「くッ! なんて力なの。このままじゃ……」

 額に汗を滲ませながらヴィータは苦悶の表情を浮かべる。
 これ以上、浸食が広がらないように瘴気と、そこから這い上がろうとするエレボニウスを結界で抑えつけているが、それも限界に近かった。
 結社の使徒。先祖返りとでも呼べるほど卓越した魔術の腕と知識。高い魔力を有する彼女でも神≠ノは及ばない。
 エレボニウスは〈紅き終焉の魔王〉と同じ、高位の次元に位置する怪物。異界より降臨せし、神とも呼べる存在だ。
 人である以上、決して敵うことのない相手。届かない存在だからこそ、畏怖と畏敬の念を込めて彼等は神≠ニ呼称されるのだ。

「らしくねーな。諦めるには少し早いんじゃねーか?」

 限界を悟り、ヴィータが諦めかけた、その時だった。
 空に響く声。その見覚えのある懐かしい声にヴィータは驚いた様子で目を瞠る。

「あれは精霊の道。まさか――」

 空に展開される魔法陣。そして立ち上る光の柱。その道を通って隻腕の騎神が姿を見せる。
 片腕を失ってはいても、一際存在感を放つその姿は一度目にすれば忘れられるものではない。

「蒼の騎神……クロウ!?」

 七の騎神の一つ、蒼の騎神オルディーネ。
 蒼く輝く装甲。怪しく光る双眸。
 背からマナの光を放ち、空から地上を見下ろす姿は人々が神≠摸し、頂きを目指した証。

「はああああッ!」

 声を張り上げ、クロウは地上の巨神(エレボニウス)に標的を定め、オルディーネと共に空を駆ける。
 一方でオルディーネの姿を目にし、咆哮を上げるエレボニウス。

「クロウ! 幾らあなたでも、そいつには――」

 敵わないだろう。そんなことはクロウも理解していた。
 しかし、だからと言って何もせず、この場から逃げるなんて選択肢は彼の中にはない。それは彼女≠スちも同じだろう。

「エンジン音? これは……」

 何かに気付いた様子で、振り返るヴィータ。
 帝国方面からノルドの地を目指し、西の空からやってくる無数の影。それは――

「帝国軍の艦隊? でも、どうして……」

 数にして三十隻はいるだろうか? これだけの数の飛行船、一朝一夕に揃えられるとは思えない。
 エレボニウスの復活を予期していたかのような用意周到さ。
 自身にすら予測できなかった事態を一体だれが? と言った疑問がヴィータの頭に過ぎる。
 そして、その艦隊を指揮するのは――

「エレボニア帝国皇女、アルフィン・ライゼ・アルノールの名において命じます!」

 帝国の皇女、アルフィン・ライゼ・アルノール。
 掲げるのは〈黄金の軍馬〉の紋章。

「この国を、この地に住まう人々を守るために――帝国の力を! 意志を! 強さを証明してみせなさい!」

 アルフィンの言葉に応えるように、大砲の音が大気を震わせ、風に乗って空を駆け巡る。
 一斉に放たれた砲弾が弧を描き、黒く染まる大地を真っ白に染め上げた。


  ◆


「間に合ったみてーだな。さすが、クレア。仕事が早いぜ」

 IBCの地下深く。職員も避難し、もぬけの殻となったその場所に彼はいた。
 レクター・アランドール。騒ぎに乗じ、とっくにクロスベルを立ち去ったと誰もが思っていた男だ。
 慣れた様子で器用に端末を操作し、侵入の痕跡を丁寧に消去するレクター。

 かかし男。それが彼の二つ名だ。

 ギリアス・オズボーンの下で多くの人間を欺き、生きてきた彼にとって、この程度は造作もなかった。
 最初からギリアスさえ、彼は欺くつもりで指示に従っていたのだ。
 それを承知で泳がされていたのだろうが、レクターにとってはそれさえも計算の内だった。
 騙し、騙され、利用し、利用され。そうして生きてきた彼からすれば、迷うようなことは何一つなかったからだ。
 ギリアスは死に自由の身となった彼が、これから何を為そうとしているのかは誰にも分からない。
 だが、これからもその生き方を彼は変えるつもりがなかった。いや、変えられないと言った方がいい。
 だから彼はここ≠ノいた。自分の意思で、誰の目にも留まることなく、ただ為すべきことを為すために――

「よし、後はこれで……」
「そこまでですわ」

 突然背後から声を掛けられ、ピタリと端末を操作する手を止め、レクターは両手を挙げながら振り返る。
 その視線の先にはレクターに向けて長杖を構える魔女、マリアベル・クロイスの姿があった。

「よく俺がここにいることが分かったな。クロイスのお嬢様」
「逃げたと見せかけて敵の懐に飛び込む。それがあなたの手口だと聞きましたから」
「聞いた? 誰から……」

 マリアベルの言葉に首を傾げ、訝しげな表情を浮かべるレクター。
 だが、その表情が一点して驚愕に染まる。すぐに彼女の言葉の意味を察したからだ。
 マリアベルの背中から現れる一人の女性。気品漂う、その彼女のことを知らないはずがない。忘れるはずがなかった。

「先輩、捜しましたよ」
「ハハ……そういうことかよ」

 もう、これで何度目になるだろうか?
 失踪癖のあるレクターを、いつも最初に見つけるのは彼女だった。
 クローゼ・リンツ。またの名を、クローディア・フォン・アウスレーゼ。
 リベール女王の孫娘にして、次期女王と目される王太女が彼女だ。そしてレクターにとって学び舎を共にした後輩。
 ギリアスの指示で、ある目的のために学生を演じていただけ。本来であれば学園を去った時点で、彼女との縁は切れているはずだった。
 だが、一度結んだ縁は簡単に切れてくれない。彼女が、彼女たちが逃がしてはくれない。
 レクターにとって一番の誤算があったとすれば、彼女たちと知り合ったことだろう。

「はあ……しつこい女は嫌われるぜ?」
「なら、まずその失踪癖を直してください。先輩が逃げなければ、こんな真似をしなくてもいいんですから」

 こんなやり取りを何度繰り返してきただろうか?
 本当に嫌になる。自分でも嫌になるくらいに、自然と笑みが溢れるのをレクターは感じ取る。
 ただの任務。学生を演じていたのは仕事だった。でも、あそこで過ごした日々はレクターにとっても掛け替えのない時間だったのだ。
 彼女たちに何も言わずに学園を去ったのは、引き留められることを恐れたから――

「悪いな。今度も、その約束は守れそうにないわ」

 だからレクターは逃げる。彼女たちと一緒にいると自分≠ェ自分≠ナいられなくなるから――
 目的を忘れ、罪を忘れ、生まれた意味すら忘れ、楽しく彼女たちと共に生きていく。
 そんな真似が今更できるはずもない。その手が血に染まり、汚れていない場所などないことをレクターは知っていた。
 タイミングを見計らっていたかのように起きる爆発。それがレクターの仕掛けた爆弾であることを察したマリアベルは咄嗟に障壁を展開する。

「先輩!」

 爆煙のなか姿を消し、気配が遠ざかっていくレクターにクローディアは叫ぶ。

「先輩が何度逃げても何処に隠れても、私は私たち≠ヘ先輩を見つけてみせます!」

 それは彼女の――いや、あの学園で過ごした彼女たちの願い。
 例え、何度逃げられても、何処に隠れようとも、あの頃のように必ず捜し出して見せる。
 まだ、レクターにはたくさん伝えたい気持ちが、言っていないことがあるのだから――

「絶対に逃がしませんから! 覚悟してください!」

 爆煙に紛れ、その場から走り去りながら耳に響くクローディアの声にレクターは苦笑する。

「アイツ≠ニ同じことを言われるとはな。やっぱり、かなわねーわ。お前等には……」

 そう話すレクターの手には、神出鬼没なメイドから受け取ったルーシー≠フ手紙が握られていた。


  ◆


「リィンさん、一体どこに……」

 その頃、エマは何処までも続く深い闇の中でリィンの姿を捜し続けていた。
 感応力を最大限に高め、探査魔術でリィンとヴァリマールの位置を探るエマ。
 だが、先の見えない広大な闇の中から目的のものを見つけることは、不思議な力を用いる魔女と言えど困難を極める。
 そんなエマを見て「やはりダメか」と、セリーヌが諦めにも似た溜め息を溢した、その時だった。

「エマ!」
「はい! この気配は――」

 闇の中に輝く一つの星。何もない空間だからこそ、はっきりと分かる。
 膨大な力が一点に集まり、そして内側から空間をこじ開けようとしているのが――
 その力はまるで、自分たちを呼んでいるかのようにもエマは感じた。


  ◆


「いけそう? リィン」
「ああ、身体の奥底から力が溢れてくるのを感じる。凄いな。これが至宝の力か」

 ノルンの手から伝わってくる力。それが疲れきった身体を癒し、力を満たしていくのをリィンは感じる。
 ヴァリマールの全身にもマナが充実していくのが分かる。
 これが至宝の力かとリィンが感心した様子で声を漏らすと、ノルンは首を横に振ってそれを否定した。

「違うよ。それは想い(ねがい)≠フ力」

 零の至宝。それは人々の想いが生み出した願いの結晶。
 千年にも及ぶクロイス家の悲願。数多の人々が願い、求めたのは自分たちを捨て、姿を消した女神などではなく――
 耳を傾け、願いを聞き、導いてくれる新たな神の存在。そのために多くの命が失われ、多くの悲しみが産み落とされていった。
 そんな悲しい想いと、願いが、この至宝には込められている。

「この力に想いを託した彼等の願いは、私やリィンという存在が生まれた時点で、叶ったのかもしれない。でも……」

 寂しげな表情を見せながら、ノルンはそう話す。彼女はこの力が好きではなかった。
 因果さえも歪め、過去さえ変え、歴史を思うが儘に書き換えると言うことは――
 すべてをなかった≠アとにすると言うことだ。

 それは、この世界を破滅へと誘おうとしている巨神と何が変わるのだろう?

 そうして、なかったことにされた世界は、歴史は、人々の想いはどうなるのだろうか?
 大切な人が傷つくのは怖い。大切な人が死ぬのは悲しい。
 ただ、大好きな人たちに生きていて欲しかっただけ――
 でも、少女の願った小さな願いは、大きな歪みを世界にもたらした。

 世界が滅びに向かうのは、ある意味で必然だったのかもしれない。
 女神が人々の前から姿を消し、この世界から立ち去ったのは、こうなることを予見していたのかもしれない。
 キーアが、私があんな願いをしなければ、この世界は――

「大丈夫だ」
「リィン?」
「言っただろ。すべてをなかったことにさせるつもりはないって。それにな」

 ポンッとノルンの頭に手を置き、優しげな笑みを浮かべるリィン。
 ノルンが何を悩んでいるかなど、とっくに彼にはわかっていた。
 それを承知の上で彼女に名を与え、受け入れたのだ。

「願いは叶えてもらうもんじゃない。自分で叶えるものだ。そのことに気付かず、楽な方へと逃げたそいつらの責任であって、お前が責任を感じるようなことじゃない」
「でも、私もロイドたちを……」
「違うさ。お前と教団の連中じゃ、そもそもの前提がな」

 現実から目を背け、甘い誘惑に逃げた彼等とノルンが同じだとリィンは思っていなかった。
 確かに結果的に、彼女の願いは因果に大きな歪みを生み出し、世界を滅亡に向かわせようとしている。
 だが、そのすべてが彼女の所為だとは思わない。それに大切な人たちを助けたいと想うことがいけないことだろうか?

「それでも間違っていたと思うのなら償えばいい。悪いことをしたら、ごめんなさいで良いんだよ」
「……ごめんなさい?」
「失敗や間違いは別に悪いことじゃない。そこから何を学び、どうするかだ。お前は、もうちゃんと理解しているはずだ」

 それに――

「お前が願ってくれなかったら、俺はここにいなかった」
「あ……」
「だから感謝している人間が、その願いで救われた者がいるってことも忘れないでくれ」

 彼女の願いがなければ、この世界に生まれることもなかった。
 ルトガーの息子となることも、フィーやアルフィンたちと出会うこともなかっただろう。
 いまとなっては、そんなことは考えられない。だからリィンは感謝していた。
 この出会いに、そして切っ掛けをくれた彼女に――

「リィンさん!」
「やっときたか。遅いぞ、エマ……って、なんだ? その野良猫?」
「の、ノラって、セリーヌよ! 失礼な奴ね!?」

 まるで来ることがわかっていたかのように、エマを出迎えるリィン。
 いや、わかっていたのだろう。この状況でなら、彼女が必ず自分のもとへ駆けつけるであろうと言うことが――
 エマとセリーヌをヴァリマールのコアへ収容し、リィンは操縦桿を握る手に力を込め、

「さあ、ヴァリマール! 休憩は終わりだ。お前の力はそんなものじゃないだろ?」

 相棒の名を叫ぶ。その声に呼応するように、双眸に光を宿すヴァリマール。
 光が、黄金の炎が、闇の中に太陽のように輝き、ヴァリマールの全身を包み込んでいく。
 灰の騎神の持つ特性。ヴァリマールだけが持つ力。それは――

 不死鳥の如く、炎に包まれたヴァリマールの姿は、リィンの力に適応するように変容を遂げていく。
 足りない力を補うように、足りない器を広げるように――
 闇を白く染め上げ、灰は炎の中で新生する。

「これは、まさか……」

 エマが感じた力。それは暗黒の地を絶望へと染めた、もう一体の巨神の波動。
 ノルドの地に眠る抜け殻と化した彼の力を取り込み――ヴァリマールは新たな力と名を手にする。

猛き力の担い手(ルシファー)

 エレボニウスと双璧を為し、嘗てそう呼ばれた巨神の名をエマは口にする。
 ――ヴァリマール・ルシファー。それが闇を打ち払う、新たな光の巨神の名。
 歪みを正すため、女神に反逆するために転生させられた男の相棒の名だった。



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