「……パンタグリュエルですか?」

 避難していた人々と一緒にカレイジャスへと保護されたレジスタンスの代表、カール・レーグニッツから人質が幽閉されていると思しき場所を聞き出したアリサたちは、想像もしなかった回答に複雑な表情を見せる。
 パンタグリュエル――カイエン公爵家の紋章が入った貴族連合の旗艦。ラマール領邦軍の象徴ともなっている巨大飛行戦艦だ。
 実際に目にしたことはないが、その噂くらいはアリサたちでも耳にしたことのある有名な船だった。

「ヴァンダイク学院長ほか爵位持ちの学院関係者。それにキミたちの友人、ユーシス・アルバレアくんも一緒に囚われているはずだ」
「……それは確かなのですか?」

 困惑の表情を見せながら、確認を取るように尋ねるアリサ。
 本来であれば疑うような真似をしたくはないが、マキアスが知らなかった以上、これは恐らくレジスタンス内の情報というよりは、カール・レーグニッツ独自のツテで得た情報だと推察できる。
 正直なところ幾つか候補を絞れれば上々だと思っていたのだ。
 それがこんなにあっさりと確定情報が出て来るとは思ってもいなかっただけに、その情報の出所が気になるのは当然だった。

「百パーセントとは断言できないがね。この情報を提供してくれたのは、キミたちもよく知っている人物だ」
「おじさん、その人ってもしかして髪の赤い人?」

 ミリアムには予想が付いていたようで、頭の後ろで手を組みながらカールに尋ねる。
 そんなことが可能な人物と言えば、情報局のなかでも限られた人間しかいない。
 そして彼女の予想が正しければ、リィンが最も警戒をしていた人物と考えて間違いない。

「ああ、キミの予想通りの人物だ。帝国政府・二等書記官――いや、情報局所属のレクター・アランドール大尉だ」

 やっぱりと言った顔で、ミリアムは納得の表情を見せる。
 一方、アリサたちは驚愕に満ちた表情を浮かべる。ここでその名が出て来るとは思ってもいなかったからだ。
 レクター・アランドールと言えば、鉄血の子供たちの一人。情報局内では、クレアの同僚にしてミリアムにとっては兄のような人物だ。
 いや、クレアやミリアムとは比べ物にならないほど、情報局内部に精通した鉄血宰相の懐刀とも言える人物だった。
 ギリアス・オズボーンの指示で、いつも忙しそうに大陸の各地を飛び回っているという噂の人物。〈かかし男(スケアクロウ)〉の異名を持つ彼は現在、クロスベルに出張中のはずだった。

「クロスベルから帰ってきてたんだね。神出鬼没だからな〜。レクターは……」

 どことなく呆れた様子で、そんな台詞を口にするミリアム。
 一方、黙って話を聞いていたトワは、予想もしなかった爆弾がカールの口から飛び出したことで、その対応を図りかねていた。
 ギリアス・オズボーンを抜けば、革新派の筆頭とも言って良い人物が彼、カール・レーグニッツだ。
 その彼が、情報局――しかも、レクター・アランドールと通じているというのは、これからの話の流れによっては面倒なことになるのは誰でも予想が付く。

(人質の救出に協力した振りを見せて、失点を取り返すのが狙い? でも……)

 こう言ってはなんだが、例えカールの背後にギリアスがいたと仮定しても、レジスタンスの活動成果だけで革新派と貴族派の対立を煽り、内戦を引き起こす切っ掛けを作ったギリアスの失策が相殺されるわけではなかった。少なくともセドリックとアルフィンが皇族派という第三の勢力を作りだした現状においては、ギリアス・オズボーンがのこのこと出て来たところで大きく状況が動くとは思えない。
 それに彼の頼みの綱である正規軍も、ゼクス中将やクレイグ中将の呼びかけによって、大多数が皇族派――セドリックの支持に回っている。
 正規軍が革新派からの離別を決めた今、皇帝家に軍の掌握権が戻ったと言ってもいい。ここまで力を削がれては、かの鉄血宰相と言えど、以前のように強権を振うことは不可能だ。
 生きて姿を現したところで宰相の座に返り咲くことはないし、何かしらの責任を取らされることは確定していた。
 しかしここにきて、そのギリアスの影がちらつくことにトワは不安を覚える。

(純粋な人助けと考えるのが、一番いいんだろうけど……)

 あのギリアスに限って、それはないと断言できた。
 カールは正直なところ利用されているだけの可能性は高いが、それでも信用は置けない。彼の性格を考えると、帝都民を守るために情報局と手を結んだと言った方が正しいのだろうが、今回のことに限らず、これまでにも恐らくは情報局から支援を受けていたはずだ。
 そうでなければ幾らカールがやり手でも、これだけの短期間にレジスタンスを纏め上げ、組織としての体裁を整えるまでには至らなかったはずだ。
 実際、レジスタンスの装備は正規軍と比べても見劣りするものではない。無線機の他に戦闘用の導力器。更には導力銃と言ったものまで、領邦軍の監視下でそれだけのものを揃えようと思えば、背後に大きな支援者がいなくては不可能だと言い切れるほどだった。
 リィンがこの場にいて話を聞いていれば、レクターだけでなくルーファスの関与も疑っていたことだろう。
 これらの人物と繋がりがあって、この帝都で貴族連合の目を誤魔化せる人物と言えば他に候補者はいない。

「トワ会長、通信が入っています。お繋ぎしますか?」
「通信? 誰から?」
「このコード、正規軍のものです。第七機甲師団? まさか――」

 端末席に座っていたリンデは、自分で読み上げた内容に驚きの表情を浮かべる。
 第七機甲師団と言えば、ミュラー・ヴァンダールの所属する部隊だ。
 そして彼はオリヴァルトの護衛にして、お目付役とも言える人物だった。
 そんな曰く付きの部隊からの通信となれば、相手は自ずと想像が付く。

『やあ、久し振りだね。皆――』

 オリヴァルト・ライゼ・アルノール。トワたちが予想した通り、通信の向こうにはセドリックとアルフィンの腹違いの兄の姿があった。
 前にあった時と少しも変わらず、軽い挨拶から入るオリヴァルト。カールの話で強張った場の緊張が、彼の登場で緩んでいくのを感じる。
 狙ってやっているのだとしたら、さすがだが――アルフィン曰く、半分以上は素でやっているのだというのだから、ミュラーの苦労も窺えるというものだ。

『おや、レーグニッツ知事じゃないか。また、どうしてそこに?』

 目敏くトワたちと一緒にいるカールの姿を見つけ、とぼけた様子で確認を取るオリヴァルト。
 本気で知らないのか分かったものではないが、一応トワは二人の間に入って状況の説明をする。
 ふむ、と意味ありげにあごに手をあて頷くオリヴァルト。少し逡巡した様子で、トワたちに向かって次の言葉を投げた。

『パンタグリュエルの所在に関しては情報がある。――というか、我々はその船を追ってきたと言った方が正しいか』

 オリヴァルトの話によると、帝国西部で指揮を執っていた貴族連合の旗艦パンタグリュエルが突然、地上に展開していた部隊を海都オルディスへと引き上げさせ、護衛の艦も付けず単独で東部へ舵を取ったそうだ。
 第七機甲師団とラマール領邦軍の睨み合いは今も続いているらしく、敵の狙いを確かめるためにオリヴァルトはミュラーと一緒に飛空挺に乗り込み、パンタグリュエルの後を追ったという話だった。

「あの……それでは父上は?」
『子爵閣下には西部の抑えをお願いしてきた。かの光の剣匠がいれば、例え〈黄金の羅刹〉が出て来たとしても引けは取らないだろうからね』

 実際には、これまで集めた情報からオーレリアが出陣してくることはないと考えているオリヴァルトではあったが、パンタグリュエルの行動が自分たちを西部から引き離すための陽動であった場合、第七機甲師団に甚大な被害がでる恐れもあると考え、ラウラの父――ヴィクター・S・アルゼイドに残ってもらったのだ。
 オリヴァルトの回答に納得の表情を見せるラウラ。確かにそういう理由なら、他に適任はいないだろうとさえ思う。
 剣技だけで言えば、ヴィクターの実力は帝国随一。大陸でも十指に入る実力者だ。
 しかもアルゼイド流は、かの槍の聖女が率いた鉄騎隊の流れを汲む流派。ヴィクターが愛用の武器として使っている『ガランシャール』は、その鉄機隊で副長を務めたアルゼイド家の祖先が使っていたとされる宝剣だ。
 個人の剣技に優れているだけでなく、ヴィクターは部隊の指揮にも精通していた。敵の抑えとしては、これ以上の人材はいないだろう。

『おい、オリビエ。悠長に世間話をしている場合か、早く用件に入れ』
『ああ、そうだった。えっと、パンタグリュエルの場所だったね。現在地の座標を転送するから、それを確認してくれたまえ』

 ミュラーの声に急かされ、さっさと用件に入るオリヴァルト。
 オリビエと言うのは、彼の愛称だ。基本的に身分を伏せて行動する時は愛用のリュートを手に、漂白の詩人にして不世出の天才演奏家、オリビエ・レンハイムと彼は名乗っていた。

(この位置は……)

 オリヴァルトから転送された座標を見て、トワは目を細める。
 帝都から程近い山の上を、パンタグリュエルは北東に向かって飛行していた。このままいけば、アイゼンガルド連峰に行き当たる。

(どこに向かっているの? ユミル? いや、もしかして……)

 ユミルの先には、アイゼンガルド連峰。そして更に北東へ行くと、ノルド高原がある。
 現在そこは共和国軍と帝国正規軍が、静かな睨み合いを行っている場所だ。
 人質を乗せ、そんな場所に向かう理由――

「オリヴァルト殿下、彼等の目的地は共和国かもしれません」
『共和国に? まさか……いや、そういうことなのか?』

 確たる証拠はないが、共和国と貴族連合が内通していることはノルドの一件からも明らかだ。それはリーシャの証言からも疑う余地がない。
 パンタグリュエルの目的が共和国に向かうことだった場合、人質を手土産とした共和国への亡命――もしくは正式に軍事協力を結ぶためという可能性も考えられる。

『貴族派は、帝国に共和国軍を手引きするつもりか……』

 自殺行為とも取れる手段だ。だが追い詰められたカイエン公ならば、確かにそんな方法も取りかねないとトワの話を聞き、オリヴァルトは考えた。
 ならば、急いでパンタグリュエルを止める必要がある。そうなってからでは遅い。
 共和国との全面戦争という話になれば、百日戦役以来となる大きな戦乱へと発展する恐れがある。いや、リベールのような小国と違い、共和国は文字通り帝国と大陸の覇権を二分する大国だ。そんな国同士がぶつかれば、大陸は嘗て無い混乱に見舞われるだろう。
 いまのこの状況は共和国に取っても帝国の勢力を削ぐ絶好の機会だ。大義名分が整えば、いつ攻めてきても不思議ではない。貴族派は恐らく内乱に共和国が介入する口実を与えるつもりでいるのだろう。

『横から失礼。嬢ちゃんの考え、あたっているかも知れないな』
「トヴァルさん!?」

 通信に割り込んできたのは、遊撃士のトヴァル・ランドナーだった。
 予想もしなかった人物の割り込みに、トワたちは驚きの声を上げる。

『共和国軍に動きがあった。さっき遊撃士協会のクロスベル支部から連絡があってな。ノルド方面に展開している部隊だけじゃない。クロスベルの東からも、共和国の空挺部隊が接近しつつあるって話だ』

 このタイミングでの共和国の動き。それはトワの予想を裏付けると共に、最悪の未来を予想させるものだった。
 内戦どころの話ではない。このままいけば共和国との戦争になる可能性が高まってきたことに、皆は表情を暗くする。
 アリサたちからすれば、囚われの人質や仲間を助けることが出来ればそれでよかった。
 しかし問題はこの場にリィンがいないのが悔やまれるほどに、より深刻な事態へと向かっていた。
 どう動くべきか、真剣な表情で考え込む一同。しかし、いまカレイジャスに取れる行動は一つしかない。

「これよりカレイジャスは、パンタグリュエルを追い掛けます」

 リィンがいない今、この船の責任者はトワだ。彼女に作戦の決定権がある。
 どちらにせよ、いまからパンタグリュエルを追って、追いつける船はカレイジャスをおいて他にない。タイムリミットはパンタグリュエルが共和国領に入るまでだ。クロスベルの方は、自分たちではどうしようもないことがトワにはわかっていた。
 いまの帝国にクロスベルまで軍を派遣するような余裕はないし、独立を表明したクロスベルが素直に帝国の協力を仰ぐとは思えない。帝国・共和国の何れか、もしくは両方が攻めてくる可能性は彼等も考慮していたはずだ。
 なら、クロスベルの運命はクロスベルの人々に委ねるしか取れる方法がなかった。
 希望があるとすれば、碧の大樹――未だに消失していない、あの樹が共和国に対する抑止力として働くことに期待するしかない。
 その能力は不明だが、一時は帝国軍をも退けたクロスベルの力は本物だ。当然、同じことを共和国も警戒しているはず。

『分かった。クロスベルの方は任せろ。どうにか時間稼ぎが出来ないか、こちらでも動いてみる』
『では、ノルド方面の警戒は私たちに任せてもらおう。軍に事情を説明して協力を仰ぐなら、私の方が適任だろ』

 クロスベル方面はトヴァルが、ノルド方面の抑えはオリヴァルトとミュラーが動くことになった。
 その一方で、トワやアリサたちも表情を引き締め、覚悟を決める。
 帝都での決戦の裏で、帝国の趨勢を決める作戦が幕を開けようとしていた。



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