピオーネに関して、かの組織ほど深い造詣を持つ組織はないとされる。その議長すら務めたことのあるアリスが、太老のことを知らないはずがなかった。
 賢人議会は世界中に根を張り、カンピオーネの動向に常に眼を光らせている。ここイタリアのミラノにも、賢人議会の調査員が数多く潜伏しているくらいだ。当然、ドニとの一件を始め、零式にヴォバンが倒されたことも掴んでいた。

「会って一度お礼を言いたかったのです。彼女――にはお世話になりましたから」

 先程のことを根に持っているのか、少し恨みがましそうな目で零式を見ながら太老にそう話すアリス。
 アリスは六年前、カンピオーネと協力してイギリスはサムセットに顕現した『まつろわぬ神』の封印に成功していた。
 しかし、その事件で無理をし過ぎた所為か、ベッドから起き上がれないほど力を消耗してしまったのだ。そんな時、アリスの前に現れたのが零式だった。

 正確には、まつろわぬ神を倒して回っている邪神と思しき少女がいるという情報を聞き、その少女がアリスの宿敵とも言うべきイギリスのカンピオーネ、アレクサンドル・ガスコインの拠点コーンウォールの王立工廠から神具や魔導具を盗みだしたという話を聞き、好奇心を我慢できず零式にアリスの方から会いに行ったのだった。
 その時、零式に捕獲され、アストラルラインから本体の位置まで探し当てられて――現在に至ると言う訳だ。
 零式からすれば虫の息では何かと扱き使うのに障害になると考え、アリスに治療を施したわけだが、治療を受けたアリスからすれば零式は命の恩人と言えなくもない。あのままでは完治の見込みはなく、この先十年と保たずに短い一生を終えていたかもしれなかったからだ。
 その話をアリスから聞かされた太老は複雑な表情を浮かべる。アリスの命を救ったというのなら、本来はここで零式を褒めてやるべきなのだろうが、そんなつもりが零式には微塵もないことが、さっきのやり取りからもひしひしと伝わってきていたからだ。
 更に言えば、「どういうつもりで助けたんだ?」とは怖くて聞き辛い。ましてや本人を前にして尋ねることなど出来るはずもなかった。

「私を快復させた薬は、太老様がお作りになった霊薬と聞いています。ならば、彼女の主人である太老様にお礼をするのは当然のこと――」
「アリスお姉ちゃん、本音は?」
「そんなの決まっていますわ。こんな面白いこと黙って見ている手はないですから、こうしてミス・エリクソンの目を盗んで……はっ!?」

 桜花の誘導にまんまと引っ掛かり、ぽろっと本音を漏らしてしまうアリス。
 やっぱりと言わんばかりの表情を浮かべる桜花を見て、やられた――とアリスは顔を赤くした。
 そんな二人のやり取りを見て、『どういうことだ?』と桜花に尋ねる太老。

「なんとなく、そんな感じがしてたんだよね。猫を被っているっていうか、そう言う人を他にも知ってるからカマを掛けてみたんだけど」

 桜花の読みは当たっていた。
 アリスの悪い癖。これは知る人ぞ知る彼女の悪癖とでも言うべきか?
 彼女は一度興味を持ったことに関わらずにはいられない。好奇心の塊のような女性だった。
 実は過去に何度かそれで失敗しているのだが、まったく懲りた様子がない。元を辿れば六年前の事件でさえ、周りが止めるのも聞かずアレクと行動を共にして、その結果あんな体になったのだから自業自得と言えなくもなかった。
 実際ベッドに寝たきりになったくらいでは懲りず、度々霊体になって屋敷から抜け出しては厄介事に首を突っ込む。そんなことを繰り返し、零式にちょっかいを掛けたのが三年前の事件だった。


   ◆


「くっ! まさか、あそこまで使えない連中とは……」

 クラニチャール家が所有する別邸の一つに老人は身を潜めていた。計画が失敗したことで魔術師達の粛正を恐れてのことだ。
 まだ、こんなところで死ぬわけにはいかない。狂信的なまでにヴォバンに心酔している老人にとって、ヴォバン侯爵の復活こそ最大の望み。サルバトーレ・ドニは勿論のこと、正木太老などという年若い王に恭順する意思は老人にはなかった。

「それに賢人議会まで出張ってくるとは……これは少しまずいの」

 しかし、今のままではヴォバンの復活どころか、自身の身が危ういことを老人は理解していた。
 幾らクラニチャールが魔術界に名を馳せるイタリア有数の名家とはいえ、国中の魔術師を敵に回して無事でいられる訳がない。
 カンピオーネの怒りを買うくらいなら、名門といえど組織の一つや二つ平然と切り捨てられるだろう。
 クラニチャールは勿論のこと『青銅黒十字』とて、その例外ではない。まさに破滅の危機に彼は直面していた。

「ここにいらしたのですね。お祖父様……」
「おお、その声はリリアナか! よくぞ、まいった!」

 孫娘の声を聞き、歓喜の声を上げるクラニチャール老。今、彼が切れるカードは少ない。そんななか彼が持つ手駒のなかでも、リリアナは最後に残された最強の駒だった。
 エリカ・ブランデッリに比肩する才溢れる若き魔術師にして、大地母神に仕えた巫女の血を引く魔女術の使い手。クラニチャール家の歴史を見ても、リリアナほど才気に恵まれた魔女はいなかっただろう。
 そして、その才能に溺れないだけの努力を彼女はしている。
 若くして大騎士の称号を得た天才。それほどの実力を彼女は有していた。

「誰にも気取られておるまいな」
「はい。家にも内緒で赴きました」
「そうか、そうか」

 自分にとって、都合の良い返事をするリリアナに気をよくする老人。リリアナの協力があれば、まだ終わった訳ではない。そしてリリアナが決して自分を裏切らないことを老人は確信していた。
 そうして命令に従うように育ててきたのだ。
 クラニチャール家の誇りを教え込み、家に尽くすように――
 それにヴォバンさえ復活を果たせば、まだ望みはある。老人は起死回生の一手を考えていた。

「リリアナよ。正木太老の愛人になれ」





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