「くッ……」

 ぼんやりとする頭を押さえながら、リィンは状況を整理する。
 ここはヴァリマールの操縦席。〈終焉の炎〉を解放し、渾身の一撃を巨神へ放ったところまでは明確に覚えている。
 手応えはあった。炎に呑まれ、ギリアスと共に巨神は消滅したはずだ。
 しかし、その後の記憶が定かではない。

「ヴァリマール!」

 相棒の無事を確認するように、大声で叫ぶリィン。しかし問い掛けに返事はない。

「一体なにがどうなって……」

 状況を確認するため、周囲を確認するリィン。そして目を瞠った。

「次元の狭間……いや、違う。ここは……」

 ノルンと共に次元の狭間を行き来したことのあるリィンは、真っ先にここがゼムリア大陸ではなく別の空間だと察しを付ける。
 また〈紅き終焉の魔王〉との戦いの時のように、次元を飛び越えたのかとも考えるが、すぐにその考えを振り払った。
 ――闇。彼の目の前には虚無の空間が広がっていたからだ。
 自分が浮いているのか? 落ちているのか? 上下の感覚すら分からない。
 底なしの闇に呑まれるような感覚。
 少なくともノルンに案内された場所は、こんな風に何もない°間ではなかった。

「まいったな……」

 早々にこんな場所からはおさらばしたい。あれから、どうなったのかも気になる。
 しかし初めて〈黄金の剣〉を使った時以上の脱力感を覚え、リィンは大きな溜め息を吐く。
 返事が出来ないほど、力を消耗したのはヴァリマールだけではない。
 リィンもまた、持てる力のすべてを振り絞った結果がこれだった。
 いまの状態で、自力での脱出は不可能。そう考えたリィンは背もたれに身体を預け、静かに目を閉じるのだった。


  ◆


「ここは、もうダメです! 中将も、お逃げください!」

 地上を染め上げていく黒い光を眺めながら、副官の言葉にゼクスは苦悶の表情を浮かべる。
 大地へ沈んでいく木々。逃げる時に放置された戦車も例外なく闇の中へと消えていく。
 ありとあらゆるものを無へと還す漆黒の闇。それは地獄への入り口のようにも見える。
 打つ手がないことはゼクスも理解していた。ここも闇に呑まれるのは、時間の問題だろうと言うことも――
 しかし、ノルドの地を闇に染め上げるだけで、目の前の現象が止まるとは思えない。

「中将、なにを……」
「お前たちは逃げろ。そして、このことを陛下に伝えるのだ」

 剣を抜き、闇の前へ立ち塞がるゼクス。どれほどの時間を稼げるかは分からない。
 もしかすれば、一時も時間を稼げないかもしれない。それでも――
 彼の後ろには帝国の大地が広がっている。
 何も出来ないとわかっていても、このまま何もせず逃げ出すような真似が出来るはずもなかった。

 ――アルノール家の守護者。

 それが帝国の武の双璧と呼ばれるヴァンダール家の誇りであり、二百年以上もの間、守られ続けてきた使命だからだ。

「ぬおおおおおおッ!」

 全身全霊を賭けて、命を燃やすように闘気を漲られ、丹田に力を込めるゼクス。
 そして大地を踏みしめると、鬼気迫る表情で手にした大剣を横凪に振り抜いた。
 光が衝撃となって大地を薙ぎ、暴風のような力が暗き闇とせめぎ合う。
 少しでも気を抜けば、身体ごと後ろへ持って行かれそうな圧力を腕に感じながらもゼクスは耐える。

「ぐうっ……」

 しかし右眼の眼帯が弾け飛び、ゼクスの額から血がこぼれ落ちる。
 服は裂け、腕や全身からも同じように血が溢れ始めていた。
 限界が近い。そのことはゼクスも理解しているのだろう。自然と表情が険しくなる。

「まだだ。例え、この命が燃え尽きようとも――」

 最後の力を振り絞るゼクス。その直後、ゼクスの放つ剣の光が増す。
 光の奔流に呑まれ、霧散する大地の闇。
 滝のように割れ、消えていく闇の姿に兵士たちの歓声が上がる。
 だが、

「何をしている! 早く、ここを離れろ!」

 兵士たちに向かって、怒号を放つゼクス。次の瞬間、再び黒い瘴気が大地から噴き出した。
 先程よりも巨大な闇が、まるで津波のようにゼクスたちへ襲い掛かる。
 再び剣を構えようとするも、全身に力が入らず、その場に膝をつくゼクス。
 もはや、打つ手はない。そう誰もが諦めかけた、その時だった。

「――ッ!?」

 ゼクスたちを守るように――いや、国境線を覆い、闇の浸食を食い止めるように光の壁が現れる。
 目を瞠り、そして何かに気付いた様子で顔を上げるゼクス。
 すると、その視線の先には、巨大な鳥の背に佇む魔女の姿があった。
 ヴィータ・クロチルダ。〈蒼の深淵〉の名で知られる〈結社〉の最高幹部の一人だ。
 当然、ゼクスも彼女のことを知っていた。
 先の内戦で貴族連合に協力し、裏で様々な暗躍をしていたとされる首謀者の一人。
 当然、帝国軍も彼女や〈結社〉の動きを警戒し、注意を払っていたのだ。
 そんな彼女が、どうして自分たちを助けたのか分からず、ゼクスは困惑の表情を浮かべる。

「彼等を死なせたくないなら、一刻も早くこの場を去りなさい」

 結社に所属する彼女が、どうして自分たちを助けてくれたのかは分からない。
 しかしヴィータの言葉で、ゼクスは我に返る。
 この場に残っても、もはや出来ることは何一つない。それどころか、彼女の足手纏いになるだけだろう。
 それに部下たちを無駄に死なせることは出来ない。
 そう考えたゼクスはヴィータに頭を下げ、部下に身体を支えられながらフラフラとした足取りでその場を立ち去る。
 ゼクスたちの姿が離れて行くのを確認して、闇に染まる大地へヴィータは視線を落とした。

「やはり、現れたわね」

 ぐつぐつとマグマのように音を立てる大地から、山のように大きな人影が上半身を晒す。
 ――巨イナル影ノ化身。学院の地下遺跡にいた偽りの巨人などではなく、伝承に語られる本物の巨神。

「エレボニウス」

 騎神の試しに用いられる遺跡。
 その最後の試練に登場する巨人は、嘗てこの世界へ舞い降りた二体の巨神を模している。
 ヴィータの目の前にいる巨神こそ、その片割れ。
 靱き力の担い手――またの名を、エレボニウス。

 しかし本来であれば、巨神が完全な姿で復活するには、封印の鍵となっている騎神を破壊するしかない。
 だが、いまのところヴァリマールもテスタ・ロッサも機能を停止してはいるものの破壊されたわけではない。
 なのに、巨神は復活した。考えられるとすれば、その原因は――

「最初から、これが狙いだったと言うことね……」

 ギリアス・オズボーンの狙い。
 それはリィンに力を使わせ、自身を殺させることにあったのだとヴィータは気付く。
 リィンの力は異能であれば、ありとあらゆるものを消滅させる力を持つ。そして、それは巨神に施された封印も例外ではない。
 一度は業火に焼かれ、消滅の危機に瀕した巨神だったが、同時に封印から解き放たれることで本来の力を取り戻した。
 自身の命さえも駒とした一か八かの賭け。いや、ギリアスには勝算があったのだろう。

 器は破壊されても魂≠ヘ残るように、自身を巨神の核としたのだ。
 消滅したのは巨神の器とギリアスの魂。そして封印が破壊されたことで、最後に残った巨神の魂が解き放たれた。
 この広がる闇は、新たな身体を求めて巨神が〈外の理〉より呼び寄せた闇。
 周囲のものを喰らい、世界をその身に取り込むことで、器を再生しているのだろう。

「封印は無理ね……」

 もう、この世界に女神はいない。
 自身の力では、エレボニウスを封印することは不可能だとヴィータは理解していた。
 それでも、この場から逃げだすつもりはなかった。
 魔女の使命や、贖罪に目覚めたからではない。
 命を懸けても守りたいもの。返したい借りがあるからだ。

「どのくらい抑えられるか分からないけど……エマ。私たちの命と、この世界の未来――あなたに託すわ」

 杖に魔力を込め、光の障壁でエレボニウスを封じ込めるヴィータ。
 頭に過ぎるのは、黒髪の青年に寄り添うエマの姿。
 あの二人なら、この絶望的な運命もきっと覆してくれる。
 そう信じて――


  ◆


 どこまでも広がる闇。そんな闇の中で、エマはリィンとヴァリマールの姿を捜していた。
 ここは、謂わばエレボニウスの結界の中だ。〈外の理〉より召喚された闇が、この世界には満ちている。
 こうしている今も、際限なく膨張を続ける闇の中から一体の騎神を捜すのは、例え魔女と言えど困難を極める。
 砂漠の中から一粒の砂を見つけ出すようなものだ。不可能に等しいと言うことはエマも理解していた。

「リィンさん、リィンさん――」

 捜し人の名を呼び続けるエマ。例え、難しいとわかっていても諦めることは出来ない。
 闇に取り込まれないように常に障壁を張り巡らせていることもあり、魔力の消耗が激しい。
 それでもエマは感応力を最大に高め、探査の魔術を限界まで行使する。
 呼吸が乱れ、意識が朦朧とする中、エマは全身を包み込む温かな光を感じ取って、足下へ視線を落とした。

「セリーヌ。どうして……」
「私はあなたの使い魔よ。手伝うのは当然でしょ?」

 エマの足下に一匹の猫がいた。セリーヌだ。
 セリーヌが自分の代わりに、周囲に障壁を張ってくれたのだとエマは気付く。

「あなたは探索に意識を集中しなさい」

 セリーヌの言葉に、エマは「ありがとう」と感謝の言葉を口にしながら頷く。
 そして、再び意識を集中させるエマ。闇の中、彼女はリィンの名を呼び続けた。


  ◆


「これは夢か?」

 先程までヴァリマールの操縦席にいたはずなのに、気付けば見たこともない家の中にリィンは立っていた。
 だが、不思議と懐かしい感じがする。記憶はなくとも、魂が――身体が覚えているような感覚。
 そして人の気配を感じ取ったリィンは、そっと話し声のする扉へと手を掛ける。

「あれは……」

 ベッドで赤ん坊を抱く亜麻色の髪の女性。そして、その傍らにはリィンもよく知る男の姿があった。
 見た感じ、歳は二十代半ばから後半と言ったところだろうか?
 帝国軍の士官服に身を包んだ姿は初めてみるが、彼がギリアス・オズボーンだと、リィンはすぐに気付く。

「これは過去の記憶? なら、あの赤ん坊は……」

 女性の腕に抱かれた赤ん坊。それが、自身の過去の姿だとリィンは察する。
 それは覚えているはずのない記憶。知るはずのない過去。
 リィン・オズボーンが、リィン・クラウゼルに生まれ変わる前の記憶。
 微笑みながら、ギリアスに語りかける女性。彼女が、リィンの母親なのだろうと彼≠ヘ確信する。

 景色は変わる。次にリィンの目に映ったのは、紅蓮の炎に包まれる村の光景だった。
 それは百日戦役の切っ掛けともなったハーメルの村の姿。
 銃で撃たれ、剣で斬り殺され、地面に横たわる無数の遺体の中にリィンは発見する。
 黒髪の少年に覆い被さるように倒れる女性の姿を――
 それは先程、赤ん坊を抱いて笑っていた母親の姿だった。
 背中には、銃で撃たれた傷痕がある。弾は貫通し、少年の身体にも痛々しい傷痕を残していた。
 このまま放って置けば、そう時を待たずして少年も命を落とすだろう。

 再び、景色が変わる。
 リィンの目の前には、毛布にくるまれた少年を腕に抱える若き日のギリアスの姿があった。
 感情の抜け落ちたかのような表情で、ギリアスはそっと少年を木陰に寝かせると、何かを呟き、その場から立ち去る。
 そして、

「親父……」

 また場面は変わり、今度は毛布にくるまれた少年を見つけ、安堵の表情を浮かべる男の姿があった。
 ルトガー・クラウゼル。〈猟兵王〉の二つ名を持つ〈西風の旅団〉の団長。
 そして、リィンにとっては育ての親とも言える人物だ。
 走馬燈のように浮かび上がる光景。それは自身にまつわる過去の記憶なのだとリィンは気付く。
 リィン・オズボーンの名を持つ少年が歩んだ人生。
 現在のリィン≠ェ知るはずのない少年(リィン)≠フ記憶とも呼べるものだった。

「今更こんなものを見せられてもな……」

 困った様子で頬を掻きながら、リィンは振り返る。
 この記憶が何を意味するのか? どういう意図で彼女≠ェ見せたのか?
 そのことに気付かないリィンではなかった。いや、とっくに理解はしていたのだ。

「リィンは、やっぱり気付いていたんだね」
「ああ……」

 ――ノルン。自身がそう名付けた少女の問いに、リィンは肯定の意思を示す。
 今更こんなものを見せられるまでもない。とっくに気付いていた。
 ギリアスの想いに、ギリアスの願いに、ギリアスが本当は何を為そうとしていたのかを――

「俺のためだったんだろ? いや、正確には息子≠世界の意志から解放するのがギリアスの目的だった」

 どの時点で確信を持ったのかは分からない。だが、ギリアスにはわかっていたのだろう。
 悪魔に魂を売ってまで助けようとした息子。その息子のなかに別の何かがいると言うことを――
 死者の復活や、ホムンクルスの研究。黒の工房との関係もすべて、息子の――リィンのためだと考えれば納得が行く。

「うん。何度もギリアスは、リィンを蘇らせようとした。でも、それは叶わなかった」
「俺≠ェいたからだな。世界が消えれば、俺がこの世界へ転生した理由も消える。そう考えたんだろ?」

 神の力に対抗できるのは、神だけだ。
 超常の力をリィンが宿していると知ったギリアスは、対抗するために巨神の力を求めた。
 いや、正確には世界の意志から、息子の魂を解放しようとしたのだ。
 女神の力を廃し、この世界を滅ぼすことで――

「さっきの記憶は、ギリアスの願いが叶ったと考えていいのか?」
「……うん。そのことはリィンが一番よくわかってるよね?」
「ああ、いまの俺にはリィン≠フ記憶がある。知るはずのない母親の顔や温もりも、いまならはっきりと思い出せる」 

 何度やっても蘇生が成功するはずもない。
 この世界のリィンの魂は、常にリィン・クラウゼルと共にあったのだから――
 リィンが八葉一刀流を使えたのも、並行世界の自分の力を扱うことが出来たのも彼がリィン≠フ魂を持つからだ。
 しかしそれは世界の意志によって、この世界へ転生させられた際、記憶と共に意識の奥底へ封印されていた。
 一つの肉体に二つの魂が宿るという矛盾を回避するために――
 しかし二つの魂と意識は長い歳月を共に生きることで、徐々に混ざり合っていった。

「だが、俺は俺≠セ」
「リィンなら、そう言うと思ってた」

 記憶が蘇ろうとも、魂が混ざり合おうとも、リィン・クラウゼルという人間が消えるわけではない。
 これまで培ってきた経験。歩んできた人生。前世も含め、そのすべてが現在の自分を形作っているとリィンは考えていた。
 自身が何者かなどと悩むことはない。意志≠ヘここにあるのだから――

「となると、早めに戻った方がいいな。俺が使命から解放されたと言うことは、女神の力が世界から失われようとしているんだろ?」
「……うん。エレボニウスが復活して、世界は滅びに向かっている」

 リィンがこの世界に呼ばれたのは、至宝を――女神の力を世界から消し去るためだ。
 世界から完全に女神の力が失われてしまえば、至宝の力によって神となったノルンも消滅するかもしれない。
 そうなれば歪められた因果は収束し、世界は再構築されるだろう。正しい歴史に向かって、この世界は新たな一歩を踏み出すはずだ。
 しかし、

「安心しろ。全部なかったことにさせるつもりはない。俺たちは現在(いま)≠生きているんだから――」

 不安そうな表情を浮かべるノルンの頭を撫でながら、そう言ってリィンは笑うのだった。



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