「これがシャーリィ・オルランドの力……」

 想像を遙かに超えた現実を前に、エマは白昼夢を見たかのように呆然と呟く。
 しかし、これは夢ではなく現実。リィンの言葉をエマは思い出す。
 シャーリィが本気をだしつつも本領を発揮していなかったというのは、こういう意味だったのだと――
 リィン・クラウゼル。フィー・クラウゼル。シャーリィ・オルランド。
 猟兵の世界に身を置く者なら知らぬ者はいない二つの名。クラウゼルとオルランドの名を受け継ぐこの三人は物心がついた頃には戦場に身を置き、硝煙の臭いと銃声を子守歌に育った生粋の猟兵だ。
 だからこそ、彼・彼女たちは知っている。世界の厳しさを、戦場の怖さを――
 戦闘技術や身体能力と言った目に見える強さは、生死を賭けた戦いのなかでは決定力とはならない。
 次がある? 違う。負ければ、そこで終わり――戦場では結果がすべてだ。
 彼等は武人ではない。騎士でもない。ただの猟兵だ。
 だからこそ、彼等は足掻く。卑怯と罵られようと、どんな手を使っても勝利を諦めない。
 それが、シャーリィ・オルランド――戦場で生きる者の強さなのだとエマは理解した。

「エマ・ミルスティン。今度はお前の番だ」

 リィンの言葉で現実に引き戻され、ハッと顔を上げるエマ。

「なんの目的があって俺に近づいたのかは知らない。だが俺は〈騎神(こいつ)〉も〈魔女(おまえ)〉も目的のための手段としか考えていない。だから、お前も本当に成し遂げたい目的があるのなら迷わずに俺を利用しろ」
「リィンさん……」
「お前が踏み出そうとしている世界は、そういう世界だ」

 リィンが何を伝えようとしているのか、そのことが分からないエマではなかった。
 利用しているだけというのは酷い言いぐさだが、そこにはリィンなりの優しさが込められていた。
 エマにはエマなりの覚悟と叶えたい目的があって、ブルブランやマクバーンと手を結び、カイエン公に力を貸したのだろう。だが、エマが踏み込もうとしている世界は、彼女が思っている以上に厳しい世界だ。
 中途半端な強さと優しさは、自分だけでなく大切な人を危険に晒す。
 彼女にその覚悟があるのかを、リィンは確かめようとしていた。

「リィンさんは私の思っていたとおりの人でした。四年前のあの日から何も変わっていない」

 エマがリィンと出会ったのは、これが初めてではない。
 四年前の事件でリィンや〈西風の旅団〉に助けられてから、エマはリィンのことをよく知っていた。
 フィーのために怒り、心を闇に呑まれてまでシーカーと戦ったリィン。
 そしてリィンを助けるため危険に飛び込み、迷わず身体を張ったフィー。
 そんな二人の絆の強さに触れ、エマの頭に過ぎったのは失踪した義姉――ヴィータのことだった。
 共に長老のところで魔女の修行をした姉弟子。知識を得ることに貪欲で誰よりも修行に真面目に取り組んでいて、自分だけでなく他人にも厳しい一面はあったが、エマにとっては優しい姉だった。
 本当の家族のように慕っていた。そんな彼女が掟を破って村をでたと聞かされた時、エマはその話を信じられなかった。
 どうしてヴィータが掟を破ったのか、自分の前から何も言わずに姿を消したのか分からず、それから塞ぎ込むことが多くなり修行にも身が入らない日々を過ごしていた。そんな時だ。あの事件が起こったのは――
 エマが現実と向き合う強さを手に入れられたのは、リィンやフィーのお陰だった。
 リィンは、そのことに気付いていないだろう。
 だからエマは宣誓する。自分の覚悟をリィンに知ってもらうために――

「誓います。私は〈灰の騎士〉を導き、見守る使命を帯びた魔女エマ・ミルスティン。その運命は常に〈騎士(あなた)〉と共にあることを――」

 それは自分自身に向けた誓いの言葉でもあった。
 あの事件以降エマは、それまでの遅れを取り戻すように修行の日々に明け暮れた。
 村をでる切っ掛けとなったのは、ルトガー・クラウゼルが死亡し、リィンとフィーが団を抜けたという風の噂を耳にしたからだ。
 その噂の信憑性を探っているうちに、彼等がオリヴァルトから士官学院への誘いを受けているという話を耳にし、エマは自身も学院に潜り込むことを考えた。
 その下見でトールズ士官学院を訪れた際、トワやアンゼリカと愉しげに話をするクロウを見かけ、彼が騎神の起動者だということはすぐに分かった。そして彼を騎神の起動者として導いた魔女がヴィータだと確信を得るのに、そう時間は掛からなかった。
 その時からだ。調査の過程で貴族派に近付き、ブルブランと手を組み、今回の計画に思い至ったのは――
 結局、リィンとフィーは学院に入ることはなかったが、旧校舎の地下に封じられた〈灰の騎神〉の状況や、クロウの動向を身近で観察することが出来る学院生という立場は、エマにとって都合がよかった。
 それにヴィータがエマの実力を甘く見ていたことも、エマにとって有利に働いていた。
 認識阻害の魔術を使い、エマの注意が自分に向かないように画策しているつもりだったのだろうが、エマの魔術の腕は一部ではヴィータを凌ぐほどに達しており、逆にヴィータの動きはブルブランを通じてエマに筒抜けになっていた。
 いまならヴィータがどうして自分の前から姿を消したのか、エマには分かる気がする。
 彼女には、どうしても成し遂げたい目的があった。守りたいものがあった。目の前の彼のように――
 しかし、それを尋ねてもヴィータはきっと答えてはくれないだろう。だからエマはヴィータと同じ世界に身を投じることを決めたのだ。
 それは奇しくも、フィーが猟兵の世界へと足を踏み入れることになった理由と同じだった。
 ただ守られるだけでなく家族を守れる存在になりない。大切な人の横に並び立ちたい。
 そんなささやかで当然の想い――ヴィータの失敗は、そんなエマの成長に気付けなかったことだろう。

「……なんだか、プロポーズみたいだな」
「プロ……ち、違います! そ、そういう意味じゃ……」

 エマの一世一代の誓いの言葉を、なんだかなと茶化すリィン。
 これを狙ってやっているのではなく天然だと言うのだから、末恐ろしいものがあるとリィンはエマの将来を心配する。学院に通っていたという話でもあるし、勘違いから泣かされた男子生徒も少なくはなかっただろう。
 その時、緋の騎神――テスタ・ロッサのものと思われる悲鳴が辺り一帯に響いた。
 紅蓮の炎に包まれるテスタ・ロッサの姿を確認して、リィンは操縦桿を握る手に力を込める。

「さてと、雑談はここまでだ。エマ……やれるな」
「……はい」

 エマが魔術の詠唱に入ったのを確認して、そっと目を閉じるリィン。
 意識を集中すると、ヴァリマールの全身にマナが行き渡っていくを感じる。

(これが、魔女の魔術か)

 どこか〈王者の法(アルス・マグナ)〉を使う時の感覚に似ていることに気付き、リィンは驚きを隠す。
 魔女の使う魔術は、教会の秘術や導力魔法と、どう違うのかをリィンは確かめたかった。
 リィンはこの世界の魔法との相性が悪い。その一方で異能――外の理に通じる力であれば、誰よりも上手く扱うことが出来る。なら導力魔法と同様に教会の聖痕や秘術に関しては、恐らくこの世界特有の力だと考えられるが、果たして魔女の使う魔術はどうなのだろうか?
 精霊窟で見つけた封印の扉や、これまでに得た感覚から魔女の魔術は外の理≠ノ通じる力ではないかと当たりを付けていた。そして、その考えは間違っていなかったとリィンは確信を得て、そっと目を開ける。

「リィンさん……?」

 強化魔術を発動しようとした瞬間、エマは不思議な感覚に襲われた。
 そして原因を辿るようにリィンへと視線を向け、エマは息を呑んだ。
 最初にエマの目に入ったのは、ぼんやりとした光に包まれたリィンの姿だった。
 黒かった髪は灰色に染まり、双眸は真紅の輝きを放つ。白と黒、異なる二色の光がリィンと同調するように、ヴァリマールの全身を包み込んでいく。それはエマが四年前にも見た〈王者の法〉の輝きだった。

「お陰で、この力を前より上手く扱えそうだ」

 覚醒と呼べるほどのものではないが、リィンはここにきてコツを掴もうとしていた。
 以前なら限られた短い時間しか〈王者の法〉を維持することは出来なかった。なんとなく発動することは出来ても、効率よく運用するための(すべ)を知らなかったためだ。
 しかし魔術の一端に触れることで、リィンはエマから力の使い方を学び取ろうとしていた。
 そのことにエマも気付いたのだろう。だから驚きを隠せない。
 教わったからと言って適性がなければ使えないのが魔術だ。そして簡単な魔術でも使えるようになるには長い修行が必要だ。それをほんの少し術に触れただけで、そこから魔術の理を学び取るなど本来ならありえないことだった。
 あのヴィータにすら不可能なことをリィンはやってのけたことになる。才能の一言では片付けられない問題だ。

「転生者……」

 思わずエマの口から漏れた言葉。それを耳にしたリィンは驚いた様子でエマを睨み付ける。
 しまったとばかりにエマは口元を手で覆い隠すが、既にそれは手後れだった。

「リィンさん、私は……」

 これ以上は誤魔化しきれないと悟り、観念した様子で頭を垂れるエマ。彼女には誰にも話していない秘密があった。
 四年前に教団の残党に拉致され、グノーシスの実験投与によってエマは高い感応力を身に付けていた。分かり易く言えば、目には見えないものを感知するアンテナの感度が、常人より優れているとでも言うべきか?
 エマの場合、感情や記憶と言った人が持つ心の機微を感じ取るのに、特に優れた能力を有していた。
 普段は喜怒哀楽をイメージとして感じ取れる程度の能力でしかないが、条件さえ揃えば他人の記憶を覗き見ることが出来る。例えば、エマが魔術で生み出したルトガーや先代〈銀〉の影が、あそこまでオリジナルに迫る力を持っていたのは、フィーやリーシャの記憶を元に作られたからだ。
 この力が初めて発現したのは、四年前のあの事件。リィンに助けられた時だった。
 その時、偶然にもエマはリィンの記憶の一部に触れ、これから起きる未来の知識を覗き見ていた。
 その時はまだエマ自身、未来の知識の信憑性について半信半疑だったものの、ルトガーの訃報を知ったことで状況は大きく動く。エマが誰にも計画を悟られずに動くことが出来たのは、その知識によるところが大きかったと言えるだろう。
 誰にもそのことを明かせずにいた理由として、無断で他人の記憶を覗き見るという行為に、少なからず罪悪感を抱いていたというのもあった。

「その話は後だ。まずは目の前の問題を片付けるのが先だ」

 気にならないと言えば嘘になるが、リィンは意識を切り替える。
 エマの不可解な行動の理由にも、これで大凡の察しは付いたが、問題はそれだけではない。
 F・ノバルティスがこのタイミングで帝都に姿を現したということは、碧の大樹は――クロスベルはどうなったのか?
 それに未だに沈黙を守ったままのギリアスの狙いも判明しておらず、水面下では七耀教会から派遣された守護騎士や、ブルブランやマクバーンと言った〈結社〉の執行者も妙な動きをしている。
 確かに帝都を奪還すれば、この内戦は終息に向かうだろう。どうしたところで頭を失った貴族派が瓦解するのは時間の問題だ。しかし、この戦いは最終決戦などではなく前哨戦に過ぎないとリィンは考えていた。
 そのことからすれば、その程度の秘密を一つや二つ知られたところで些細な問題に過ぎない。
 そもそも前世の記憶や原作知識など、いまとなっては何の意味もなさないのだから――

「悪いが、さっさと片付けさせてもらう。後がつかえてるんでね」

 ヴァリマールの右腕を槍のように変形させるリィン。
 すると、槍の先端に魔法陣のようなものが展開され、まるでレールを敷くように幾重にも重なっていく。そして――巨大な光の輪が現れたと思った瞬間、輪が縮まりテスタ・ロッサの身体を締め付けた。
 準備は整ったとばかりに槍を構え、照準を定めるヴァリマール。

「真・必滅の大槍(グングニル)

 安直な名称だとは思いつつも、そのようにしか表現のしようのない技だった。
 エマの魔術とヴァリマールの力を加えることで、グングニルを更に強化、発展させた技。
 一筋の流星となってテスタ・ロッサに迫るヴァリマール。以前ルーレで魔人化したアランに放ったものとは比べ物にならないほどの威力を秘めた一撃が、テスタ・ロッサの全身を貫き大地を穿った。
 地上から空に向かって真っ直ぐに立ち上る光の柱。
 一呼吸置いて発生した衝撃波が大気を揺らし、朱色に染まった帝都の空を白く塗り替えた。

「これは……」

 光に包まれた空から、ゆらゆらと白い雪のようなものが降ってくるのを目にして、エマは思わずその幻想的な光景に魅入ってしまう。
 恐らくはグングニルによって浄化された大量のマナが天へと昇り、帝都の空を覆い隠し、雪によく似た結晶となって大地に降り注いでいるのだろう。

「終わったな」

 ヴァリマールの操縦席から、グングニルの余波で出来た巨大なクレーターを見下ろすリィン。
 その中心には完全に動きを停止したテスタ・ロッサの姿があった。膨大なマナをその身に取り込み肥大化していた見た目も小さくなり、ヴァリマールやオルディーネと変わらないくらいまで縮んでいる。
 禍々しい魔の気配を感じ取れないことからも、作戦は成功したと考えていいだろうとリィンは肩の力を抜く。
 悩んだ末、集束砲ではなくグングニルを決め技に使ったのは、ルーレで魔人化したアランにやったようにテスタ・ロッサに宿った〈紅き終焉の魔王〉だけ浄化できないかと考えたからだった。
 その目論見は上手く行ったと言える。これで二度と〈魔王〉が復活することはないはずだ。

「……ヴァリマール、大丈夫か?」
「問題ハナイ。少シ休メバ回復スル」

 もう大丈夫だとは思うが、さすがのヴァリマールも続けて戦闘が可能なほどのマナは残っていなかった。
 エマと共にヴァリマールから降り、岩に腰を下ろしてリィンは疲れた表情で溜め息を吐く。
 先程の〈王者の法〉とグングニルの反動で、見た目以上に体力を消耗していた。

「そう言えば、異界化は放っておいても解けるのか?」
「はい。時間が経てば解除されるはずです。そうすれば、恐らく城も元通りになるかと」

 エマの話を聞いて安心するリィン。
 もはや廃墟どころか瓦礫の山と化した城を見て、元に戻ると知っていても不安はあった。
 本当にアルフィンを先に逃がしておいて正解だったとリィンは思う。

「リィン。ちょっといい?」
「ん、シャーリィか。お疲れ――ってなんだ?」
「騎神に取り込まれたカイエン公の姿が見当たらないんだけど、もしかして一緒に浄化しちゃったりする?」
「……は?」

 確かに周囲を見渡してみるが、カイエン公の姿はなかった。
 騎神が停止し、眠りについた以上、本来であればコアに取り込まれた起動者は外に放り出されるはずだ。それに幾らカイエン公の性格が悪いとは言っても彼は人間だ。グングニルで浄化されて魔王と共に消滅するなどありえない話だった。

「まさか――」

 嫌な予感を覚え、武器を手に取って周囲を警戒するリィン。
 その直後、空間に亀裂が走る。

「二人とも気を付けてください。この禍々しい気配は――」
「まずい! エマ、シャーリィ――掴まれ!」

 二人に手を伸ばすリィン。
 そして世界は――ガラスのように砕け散った。



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