(やはりな……)

 巨神の動きを観察しながら、確信を得た様子で双眸を細めるリィン。
 あらゆる面で、巨神の力は騎神を上回っている。騎神の十倍はあろうかという巨体でありながら動きは軽やかで、パワーだけでなくスピードも騎神を凌駕している。だが、動きが単調で予測が容易い。
 大局を見据え、戦略を組み立てることに長けていても、ギリアスは戦士ではない。政治家だ。
 元軍人という話だが、戦場を退いて日も長いはずだ。当然、実戦の勘は月日と共に鈍っていく。
 常に戦場に身を置き、死と隣り合わせの中で生きてきたリィンとでは積み重ねてきた経験の数が大きく異なる。

(しかし、このままじゃまずいな)

 戦局はリィンに有利に傾いている。傍から見れば、誰もが巨神を騎神が圧倒しているように見えるだろう。
 だが、相手は一撃を叩き込めば勝利を得られるのに対して、ヴァリマールの攻撃は巨神に通じない。
 いや、厳密にはダメージを与えているのだろうが、巨神の回復速度がヴァリマールの攻撃力を上回っていた。
 いまも斬り裂いた傷口が、ほとんど間を置かず塞がっていくのをリィンは一瞥する。
 リィンの力の源、アロンダイトに纏わせた黄金の炎は、至宝の結界であろうと斬り裂く力がある。
 エステルたちが戦った神機程度の相手であれば、一撃で勝負を決められるほどの圧倒的な力だ。
 例え神の力であろうと、それが異能である限りはリィンに燃やせないもの斬り裂けないものはない。
 しかし、それほどの力をもってしても巨神に致命的なダメージを負わせるには至っていなかった。その理由はわかっている。

(やはり……この辺りが限界か)

 完全に力を自分のものとした現在のリィンなら、全開で力を解放したとしても以前のような後遺症に見舞われることはないだろう。
 だがヴァリマールは違う。戦いの中で騎神の限界を探っていたリィンだが、いまのヴァリマールでは全力に耐えられないことを悟る。
 空気を入れすぎた風船が破裂するように、リィンが全開で力を振えばヴァリマールは内部から崩壊する。

「ヴァリマール。お前……」

 そのことはヴァリマールも気付いているのだろう。いや、最初から理解していたに違いない。
 双眸に光を宿し、自分に遠慮するなとリィンに迫るヴァリマール。
 騎神はただの機械ではない。意志を持つ存在だ。
 目の前の敵に劣っていることが悔しいのではない。起動者の期待に応えられないこと。
 それが何よりヴァリマールにとって耐えられないことなのだろう。
 ヴァリマールの気持ちはリィンも理解していた。しかし何もヴァリマールの身を心配しての話だけではない。
 リィン自身、残された力があと僅かであることを自覚していた。最大出力の攻撃は恐らく撃てて一発が限界。
 それしか手がないとは言っても、巨神を確実に一撃で屠れるという確信がない。
 後が無いことを理解しているだけに、最後の覚悟を決められずにいたのだ。

 戦場では何が起きるか分からない。どれだけ強くても、人間死ぬときは呆気ないものだ。
 当たり所が悪ければ、ナイフ一本、銃弾の一発で人は死ぬ。
 だが、それでもこれまではどうにかなった。それは自身が恵まれていたからだとリィンは自覚している。
 守られていたからだ。〈西風の旅団〉という大きな家族に――
 しかし、いまは違う。団を興し、自らの家族を持つようになってリィンは慎重になった。
 ルトガーの死。そして自身を含め、団を離れていった仲間たち。その光景が頭を過ぎるからだ。
 だが――

「ここが勝負時か……」

 闘神との決闘に赴くルトガーも、こんな気持ちだったのかもしれないとリィンは思う。
 もしかしたら、この戦いで命を落とすかもしれない。あの時のように、またフィーを悲しませるかもしれない。
 それでも――

「ヴァリマール。分の悪い賭けになるが、最後まで付き合ってくれるか?」

 リィンの問いに『応ッ!』と迷いのない言葉で応じるヴァリマール。
 リスクが高いからと言って、引けない勝負。負けられない戦いというものが人生の中にはある。
 ここで逃げれば絶対に後悔する。そんな無様な姿だけは見せられない。
 猟兵王の名を継ぐ者として、〈暁の旅団〉の団長として――

終焉の炎(ラグナロク)

 そうして覚悟を決めたリィンは大きく息を吐き、言霊を紡ぐ。
 アロンダイトに宿る炎が輝きを増すと同時に、リィンの姿も変貌する。
 膝下まで届かんばかりの長い髪は炎のように赤く揺らめき、光輝く黄金の炎が全身を包み込んでいる。
 そして金色の瞳は獲物に狙いを定めた猛獣のように獰猛な光を放っていた。
 アリアンロードとの一戦でも使った力。リィンにとって文字通り全力≠ニ呼べる力だ。

「終の炎よ、我が剣に集え」

 そして、剣に炎を――力を集束する。
 確実に巨神を討つため、残されたすべての力をアロンダイトへと集束していく。

「この一撃に、俺のすべてを乗せる」

 後のことなど一切考慮していない一撃。

「まだだ、もっとだ。もっと――」

 これまでに自身が歩んできた経験を、可能性のすべてを――
 リィンは剣に乗せ、空を駆けた。


  ◆


「なんだ。これは……」

 巨神のコアでギリアスは動揺の声を上げる。
 巨神にあるのは破壊衝動だけだ。そこに騎神のように明確な意志は存在しない。
 なのに――

「脅えているのか?」

 巨神の感情のようなものが流れ込んでくるのをギリアスは感じ取る。
 ありえない――だが、事実それは起きていた。
 ギリアスの意思に反し、巨神の動きが鈍い。
 その原因は明らかに、目の前の光――ヴァリマールにあるとギリアスは空を見上げる。

 天を焦がす、黄金の炎。それはラグナロクの名を冠する神すらも屠る終焉の炎。
 巨神が恐れるのも無理はない。その炎を目にしただけで、ギリアスは理解≠ウせられる。
 あの炎に呑まれれば、二度と蘇生することは叶わないだろうと――
 肉体や魂だけでなく存在そのものを因果から解き放ち、消滅させる力をあの炎は有している。
 神と言えど、あの炎に呑まれれば無事では済まない。
 いや、異能の存在にとって、あれは天敵とも呼べる力だ。
 歪みを正すために、世界が求めた力。そのすべてが、炎には込められていた。

「そうか。それが、お前の意志(こたえ)≠ゥ」

 避けることは不可能。防御も意味はなさない。自身の死をギリアスは悟る。
 だが、不思議と恐怖はなかった。死ぬと理解しているのに後悔も恐れもない。
 最愛の妻と息子を失った、あの日――ギリアス・オズボーンという人間≠ヘ死を迎えたのだ。
 既に一度は死んだ身。死を恐れる理由はない。だと言うのに――

「まだ、私にもこのような♀エ情が残っているとは……」

 自然と溢れる笑みが、彼の心境を物語っていた。
 恐怖からおかしくなったのではない。嬉しいのだ。
 ここに計画が完遂し、自身の目的が遂げられたことをギリアスは確信する。
 自らの死さえも、この結末さえも、彼にとっては予定調和に過ぎない。

 最後は息子(リィン)の手で討たれることを、最初から彼は望んでいたのだから――


  ◆


 雲間から覗く光が大地に降り注ぎ、何処までも続く草原を黄金色に染め上げる。
 恐怖に心を支配され脅えていた兵士たちも、その光景に目を奪われ、呆然と佇む。
 そんななかで群青のドレスに身を包んだ一人の魔女は、哀しげな表情で空を見上げていた。

「……本当に不器用な親子ね」

 死の直前まで、自身の気持ちに気付くことがなかった父と子。
 いや、二人とも本当は気付いていたのかもしれない。しかし、それでも分かり合うことはなかった。

「終わったみたいだね。やっぱり、彼の勝ちか」
「それはどうかしら?」

 背後から掛けられた声に、魔女は振り返ることなく答える。
 リィンは巨神を屠り、ギリアスに勝利した。だが、本当の勝者は誰か?
 魔女は理解していた。

「どういうことだい?」
「あなたには理解できないことよ。道化師(カンパネルラ)
「酷いな。でも、キミだって他人のことは言えないだろ?」

 そう言われ、冷たい眼で背後に立つ少年、カンパネルラを睨み付ける魔女――ヴィータ。
 しかし、すぐに矛を収める。家族を捨て、目的のために愛する者を利用し、生きてきたことを彼女は否定するつもりはなかった。
 結社という組織に身を置く以上、自身とカンパネルラの間に違いがあるとも思ってはいない。
 多くの人間を犠牲にしてきた、という意味では、むしろ自分の方が罪深いことをしてきたという自覚がヴィータにはあった。
 目の前にいる彼は道化師。盟主に命じられ動く、観測者に過ぎないのだから――

「でも、キミは賭けに勝った。盟主からの言葉だよ。計画は一時凍結。しばらくは様子を見守ることになった」
「そう……」
「嬉しくないのかい? キミが望んでいたことだろう?」

 不思議そうに尋ねるカンパネルラの問いに、ヴィータは無言で応じる。
 彼女は盟主と一つの約束を交わしていた。それが先のカンパネルラの言葉だ。
 最悪、力に呑まれるようなことがあれば、どんな手を使ってでも自身がリィンを討つ。
 だが、リィンが完全に力を自分の物としたのであれば、〈結社〉の進めている計画そのものを見直すという約束を――

 そして、ヴィータはその賭けに勝った。

 どちらにせよ、至宝を消滅させる力を持ったリィンがいる限り〈結社〉の計画は失敗する可能性が高い。
 だからと言ってリィンを敵に回せば、教会との決着を付ける前に組織が壊滅的な被害を受けかねない。それこそ計画の遂行どころではなくなるだろう。故に静観することを決めたのだ。
 それに至宝に頼らずとも、リィンがいれば〈結社〉の目的も遂げられる可能性が出て来た。
 協力を持ち掛けるにせよ、盟主はリィンの意志と行動を尊重するつもりでいるのだろう。それは、これまでの盟主の方針と変わらない。
 だが――

(……彼には大きな借りを作ってしまったわね)

 エマの件にせよ、これをヴィータはリィンに対する大きな借りと考えていた。
 計画を凍結し、事の推移を見守ると言うことは――
 本来であれば自分たちが為すべきことを、この世界の未来をリィンに託すと言うことだ。
 リィンは思うが儘にしか行動をしないかもしれないが、大きな重荷を背負わせたことに違いはない。
 結社が活動を休止すると言うことは、これまで続いてきた教会との諍いも停戦状態になり、一時的な平和は訪れるかもしれない。
 だが、それは〈暁の旅団〉――リィンの存在が大陸の趨勢を占う上で欠かせない第三勢力として存在するからだ。
 どちらにせよ、望む望まないに拘わらず、彼の担う役割と責任は自然と重くなるだろう。

「まあ、答えたくないなら、それでもいいんだけど――ッ!?」

 手を頭の後ろで組み、踵を返そうとしたところで大きな揺れに見舞われ、カンパネルラは体勢を崩す。
 終わった――と考えていた戦場に大きな変化が現れていた。
 地面がひび割れ、地獄へ誘うように巨大な顎が口を開ける。
 そして地の底から湧き上がる光を目にし、ヴィータは飛び上がるように大きく距離を取った。

「瘴気!?」

 瘴気が地の底からマグマのように噴きだし、光輝く草原を黒く染め上げていく。
 巨神はリィンの放った炎に呑まれ、ギリアス諸共消滅したはずだ。
 例え、神であろうと、あの一撃を食らって無事でいられるはずがない。
 だとすれば、この光景はなんなのか?

「へえ……どうやら門≠ェ開いたみたいだね」
「……!? では、あれは……」
「ああ、キミもよく知っているものさ」

 カンパネルラの説明に、ヴィータは目を瞠りながら唇を噛む。
 地底より溢れ出る瘴気。それは、こことは異なる世界。人々が〈外の理〉と呼ぶ世界から漏れ出た力の塊だった。
 騎神と巨神の力の衝突が原因か? 地脈を暴走させたことが切っ掛けとなったのか?
 いずれにせよ、〈外の理〉より溢れ出た意思を持たない力は無作為に周囲のものを呑み込み、浸食していく。
 ヴィータの頭に過ぎったのは、〈塩の杭〉によって国土の大半を塩に変えられたノーザンブリアの姿だった。
 これを放置すれば、あれと同じ――いや、それ以上の被害がもたらされることは間違いない。

「止めないと……」
「どうやって? 僕は勿論、キミの力でもアレを閉じる≠フは無理だと思うよ」

 そんなことはカンパネルラに言われずとも、ヴィータも理解していた。
 それでも――

「あーあ、行っちゃったか。……変わったね。彼女も」

 以前のヴィータなら迷わず見捨てただろう。彼女らしくないとカンパネルラは断ずる。
 しかし、彼女は目的のために一度は捨てたはずの感情を取り戻してしまった。
 人の心を捨て、魔女として生きる道を選んだ彼女に、再び人の心を取り戻させたもの。それは――

「盟主の思惑さえ超える存在。異世界の〈騎士〉と〈魔女〉か」

 すべては盟主の手の平の上で、計画は進行してきた。
 十三工房の暴走や、ギリアス・オズボーンの行動さえ、盟主は許容し黙認してきた。
 それはすべて、盟主の思惑を超えるものではなかったからだ。すべては運命に沿った動きに過ぎないのだから――
 だが、その盟主の眼でも先を見通せず、運命さえも覆す人物が現れた。それがリィンだ。
 エマの行動と選択も、盟主にとっては予想外だったと言っていい。
 本来辿るはずのなかった歴史。ありえない未来。その可能性を示したのが彼等だ。

「盟主に代わって、見届けさせてもらうよ。キミたちの可能性≠――」

 愉悦に満ちた笑みを浮かべる道化師。その瞳は怪しげな輝きを放っていた。



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