「ハハッ、なんとかなったね……」

 安堵の表情を浮かべ、へろへろと地面に腰を下ろすエリオット。

「ラウラ、エリオット!」
「ガイウス、久し振りだね。怪我はない?」
「ああ……助かった。礼を言わせて欲しい」

 再会できた嬉しさとガイウスに礼を言われた照れ臭さから、エリオットは頬を掻く。
 さすがに山道を走った後に間髪入れず、渾身のアーツを放つのは体力的にも厳しかった。
 とはいえ、仲間を救えたのなら無茶をした甲斐はあったと、その表情は晴れ晴れとしていた。

「エリオット。アリサが怪我をしている。回復を頼めるか?」
「任せて。ちょっと呼吸も落ち着いてきたから……えっとアリサ?」

 ラウラの肩を借り、ぎこちない足取りでエリオットたちの前に立つアリサ。その目には涙が滲んでいた。
 ポロポロと頬を伝ってこぼれ落ちる涙を、アリサは何度も手で拭う。

「ごめんなさい。安心したら急に涙が……こんなつもりじゃなかったのに……」
「気にするでない。気が張り詰めていたのだろう。いまは、ゆっくりと休め」

 ラウラの声に安心したのか、スッと意識を失うように眠りに付くアリサ。
 怪我を負っていることもそうだが、体力的にも限界がきていたのだろう。
 ラウラは眠りについたアリサを、そっと草の上に寝かせた。

「改めて礼を言わせてくれ」
「いや、本当に気にしないで。僕たちだけじゃ、とてもここまで来られなかったし」
「ああ、礼を言われるほどのことはしていない。むしろ、その感謝を送られるべきは兄上たちの方だろう」

 ラウラに兄がいるという話を聞いたことのないガイウスは不思議そうに首を傾げる。
 しかし考えてみれば、ラウラとエリオットの二人がここにいるということは、猟兵の相手をしている別の誰かがいるということだ。
 そのことに気付いたガイウスは二人に尋ねる。

「……兄上? もしかして猟兵が追ってこなくなったのは……」
「それはリィンたちが……噂をすればきたみたい」
「さすがだな。まさか、こんな短時間であの人数を片付けて、追いついてくるとは……」

 エリオットの言葉に誘われるように、視線を坂の下へと向けるガイウス。
 仲睦まじい様子で、こちらに向かって来る若い男女の姿が、ガイウスの目に入る。

「片付けて? まさか、あれだけいた猟兵たちを全員……あの二人が?」
「ああ、うん。あの二人は桁が違うっていうか……とにかく怒らせないように気を付けてね」

 エリオットの話に、信じられないと言った様子でガイウスは驚愕した表情を見せる。
 猟兵の数は少なく見積もっても十人以上はいた。それをたった二人で全滅させるなど、並大抵の実力では不可能だ。
 しかも坂道を登ってきている二人は怪我を負っている様子もない。それどころか、耳を疑うような会話を平然としていた。

「シャーリィが八でリィンが七だから、シャーリィの勝ちでいいよね!」
「いや、ちょっと待て。最後の一人は同時だったんだから、数は同じはずだろう?」
「えー。シャーリィの方が少し早かったよ」
「いや、同時だった。むしろ、俺の方が若干早かったはずだ」

 互いに譲らない二人。どっちが多く敵を倒しただの言い争っている声が聞こえてくる。
 冗談としか思えない会話を耳にして、ガイウスは珍しく困惑した表情を浮かべていた。
 その反応が普通だよね、と自分たちが既に歩んだ道を振り返るかのように、暖かな眼差しでガイウスを見守るエリオット。
 そんなエリオットたちに追いついたリィンは、ガイウスと地面に横たわるアリサを交互に見て、確認を取るように尋ねた。

「追われてたのは、その二人か。えっと……」
「ガイウス・ウォーゼルです。助けて頂き、ありがとうございました」
「リィン・クラウゼルだ。猟兵の件は行き掛けの駄賃みたいなものだから気にするな」
「はあ……」

 そこに猟兵(てき)がいたから狩ってきました、とばかりに気軽に話すリィンに、ガイウスはどう反応していいか分からず曖昧に頷く。

「じゃあ、そっちの気絶してるのがアリサ・ラインフォルトか」
「……どうして、アリサの名を?」
「クレア大尉やアルフィンからVII組のことは聞いていたからな」

 草の上に横たわるアリサを見て、一目で名前を言い当てたリィンに疑問を持つガイウスだったが、答えを聞いて納得した。
 とはいえ、一国の皇女を呼び捨てにするリィンに、ガイウスは益々どう接していいものか悩む。
 帝国の政治や歴史に疎いガイウスは、もしかしたら考えている以上に凄い人物なのかもしれないと妙な勘違いをしていた。

「ところで治療しなくてもいいのか? 放って置いても死ぬことはないだろうが、早く治療しないと傷痕が残ることになるぞ」
「ああっ! す、すぐに治療しないと!」

 アリサの傷口を指摘し、エリオットに治療させるリィン。草の上に横たわり寝息を立てる金髪の少女アリサ・ラインフォルトの名は、リィンもよく知っていた。それは原作知識があるからと言うだけではなく、彼女の家名にもある『ラインフォルト』は帝国に住む者であれば、誰もが知るほど有名な名だったからだ。
 ゼムリア大陸でも一、二を争う巨大重工業メーカー〈ラインフォルト〉社。アリサは、そのラインフォルト社の会長の一人娘だった。
 元々は中世から続く武器工房だったのが、半世紀前の導力革命を契機に急成長した企業で、帝国との繋がりが深く、近年では鉄道の他に兵器開発にも力を入れており、ガレリア要塞に設置されていた列車砲を始め、機甲兵や〈ARCUS〉もラインフォルト社が密かに開発・製造していたものだ。
 そういう意味では彼女の価値は、そこらの貴族と比較にならないほどに大きい。

「治療が終わったら、車を隠してある場所まで下りるか。その後、ノルドの集落に向かおう」
「そういうことなら、集落までの案内は任せて欲しい」
「いいのか? こう言っちゃなんだが、結構怪しいと思うんだが」

 集落の詳しい場所を知るわけではないので、ガイウスが案内してくれれば助かるが、警戒されても仕方ないくらい自分たちが相当胡散臭い一団であることはリィンも自覚していた。
 ガイウスの探るような視線にも、気付いていての言葉だった。

「あなた方は命の恩人だ。そしてエリオットたちが信頼を寄せていることは見れば分かる。確かに気になる点はあるが、恩人を疑うような真似はしたくない。事情を話せば、皆もわかってくれるはずだ」
「そうか……なら、案内を頼むよ」

 どちらにせよ、ノルドの集落へは向かうつもりだったのだ。リィンに断る理由はなかった。


  ◆


「ん……んう……」

 冬のノルドはユミルほどではないが、山岳に囲まれた峻厳な土地柄、朝がよく冷える。
 白い息を漏らし、何かにうなされている様子で、艶めかしい喘ぎ声を上げるアリサ。
 窓から暖かな光が射し、そんなアリサの顔を優しく撫でる。

「……ここは?」

 太陽の光に導かれるように、アリサはそっと瞼を開ける。
 真新しいシーツの匂いに、懐かしい草と木の香り。
 最初に目に飛び込んできたのは、この一ヶ月で随分と見慣れた祖父が住むロッジの天井だった。

「そうだ。私、幻獣と戦って……」

 ぼんやりとした頭で、何があったかを思い出そうとするアリサ。
 段々と昨日の記憶が蘇ってくる。猟兵に追われ、幻獣と戦い、そして――

「ラウラ! それにエリオットは!?」

 すべてを思い出し、顔色を変え、慌てた様子で上半身を起こすアリサ。
 ベッドから起き上がろうとするが、身体が何かに固定されて動かないことに気付く。
 そっと視線を下げるアリサ。すると、そこには見知らぬ赤い髪の少女がいた。

「んみゅ……おっぱい」
「……え?」

 もみもみ、もみもみ――
 寝ぼけているのか、少女に胸を揉みほぐされ、アリサは甘い吐息を漏らす。

「やだ、ちょっ、やめて……」

 逃げようともがくほどに少女の攻めは激しさを増し、アリサの口からは艶めかしい声が漏れ、肌は淡い桜色へと紅潮していく。
 額から汗がこぼれ落ち、何かに耐えるようにシーツをギュッと握りしめるアリサ。
 少女の指先が双丘の頂に触れた、その瞬間だった。

「――っ!」

 脳髄に電気が走るかのような衝撃が、アリサの全身を襲う。
 ピクピクと小刻みに身体を震わせながら、涙目で声を抑えるアリサ。

「も……もう、ダメ……」

 もはや抵抗する力を失ったのか、アリサはベッドに倒れ込む。
 しかし、少女の手は止まらない。優しく反応を確かめるように、少女の指がアリサの敏感なところを刺激していく。

「ひぃ――またっ、本当にダメなの! やめ……ああっ!」

 それから一時間。シャーリィがいないことに気付き、リィンが様子を見に来るまでアリサはベッドの上で悶え続けた。


  ◆


「ごめん、ごめん。丁度良い枕があったからつい……」
「ついじゃねーよ。危うく倫理規制に引っ掛かるところだったぞ……」

 本当に反省しているのか分からない態度で、シャーリィは頬を掻きながら謝罪を口にする。
 リィンが発見した時は――ちょっと言葉にするのも躊躇するくらい酷い惨状だった。
 まったく反省していないだろうと思われることを、サラッと口にするシャーリィ。

「でも、柔らかくて良い感触の枕だった。自信持っていいと思うよ。また揉ませてね!」
「も、揉ませません! それに私の胸は枕じゃありません!」

 顔を真っ赤にして抗議するアリサ。被害者の立場からすれば怒って当然だ。
 チラリとリィンを見て、顔を合わせるのが恥ずかしいのか?
 もじもじと指を交差させながら、アリサは俯きがちに口を開いた。

「あ、あの……さ、さっきのことは……」
「ああ、うん……大丈夫だ。言わなくてもわかってるから」
「それじゃあ……」
「しっかりと記憶(メモリー)に焼き付けたから心配するな」
「違います! 忘れてくださいって言ってるんです!」

 一瞬にして天国から地獄に叩き落とされたアリサは、大声でリィンに抗議する。
 しかし、そんなアリサの抗議の声を、どこ吹く風と受け流すリィン。どこか楽しそうに見えるのは気の所為ではないだろう。

「アリサが遊ばれてるね……」
「あの二人が相手では、仕方なかろう……」

 リィンとシャーリィが相手では分が悪すぎる。普段から二人に弄ばれているエリオットとラウラは、そのことをよく理解していた。
 特にアリサは人並みに興味はあるようだが色恋沙汰に免疫がなく、ある意味でラウラ以上に初心(うぶ)な性格をしている。
 リィンやシャーリィとの相性は最悪。アリサにとって二人は天敵とも言える性格をしていた。

「取り敢えず自己紹介しておくか。リィン・クラウゼルだ」
「シャーリィ・オルランド! よろしくね。おっぱいのお姉さん」
「もういいです……アリサ・ラインフォルトです。さっきラウラから話を聞きました。あなたたちが猟兵を追い払ってくれたとか。ありがとうございました」
「追い払ったんじゃなくて埋め――」
「……余計なことを言うな」

 シャーリィが余計なことを言おうとしたので、リィンは手で口を塞いで黙らせる。

「埋め?」
「気にするな。こっちの話だ」

 怪しげな雰囲気を感じて、訝しげな視線をリィンへと向けるアリサ。しかしリィンは質問に答える気はないと、はっきりと態度で拒絶した。
 そんな二人のやり取りをずっと見守っていた白髪の老人は、少し話し掛け難そうな様子でリィンへと声を掛けた。

「孫娘をからかうのは、そのあたりにしてやってくれんかの? まあ、同意の下というのであれば、儂は全然かまわないのじゃが……死ぬまでに曾孫を見ておきたいし、なんなら席を外しても……」
「お、お祖父様!? そういうのじゃ全然ありませんからっ!」

 何を祖父が勘違いしているのかを察し、慌ててアリサは否定する。
 しかし傍から見ている分には、心底嫌がっているという風には見えなかった。
 老人の名は、グエン・ラインフォルト。ラインフォルト社の創設者にして、アリサの祖父にあたる人物だ。
 昨夜遅くラクリマ湖畔にあるノルドの集落に到着したリィンは、彼に猟兵たちから奪った通信機を預け、その解析を依頼していた。

「それで、何か分かったんですか?」
「うむ。見せてもらった例の通信機じゃがの。お前さんの言うように、ノルド全域に広がる妨害導力波を打ち消す装置が仕込まれていた」

 アルティナの言うことは、これで正しかったことが証明された。
 となると、問題は対処法だ。いま取れる一番簡単な方法は監視塔を破壊することだが、西部の状況や双龍橋の件もあって敵も警戒しているだろうし、アルバレア公の部隊が合流したことで戦力も原作以上に整っていると考えていい。
 せめて、敵の意表を突く何かが欲しいところだ。リィンがグエンを頼った理由が、そこにあった。

「……解析は可能ですか?」
「ここにある設備では難しいの。せめて解析に使える高性能な導力端末がないことにはなんとも……」
「導力端末……」

 導力端末とは、導力技術を用いたパソコンのようなものだ。
 最近になって導力ネットワークというものが軍や大都市を中心に普及を始め、カレイジャスにも同様の設備が整えられていた。
 カレイジャスにある最新の端末なら、グエンの要求にも沿うはずだ。その上で、リィンは提案する。

「グエン老。俺と取り引きをしませんか?」
「ふむ……孫娘の恩人じゃ。出来ることは協力するつもりじゃが、取り引きとな?」

 昨夜、リィンに通信機の解析を依頼された時も、グエンはあっさりと引き受けた。
 それがノルドのためになるのならという考えもあったし、やはり孫娘の恩人に感謝をしていたからだ。
 取り引きなどせずともカレイジャスまでグエンを連れて行き解析を依頼すれば、グエンは黙って協力してくれただろう。
 そういう話になるのではないかと、グエン自身も予想していた。
 それだけに、態々『取り引き』という言葉を持ち出したリィンに、グエンは興味を持つ。

「はい。昨夜、長老とも話をさせて頂きましたが、一時的に〈紅き翼〉でノルドの皆さんを保護できないかと考えています」
「確かに、そうしてもらえると助かるが……狙いはなんじゃ?」

 ノルドの民を助けても、リィンにメリットはない。そう考えたグエンは探るような視線でリィンに尋ねる。
 逃亡中の彼等が依頼料を工面できるとは思えないし、小さな集落とはいえ百人近い人間を受け入れるのは、かなりの重荷となるはずだ。
 ただ、そうした負担を抱えてでも、グエンを味方に引き込みたい理由がリィンにはあった。

「グエン老、あなたにはエンジニアとして協力をお願いしたい」

 グエンをカレイジャスのエンジニアとして招き入れる。それがリィンの考えたことだった。
 今回の件もそうだが、今後アルフィンの計画を進める上で彼の協力が必要になると考えたからだ。
 リィンの考えを察し、グエンは逡巡する。

「ふむ……しかし、儂は隠居した身じゃ。役に立てるとは思えんがの」
「ご謙遜を。G・シュミット博士を除けば、あなたほど導力技術に詳しい人物は帝国にいないでしょう」

 G・シュミット博士。帝国における導力工学の第一人者にして、オーブメント技術を開発したことで知られるC・エプスタイン博士の直弟子――三高弟の一人と称される人物だ。現在はルーレ工科大学の学長を務め、ラインフォルト社と共同で機甲兵の開発にも関与していた疑惑が持たれていた。
 グエンはそのシュミット博士と古い付き合いで、彼自身、帝国における導力技術の革新と発展に大きく貢献した人物として、歴史の教科書に載っているほどの有名人だった。
 事実、シュミット博士を除けばグエンほど導力技術に精通した技術者は、この帝国にいないと言っていい。
 どうしたものかと静かに逡巡するグエンを見て、もう一押しだと考えたリィンは取り引きの本題に入った。

「イリーナ・ラインフォルト。ご協力頂けるなら彼女の救出と、ラインフォルト本社の奪還に協力する準備があります」
「母様!? 無事なんですか、母様は――イリーナ・ラインフォルトは!?」
「ああ、いまのところは無事なはずだ」

 グエンより早く反応を見せるアリサ。イリーナ・ラインフォルトはアリサの実母にして、グエンの一人娘だった。
 イリーナの無事を聞き、心配なことに変わりはないが、安堵の表情を見せるアリサを見て、グエンは複雑な表情を浮かべる。
 ここで取り引きを断れば、アリサの前で母親を見捨てると宣言するも同じだった。そんなことを口に出来るはずもない。

「御主、性格が悪いの……」
「うちの団長曰く、それは猟兵にとって褒め言葉らしいので」

 ある理由から離れて暮らしているが、グエンはアリサ同様にイリーナのことを気に掛けていた。
 ラインフォルトの会長職を退き、現在は隠居した身ではあるが、家族のことを忘れた日は一度としてなかった。
 そんなグエンの気持ちを察していなければ、持ち掛けられない取り引きだ。
 これが最初からリィンの狙いだったのだと、グエンは観念した。



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