『すまない。まさか、こんな手を打ってくるとは……』

 通信の向こうで悲痛な表情を浮かべ、リィンに頭を下げるオリヴァルト。彼の机の上には一冊の新聞が置かれていた。
 そこには『内戦終結の立役者、猟兵王の名を継ぐ青年の正体は!?』と煽る見出しで、リィンが実は幼い頃に生き別れたギリアスの子供だった、と関係者でなくては知り得ない類の情報が記されていた。
 ご丁寧に〈灰の騎神〉の起動者がリィンであることや、タングラム丘陵で撮られたと思われる写真まで添えられていた。
 まるでクロスベルに、いや亡命政府のギリアス・オズボーンに、騎神が味方しているとでも喧伝しているかのように――
 リィンの帰還に合わせて、この記事。タイミングの良さから考えても、ギリアスの仕業と考えた方が自然だろう。

『……これは事実なのかい?』
「らしいな。とはいえ、あんなのを親父なんて思ったことは一度としてないが」

 オリヴァルトの問いを否定しないリィン。とはいえ、オリヴァルトもリィンを疑ってはいなかった。
 例え、この話が事実だったとしても、リィンがギリアスと通じているとは思えない。
 しかしオリヴァルトたちが信じていても、リィンのことをよく知らない人々まで同じとは限らないことが問題だった。

『しかし、どうしてクロスベルに? しかも共和国軍と交戦するなんて……』
「転位した先が戦場だったんだよ。まあ、それも偶然とは言い切れないだろうがな」

 少なくとも偶然と言い切るには、出来すぎているとリィンは考えていた。
 聖獣の力に干渉して転位先をズラすような真似が人間に出来るとは思えない。となれば状況から考えて、これが〈碧の大樹〉――この世界のキーアの力なのだろうとリィンは推察していた。
 しかし因果に干渉することで何でも思い通りになるのなら、自分たちに都合の良いように歴史を書き換えてしまえばいいだけの話だ。それこそ帝国や共和国の消滅を願ったり、立場を逆転させてしまえばクロスベルを取り巻く問題は解決する。それをしないということは出来ない理由があるということだ。
 なら、自ずと敵の狙いにも予想は付く。

「いろいろと考えられるが、俺を孤立させるのが狙いかな?」
『余程、キミは警戒されているみたいだね』

 帝国はギリアスを政治犯として扱っている。なのに、その息子を重用しているとなれば聞こえが悪い。
 ましてやリィンは内戦終結の立役者とも噂されていることから、その功績を妬んでいる者が大勢いる。
 となれば、すべて自作自演で内戦時からギリアスと通じていたのではないかと憶測を言う者も出て来るだろう。
 それが事実かどうかなんて関係無い。そう思わせるだけで効果があるということだ。

「やってくれるな」

 そう言って、口元を歪めるリィン。
 声からも明らかに怒っている様子が感じ取れ、オリヴァルトも思わず頬を引き攣る。

「アルフィン――」
「あ、はい」
「さっきの話だが仕事を受けてやってもいい」
「え? ですが……」

 困惑するアルフィン。それも当然だった。こんな記事をだされた後では、帝国政府もリィンを警戒するはずだ。
 アルフィンとオリヴァルトは違うとわかっているが、それで他の者たちが納得するかと言えば話は別だ。
 そのことを心配するアルフィンだったが、リィンには考えがあった。

「勘違いするな。俺個人とじゃない。これから俺が作る予定の団≠ニの契約だ」
「え……リ、リィンさん、それってまさか……」

 個人ではなく団との契約だとリィンに言われ、アルフィンは驚きを隠せない様子で尋ね返す。
 これが上手く行けば、様々な問題に目を瞑ってでも帝国政府はアルフィンとの契約を黙認せざるを得なくなる。
 リィンはそう考え、アルフィンの考えを否定したのだ。そしてリィンの隣ではシャーリィが目を輝かせていた。
 リィンが何を企んでいるのか、いまのやり取りで察したのだろう。
 
「誰に喧嘩を売ったか分からせてやるよ」

 冷たい笑みを漏らすリィンを見て、誰かのゴクリと咽を鳴らす音が部屋に響いた。


  ◆


 エレボニア帝国の北部に位置するノルティア州の首都、鋼都ルーレ。ビルや工場が建ち並ぶ近代的な街並みの一角に、RFグループが管理する飛行船の発着場があった。
 そこに停泊する一隻の船。〈紅き翼〉の名で知られる高速巡洋艦カレイジャス。エレボニアとリベールの友好の証として建造され、アルノール皇家に献上されたものだ。しかし現在は内戦時にアルフィンが交わした契約によって、リィンに下賜されることが決まっていた。
 とはいえ、両国の友好の証として皇家に贈られたものだ。それを平民、それも猟兵に与えるなど前例のないことだけに猟兵との約束など無視してしまえばいいという声もあったが、それはアルフィンやオリヴァルトだけでなくログナー候、更にはオーレリアまで一緒になって止めたのだ。オリヴァルトやアルフィンだけでなく四大名門に名を連ねる大貴族や、更には領邦軍の英雄まで賛同しているとあっては異論を唱えた貴族たちも黙るしかなかった。
 一度交わした約束を反故にするような真似をすれば、アルノール皇家だけでなく帝国の面子を汚すことになる。それに帝都の異変を解決に導き、内戦終結の立役者でもあるリィンの不興を買うことを恐れた結果とも言えた。

「ようやく帰ってきて姿を見せたかと思えば、私にこんなことを頼むなんてね……」
「お前にとっても悪い話じゃないだろう? ヴィータ・クロチルダ。いや、ミスティ」

 そんな様々な思惑と事情が絡み合う船で、リィンはある人物と顔を合わせていた。エマの義姉にして〈結社〉に所属する使徒の一人。〈蒼の深淵〉の名を持つ魔女、ヴィータ・クロチルダだ。
 本来であればリィンが知っているはずのない、もう一つの顔の名前で呼ばれてヴィータは複雑な表情を見せる。ヴィータをここに呼び出すのにリィンが使った手紙も、ミスティ宛にトリスタの放送局に届いたものだった。
 ファンレターに紛れてリィンの手紙が混ざっていた時は、ヴィータも思わず声を上げるほど驚かされた。それだけに文句の一つも言いたくなる。

「性格が悪いって言われるでしょ、あなた」
魔女(おまえ)ほどじゃないさ。俺は正直者で名が通ってるからな」

 平然とした顔で嘘を吐くリィンに、ヴィータは何を言っても無駄と悟ると溜め息を漏らす。
 有言実行という意味では正しいが、天地がひっくり返ってもリィンが正直者だとは思えなかった。曲者揃いで知られる〈結社〉の執行者より、ある意味でたちの悪い男だとヴィータはリィンを評する。
 とはいえ、そんな男でも恩人であることに変わりはなかった。

「いいわ、引き受けてあげる。あなたには借りがあるもの……」

 借りというのはクロウの件だ。現在クロウを含めた帝国解放戦線のメンバーは、ここノルティア州にある黒竜関に収監されているが、その身柄は裁判の後にリィンに引き渡されることになっていた。
 帝都で起きた異変の解決に尽力したことも理由にあるが、一番はリィンが受け取る報酬の一部を彼等の身柄引き渡しにあて、内戦時にアルフィンやセドリックと交渉したことによる成果が大きかった。ヴィータはそのことを忘れてなく、実のところ感謝していたのだ。
 余談ではあるが、収監先がログナー候のお膝元となったのには理由がある。帝国解放戦線は政府や軍の施設を標的としたテロを繰り返し行っていた。そのため、民間に対する被害は然程でもないのだが、正規軍のなかには彼等に対する悪感情を抱く者が少なくない。そのため正規軍の施設に彼等を預けると言った選択は取れなかったのだ。
 そこで領邦軍に彼等を預けることにしたのだが、その預け先を巡っても、また議論は紛糾した。
 帝国解放戦線がカイエン公と通じ、貴族連合に協力していたことは軍や政府関係者であれば誰もが知っている事実だ。それだけに貴族連合の行った悪事の証人でもある帝国解放戦線のメンバーを、下手に領邦軍に預けるような真似をすれば暗殺される可能性がある。そこで内戦時から連合とは距離を取っており、娘を通してクロウたちとも面識のあったログナー候に白羽の矢が立ったというわけだ。

「とはいえ、少し揉めてるんだがな。クロウの件は……」
「どういうこと?」
「騎神のことだ。貴族どもが渋ってるらしい」

 なるほど、とヴィータは話の流れを理解する。
 クロウの身柄を預けるということは〈蒼の騎神〉もセットでリィンのもとへ行くということだ。ようするにリィンの保有する戦力が増強されるのを、貴族たちが警戒しているということだった。
 所詮は内戦時に交わした口約束に過ぎない。あとで問題になるだろうとはリィンも思っていた。
 とはいえ、このままでは裁判が終わっても、クロウだけが釈放されないということになりかねない。そこでリィンはどうしたものかと考えていた。

「まあ、約束を反故にするようならヴァリマールで襲撃して、クロウを連れ去るって方法もあるんだがな」
「あなたが言うと冗談に聞こえないわね……」

 リィンなら、その程度のことは難なく出来ることを知っているヴィータとしては冗談とは思えない話だった。

「そうならないように努力はするさ。まあ、交渉の方は任せてくれ」
「……お願いするわ」

 そうなったら帝国も面子があるため黙ってはいないだろうが、指名手配されたところでリィンが困るとは思えない。その時は〈結社〉に誘ってみようかしらとヴィータは考えるが、同時にありえない未来だともわかっていた。
 何があっても帝国がリィンを手放すとは思えない。アルフィンやオリヴァルトあたりはリィンと手を切るということが、どういうことかを理解しているはずだ。それに正直〈結社〉でさえ、リィンを扱いきれるとヴィータは思っていなかった。
 なら、このままの関係を維持するのが互いにとっても一番いい。そう考え、ヴィータが席を立ったところでリィンは爆弾を投下した。

「そこまで気に掛けてるのに、会いに行ってはやらないんだな」
「…………」

 無言で立ち去るヴィータの背中を見送りながら、リィンは肩をすくめる。
 何も答えないのが答えだとわかっていた。立場のこともあって素直になれないのだろうとリィンは思う。
 エマへの対応を見れば、それは一目瞭然だ。

「さてと……」

 ヴィータとの交渉を終えると、リィンは部屋の入り口で待機していたリーシャに声を掛けた。

「待たせたな。それじゃあ、行くか」
「あ……はい」

 少しぎこちない様子で返事をするリーシャ。彼女が何を気にしているのかを察して、リィンは自分から話題を振った。

「悪かったな。留守を任せちまって」
「いえ、このくらいは……それにリィンさんには借りがありますから」
「……借り?」
「行き場のなかった私に居場所を与えてくれたこと、過去の自分と向き合う切っ掛けをくれたこと、そして――共和国の侵攻からクロスベルを守ってくださったと聞いています」
「ああ、そのことは成り行きなんだがな……」
「事情はどうあれ、クロスベルを救ってくれたことに変わりはありません。だから感謝しています」

 感謝を口にするリーシャを見て、リィンは照れ隠しのつもりか指で頬を掻く。
 こんな性格で暗殺者なんてよく務まっていたなと少し心配になるが、そこがリーシャの良いところなのだろうとリィンは思うことにした。
 歴代の〈銀〉がどういった人物かまでは知らないが、一人くらい真面目で情に脆い暗殺者がいてもいいだろう。
 暗殺稼業に向いているとは思わないが、リーシャの性格は好ましいとリィンは感じていた。

「リーシャ。よかったら俺と――」

 だから思わず口にした言葉。リィンがリーシャに声を掛けた、その時だった。

「リィン」

 後ろから声を掛けられ、リィンは少し驚いた様子で振り返る。
 顔を見るまでもなく誰かを察することなど、彼女のことをよく知るリィンにとって難しいことではなかった。
 フィー・クラウゼル。幼い頃より共に戦場で生きてきた少女がそこにいた。

「長いこと待たせたな」
「ん……」

 それ以上、余計な言葉はいらないと言った様子で互いの無事を確認する二人。
 そんなフィーの頭をリィンは再会を喜ぶように、いつもの調子で優しく撫でる。
 少しくすぐったそうにしながらも幸せそうな笑みを浮かべるフィーを見て、リーシャも思わず笑みが溢れた。

「フィー。早速だが大事な話がある。出来れば、リーシャにも聞いて欲しい」
「……私にもですか?」

 フィーだけでなく自分にも話しがあると言われてリーシャは不思議そうに首を傾げるも、いつもとは違う真剣な表情のリィンを見て緊張した様子で背筋を伸ばす。

「もう親父の背中を追うのは終わりだ。これから俺は――俺の団を作る」

 リィンの口からでた言葉に、フィーとリーシャは目を瞠る。
 ――団を作る。それは猟兵団を結成すると言うことだ。いつかはこんな日が来るような予感はしていた。
 またリィンと一緒の団で仕事が出来る。その嬉しさと、ほんの少しの不安と期待を胸にフィーは話の続きを待った。

「二人とも、俺に付いてきてくれるか?」

 迷うことなくリィンの誘いに頷くフィー。とっくに答えなど決まっていた。一方でリーシャは迷っていた。
 最初の頃は〈赤い星座〉との因縁もあって猟兵に余り良いイメージを持っていなかったリーシャだが、リィンに拾われてフィーたちと心を通わせていく内に猟兵に対する見方も大分変わっていた。しかし猟兵に対する偏見は消えたと言っても、まさかフィーだけでなく自分も誘われると思っていなかっただけにリーシャは戸惑いを隠せない。
 正直なところ、あんなことがあった後では共和国に戻って仕事を続けることは難しいとリーシャは感じていた。
 それと同じく今更クロスベルに戻ったところで、何食わぬ顔でアーティストを続けられる自信もない。
 イリアなら何も聞かずに受け入れてくれるかもしれないが、その優しさに甘える気にはなれなかった。

「俺の家族になって欲しい」

 だから心が揺れる。そんな風に真っ直ぐに求められたら、思わず頷いてしまいそうになる。
 リィンの瞳に吸い込まれるように、リーシャが答えを口にしようとした、その時だった。

「ぷ、プロポーズ!? しかも二人同時に!?」

 艦内に響く声。そしてリィンたちが一斉に振り返ると、そこにはアリサがいた。
 よく見ればアリサだけではない。彼女のメイドのシャロンや、他にもVII組の生徒たちも一緒だった。

「お前等……学院にいるはずじゃ? こんなところで何してるんだ?」

 リィンは頭を掻きながら、呆れた様子でアリサたちにカレイジャスにいる理由を尋ねる。
 しかし、そんなリィンの態度が癇に障った様子でアリサは声を荒げて反論した。

「アンタが帰ってきたって聞いたから、皆で様子を見に来たんじゃない! こうでもしないと顔すら見せに来ないでしょ!」

 確かに、とリィンもそんなアリサの話に納得する。
 それどころではなかったということもあるが、士官学院に顔をだすという選択がリィンは思い浮かばなかった。

「否定は出来ないが……なんだ? 寂しかったのか?」
「な……ッ!?」

 予想外の答えが返ってきて、顔を真っ赤にしてアリサは狼狽える。
 気に掛けていなかったと言えば嘘になるが、態々トリスタにまで足を運んで顔を覗きに行こうと思うほど親しいわけでもない。
 そんなことを言えば、アリサはまた突っかかってくるだろうと思い、ちょっとからかってやるつもりでリィンはそう口にした。
 そんなリィンの悪ふざけに、アリサの傍に控えていたシャロンが便乗する。

「はい。それは、もう……。リィン様の消息が分からないと聞いたお嬢様は心ここにあらずと言った様子で、毎日のように枕を涙で塗らして……」
「ちょっとシャロン!? あなた何を言って――」
「そうか……寂しい想いをさせてしまって悪かったな。なんだったら今日、俺のベッドに来るか? 朝まで添い寝してやってもいいぞ」
「あ、アンタまで、なに言ってるのよ!?」

 心配していたのは本当のことだが、いろいろと脚色して説明され、アリサは顔を真っ赤にしてシャロンに詰め寄った。
 しかし、そんなシャロンと息の合った会話で逆にアリサに迫るリィン。
 追い詰められたアリサは顔を真っ赤にして反応するものだから、益々状況は悪くなっていく。

「また遊ばれてるな。しかし、懐かしい光景だ」
「うむ。こうして見ていると、兄上が帰ってきたという実感が湧くな」
「何気に二人ともアリサの扱いが酷いよね……」

 ガイウスとラウラの話は的を射ているが、余りなアリサの扱いにエリオットは苦言を漏らす。
 ただ、実際こうした懐かしいやり取りを見ていると、エリオットも安心する。
 湿っぽい雰囲気での再会は、確かにリィンらしいとは言えなかった。

「あれが帝都の異変を解決した英雄、キミたちの言っていた猟兵の男か。なんだか想像していたのと違うというか……シャロンさんと一緒になって、あのアリサをあそこまで弄ぶだなんて、いろんな意味で凄い奴だな」
「ああ……いろいろな意味で凄い奴だ」

 珍しくユーシスと息の合った会話をするマキアス。それほどマキアスにとって衝撃的な出来事だったのだろう。
 とはいえ、ユーシスは半ばこうなることを予想していたようで、毎度のように遊ばれているアリサに対する呆れの方が大きかった。

(エマの奴、こいつらが来ることを知ってやがったな)

 そしてリィンはというとアリサをからかいながら、今日に限って一緒にいないエマのことを考えていた。
 恐らくはアリサたちと顔を合わせることが出来なくて、一緒に来なかったのだろうと察する。
 クロウに会いに行かないヴィータのことが頭を過ぎり、こんなところまで姉妹揃って似なくてもとリィンは思った。



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