リィンがログナー候の屋敷から戻った明朝、カレイジャスはルーレを出航した。
 国境近くまで王国からの迎えが来る手はずとなっており、一先ずリィンたちはリベールとの国境近くにある街〈パルム〉を目指していた。

「まだやってたのか……」

 カレイジャスの船倉。二体の騎神が並び立つ格納庫の一角で、リィンは呆れた眼差しをアリサに向ける。
 さすがにやり過ぎたと自覚しているのか、リィンと目を合わせずアリサは顔を背けていた。

「だって、エマが逃げるから……」
「だからって資材を固定するのに使うネットを持ちだすことはないだろ……」

 というのも、船が出航するのを待ち構えていたアリサは、艦内に張り巡らされた導力ネットワークを駆使してエマの位置を追跡し、資材用コンテナを固定するために使う巨大な網で捕獲する作戦にでたのだ。
 気持ちは分からなくもないが、明らかにやり過ぎと言っていい。その所為で艦内の設備が一時使用不能となり、敵の奇襲かと大騒ぎになったところで事件が発覚した。以前シャーリィがエマに注意していた懸念が現実となったとも言える。これからリベールに向かうという時に騒動を起こされ、リィンが眉をひそめるのも無理のない話だった。

「アリサも悪いが、エマにも原因はあるからな。二人とも反省しろ」

 リィンのだした裁きは喧嘩両成敗。そもそもの原因はエマにもあるということで、今回の仕事が終わった後、二人には罰が言い渡されることになった。
 これで怪我人がでていれば、重い罰を降さないわけにいかなかっただろうが、幸いなことに怪我を負った者はいなかった。
 それにアリサとエマは、なんだかんだで団員たちの受けがいい。面倒見の良い性格が影響してのことだろうとリィンは察していた。

「エマ、ごめんなさい。本当に怪我はしてないわよね? 私、ムキになって周りが見えてなかったみたい……」
「いえ……リィンさんの仰るように、ずっと逃げていた私にも責任はあります。だから、これでお相子ですよね」
「エマ……」

 とはいえ、雨降って地固まるとはこのことだろう。
 最後の一押しが足りなかっただけで、ちゃんと話し合えば理解できない二人ではない。
 互いのことを思い遣る余り、ただ擦れ違っていただけなのだから、少し勇気をだせばいいだけの問題だった。

「散々振り回してくれたが、もう大丈夫そうだな」
「ええ、本当によかったです。これで一件落着ですね」
「……で?」
「はい?」
「なんでエリゼとアルティナを連れてきたんだ?」

 今回のリベール行きでは〈暁の旅団〉はアルフィンの護衛と送迎を依頼されたという扱いになっていた。
 しかし、エリゼとアルティナまで同行することを聞いていなかったリィンは、どういうことかとアルフィンに尋ねる。
 従者を連れて行くとは聞いていたので、そう意味では連絡不備とは言えないのだが、どう言うつもりでアルフィンが二人を連れてきたのか気になった。

「……兄様。私が一緒だと何か不都合でも?」
「うっ……そう言う訳じゃなくてだな……」

 棘のある物言いでエリゼに睨まれ、リィンは思わず気圧される。その視線には物を言わせぬ迫力があった。
 というのも、フィーから『出掛ける度にリィンが女性を連れて帰ってくる』という話を耳にしたエリゼは機嫌が悪かった。
 リベール行きにアルフィンの従者として同行することを志願したのも、それが理由の大半と言っていい。
 エリゼの迫力に負け、リィンは話を逸らすようにアルティナに話を振る。

「アルティナも一緒にいるってことは心は決まったのか?」
「はい」

 返事に少し元気がないように思えるのは、〈クラウ=ソラス〉とのリンクが切れている影響だろうとリィンは考えた。
 エマの魔術で感応力を制限されている所為で、現在のアルティナは〈クラウ=ソラス〉と意思を通わせることが出来ない。謂わば半身を切り離されているようなものだ。
 そのため、現在のアルティナの戦闘力は年相応の少女と大差がなかった。護衛など務まる状態ではない。
 しかし元気のないアルティナの姿を見て、少しでも気が紛れるようにとアルフィンが誘ったのだろう。リィンはそこまで考え、

「フィー。頼めるか?」
「ん……任せて」

 フィーに三人の護衛を頼む。
 シャーリィは戦闘力は高いものの護衛には向かない性格をしているし、リーシャは既にエリィの監視と護衛の任務についている。
 となると、歳も近くアルフィンやエリゼと仲の良いフィーに任せるのが適任だろうとリィンは判断した。
 そして、もう一人――

「ミリアム。お前もフィーと一緒に三人の面倒を見てやれ」
「え? なんで僕?」
「軍の人間なら皇族の護衛も任務の内だろ? 食っちゃ寝してないで、そのくらい働け」
「リィンって、そういうところクレアに似てるよね……」

 働かざる者食うべからず。そんなことをリィンに諭され、ミリアムは肩を落とす。
 リィンもミリアムくらいの歳の頃には戦場で活躍していたため、子供だからと言って差別をするつもりはなかった。
 元よりクレアからは団員と同じように扱き使ってやってくれと言われていたのだ。
 それに――

「アルティナは同郷だろ? 妹の面倒くらい見てやれ」
「え……」

 同じ境遇を持つミリアムなら、アルティナも心を開くのではないかという思惑もあった。
 目を丸くして呆けるミリアム。しかしすぐにリィンの意図を察して、力強く「うん」と頷くのだった。


  ◆


「団長。このまま進むと、リベールの領空を侵犯することになりやすが、どうしやす?」
「パルムを通過したら高度三二〇〇アージュで待機。ハーケン門に導力通信で連絡を取れ。たぶん先方には伝わっているはずだ」

 ヴァルカンほどある大柄な男の報告を聞き、リィンは指示をだす。舵を取っているのは、とある資産家が所有する豪華客船で操舵手を務めていたという男だ。なんでも前の雇い主は〈百日戦役〉の折りに財をなした帝国有数の資産家だったそうだが、成り上がり者や『死の商人』と揶揄され、敵の多い人物だったそうだ。実際、薬や武器の密売にも関わっていたらしく、アーティファクトにまで手を出して教会と揉めた結果、命だけは助かったものの空港で待ち構えていた帝国軍に逮捕されたらしい。その際に彼も職を失い、路頭に迷っていたところを帝国解放戦線に拾われたとの話だった。
 その話を聞いたアリサは、なんとも言えない顔をしていた。無理もない。彼が勤めていたという飛行船の名はルシタニア号。ラインフォルトが建造した船だ。そして、その資産家の名はヘルマン・コンラート。自分の会社を経営する傍ら、ラインフォルトの重役にも名を連ねていたことがある人物だった。
 実際、アリサもヘルマンと面識があったのだろう。詳細はイリーナなら知っているだろうとの話だったが、コンラートの会社がラインフォルトに吸収され、タイミングを見計らっていたかのように帝国軍が空港で待ち構えていたことからも、裏で当時の帝国政府――ギリアス・オズボーンが動いていたであろうことはリィンも予想していた。流れからすると、クレアも一枚噛んでいた可能性は高い。そんな話を聞けば聞くほどに運のない男だと思うが、リィンからすれば彼はまさに拾いものだった。軍艦を扱ったことがないとは言っても、さすがに経験者だけあってアリサも認めるほどに呑み込みが早かったからだ。
 最初はそれほど期待していなかったリィンではあったが、彼の他にも引き取ったメンバーの中には使える人材が多かった。しかし考えてみれば、納得の行く話だ。一度はクレアを出し抜いていることを考えれば、潜在的には鉄道憲兵隊に勝るとも劣らない適性を持っていると言うことだ。クレアがただの偶然で出し抜かれるような甘い女でないことは、リィン自身よくわかっていた。

「さすが〈アルセイユ〉の同型艦ね。半日足らずでリベールとの国境に到達するなんて……」

 アリサは感心した様子で頷く。ルーレを出航して半日ほど、朝早くに出発したというのに日は既に暮れ始めていた。とはいえ、帝国北部から南端にあるリベールの国境までの距離を考えれば、半日で到着できるというのはかなりの早さだ。通常、飛行船でルーレからリベールへ向かう場合、乗り継ぎをして二日から三日は掛かるのが常識だった。
 とはいえ、実際こうして問題なくカレイジャスが運用できているのは、アリサの助力があってこそだ。船員たちに船の知識を叩き込み、指導を行ったのはアリサだった。そこらの技師より腕が立つことはわかっていたが、さすがにグエンの孫娘だけはあるとリィンも感心させられたほどだ。イリーナは技術者と言うよりは経営者としての適性の方が高かったようだが、アリサはどちらかと言えば祖父や、優秀な技師だったという父親の才能を色濃く受け継いだのだろう。

「確か、リベールで開発された世界最速のエンジンが搭載されてるんだったか?」
「ええ、飛翔機関を動かすには多くの導力が必要なことは知ってるでしょ? そのために高出力の導力機関(オーバルエンジン)が必要となるんだけど、正直なところ導力機関の開発ではRF(うち)はZCFに先を行かれてるのよね……」

 少し悔しそうにリィンの質問に答えるアリサ。カレイジャスにはZCF――ツァイス中央工房で開発された最新型の導力機関が搭載されていた。そのため、最高時速は三〇〇〇セルジュにも達する。これはアルセイユの時速三六〇〇セルジュに迫るスピードで、帝国で最も速い船と言っても過言ではない。
 とはいえ、ラインフォルトが技術力でツァイス中央工房に劣っていると言う話では決してない。ようは得手不得手の問題だ。
 激しい戦闘にも耐える重装甲と、エプスタイン財団製の情報処理システム。それらを上手く組み合わせ、アルセイユの二倍近い大きさでありながら限りなく近い速度で飛行する船を組み上げることは、ラインフォルトにしか出来なかったことだ。
 導力技術ではリベールに先を行かれているが、長く帝国の軍需産業を支えてきた企業だけあって鉄鋼業や兵器開発を始めとした分野では、大陸随一と言っていい生産力と技術力を有していた。
 だから、そう悔しがるような話でもないのだが、アリサは大の負けず嫌いだった。
 いつか導力機関の開発でも追い抜いてやるわ、と意気込むアリサを見てリィンは苦笑しながらエマとのことを尋ねる。

「で? エマとの話はもういいのか?」
「……お陰様でね。アンタにも感謝してるわ。これで卒業式に顔をださなかったことは、チャラにしてあげてもいいって思えるくらいにはね」
「まだ、そのことを根に持ってたのか……」

 そもそも返事を聞かないで立ち去ったのはアリサだ。
 とはいえ、すっぽかしたことも事実なので、リィンは言い訳をするつもりはなかった。

「それに関しては俺も少しは悪いと思っているが、ケジメはつけないとな。さて、何をやってもらうかな」
「ぐっ……」

 しかし、それとこれは別とばかりにリィンは意地の悪い笑みで罰のことを持ち出し、アリサの傷口を抉る。
 これは自分が悪いと理解していることもあって、アリサも反論の言葉を失った。

「皆様、いまのうちに一息吐かれては如何ですか?」

 そんな気まずい空気に割って入ったのは、シャロンの声だった。
 温かい紅茶と袋詰めされたビスケットを配って回るシャロン。タイミングを見計らっていたかのように姿を見せたシャロンに胡乱な眼をリィンは向ける。実際、その心配を裏付けるように細かな気配りと美味しい料理で、既に団員たちの胃袋はシャロンに掴まれていた。この僅かな期間で主人のアリサを差し置いて、密かにファンクラブが男の団員たちを中心に結成されているくらいだ。着実に〈暁の旅団〉での立場を確保しつつあるシャロンに、リィンが危機感を抱くのは無理のない話だった。

「お嬢様と団長さんもどうぞ」
「ありがとう……」
「ああ……」

 これでプロ顔負けの味なのだから、余計に溜め息が溢れる。アリサも微妙な顔で紅茶を受け取っていた。
 毎日美味しい料理が食べられるし、艦内の清掃も行き届き、手が欲しい時にさり気なく仕事のサポートもしてくれるのだから文句などあるはずもない。ないのだが、どうにも微妙な気持ちになる。
 半ば諦めムードでリィンが紅茶で一息吐き、ビスケットで小腹を満たしていると、ブリッジに女性通信士の声が響いた。

「レーダーに機影。ハーケン門の方角からです」
「噂をすればって奴か。モニターにだせ」

 報告を聞き、リィンがモニターにだすように指示すると、ブリッジの大きな画面に一隻の巡洋艦が映し出される。
 無骨な印象を受ける軍の飛空艇とは違い、どこか気品すら漂う白い船。
 それらの特徴からリィンの頭に過ぎったのは、リベールを代表する一隻の船の名前だった。

「〈白き翼〉……あれがアルセイユか」
「前方の船から通信が入っています」
「繋いでくれ」

 高速巡洋艦アルセイユ。導力先進国、リベールを象徴する世界最速の飛行船だ。
 そしてアルセイユは軍所属ではなく王家の船だ。その運用は王室親衛隊が担っていた。
 だとするなら必然的に、船に乗っている人物にも想像が付く。

『お初にお目にかかります。リベール王国軍所属、ユリア・シュバルツ准佐です』
「〈暁の旅団〉団長、リィン・クラウゼルだ。まさか、親衛隊長自らのお出迎えとはな。噂は耳にしてるよ。〈武のユリア〉殿」

 予想通りの人物が姿を見せたことで、リィンは不敵な笑みを浮かべながら挨拶を返す。
 藍色の軍服に身を包んだ男装の麗人と思しき装いの女性。彼女の名はユリア・シュバルツ。リベール王国の王室親衛隊に所属する軍人で、次期女王と目されるクローディア王太女の護衛を兼任している親衛隊長だ。
 その出で立ちから軍人という立場でありながら、リベールのみならず周辺諸国にもファンの多い、ちょっとした有名人だった。

『こちらこそ、帝国の内戦を終結に導いた英雄とお会い出来て光栄です。これより当艦の誘導に従って頂くことになりますが、よろしいですか?』
「了解した。ただ、戦場での生活が長い所為か、荒っぽい連中が多くてな。敵意を向けられると、うっかりと反撃してしまうかもしれない。ないとは思うが、こちらとしても些細な行き違いは避けたい。だから気を付けてくれ」
『……そのような不作法者が王国軍にいるとは思えませんが、お気遣い感謝します』

 冗談と一笑することの出来ない注意を促され、ユリアは冷や汗を滲ませながら礼を言い、通信を切った。
 アルフィンを乗せている以上、問答無用で撃たれると言ったことはないだろうが、リベールで猟兵がどのように思われているかを承知しているだけに、リィンからすれば軽く牽制しただけのつもりだった。
 平和主義を掲げるリベールからすれば。猟兵なんて職業は犯罪者とそう変わらない扱いだ。特に終戦後の混迷期に権力者を唆して、猟兵がリベール国内を荒らし回った過去があるだけに警戒をされているだろうとは思っていた。女王の決定とはいえ、猟兵を招き入れることに軍の中にも納得の行っていないものが大勢いるはずだ。だからこその非公式の会談だとリィンは認識していた。
 そして、そうした懸念があるからアルセイユが迎えにやってきたのだろうと推察できる。

「あのユリア准佐に、よくあんな態度が取れるわね……。ファンの子たちに聞かれたら刺されるわよ」
「聞かれてないから問題ないだろ。てか、そんなに人気あるのか? あの隊長さん」
「凄い人気よ。クロスベルや帝国の通信社でも特集記事が組まれたことがあるくらいだもの」
「……リベールの軍人だよな?」

 クロスベルは百歩譲って納得できるにしても、帝国にもユリアのファンがいると聞いてリィンは何とも言えない気持ちになる。
 そういう意味では、リベール最大の要注意人物はカシウスではなくユリアかもしれないと認識を改めるリィンだった。


  ◆


 カレイジャスとの通信を終えたユリアは、疲れを隠せない様子で背もたれに体重を預ける。
 侮っていたつもりはない。だが――

(こんな風に冷や汗を掻いたのは、准将と剣を交えた時以来か……)

 モニター越しに伝わってくる威圧感は本物だった。リィンからすれば、ちょっとした警告のつもりだったのかもしれないが、あの一瞬ユリアの脳裏に浮かんだのは炎に包まれる王都の姿だった。
 万が一にでも王国軍が彼等に銃口を向けるようなことがあれば、リベールは滅ぼされるかもしれない。そんな予感を覚えるほどに、リィンの放つ言葉には凄みがあった。王都を発つ際、カシウスが『呑まれるなよ』と注意を促した理由を今になってユリアは噛み締めていた。
 そんななかブリッジに姿を見せた短髪の女性は、憔悴したユリアを見つけ傍に駆け寄る。
 どこか高貴な雰囲気を漂わせる彼女こそ、次期女王と目される王太女クローディア・フォン・アウスレーゼだった。

「大丈夫ですか? やはり、私もご挨拶をした方がよかったのでは……」
「いえ、皇女殿下もいらっしゃらなかったようですし、あの場は私が対応するのが適切だったかと。……噂通り、侮れない青年のようです」

 顔を合わせるのは時間の問題とはいえ、あの場にクローディアを立ち会わせなかったのは正解だったとユリアは思っていた。
 そんなユリアの姿を見て、不安を口にするクローディア。

「今回の会談、上手く行くと思いますか?」
「わかりません。ただ、こちらの狙いは大筋読まれていると思っていいかと……」
「その上で、お祖母様の誘いに乗ったと言うことですね」

 ルーレで開かれた記者会見から二ヶ月余り。あれから大陸諸国の反応は静かなものだが、それ故の不気味さがあった。クロスベルの問題は放置すれば、帝国と共和国の戦争へと発展する危険も含んでいる。遅かれ早かれ、この緊張状態が続けば火種が爆発することは間違いないと言っていい。その中心にいると目される人物こそ、〈暁の旅団〉団長リィン・クラウゼルだった。
 出来ることなら不戦条約を提唱したリベールとしては、そうした事態を避けたい。だからこそリィンと会い、その考えと人柄を知っておきたいと思ったのだ。そして出来ることなら帝国と共和国の戦争を回避するために協力を得られないかと考えていた。
 先に釘を刺されてしまったが、リベールの思惑を承知の上で話に乗ったということは、最低でも話を聞く気はあるということだ。ならば、そこに活路はあるとクローディアは考える。

「いまは会談が上手く行くことを祈りましょう。リベールの平和と、クロスベルの行く末を願って……」

 百日戦役の悲劇を再び繰り返さないためにも――
 それは悲惨な戦争を経験したリベールの民が持つ共通の想いだった。



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