『お久し振りです。リィンさん』

 ブリッジのモニターに映し出される青い髪の女性。それは帝都にいるはずのクレアだった。

「クレア? まさかリベールにきてるのか?」
『いえ、帝都にいますよ』
「……は?」

 驚きを隠せない様子で、リィンは間の抜けた声を漏らす。無理もない。王都グランセルから、帝都ヘイムダルへの道程は凡そ三万セルジュ(三千キロ)と言ったところ。軍用のものでも導力通信の最大距離は、直線で千セルジュが精々と言ったところだ。とても通信が可能な距離ではない。

「一体どうやって……ああ、そういえば、パルムまで鉄道が通ってたな」
『はい』

 無線による通信距離には制限があるが、有線を用いれば千セルジュ以上離れた場所に通信を届けることも不可能ではない。
 帝国各地の砦や関所が線路の上に造られているのは、人や物資の輸送を円滑に行うことだけが目的ではなく、クロスベルのように通信網を国土全域に行き渡らせることにあった。

『もっとも王都との通信が可能になったのは、つい最近のことなのですが……』
「……もしかしてZCFか?」

 頷くクレアを見て、なるほどとリィンは理解する。
 鉄道はリベールとの境にある街パルムにも通っているが、それでも王都との直線距離は二千セルジュ以上離れている。しかもリベールは国土の大半を山や谷に囲まれていることもって、導力波が届きにくい複雑な地形をしていた。山間に設置された中継器を経由しなければ、とてもではないがパルムから王都まで通信を届かせることは出来ない。
 ラインフォルトとの情報のやり取りを円滑に進めるために、ZCFが管理する中継器の使用を国が認めたと言うことなのだろうとリィンは察した。
 しかし――

「それって傍受の心配はないのか?」
『可能性はゼロではありませんが暗号通信は行っていますし、知られて困るような情報をやり取りするつもりはありませんので』

 通信の傍受を心配するも、「そういうことなら」とリィンは納得する。しかし、そうするとクレアの目的が分からなかった。
 てっきりクレアの用と言うのは、クロスベルの計画に関することだと思っていたからだ。
 リベールに知られても問題のない話となると内容は限られる。

『……用がなければ、連絡してはいけませんか?』

 リィンがあれこれと考えていると、少し拗ねた様子でクレアはそう尋ねる。

「いや、別にそう言う訳じゃ……」

 まさか、クレアがこんな返しをしてくるとは思っていなかっただけに、リィンは珍しく動揺した様子を見せる。
 それを見て「またか」と言った様子でヒソヒソと会話をする団員たち。
 フランに至っては身を持って体験したばかりなだけに、呆れた様子で溜め息を漏らしていた。

『フフッ、冗談です。でも程々にしないと、またエリゼさんに叱られますよ?』

 悪戯が成功したと言った顔でクレアは笑みを漏らす。
 しかし痛いところを突かれ、リィンは余り強く反論できなかった。

「たちの悪い冗談はやめてくれ……」
『半分は本気ですから』

 尚更たちが悪い、と心の底で呟くリィン。
 最近ではフランの件もあるだけに、冗談で片付けるには現実味があり過ぎた。
 このまま話を続けるのは不利と悟ったリィンは、さっさと用件をクレアに尋ねる。

「で? 話って言うのは?」
『例の荷物≠ナすが、今朝ルーレを出発したそうです。明後日にはパルムに到着するかと』

 からかうのを止め、用件を話し始めるクレア。荷物と聞いて、何のことかリィンは察する。
 そしてヴァルカンあたりにパルムまで引き取りに行かせるかと考えたところで、先程までと一転して険しい表情を浮かべたクレアが本題を口にした。

『それと、こちらが本題なのですが……』


  ◆


「D∴G教団か。再び、その名を聞くことになるとはな……」

 クレアから相談を受け、リィンはカシウスのもとを訪ねていた。
 実のところギルドを通じて、帝都でアルフィンが襲われたという情報はカシウスも掴んでいた。
 しかし、その件に教団の薬が関わっているという話までは知らなかったようで困惑の声を上げる。

「まさか、通商会議が狙われると考えているのか?」

 本来であれば、帝国の弱味ともなりかねない話だ。
 それをリベールに伝え、警告を促すと言うことは、通商会議が標的にされる可能性を示唆しているのではないかとカシウスは考えた。
 そんなカシウスの的を射た予想に、リィンは隠すことなく答える。

「あくまで推測に過ぎないがな。警戒しておいて損はないだろ。それに共和国の反移民政策主義者が、また妙な動きを見せているという情報も入っている。そっちの方はリベールでも掴んでるんだろ?」

 反移民政策主義者とは、前回クロスベルで開催された通商会議を襲撃したテログループの一つだ。共和国の大統領ロックスミスの命を狙って、また暗躍しているという噂がここリベールにも聞こえてきていた。
 グノーシスの件がなくとも、どちらにせよ警戒が必要なことに変わりはない。リィンの言うことにも一理あるとカシウスは考える。
 しかし問題が一つあった。この件に関する帝国の要求だ。
 どんな事情があろうと、帝国軍をリベールへ招き入れるわけにはいかない。そうしたリベールの事情に配慮し、帝国は皇族を含めた使節団の護衛に〈暁の旅団〉を付けることを正式に要求してきたのだ。しかし王国軍としては先日の教会との一件もあって、余り大っぴらにリィンたちには動いて欲しくないという思惑があった。
 とはいえ、ここで帝国の要求を断って何かあれば、リベールがその責をすべて負うことになる。
 グノーシスの話を持ちだし、あらかじめ警告を促してきたのも、それが狙いなのだろうとカシウスは嘆息した。

「……分かった。陛下には俺から進言しておく。しかし出来ることなら、余り騒ぎを起こして欲しくはないのだがな」
「王国軍だけでやれるなら、俺たちも手を出さないさ」

 安易に王国軍(おまえら)は頼りにならないと言われて、カシウスも困った顔を浮かべる。
 こんな話を若手の兵士たちが聞けば、良い顔をしないだろう。それどころか猟兵を快く思っていない彼等のことだ。反発することは目に見えている。
 それがわかっていて挑発しているのだから、性格が良いとは言えなかった。

「カシウス。良い機会だから一つ聞いてもいいか?」
「……なんだ?」
「エステルのことだ。なんで注意してやらない」

 困った顔を浮かべるカシウスに、リィンは更に困るような質問をぶつける。
 ここでエステルの名前がでてくると思っていなかったカシウスは案の定、困惑と驚きを顕にした。

「あの前向きさはエステルの美点だとは思うが、前ばかり向いて現実が見えてないようでは、いつか取り返しの付かないミスをする。アンタなら、そのことは理解しているはずだ」

 痛いところを突かれて、難しい顔でカシウスは唸る。リィンに指摘されるまでもなく、カシウスも自分の娘の長所と短所は把握していた。
 明るく前向きなところはエステルの良いところだと思う一方で、リィンの言うように視野狭窄に陥りがちなところがあり、その優しさが時として弱点となることをカシウスは知っていた。
 しかし、それを言い聞かせたところで考えを改めるような子ではない。

「あの子は母親によく似て強情なところがあるからな……」
「言って素直に聞くような性格じゃないっていうのはわかってるさ。それでも親なら、もう少しちゃんと向き合ってやったらどうだ?」

 カシウスなりに見守ってきたつもりではあるが、実際のところエステルと家族らしい時間を取れているかと言えば、それは素直に頷くことは出来なかった。
 まだ遊撃士をしていた頃なら定期的に家に帰ることも出来たが、軍に復帰した今ではそれも難しい。
 エステルにもギルドの仕事があり、最近では滅多に顔を合わせないのが普通になっていた。

「エステルのことを随分と気に掛けてくれているみたいだが、まさか惚れたのか? 言っておくが娘はやらんぞ」
「そんなんじゃねえよ。ただ……似たような失敗をしようとしている奴を放って置けないだけだ」

 誤魔化すように茶化すカシウスに、リィンは真面目な顔で答える。リィンも過去に前ばかりを向いて失敗しかけたことがある。その時はルトガーが止めてくれたからこそ、大きな過ちを犯さずに済んだ。しかし、それは運がよかっただけだとリィンは今でも思っていた。
 カシウスは国民に英雄視され、部下に尊敬される立派な人間かもしれないが、完璧な人間などいないことをリィンは知っている。フィーに対するルトガーや〈西風〉の皆の態度を見れば分かるように、娘に対して男親というものは甘いものだ。あの〈光の剣匠〉でさえ、娘のこととなると親バカになるくらいだった。
 カシウスがどんな風にエステルに接してきたかは、あの甘い性格を見れば手に取るように分かる。

「出来ることは若者に任せたいというアンタの考えや、リベールでの立場も理解できないわけじゃない。しかし子供を信じることと放任することは違う。アンタも親ならヨシュアに任せきりにするのではなく、少しは親らしいところを見せてみろ」
「……耳が痛いな」

 まったくの正論に言い返す言葉も見つからず、カシウスは困った様子で頭を掻く。
 リィンの言うようにヨシュアには随分と負担を掛けていると、カシウスも思っていたのだ。

「正直、迷惑してる。言っておくが、邪魔になるようなら俺は手を抜くつもりはない」

 エステルが敵として立ち塞がるなら容赦はしないと言われ、カシウスはリィンが何故こんな話をしたのかを察する。

「……そっちが本音か。邪魔をされる心当たりでもあるのか?」
「アンタの娘だろ。そのことは、俺よりもよく理解してるんじゃないのか?」

 確かに、と頷くカシウス。ギルドと〈暁の旅団〉の間で相互不干渉が結ばれていようと、エステルは決して自分の信念を曲げないだろう。
 そうなれば衝突は避けられない。リィンが何を危惧しているのか、カシウスは察した。
 娘を死なせたくなかったら、どうにかしろと言っているのだ。そのことが原因でカシウスと事を構えたくがない故の苦言だった。

「……分かった。一度、話をしてみよう」

 こんな時、妻のレナが生きていたら、なんと言っただろうとカシウスは思う。
 男手一つで子供を育てることの大変さを、カシウスは改めて実感していた。


  ◆


「ただいま」

 ガチャリと扉を開ける音と共に、涼やかな女性の声が居間に響く。
 その声に気付き、カウンター式のキッチンの陰から十歳ほどの少女が顔を覗かせる。

「お帰りなさい、キリカさん」
「掃除だけではなく夕飯の準備もしてくれたのね。気にしなくてもいいのよ?」
「お世話になっているので、このくらいはさせてください。それに好きでやっていることですから」

 白いスーツに身を包んだ黒髪の女性は、綺麗に整頓された部屋とテーブルに並んだ料理を見て、それを少女がやってくれたのだと理解する。
 女性の名はキリカ・ロウラン。現在アリオスが所属するロックスミス機関の室長を務める人物だ。
 そしてキッチンから顔を覗かせた少女の名はシズク・マクレイン。その名から察することが出来るように、アリオス・マクレインの一人娘が彼女だった。
 ここカルバード共和国の首都にある一軒家で、二人は一緒に暮らしていた。

「どう? 少しは共和国(ここ)での生活に慣れたかしら?」
「はい。ご近所の皆さんも、よくしてくれるので」
「そう……」

 こうして二人が一緒に暮らし始めて、そろそろ二ヶ月が経過しようとしていた。
 シズクもここでの生活に慣れた様子で、以前に比べれば笑顔を浮かべるようになったが、それでも彼女が無理をしていることにキリカは気付いていた。その原因の一端を自分が担っている自覚があるだけに、思うように掛ける言葉が見つからず、キリカは心の内で溜め息を漏らす。
 キリカのもとにシズクが預けられたのは、彼女がアリオスだけでなく今は亡きサヤやシズクとも面識があったためだ。しかし、それは表向きの話に過ぎない。実際のところシズクは、アリオスが裏切らないようにと預けられた人質のようなものだった。アリオスもそのことを理解しているし、シズクも父親の立場が不利にならないように、そうした状況を黙って受け入れていた。

「あの……キリカさん。お父さんのことなんですけど……」
「ごめんなさい。仕事の内容については話せないの。申し訳ないけど……」
「いえ、謝らないでください。わかっていますから……」

 シズクが父親のことを心配し、気に掛けていることにキリカは気付いていたが、任務について話すことは出来なかった。
 しかし、シュンと落ち込むシズクを見て、キリカはいたたまれない気持ちになる。周りの人間を納得させるために人質の必要性は理解しているが、それでも七年前の事件の真相を知るキリカは、現状を快く思っていなかった。
 そのため、自分の立場が不利になることを承知の上で、キリカはシズクを元気づけようと考えていた話を振る。

「来月、少し家を空けることになるのだけど、一人で留守番をしているのも退屈でしょうし、よかったら一緒について来ない?」

 本来であれば、このままシズクを軟禁しておくべきなのだろうが、それでは余りに彼女が不憫すぎる。
 十歳と言えば、まだ両親の温もりが恋しい年頃だ。幼くして母親を亡くし、父親とも滅多に会うことが出来ない状況に置かれ、シズクがどんな想いでいるかを考えるとキリカは組織のためとはいえ、非情に徹することは出来なかった。
 それに彼女の母親のサヤとは面識がある。ギルドに腰を落ち着ける前、諸国を旅していた時に世話になった家族というのがマクレイン一家だった。アリオスやシズクとは、その頃からの顔馴染みだ。だからこそシズクには可能な限り便宜を図ってあげたいとキリカは考えていた。

「お仕事なら邪魔をしない方が……」
「気にしなくてもいいのよ。お父さんに会いたいのでしょう?」

 本音を言い当てられ、シズクは戸惑いに満ちた目をキリカに向ける。

「それに紹介したい子たちもいるから、一緒にどうかと思って」
「紹介したい人たちですか?」
「ええ、とっても良い子たちよ。少し元気すぎるくらい」

 リベールにいた頃に知り合った少女たちのことを思い出し、キリカは苦笑しながら話す。
 あの子たちならシズクの力になってくれるかもしれないと、淡い期待を込めての言葉でもあった。
 それでも、まだ迷いはあるのか俯いたまま何も答えないシズクを見て、キリカはそっと近づくと彼女を抱きしめた。

「……キリカさん?」
「子供なんだから少しは甘えなさい」

 まだ幼かったシズクは、事故で亡くなった母親のことをよく覚えていない。
 でも記憶にはなくとも、母親の温もりは朧気ながら覚えていた。

(懐かしい匂いがする)

 不思議な安心感に包まれたかと思うと、ポツリと頬を伝ってこぼれ落ちる涙が、床に水玉を作る。

「うっうう……」
「いいのよ。我慢しなくて」

 胸の奥底から込み上げてくる感情の波に逆らうことが出来ず、嗚咽を漏らすシズクの頭をキリカは優しく撫で続けた。



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