光が晴れるとマリアベルは勿論、ルーファスの姿も消えていた。
 恐らくはレクターが閃光弾を放ったのだと推察し、リィンは舌打ちをする。

「リーシャ、エリィ、無事か?」
「はい。少し目をやられましたが……」
「……こっちも大丈夫よ」

 目を擦りながら、リーシャとエマはリィンに無事を知らせる。二人の無事を確認して、ほっと安堵するも、すぐにリィンは険しい表情を浮かべた。
 マリアベルの狙いが分からない。こんな派手な真似をして困るのはクロスベルだ。マリアベルが言ったように確かに証拠はないが、各国もバカではない。グノーシスの一件もあって警戒されている以上、その疑惑はクロスベルへと向かうだろう。
 これでは〈暁の旅団〉ではなくクロスベルが孤立することになる。その程度のことがわかっていないとは思えない。
 だとすれば、そうした危険を冒しても成し遂げたい何か、別の目的があると考えるのが自然だった。

「殿下!? クローディア様はどこだ!?」

 クローディアの名前を叫ぶ、ユリアの声が響く。
 その珍しく慌てた彼女の姿を見て、嫌な予感を覚えたリィンはユリアに声を掛けた。

「何があった?」
「各国の代表や女王陛下の無事は確認したが、クローディア様の姿が見えない」

 クッと焦りを隠せない様子で、そう答えるユリアを見て、リィンは考えに耽る。
 状況から考えてクローディアが一人で姿を消すとは考え難い。だとするなら――

「連れ去られたか……」

 リィンの言葉にハッと意識を向けるユリア。彼女もその可能性には行き着いていたのだろう。

「しかし、何故!?」
「理由までは分からない。だがマリアベルの狙いは最初から、クローディアにあったんだろ」

 そう考えれば、一連の行動にも合点が行く。最初はエリィが狙いかと思っていたが、エリィではなくクローディアに狙いを絞っていたのだとすれば、マリアベルが自らリベールへ足を運んだ理由にも説明が付く。しかしそうすると分からないのは、どうしてクローディアを連れ去る必要があったかだ。
 リベールは中立を謳ってはいるが、その実は戦争に反対する立場にあり、クロスベルにとっては数少ない味方と言える国の一つだ。
 そんな国を敵に回すメリットなどない。クロスベルからすれば、自殺行為とも言えるだろう。

「何故だ……どうしてこんなことに……」

 床に膝をつき、頭を抱えながらブツブツと独り言を呟くディーターの姿を見つけ、リィンは冷ややかな視線を彼に向ける。
 置いて行かれたことを考えるに、マリアベルに切り捨てられたのだろう。
 まさに道化。所詮は体裁を整えるための駒――傀儡に過ぎなかったと言うことだ。

「哀れなものだな。娘に捨てられたか」
「リィン・クラウゼル……」

 怨嗟の籠もった目をリィンへと向けるディーター。逆恨みも良いところだが、先のルーレでの宣戦布告を始め、ヘンリー・マクダエルの奪取。そして今回の通商会議と、ディーターにはリィンを敵視する理由があった。
 しかしリィンからすれば、自業自得でしかない。確かに裏で糸を引いていたのはマリアベルかもしれないが、道化を演じていたのは紛れもなく目の前の男だ。結局のところディーターにそれだけの覚悟と力がなかったから、現在の状況がある。
 しかし、そんな男であっても確かめておかなくてはならないことがあった。
 リーシャが気絶させた兵士の物だろう。地面に転がった剣を拾い上げると、リィンはその剣先をディーターの喉元に突きつける。

「な、何を……」
「答えろ。お前の娘は何を企んでる?」
「知らない! 私は何も聞かされていないんだ!」

 その言葉に嘘はないのだろう。必死に否定するディーターの表情を見れば分かる。
 傀儡に過ぎない男が重要なことを知らされているとは、リィンも最初から思ってはいなかった。

「なら質問を変える。マリアベルの目的が他にあることに気付きながら、お前は自身の欲を満たすために大統領の椅子に拘った。その結果がこれだ。違うか?」
「違う! 私は大国の圧政に苦しむクロスベルの人々のために、彼等を正しく導こうと――」
「やり方を否定するつもりはないさ。だが『導いてやる』なんていうのは、勝手な自己満足に過ぎない。結果が伴わなければ意味のない言葉だ。自分のやったことには責任を持て。他人の所為にするな」

 強い者が勝ち、弱い者が負ける。無知だから利用される。それは政治もビジネスの世界も変わらない。
 ディーターが間違えたことがあるとすれば、与えられた力を自分の力のように勘違いしたことだ。
 IBCの総裁まで務めた男が情けない。いや、だからこそ権力に酔い、判断を見誤ったとも言えるだろう。
 理想を追い求め、現実を直視してこなかった男のなれの果てにリィンは興味がなかった。

「引き際を誤ったな」
「ま、待て――」

 殺気を放ち、リィンは振り上げた剣を一気に振り下ろす。
 ディーターの鼻先すれすれを剣先が横切ったかと思うと、叩き付けられた剣の衝撃が石畳の床に大きな亀裂を走らせた。
 白眼を剥いて仰向けに倒れるディーターを見て、リィンは溜め息を漏らす。ディーターからすれば、本当に斬られたように錯覚したのだろうが、それにしても情けない姿だ。圧倒的に不利な状況に陥りながらも、怯むことなくエマに条件を突きつけたというヘンリーとは比べるべくもない。この辺りが長く政治の世界で生きてきたヘンリーと、一企業家に過ぎないディーターの差なのだろうとリィンは思う。
 経営者の中にも裏に通じ、荒事に長けた者はいるだろうが、そうした企業が健全かと言えば否だ。
 恐らくはマリアベルが裏――魔術師としての側面を担ってきたために、そうしたことに彼は長けていなかったのだろう。
 経営者はリスクを避ける傾向にあるが、勝てないとわかっている相手であろうと立ち向かうだけの胆力がなければ政治家は務まらない。

「こ、殺したのか?」
「まさか。こんな男、斬る価値もない。それにクローディア誘拐の重要参考人だ」

 ユリアの問いに、リィンは肩をすくめながら答える。
 リィンがディーターを殺さなかったのは、まだ利用価値があると考えてのことだ。

「……引き渡してもらえると考えても?」

 やはりそうきたか、とリィンは両目を細める。
 リベールからすれば国の面子を保つためにも、騒動の首謀者や関係者を確保したいという思惑があるだろう。しかし、それはリベールの都合でしかない。ディーター・クロイスには、クーデターの首謀者としての容疑も掛けられている。クロスベルで裁かれるはずの人間をリベールに引き渡すことなど簡単に出来るはずもなかった。
 そのことはユリアも理解しているのだろう。苦い表情を浮かべているのを見れば分かる。
 いや、クローディアを救出するために、少しでも手掛かりが欲しいと言った焦りが垣間見えた。

「その辺りはエリィと交渉してくれ」

 上手くすれば、リベールから譲歩を引き出すチャンスだ。そのくらいのことはエリィも理解しているだろうと彼女にリィンは丸投げする。
 それに政治家としてやっていく以上、避けては通れない道だ。最初の仕事には丁度良いだろうと、リィンはエリィに視線を向ける。

「わかってると思うが……」
「……私情は挟まないわ」

 エリィは良くも悪くも情に流されやすい。そこを心配しての言葉だったのだが、これなら大丈夫だろうとリィンは納得する。
 ユリアに案内されてアリシア二世のもとへ向かうエリィを見送るリィンに、一人の男性が声を掛けた。

「少し良いかね?」

 共和国の大統領、サミュエル・ロックスミスだ。その傍らにはキリカ・ロウランの姿が確認できる。

「はじめまして、と言うべきかな? サミュエル・ロックスミスだ」
「リィン・クラウゼルです。先程≠ヘ助かりました」
「なあに、十分過ぎるほど対価≠ヘ貰っている。それに個人的≠ノもキミたちとは良い関係を築きたいと思っているのでね。あのくらいの援護は当然のことだよ」

 言葉の節々に意味ありげな言葉をにおわせるロックスミスを、リィンはやはり食えない人物だと評する。こうして親しげに声を掛けてきたのも、先のことを見据えての行動なのだと察しが付いた。
 ロックスミスには、帝国に併合された後のクロスベルの在り方や、それに対する道筋も既に見えているのだろう。
 エリィにではなく『個人的に親しくしたい』とリィンに的を絞って声を掛けてきたのも、誰が鍵を握っているかを正確に理解していると言うことだ。
 だがロックスミスがこうして声を掛けてきたのは、それだけが理由ではないとリィンは察していた。

「何かありましたか?」
「うむ。そのことなのだが、どうやら共和国の方でも暴動が起きているらしい」
「暴動? 失礼ですが、それは〈反移民政策主義者〉が行動を起こしたと?」
「いや、確かに煽動者がいるとは考えられるが、暴動に参加している者の多くは一般人という話だ。それに軍の中にも一部、離反者がでていると報告がきている」

 それはリベールと同じようなことが、カルバード共和国でも起きているということだった。
 偶然、同じようなタイミングでというのは考え難い。だとするなら――

「悪い報せだ。帝国でも同じような騒ぎが起きている。しかも、そのなかには領邦軍の姿も確認されているらしい」
「……貴族派か?」
「ああ、アルバレア公やカイエン公派に所属していた貴族たちで間違いないようだ」

 割って入ったオリヴァルトの話で、リィンは確信する。これも恐らくはマリアベルが仕組んだことに違いない。
 これほど広範囲に渡って影響が出ていることを考えれば、帝国や共和国だけでなく他の国にも被害は広がっていると考えた方が良いだろう。
 状況から考えて、グノーシスが使われていることは間違いない。なら、いつから準備を進めていたのか?
 一年や二年で出来ることとは思えない。もっと以前から――

(ギリアス・オズボーン。そうか、それなら……)

 シーカーの関わった五年前の事件がすべての切っ掛けだと考えていたが、それより以前からギリアスとマリアベルの間に繋がりがあったのだとしたら?
 幾ら皇帝の後押しがあったとはいえ、それまで一介の軍人に過ぎなかった男が僅か十年で帝国の実権を掌握するまでに至るには、幾ら彼が怪物じみた政治手腕を持っていても他に何らかの要因が働いていなければ難しい。結社の助力があったことは確かだろう。しかし帝国の宰相と言えど、自由に出来る予算には限度がある。特に強引な政策で鉄道網を広げ、領土の拡大を目的に掲げてきたギリアスには、表沙汰に出来ない金の動きが多々確認できる。〈赤い星座〉を雇うために使われた金など、まさにそうだ。
 実際、リィンに支払われている報酬も政府からではなく、アルフィンを通じてアルノール皇家から出ていた。
 そのことを考えれば幾らギリアスが政府の実権を握っていたとはいえ、一億ミラもの大金を国庫から猟兵に支払うことは難しいだろう。

 そうした資金を何処から得ていたのか?

 クロイス家――IBCがスポンサーとなっていたのなら、分からない話ではなかった。
 ならマリアベルとギリアスの繋がりは、何時から続いていたのか?
 百日戦役。恐らくは、そこがすべての分水嶺なのだとリィンは推察する。
 そこで何らかの取り引きをした。
 そのことがマリアベルの計画にも繋がっているのだとすれば――

「……まずいな」
「何か、気付いたのかい?」
「思ったより事態は切迫しているみたいだ。俺の予想が正しければ連中は既に準備を終え、計画の最終段階に入った可能性が高い」

 目を瞠るオリヴァルト。リィンなら何か気付いたのではないかと思っての質問だったのだが、状況は彼が思っている以上に進んでいた。

「その計画と言うのは?」
「幾つか想像は付く。だが、碌でもないことなのは間違いない」

 言葉を濁すリィン。確信が持てないというのもあるが、マリアベルが錬金術師の末裔である以上、そこに至宝が関わっていることは確かだ。恐らくはクローディアがさらわれたことも、そこに理由があるのだろう。そうしたことを説明したところで、オリヴァルトたちにはどうすることも出来ないというのが実情だった。
 もう一人のキーアの言葉が、リィンの頭を過ぎる。
 世界が歪みを正すために呼んだ存在。それがリィンだと彼女は言った。
 ならば、これも運命と言えるだろう。リィンにキーアを殺させる。それが世界の望みなのだから――

「気に入らないな」

 何もかもが気に入らない。世界の意志だ、運命だと知ったことではない。
 自らの選択を他人に委ねるつもりなど、リィンにはなかった。

「カール・レーグニッツ!」

 カールの名前を叫ぶリィン。そして――

「正直に話せ。お前はなに≠知っている?」

 真っ直ぐにカールを見据え、尋ねた。
 リィンの問いに、眉をひそめるカール。ギリアスのことを聞かれるかと思えば、まさかそのような質問をされるとは思ってもいなかったのだろう。
 故にカールは、その言葉の真意を探るために質問に質問で返した。

「何を……か。変わった聞き方をする。キミはオズボーン閣下と私が繋がっていることを疑っていたのでは?」
「最初はな。だが、お前の動きはどこか変だった。ギリアスとの繋がりを隠すわけでもなく、敢えてにおわすことで革新派の中でもギリアスと繋がりが深かった者たちの支持を集め、この会議でもクロスベルとの繋がりを思わせる発言を繰り返した。アンタほどの人物なら、もっと上手く≠竄黷スのにだ」

 リィンはずっとカールの目的について疑問を持っていた。
 最初は確かにギリアスとの関係を疑っていたが、それにしても彼の行動は余りに目立ち過ぎる。
 まるで自分とギリアスとの繋がりをアピールするかのように行動し、周囲の目を敢えて集めているかのように思えてならなかった。

「もう、とっくにギリアスとの繋がりは切れてるんだろ? いや、最初からアンタはギリアスの企みに気付いていた。だから帝国の害になる連中を集め、まとめてクレアに叩かせようとした。自滅覚悟でな。違うか?」
「……たいした想像力だ。しかし私がオズボーン閣下の政策に協力していたことに変わりはない。そんな話をしたところで誰も信じないだろう」
「だろうな。アンタの発言や行動を知っていれば、誰も疑いはしないだろうさ。マキアス以外はな」

 罪滅ぼしのつもりなのか、それとも帝国の未来を思ってか、そこまでは分からない。
 しかしカールがアルフィンやクレアとは違ったやり方で、帝国を変えようとしていたことは理解できる。
 毒をもって毒を制す。自滅覚悟なら確かに悪い案ではない。しかし、

「アンタの人生だ。好きにすればいいさ。しかし後に残された者のことを考えたことがあるか?」
「親が思っている以上に、あの子は強い。私がいなくとも立派に……」
「かもな。だが、逆賊の息子という汚名を背負って生きていくことになる。父親のように立派な政治家になりたいと頑張っている子供の夢を、親のアンタが奪おうとしているんだ。疑惑の目が向けられるなかで、ただ一人信じてくれた息子の夢をな」

 父親のことを信じていなければ、マキアスが政治の道を志すことはなかっただろう。
 そんな息子の夢を奪い、カールは裏切ろうとしている。その覚悟があるのかと、リィンはカールに尋ねる。
 何も答えないカールを見て、リィンは話を変える。後は本人の問題だ。カール自身も本当は気付いているのだろう。
 だが既に彼は、後戻りが出来ない場所に自分が立っていることを自覚している。だからこそ迷っているのだろう。
 そして、それこそリィンの狙いでもあった。

「息子のことを思うなら知っていることを全部話せ。ギリアスに一番近かった人間だ。アンタなら奴の目的について察しは付いているんだろ?」

 このような情に訴える手は卑怯だと思うが、普通に聞いたところで答えてはもらえないだろう。
 言ってみれば、これは取り引きだ。この場にはオリヴァルトを始め、多くの目撃者がいる。ここでカールが協力的な姿勢を示せば、帝国政府も無視は出来ない。マキアスの将来に影響がでないとは言わないが、完全に道が絶たれると言ったことはないはずだ。それにいざとなれば、レーグニッツ親子をクロスベルで受け入れるという方法もある。
 そんなリィンの考えを、カールも察したのだろう。マキアスのことが気になるのか、迷いを隠せない様子でカールは尋ねる。

「……それを話したら、キミはどうするつもりだ?」
「アイツを親と認めたわけじゃないが、仮にも血は繋がっているみたいだしな。落とし前は自分でつけるさ」

 リィンの答えを聞き、カールは逡巡する。
 その表情を見れば分かるが、様々な葛藤が胸の中で渦巻いているのだろう。
 ギリアスに対する義理。帝国に対する贖罪。家族に対する想い。しかしどれだけ悩もうと、答えは一つしかなかった。
 とっくの昔に詰んでいたと言うことだ。自分で自分を裁くことが出来ず、こうして誰かに裁かれるのを待っていたのだろう。
 だからこそ、自分と同じくギリアスに従った者たちと共に破滅の道を進もうとした。それが贖罪になると信じて――
 理想を遂げるためにギリアスの手を取った自分が、その息子に引導を渡されるなど皮肉なものだとカールは思う。

「私の負けだ」

 疲れた表情で小さな溜め息を漏らしながら、カールはそう答えた。



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