あれから一ヶ月――新たなカンピオーネ『正木太老』を中心としたイタリアでの騒動は、赤銅黒十字を始めとしたイタリア魔術界の名門『七姉妹』の協力もあって、どうにか終息しつつあった。
 ヴォバン派と呼ばれる魔術師の多くは、この一ヶ月で姿を消した。
 カンピオーネの身内を狙うという愚行を犯した魔術師の多くは魔王の怒りが自分達にも降りかかることを恐れた者達によって粛正の憂き目に遭い、残された魔術師達の多くは新たな王に恭順の意思を示したのだ。

「凄いことになってるね。今、海の向こうは新たな魔王の登場で大騒ぎだって話だよ」
「他人事みたいに……」

 まるで他人事のように話す桜花を見て、太老は大きなため息を吐く。それと言うのも、こうなった原因の一端は桜花にあった。
 赤銅黒十字が必死に情報を伏せてくれていた努力も虚しく、太老は新参の王でありながらヴォバン侯爵以上に危険な王≠ニして魔術師達に恐れられるようになった。
 零式がサルバトーレ・ドニやヴォバン侯爵を降したことも然ることながら、桜花を狙った魔術師達が返り討ちに遭い、その尽くが粛清されたという噂も広まったためだ。
 既に赤銅黒十字を始めとした名だたる魔術結社を支配下に置き、逆らう者には容赦なく裁きを下す非情さから、太老のことを新参の魔王と侮る者はいなくなった。
 今や、その非情さと『青い悪魔』こと零式を使役していることから、『悪魔王』と恐れられる有様だ。

「まあ、結果的に現地組織の協力を得られた訳だし、悪いことばかりじゃないでしょ」
「それはそうだけど……なんか納得が行かない」

 桜花の言うように、赤銅黒十字を始めとした多くの魔術結社の協力を得られたことは非常に助かっていた。
 魔術結社は組織によって規模に違いはあれど、政治や経済に多大な影響力を持つ裏社会の組織だ。
 まつろわぬ神や、カンピオーネと言った一種の天災とも言える超常的な力の脅威に晒されてきたこの世界の人々は、魔術や呪術によって災厄に抗い、社会を治め、秩序を守ってきた。
 どの国にも一般人には知られていない裏の顔は存在する。そうして影ながら国を支えてきたのが彼等の組織だ。

 まつろわぬ神に人の身で対抗するのは難しくとも、情報の収集や隠蔽は彼等の得意とすることだ。
 四年前から調査を行っているとはいえ、ここは太老にとって異世界。それに彼は魔術師ではない。
 それ以上に非常識なことが出来るとはいえ、呪術と言った力は使えないし、魔術の知識や常識に欠ける。
 零式がアリスを協力者に仕立てたのも、そうした事情を考慮した結果でもあった。

 この世界にきた目的を達するため。そして起こり得る問題に対応するためにも、現地組織の協力は必要不可欠。そうした意味では、今回の一件は太老達に都合良く動いていた。
 もっとも平穏を願う太老からすれば、ヴォバンに代わる危険人物と見なされている現状は余り嬉しいものではない。
 桜花の話に素直に納得できないのは、そのためだ。

「太老様。少し宜しいでしょうか?」
「ん? アンナさん?」
「エリカ様がお呼びです。出来れば、本社までお越し頂きたいと」
「エリカが?」

 部屋で寛いでいたところアンナに呼ばれ、首を傾げる太老。
 これが新たな事件の幕開けだった。





異世界の伝道師外伝/新約・異界の魔王 第10話『蛇と魔女』
作者 193






 太陽系第三惑星。
 エリカ達の住む次元とは異なる世界に存在する――もう一つの地球。
 太老の生まれ故郷であるこの星に一つの災厄が降りかかろうとしていた。

「おのれえええっ! 許さんっ! 許さんぞ!」

 水面が波立ち、空に現れた黒い穴から突如、銀髪の老人が姿を現した。
 老人からは何やら相当に苛立った様子が見て取れ、予想しなかったイレギュラーの登場に、その場に居合わせた二人はポカンと呆気に取られた表情を浮かべる。

「あの〜鷲羽さん。あのお爺さんは一体?」
「あたしに訊かれてもねえ……」

 金髪に褐色の美女、ギャラクシーポリスに所属する一級刑事、九羅密美星。
 そして自称『宇宙一の天才科学者』――その名も哲学士(プロフェッサー)・白眉鷲羽。

 ――これで何度目となるか?

 亜空間に呑み込まれたシャトルを回収して欲しいと頼まれた鷲羽は、やれやれと言った様子で美星の頼みを聞いた。
 ここまでは、いつも通り。何度繰り返されたかわからないやり取りだ。
 しかし、いざシャトルの座標を特定して亜空間を繋げてみれば、そこから出て来たのは一人の老人だった。
 しかも、その老人はどう言う訳か空中に浮き、隠しきれない怒りを顕にしている。
 少なくとも、ただの人間ではない。そう断定できるだけの能力を老人は持っていた。
 そう、彼こそ『東欧の魔王』の名で恐れられた異界の魔王――
 サーシャ・デヤンスタール・ヴォバン――その人だった。

「そこの女。我が問いに答えよ。ここは何処だ?」

 ようやく冷静さを取り戻したヴォバンは二人に気付き、空から鷲羽と美星を見下ろす。
 この二人のことを知っていれば、まずこのような高圧的な態度は取れなかっただろう。
 無知とは罪。ヴォバンの不運は、太老に悪意を向けたところから始まっていた。

(また、変なのが出て来ちゃったね……)

 そんなヴォバンの高慢な態度に「はあ……」とため息を漏らす鷲羽。
 鷲羽は天才を自称するだけあって敵も多い。当然この手の輩の対処には慣れている。
 しかし今回に限っていえば、自分が手を下すまでもないと判断していた。
 ここには彼女――確率の天才こと九羅密美星がいるからだ。

「あの〜」

 間延びしたのほほんとした声で、ヴォバンに声を掛ける美星。
 何とも緊張感のない反応に、ヴォバンは怪訝な表情を浮かべる。
 美星から敵意は感じられないが、魔王を前に恐怖している様子も窺えない。
 余程のバカか、命知らずか?
 少なくとも魔王と戦えるほどの実力者には到底見えなかった。

「そこにいると危ないですよ?」
「……何?」

 美星の注意も虚しく、ヴォバンの背中を強烈な衝撃が襲う。
 予想だにしなかった衝撃と痛みに顔をしかめるヴォバン。次の瞬間、巨大な水柱が立った。

「ぐああああっ!」

 ヴォバンを背後から襲った衝撃の正体――それは美星のシャトルだ。
 元々、鷲羽が亜空間の穴を開けたのは、事故で亜空間に呑み込まれたシャトルを回収するため。ヴォバンを助けるためではない。
 そんなこととは知らないヴォバンは完全に油断していた。

「あらら、大丈夫でしょうか?」
「まあ、丈夫そうだしね。あの程度では死なないでしょ」

 雨のように降り注ぐ水飛沫をしっかりと傘で防御しながら、鷲羽はそう締め括った。


   ◆


「んー。こんなものを渡されてもな」

 エリカに呼び出され、手渡された物。それは黒曜石で出来た小さなメダルだった。
 ゴルゴネイオンと名付けられたそのメダルには、なんとも不気味な蛇の意匠が施されている。
 ガンツが出張先から持ち帰った神器。それがこの古臭いメダルだったと言う訳だ。
 そんな曰くありげの代物の扱いに困り果てた赤銅黒十字は、取り敢えず太老に預けることを決定した。
 これだけの神器になると、破壊も封印も難しい。なら魔王の手にあった方が対応が早く済む。
 神器に呼び寄せられ、まつろわぬ神が顕現したとしても、太老なら対処できるだろうと考えてのことだ。

「神にまつわる物で間違いありませんね」
「それで、何かわからない?」
「これだけではなんとも……。恐らく古の蛇……母なる大地に関わる神格だと予想は付きますが……」

 あれから度々、何かと理由を付けては訪ねてくるようになったアリスに、エリカから預かった神器を見せる太老。
 天の位を極めた巫女と呼ばれるアリスは、ルクレチア同様、最高位の魔女の力を持つ。ここにいるのは本体ではなく呪力によって編まれた霊体だが、それでも一介の魔女を凌駕する能力を彼女は有していた。
 特にアリスは精神感応に秀でており、霊視は彼女が得意とする分野だ。その彼女ですらわからないとなれば、誰に尋ねたところで結果は同じだろう。
 実際にその神を目にすれば話は別だが、これだけの情報ではアリスと言えど、この神器にまつわる神の名を断定することは難しかった。

 しかし、ある程度の予想は付く。
 ゴルゴネイオンと言うからには、真っ先に思い浮かぶのはギリシャ神話に登場する蛇の怪物『メデューサ』などが有名だ。
 もっとも、どんな神の代物であろうと厄介事を押しつけられたことに変わりはない。
 強力な神器は、それにまつわる神を呼び寄せる。これを持っているということは即ち、いつかその神が神器に引き寄せられ、やってくるということだ。
 こうしている今も神器を探して、その神がやってくる可能性は十分にあった。

「ですが、相手がどのような神であれ、太老様なら問題ないのでは?」
「やれるやれないは別として、神様をどうにかしてくれとか気軽に頼まれてもなあ……」
「もし、ご不満なら彼女≠ノ任せられては?」
「いや、そっちの方が面倒臭いことになりそうだし……」

 アリスの話す彼女が『零式』のことだというのは、すぐに察しが付いた。
 この四年間、零式によって倒されたまつろわぬ神の数は一柱や二柱ではない。神格の一部を『まつろわぬ神』として顕現させた高次元生命体と、個として完成された零式では力の上限に大きな差がある。普段はリミッターを掛けているとはいえ、零式がその気になれば『まつろわぬ神』など相手にならないことは太老も理解していた。

 しかし、ヴォバンとの一件もある。
 可能な限り、自分達で解決できることは自分達で解決する。表立って零式を使いたくないというのが太老の考えだった。
 特に力技が必要となる場面で零式を使うのは不安が尽きない。
 桜花に言わせれば、それは太老も同じと言うだろうが、まだ自分でやった結果なら諦めも付くと言うものだ。

「まあ、注意はしておくよ」

 そう言って、メダルを放り投げる太老。すると手品のように、メダルは宙に消える。
 突然のことに目を丸くして驚くアリス。呪力の流れは一切感じられなかったが、恐らくは転送魔術のような物だろうと納得した。

「太老様。それで話の続きなのですが、一度イギリスへお越し頂けませんか?」
「それって『賢人議会』のある?」
「はい。太老様には生身でちゃんとお会いして、お礼を申し上げたいと考えておりました。それに調査の件に関しても直接お越し頂ければ、ご協力出来ることがあると思います」

 ここにいるアリスは霊体だ。本体はイギリスのハムステッドにある邸宅で今も眠っている。
 零式から譲り受けた太老特製ドリンクで順調に快復に向かっているとはいえ、気軽に出歩ける立場にはない。賢人議会の元議長にしてゴドディン公爵家の令嬢。イギリスを代表する要人である彼女は、何かと不自由な生活を送っていた。
 国内ならまだしも他国へ足を運ぶなど、彼女の秘書にして側役のパトリシア・エリクソンが許すはずもない。こうして霊体で太老のもとを訪れているのも、周囲の目を盗んでのことだ。エリクソンにバレるのも時間の問題とアリスは考えていた。
 だから身動きが取れなくなる前に、太老から確約を得たいとアリスは話を切り出した。

「お礼とか気にしなくていいよ。零式が色々と迷惑を掛けていたみたいだし。寧ろ、謝るのはこっちというか……」

 しかし、そんなアリスの思惑を知らず、お礼など必要ないと返す太老。
 零式がアリスに渡したドリンクは貴重な物であるのは確かだが、太老からすればお礼をされるほど大袈裟な代物ではない。売るほどはないが、少なくとも身内に配る程度には量産の利くものだからだ。
 どちらかというと零式の無茶に応え、アリスが被った被害の方が大きいと太老は考えていた。

 しかし、それはそれ。これはこれ。

 アリスからすれば、そのドリンクで命を救われたことに変わりはない。元々、病弱な体質もあって人並みとまではいかないが、今では軽い外出程度なら問題がないほどまで体力が回復していた。
 それに太老をイギリスへと招きたい理由は他にもあった。

(私一人では屋敷を抜け出すことは不可能。でも、太老様の協力が得られれば……)

 アリスは好奇心旺盛な女性だ。どちらかと言えば、インドア派ではなくアウトドア派。
 寝たきりになってからも好奇心が抑えきれず、何かある度に周囲の目を盗み、霊体で外を散策していたことからも、彼女の行動力の高さが窺える。
 そんな彼女が健康な体を取り戻し、屋敷に閉じ籠もっているなど出来るはずもなかった。

 霊体では食事を取れなければ、自由に物に触れない。意識を集中すれば物を掴むことくらいは出来るが、やはり感触までは伝わって来ない。もっと自由に、隙あらば屋敷を飛び出し、外の世界を生身で堪能したいと、アリスはずっと考えていた。
 そんな矢先に太老が現れた。
 ずっと待ち望んでいた零式の主との対面。
 危険を冒してまで霊体で太老に会いにきたのは、彼に屋敷から連れだして欲しかったからだ。
 古くからの馴染みであり、面識の深いイギリスの魔王には頼めない。零式と太老のことをギリギリまで伏せる約束を交わしていたということもあるが、アリスにとって宿敵とも言える魔王に頭を下げて私事をお願いするというのは、何がなんでも嫌だった。
 出来れば魔王に――あの男に借りを作りたくないというのがアリスの本音だ。

「正直に申し上げます。私を屋敷から連れだして欲しいのです」
「……は? それまた、どうして?」
「実は軟禁されているのです」

 聞くも涙、語るも涙。ちょっとした真実を交えながら、太老に事情を説明するアリス。
 すべてが嘘と言う訳ではない。ただ、本当のことを言っていないだけだ。
 要約すれば、周りが過保護で屋敷から一歩も外へ出してもらえない。公爵家の令嬢として生まれたばかりに、自由がないことなどを太老に話して聞かせた。
 正確にはアリスの自由奔放さに、目を放すと何をしでかすかわからないと言った意味で監視が付いているだけなのだが、そんな事情を太老が知るはずもない。

「そう言われると、確かにちょっと可哀想な気もするな」
「そうでしょ! 太老様なら、きっとわかってくださると思っていました!」

 この場に桜花かエリカがいれば、アリスの思惑に気付けたかもしれない。
 この会談が後にどのような影響を及ぼすのか?
 太老は知る由もなかった。





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