月日は流れ、ライノの花が咲く季節が再び巡ってくる。そんな春の訪れを報せる門出の季節に似つかわしくない剣戟が響く。
 ルーレ郊外にある領邦軍の演習場。そこでリィンは〈光の剣匠〉の異名を持つヴィクター・S・アルゼイドと剣を交えていた。
 試合形式の模擬戦とは言っても、互いに真剣を用いての勝負。しかも最強クラスの猟兵と剣士の戦いだ。戦闘の余波だけで砂埃が舞い、大地に亀裂が走る。
 もはや常人の及ぶところではない凄まじい戦闘が繰り広げられていた。

「やるな。しかし、まだ甘い――」
「く――ッ!」

 ヴィクターを相手に手を抜けば一瞬でやられる。そう考えたリィンは最初から〈鬼の力〉を全力で使っていた。にも拘らず一瞬の隙を突かれ、ヴィクターの放った横凪の一撃がリィンに襲いかかる。咄嗟にガードするも勢いを殺しきれず、派手に弾き飛ばされるリィン。そして追い打ちとばかりにヴィクターが闘気を纏った剣を振り下ろすと、大地を斬り裂くような衝撃波が放たれ、リィンへと迫った。
 しかしリィンも、ただやられてはいない。左手の剣を地面に突き立て体勢を立て直すと、もう一方の剣でヴィクターの放った衝撃波を相殺する――が、その直後――大地が割れ、轟音が響く。
 渦を巻くように空に舞い上がる砂埃。一瞬にして間合いを詰めたヴィクターの上段からの一撃を、リィンは二本の剣で受け止めていた。

「やってるね」
「うん。でも、やっぱり剣だけだとリィンの方が分が悪いみたい」
「なんで二人ともアレを見て、平然としてられるのよ……」

 観戦席で普通に感想を口にしながら会話をするフィーとシャーリィを見て、アリサは信じられないと言った表情で溜め息を漏らす。
 未だ修繕中のラインフォルトの本社ビルに用事があって、アリサは今朝早くから鉄道を使ってルーレを訪れていた。用事を済ませ、空港に停泊しているカレイジャスに寄ってみればリィンの姿はなく、船員から演習場にいるという話を聞いて足を運んだのだが、そんなアリサを待ち受けていたのは模擬戦とは名ばかりの戦争だった。

「はあああッ!」
「うおおおおッ!」

 リィンとヴィクターの声が響き、剣が交わる度に大気を震わせるような衝撃が観戦席にまで伝わってくる。近代兵器を凌駕するほどの攻防が目の前で繰り広げられていることに、アリサは夢でも見ているかのような錯覚に襲われるが、これは夢でも幻でもなく現実だ。その事実が余計にアリサのなかの常識を壊していった。
 そして、そんな戦いにも終わりが見える。互いに距離を取ると咆哮と共に膨大な闘気を身に纏い、両者同時に大地を蹴る。
 その衝撃で陥没する地面。そして演習場の中央で二人は激突した。

(これは――ッ!)

 剣がぶつかる直後、ヴィクターは目を瞠る。彼が目にしたのは、リィンの身体から僅かに漏れでる黄金色の闘気だった。
 その直後――空気が振動し、攻撃の余波が衝撃波となって観戦席に襲いかかる。急な突風に晒され、飛ばされないように近くの物にしがみつきながら悲鳴を上げるアリサ。ようやくフィーとシャーリィ以外、観戦者が誰もいない理由にアリサは気付かされるも既に時は遅かった。
 その衝撃はあらゆるものを薙ぎ倒し、空の彼方へと吹き飛ばしていく。そして――
 ようやく風が収まったところで、へなへなと地面に膝をつくアリサ。衣服は乱れ、髪はボサボサで酷い有様だった。そんななかで平然と観戦を続けるフィーとシャーリィの姿を見て、やっぱりこの二人も普通じゃないとアリサは再確認すると、戦いの行方が気になって演習場へと目を向けた。
 視界を塞いでいた土煙がようやく晴れ、演習場の中央で剣を構えて並び立つ二人の姿が見えてくる。

「はあ……やっぱり勝てなかったか」
「いや、これが試合ではなく実戦だったなら敗れていたのは私の方だろう」

 喉元に突きつけられた剣を見て、リィンは自分の負けを悟る。勝負は僅差でヴィクターの勝利に終わった。しかし試合であったから勝てたものの、これが実戦であれば敗れていたのは自分の方だとヴィクターは考えていた。
 ヴィクターにもまだ見せていない力はあるが、リィンの隠し持つ力は明らかに人の域を超えている。あくまでヴィクターは人間という種の限界を極めた達人に過ぎない。しかし世の中にはその限界さえ超越し、人の身では決して勝てない強者が存在する。リィンがその一人だと、先程の攻防からヴィクターは見抜いていた。しかし、それだけに惜しいと思う。

「今日は鍛練に付き合ってもらって、ありがとうございました」
「いや、こちらこそ良い勉強をさせてもらった。それで一つ相談があるのだが――」
「はい?」
「リィン。私の下でしばらくの間、剣を学んで見る気はないか?」

 突然のヴィクターの申し出に、リィンは目を丸くして驚く。ヴィクターの使う剣術はアルゼイド流と呼ばれる獅子戦役の時代、鉄騎隊の副長を務めていた人物を祖とする剣技だ。一太刀で巨大な魔獣をも両断する剛剣と言われ、アルゼイドの当主に代々受け継がれている宝剣〈ガランシャール〉も身の丈ほどある大剣で、通常であれば片手で振り回すことの難しい武器だった。
 それをヴィクターは片手で軽々と扱う。無理だとは言わないが、二本の銃剣を駆使して戦うリィンとは戦闘スタイルが違い過ぎる。そのことにヴィクターほどの達人がわかっていないとも思えず、リィンはその真意を計りかねていた。
 そんな困惑した表情のリィンを見て、ヴィクターは言葉が足りていなかったことに気付き、間違いを訂正する。

「アルゼイド流を継いで欲しいという話ではない。剣術を本格的に学んで見る気はないかという誘いだ」
「えっと、それは……」
「勘違いしないで欲しいのだが、そなたの腕がダメだと言っているのではない。恐らくは父君から教わったのだろうが、実戦で培われた良い剣だ。その年齢で、それだけの腕の持ち主はそうはいないだろう。しかし――」

 そこで一旦、言葉を溜めるヴィクター。
 そして教え子を諭すように冷静な口調で、リィンの剣に隠された問題点を指摘する。

「反射速度、勘の鋭さ、圧倒的な身体能力と人並み外れた闘気。そして、そなたの持つ異能。それらすべてを加味すれば、私ですら及ばないほどの力をそなたは有している。それだけに欠点も目立つ」
「……欠点?」
「肉体の能力に技量が追いついていない。既に気付いているのではないかね?」

 ヴィクターの指摘は的確なものだった。それだけにリィンは反論できない。圧倒的な身体能力に対して技量と経験が追いついていないことは、自分自身でも薄々気付いていたことだったからだ。
 相性の問題もあるがマクバーンを圧倒したように、異能の扱いについては自信がある。しかし剣術に関して言えば基礎をルトガーに教わっただけで、あとは実戦で磨いた半ば我流とも言えるものだった。

「無理にとは言わない。しかし、その気があるのなら連絡が欲しい。リィン、そなたなら半年――いや、三ヶ月もあれば物に出来るはずだ」

 リィンはどうしたものかとヴィクターの提案について考える。更なる高みを目指すのであれば、ヴィクターの誘いに乗るべきだとわかっていた。
 しかし猟兵団を結成したばかりで、いま団を離れるわけにはいかない。それに、あれからずっと沈黙を守ったままのクロスベルの動向も気になっていた。
 悩んだ末、リィンは判断を保留する。

「……少し考えさせてください」
「まあ、いまのままでも十分にそなたは強い。焦らずとも精進を続ければ、いつか技量の方も肉体に追いつくはずだ。今日のことを抜きにしても、近くを寄った際には気軽に屋敷を訪ねて欲しい。道場の皆にも紹介したいのでな」
「その時は是非――」

 そんなリィンの答えは予想できていたのだろう。だからヴィクターも無理強いはしない。全力をだして対等に戦える相手が少ないと言うのもあるが、リィンに対してはラウラが兄上と慕っていることもあってか、ヴィクターも息子のように気に掛けていた。それだけにその才能が惜しくなって、こんな風に思わず声を掛けてしまったのだ。
 そして、別れを惜しむようにヴィクターは去って行った。

「まいったな。あの人には頭が上がりそうにない」

 全力で異能が使えない状態が長く続いていたこともあって、どのくらい力が戻ったかを確かめるつもりで演習場を借りたのだが、偶然ログナー候のもとを訪ねてルーレに来ていたヴィクターと再会し、その流れで模擬戦をすることになったのだ。
 互いに本気とは言えない勝負だったが、だからと言って負けるつもりはなかった。しかし勝負に負けたどころか心配までされるなんて、まだまだだなとリィンは自らの未熟さを痛感する。剣術に限らず経験の差は大きいと考えながら観戦席の方へ足を向けると、フィーやシャーリィだけでなくアリサの姿を見つけて、リィンは不思議そうに首を傾げながら声を掛けた。

「なんだ、アリサもいたのか。お前、学院の方は大丈夫なのか?」
「ご心配なく。今日は本社に用事があって寄っただけだから、すぐに帰るわ。……もうすぐ学院を去るしね」
「ああ、そういや。そんなこと言ってたな」

 少し苛立った様子で、リィンの質問に答えるアリサ。戦闘の余波に巻き込まれたことを根に持ってのことだった。そして学院をもうすぐ去るというアリサの言葉に、そんな話もしていたなと以前アリサたちが訪ねてきた時のことをリィンは思い出す。三月でサラが教官を辞めるのと同時にVII組は解散することが決まっていた。
 とはいえ、アリサたちは一年だ。トールズ士官学院は二年制。通常であれば特科クラスが解散になったとしても別のクラスに編入されるだけの話だ。ところがアリサたちはVII組の解散と同時に学院を去ることを決めた。しかし、これには一悶着あった。学院は自主退学を認めず代わりにアリサたちに条件をだしてきたのだ。それは卒業に必要な残りの単位を三ヶ月ですべて取得するというものだった。
 ほとんど無茶と言ってもいい条件だがアリサたちはその条件を呑み、休日も返上で学院に通い、机にかじりつく日々を送っていた。そこまでアリサたちが無茶をするのは、先の内戦を通じて、それぞれが進むべき道をはっきりと意識したことにあった。
 エリオットは自らの夢を叶えるために音楽の道を再び志すことを決め、卒業後は帝都にある有名な音楽学校に進学することが決まっていた。ガイウスはトヴァルの支部再建の話を聞き、ノルドの民の自立に協力したいと自身も遊撃士になることを決めたそうだ。アルバレア公爵家は減封が決まり、所領の一部が没収されることになったが、ユーシスはアルバレア家の人間として償いと責任を果たすべく、ケルディックの復興や領地の建て直しに尽力するために、卒業後は本格的に領地の経営に関わることを決めていた。マキアスは父親のように政治の道を志すべく帝都の学校へ進学することを決め、ラウラはヴィクターの下で剣術を一から鍛え直すつもりらしい。修行から戻ったら再戦する約束をしたとフィーが言っていたのをリィンは覚えていた。
 そしてアリサは――

「でも、本当によかったのか?」
「……なんのこと?」
「学院をたった一年で卒業してしまってだ。学生の間にしか出来ないことだってあるだろうに……そんなに急ぐ必要もないと思うんだがな」

 アリサが全寮制の士官学院に通うことを決めたのは、母親と顔を合わせないためだ。
 しかし先の内戦で思うところがあったのか、あれから何度かルーレを訪れては母親と会っているらしく、恐らくは親の後を継いで会社の仕事を手伝うつもりでいるのだとリィンは考えていた。
 とはいえ、自分のやりたいことを見つけて、夢を実現するために学院を去る他の皆と比べると、アリサが学院を去る動機は少し弱い気がした。
 社会に早くでたい気持ちは分かるが、むしろ学生の間にしか学べないものもある。成績の方は問題ないのだろうが、その点をリィンは心配していた。

「その言葉、そっくりそのままアンタに返すわ」

 しかしアリサにそう反論されて、それもそうかとリィンは納得する。
 生き急いでいるつもりはないが、一年前にオリヴァルトの誘いを断ったのは事実だ。アリサは知らないだろうが、ひょっとしたらVII組で彼等と机を並べていた未来もあったかもしれないとリィンは考える。しかしリィンは学院に通うことよりも、猟兵であることを優先した。それはリィンが自ら考え、選んだ道だ。アリサも同じく学生でいることと社会にでること、その二つを天秤に掛けて選び取ったのだろう。
 なら、これ以上は余計なお節介に過ぎないとリィンはあっさりと引き下がった。

「ところで……エマがどこにいるか知らない?」
「もしかして、まだ会ってないのか?」
「……避けられてるみたいなのよね」

 少し落ち込んだ様子で肩を落としながら、アリサはそう答える。先日の記者会見には、フィーやリーシャだけでなくヴァルカンやスカーレット。それにリーシャやエマも参加していた。そのことからエマが〈暁の旅団〉のメンバーであることが明らかとなり、当然のことながらアリサたちの知るところとなった。実のところ忙しい時間の合間を縫ってはアリサがルーレを訪れているのは、エマと会って話がしたいというのも理由にあった。
 なのに、あれから一度もアリサはエマと顔を合わせることが出来ずにいた。明らかに避けられていることが分かる。
 そんな話を聞いて、リィンは呆れた様子で溜め息を漏らす。エマの気持ちも分からないではないが、逃げたところで解決のしない問題だ。
 とはいえ、立場上どちらの味方をするというわけにもいかないので、リィンは矛先が自分に向く前に話題を変えることにした。

「で? 用事はそれだけか?」
「そんなわけないでしょ。アンタにも伝えることがあったから捜してたんじゃない。二十五日に学院を去ることになったから」
「……二十五日? ああ……学院の卒業式か。ってか、態々それを言いに来たのか?」

 まったく察した様子のないリィンを見て、プルプルと肩を震わせるアリサ。

「察しが悪いわね! とにかく顔を見せなさいよ! アンタには皆、感謝してるんだから」

 そう言い残すとアリサは返事も待たずに走り去ってしまった。
 感謝というのは、恐らくクロウやエマのことを言っているのだろうとリィンは察した。
 頬を紅く染めて逃げるように立ち去って行ったことを考えれば、素直に礼を言うのが照れ臭かったのだろうが、

「面倒な奴だな。アイツも……」

 と呟きながらリィンはフィーとシャーリィのもとへ足を向ける。何をしているのかと思えば、戦闘の余波で飛ばされた椅子や机を直しているようだった。
 そんな二人を見て、なんとなく申し訳ない気持ちになりながら、リィンも一緒になって片付けを始める。そして新聞と思しき紙を拾い上げたところで、リィンはポツリと気になっていたことを呟いた。

「もっと突っついてくるかと思っていたが、意外と静かなものだな」

 あの記者会見から随分と経つが、リィンの予想とは違って世論の反応は静かなものだった。インパクトが強すぎて恐れているだけかもしれないが、〈暁の旅団〉に対する抗議やバッシングがあっても不思議ではないと考えていたのだ。実際それだけのことをした自覚はあるし、ヴァルカンたちを受け入れた時点で非難されることは覚悟していた。
 なのに思っていたより鈍い反応に、リィンはどういうことかと不思議に思う。

「ん……それならたぶん、これが理由」

 フィーは一冊の雑誌を拾って、そのなかの記事をリィンに広げて見せる。それは帝都で発行されている雑誌だった。
 記事にはミスティのインタビューに答えるアルフィンの姿が掲載されていた。

「ヴィータの奴、余計な真似を……」

 記事の内容は先の内戦についてのものだった。そこで帝国解放戦線のことについても語られており、これまで帝国政府が発表を控えてきたカイエン公が彼等を支援していたことなどが記されていた。そして彼等がそういう行動に及ぶに至った理由。ギリアス・オズボーンを始めとした帝国政府が、これまで行ってきた政策の問題点についても言及されていることに、リィンはそういうことかと納得する。
 内戦の切っ掛けともなったギリアス・オズボーンの政策を非難することで、帝国解放戦線に向かうはずの悪意の一部を貴族連合と旧体制に向けさせたのだ。
 当然すべてが前の政府がやったことと片付けることは難しいが、アルフィンが公的に認めて謝罪したことで同情的な声も上がるはずだ。
 以前ギリアス・オズボーンがハーメルの件でやったことを、そのまま仕返したとも言える。しかし、

「アルフィンもこんな真似をして、貴族どもに攻撃材料を与えかねないってのに……」

 それは貴族連合に与していた貴族たちの感情を煽る行為に他ならなかった。特にカイエン公の派閥に所属していた貴族たちは騒ぎ立てるだろう。
 帝都知事にまで上り詰めたカール・レーグニッツのような平民は例外で、現在でも政治の中枢は貴族の出身者が大半を占めている。そうした実情を踏まえると、貴族連合に加担した貴族をすべて処罰していては国の運営は成り立たない。そこで首謀者以外については、セドリックに忠誠を誓うことを条件に罪を見逃されたのだ。なのにアルフィンがこんな真似をすれば、貴族たちも黙ってはいないだろう。
 いや、煽ることが目的かとリィンは考える。内戦終結から三ヶ月が経過していることを考えれば、そろそろ大人しくしていた連中も動きだす時期だ。

「そのことなら、アルフィンから仕事の依頼きてたよ」
「……は?」

 フィーから一通の手紙を渡され、リィンは「まさか」と呟きながら封を開ける。
 そして手紙に目を通したリィンは、アルフィンが何をしようとしているのかを察した。大凡、予想通りと言った内容だったからだ。
 アルフィンは、この機に乗じて大掃除をするつもりなのだろう。

「団の初仕事だね」
「まあ、そうなんだが……」

 任務の内容から言って正規軍を動かせないのは分かる。猟兵向きの仕事であることは間違いない。
 とはいえ、団を結成して日も浅いというのに人使いが荒いというか、明らかに温室育ちの皇女様が考えた作戦とは思えなかった。

(俺の影響じゃないよな?)

 出会った頃のアルフィンとの違いにリィンは戸惑いを覚え、軽い現実逃避をするのだった。



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