「まさか、あなたが来るなんてね。まあ、こうなる予感はしていたけど……」

 ハアとため息を漏らすエリカ。彼女の前には最大のライバルにして好敵手、リリアナ・クラニチャールの姿があった。
 ヴォバン派の魔術師達と結託し、平田桜花の誘拐を企てたとしてクラニチャール家はその責任を追及された。
 イタリア有数の魔術機関『七姉妹』の一つに数えられる『青銅黒十字』を組織発足以来ずっと影で支え続けてきた名家ではあったが、カンピオーネの身内に手を出して無事でいられるはずもない。
 クラニチャール老の独断としたところで、魔王の報復を恐れる魔術師達が納得するはずもなかった。

 しかも、その事件の黒幕とされる老人は行方を眩ませ、消息不明の状況。クラニチャール家が匿っているのではないかと批難されたが、この事実をクラニチャールは否定。彼等も魔術結社から責められ、ましてや魔王の怒りを買ってしまったことで困り果てていた。
 その結果、青銅黒十字は組織力を大きく低下することに繋がり、ヴォバンという後ろ盾を失ったクラニチャールも同様、今回の事件の責任を取らせられる形で家の存続を危ぶまれる状況に追い込まれていたのだ。

 事件の隠蔽に掛かった費用の負担は勿論、関係者に支払われる多額の賠償金。
 更には魔王の怒りを少しでも静めるために、クラニチャール家はなんとしても事件の関係者を処分する必要があった。
 その人身御供として選ばれたのが、リリアナだ。

「私が自分から申し出たのだ。覚悟は出来ている」
「あなたなら、そうでしょうね。でも、わかっているの? あなた達はカンピオーネの身内に手を出し怒りを買った。あなたの命が安いとは言わないけど、その気になれば組織ごと潰されても文句は言えない」

 自分で口にしておいて、そんなことにはならないだろうとエリカは思っていた。
 桜花に何かあったわけではない。実際のところは返り討ちにしているのだ。しかもこの事件、自分に逆らう反抗勢力を始末するために太老が仕組んだことではないかとエリカは疑っている。余りに太老に都合良くことが進み過ぎているからだ。
 それに青銅黒十字を――クラニチャール家を潰すことは簡単だが、太老の性格からして既に戦意を失っている相手にそこまでするとは思えない。
 太老のことをよく知らない魔術師達からすれば、クラニチャールが魔王の怒りを買ったと戦々恐々としているところだろうが、実際のところ太老は怒ってもいなければ気にも留めていなかった。
 逆に桜花がやり過ぎてしまったのではないかと、少し気にしているくらいだ。
 今回の一件で益々カンピオーネの悪名が広がったことの方が、太老からすれば頭を抱えたいほどの大問題だった。
 この上、クラニチャール家を潰せば、どんな噂をされるかわかったものではない。
 そんな面倒臭いことを太老は決して望まないだろう。エリカも、そこのところは理解していた。

「まあ、いいわ。決めるのは太老だし……。幼馴染みのよしみで口を利いてあげる。でも、そこまでよ」
「それで十分だ。感謝する」

 こんな話を受けたくないというのがエリカの本音だ。
 リリアナの身を太老に預ければ、どうなるかくらい予想は出来る。しかし周囲を納得させるだけの理由が必要なのは確かだ。
 ならば、ここでリリアナを拒むことは出来ない。あくまで彼女の処分を決めるのは太老でなければいけない。
 感情に任せてリリアナを拒むことは、魔術師としての彼女の立場が許さなかった。





異世界の伝道師外伝/新約・異界の魔王 第11話『新人採用』
作者 193






 リリアナを伴い屋敷に戻ったエリカが目にした物は、爆撃機が通り過ぎた後のように荒れ果てた庭園の姿だった。
 これにはリリアナも目を丸くして驚く。

「あ、エリカお姉ちゃん。お帰りなさい」

 そんな二人を出迎えたのは桜花だった。
 何やら白くて丸い生き物に指示をだして、荒れ果てた中庭の修復を行っているようだ。

「……これって?」
「ああ、これ? 剣のお兄ちゃんが懲りずにまたやって来て、結界を破壊しちゃったの。で、その後お兄ちゃんと一戦やり合っちゃって」
「ここにサルバトーレ卿が!?」

 ミラノで起こった事件から一月(ひとつき)しか経っていないのに、またここでカンピオーネが一戦やらかしたと聞いて、エリカとリリアナは驚きの余り表情を歪めた。
 しかしそれならば、この惨状も納得が行く。寧ろ、この程度で済んだのは幸いと言うべきか?

「龍皇に頼んで、すぐ元通りにしてもらうから」

 そう言って瓦礫の処分を終えると、丸い生物――龍皇に指示をだして何かを始める桜花。龍皇の白い体が発光を始めたかと思うと、屋敷一帯を強大なエネルギーが包み込む。急激に高まった呪力とも神力とも判断の付かない大きな力に、思わずエリカとリリアナは息を呑んだ。
 最初は桜花の呼び出した『使い魔』か何かだと思っていたが、龍皇から発せられている力は神獣どころか、まつろわぬ神に匹敵するほどの物だったからだ。

「これは……」

 余りに非常識な光景にエリカは目を見張った。
 先程まで荒れ果てていた庭園に光が点ったかと思えば、そこから草木が生え始めたのだ。
 大地の活性化。豊饒の力。奇跡や神秘とも呼べる『皇家の樹』が持つ力の一端。
 ここにいる龍皇は第二世代の皇家の樹の端末体だ。その力は、まつろわぬ神にも匹敵する。
 龍皇から生命エネルギーを分け与えられ、自然の物とは思えない速度で再生する草木。この程度のことは龍皇の力を用いれば造作もないことだった。

 実際、人類の居住に適さないような惑星ですら、桜花の世界の科学技術や皇家の樹の力を用いれば、緑溢れる星に造り変えることはそう難しいことではない。彼女達はそうして居住惑星を開拓してきた実績がある。
 この程度のこと驚くほどのことではない。ないのだが――

「あ……龍皇ストップ!」

 桜花の制止も虚しく、すくすくと成長する草木。

「――ッ! 翔けよ、ヘルメスの長靴」
「くっ!」

 慌てて、空に退避するエリカ。その後を追って、リリアナも飛翔する。
 眼下に広がるのは、巨大な樹木に覆われていくブランデッリ家の姿だった。


   ◆


「ごめんなさい。やりすぎました」
「態とじゃないんだし、もう良いわよ。問題は、これをどうするかよね……」

 さすがにやり過ぎたと反省したのか、素直に頭を下げてエリカに謝罪する桜花。エリカもそのことで桜花を責めるつもりはなかったが、後始末を考えると頭が痛かった。ブランデッリ家の敷地は完全に草木に埋め尽くされ、大森林へと姿を変えていたからだ。
 しかも大きな物になれば、全高百メートルを超すような樹木も見受けられる。離れた場所からでも、ここに突然森が出現したことは一目でわかるだろう。
 幸い、この辺り一帯はブランデッリ家が所有する私有地ということで、関係者以外は立ち入ることが出来ない。時間を稼ぐことは可能だが、このまま放って置けば新聞紙一面を飾るほどの大騒ぎになることは間違いなかった。
 となれば、赤銅黒十字に連絡を取り、呪術による隠蔽工作が必要となる。ここ最近、まつろわぬ神やカンピオーネ絡みの大きな事件が多発していることで、結社に所属する魔術師達はその対応で多忙極まりない毎日を送っている。
 ようやく落ち着きかけたところで、これだ。エリカが愚痴を溢したくなるのも無理はない。

「相変わらず、キミの力は多彩というか非常識だね」
「お前に言われたくない。大体、これをやったのは俺じゃないし……」

 非常識の塊とも言えるドニにそんなことで褒められても、太老は少しも嬉しくはなかった。
 大体やったのは龍皇だ。しかしそれを言ったところで、周りには言い訳にしか聞こえない。実際エリカの質問に桜花も『龍皇のマスターは自分ではない』と断言している。零式の件もある以上、龍皇が太老に使役されている神獣の一種だと思われても、ある意味で仕方のないことだった。
 この件で桜花を責めるのは筋違い。こうなったそもそもの原因は太老にあると考えるのは自然なことだ。

「それで、サルバトーレ卿はどうしてこちらに?」
「うん。ちょっとしたコツを掴んだから、太老にリベンジしようと思ってきたんだけどね。いやあ、やっぱり無理だった」

 エリカの質問に、ちょっと喧嘩を売りに来ましたとばかりに軽いノリで答えるドニ。
 負けたと言う割には、そのことを引き摺っているようにも見えない。随分とあっさりとしたものだった。
 そんなドニの反応に、太老は少し呆れた表情を浮かべる。

「『虎の穴』の結界を、まさか剣で破壊されるとは思ってもいなかったけどな」
「あれは盲点だったよ。幾らカンピオーネの超人的な直感があっても、あれだけの数の罠をすべて回避するのは難しいからね。なら面倒なことは考えないで、結界ごと全部斬っちゃえばいいんじゃないかって」
「いや、その考え方はおかしい。普通はそんなこと出来ないから」

 太老もまさか結界を破壊するという――そんな方法で『虎の穴』を攻略されるとは思ってもいなかった。
 コツを掴んだとか、一皮剥けたどころの話ではない。その気になれば、ドニの剣は空間さえ斬り裂けるということになる。こんな力技、まさか『皇家の樹』の力なしで出来る人間がいるとは思ってもいなかった。
 いや、一人いたかと太老は思い出す。あの非常識極まりない魎呼(あね)ほどではないにしても、ドニも十分規格外と言えた。
 カンピオーネは実戦で成長する。実際のところ、この短期間にここまでドニが成長できたのは格上の存在――太老や零式との戦闘経験によるところが大きい。それに『虎の穴』に何度も挑戦するうちに、自分でも気付かないところで彼の力は向上していた。

「大体、剣術では勝てない。単純な実力では、お前の方が上だよ」

 実際のところ太老がドニに勝てたのは、結界の破壊でドニが呪力の大半を使い切ってしまっていたことと、零式のバックアップによるところが大きい。あと一つ付け加えれば、手札の多さ、戦術の広さが勝敗を分けたとも言える。
 剣術ではドニが圧倒的に上。身体能力で勝っていても、真っ向から打ち合えば近接戦闘ではドニに軍配が上がる。しかし太老は剣士ではない。相手に合わせて剣で真っ向から打ち合う必要はなかった。
 結果、太老の取った作戦はドニから距離を取ること。空からの一方的な絨毯爆撃。
 庭園が見る影もなく荒れ果てていたのは、そのためだ。

「それでも勝てなかったんだから認めるよ。キミは強い」

 空を飛べない。遠距離攻撃を持たないドニの弱点を突いた的確な攻撃。しかしドニはそれを卑怯だと批難することもなく、太老に負けたことを素直に認めていた。
 勝負に卑怯もない。結果こそがすべてだ。そもそも剣術に拘っているのは自分の都合であって、太老には関係ない。太老の攻撃に対応できなかったのは、自分が未熟だったからだとドニは考える。
 ドニの戦法は単純、近付いて敵を斬る。ただそれだけだ。
 しかし今回は、それが通用しなかった。ならば、次は通用するように今よりもっと強くなる。
 空が飛べないなら、空を飛べるようになればいい。弱いなら、今よりもっと強くなればいい。
 具体的な対策など考えているわけではないが、ドニの思考回路は単純だった。

「そう言う訳で、修行の旅に出ようと思うんだ」

 どう言う訳だと、その場にいる全員が思うようなことをサラッと口にするドニ。
 思い立ったが吉日とばかりに行動に移す。それじゃあ、とばかりに屋敷の外に足を向けるドニ。

「次、会うときはもっと強くなって帰ってくる。その時は、また勝負だ! 太老」

 少年のような笑みを浮かべ、ドニは去って行った。
 そんな一方的な約束をされ、『勘弁してくれ』と太老は頭を抱える。
 余談ではあるが、このことを後で知った『王の執事』ことアンドレア・リベラは呆然とし、慌ててドニの後を追ったことは言うまでもない。
 この日『イタリアの盟主』と呼ばれた魔王は姿を消し、名実ともに東欧は太老の支配下に治まった。


   ◆


「青銅黒十字より参りました。リリアナ・クラニチャールです」
「はあ……」

 目の前で膝をつき騎士の礼を取るリリアナに、何とも気の抜けた返事をする太老。
 もう慣れたと言うべきか? 一部を除き太老と面会した魔術師は皆、このような態度に出る。なかには恐怖で顔を青くし、もっとへりくだった態度に出る者も少なくない。そういう意味ではリリアナの対応はマシと言えた。

「エリカ……それで彼女は?」
「青銅黒十字……いえ、クラニチャール家の誠意のカタチ。責任の取り方ってところよ」
「えっと、それって……」
「生け贄ね。彼女を差し出すから、これで許して欲しいって」
「そう言うのは一番困るんだけど……」
「どうするのも太老の自由よ。ただ言っておくけど、彼女を否定することはクラニチャール家を潰すってことよ。少なくとも、なんらかの処分をしないと周囲は納得しない。魔王の怒りを買ったから追い返されたと思われるのがオチね」

 とはいえ、エリカの話は、太老としては素直に受け入れ難いものだった。
 殺すという選択肢はない。かと言って、こんな女の子を奴隷のように扱う趣味もない。
 太老からすれば、また面倒事を押しつけられたと言った部分が大きかった。

「少なくとも魔術や剣術の腕は、私に引けを取らないわ。それに彼女は魔女術に長けている」

 正直、エリカは迷っていた。
 幼少時からリリアナのことをよく知るエリカは彼女の実力を誰よりも認めているが、それ以上に彼女の祖父――クラニチャール老のことを危険視していたからだ。

 ――あの老人が容易くリリアナを手放すだろうか?

 リリアナが今も行方を眩ませているクラニチャール老と繋がっている可能性は高い。
 しかし少なくともリリアナに、太老や太老の身内を害することは不可能だとエリカは考える。
 リリアナの実力では零式は疎か、桜花にも勝てないことは明白だ。それに彼女は騎士としての立場と精神を何よりも重んじている。
 今回の桜花を人質に取ろうとした件だって、リリアナは聞かされていなかった可能性が高いとエリカは考えていた。
 その上でクラニチャール老がリリアナに命じ、ここに彼女を寄越したとして、その目的は何か?
 考えられることは一つしかない。

(侯爵の復活をまだ諦めてない。太老に取り入ることで、そのチャンスを窺うつもりという線が一番濃厚よね)

 しかし、そうとわかっていながら、エリカはリリアナを手元に置いておいた方が得策と判断していた。
 影でコソコソとされるよりは、目の届くところに置いておきたい。それにリリアナは味方に取り込めさえすれば、役立ってくれることは間違いない。大騎士に相当する実力を持つ魔女の存在は、それほどに希少なのだ。
 ましてや、リリアナはまだ十六歳。更なる成長が期待できる。

「エリカは賛成か。桜花ちゃんは?」
「私も別にいいよ。そう悪い人にも見えないし」

 当事者の桜花が良いと言っている以上、太老もこれ以上反対するつもりはなかった。
 どちらにせよ、リリアナにもう帰る家はない。彼女の立場を考えれば、家に帰せない。
 処刑するというのも論外だ。そこまで考えた太老の結論は早かった。

「……わかった。リリアナさんだっけ?」
「はい」
「それじゃあ――」

 リリアナは家に命じられてここに来たとはいえ、既に覚悟は出来ていた。
 奴隷のように扱われようと、この場で殺されようと文句を言える立場にはない。
 彼女の祖父は、可能であれば太老の愛人に収まれと指示を出したが、それも難しいだろう。
 例え、どんな無茶な要求にでも応じる覚悟で、じっと太老の言葉を待つ。しかし――

「キミは今日から、うちのメイドだ!」
「……は?」

 この日、太老のメイド隊に新人が一人加わった。





 ……TO BE CONTINUDE



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