番外『暁の東亰編』



「あれが、夕闇ノ使徒……」
「違う。紅き終焉の魔王――いや、夕闇を取り込むことで新たに生まれた〈黄昏ノ魔王〉と言ったところか」

 ミツキの間違いを訂正する声。彼女が後ろを振り返ると、そこにはリィンがいた。
 全身、灰塗れのリィンを見て、何があったのかとミツキは不思議に思う。

「リィンさん。シオリさんのことは……」
「大体の察しはついてるよ。あのお嬢ちゃんが元凶≠セったってことだろ?」

 エマが何を心配しているのか、リィンは大体のところ察しを付けていた。
 シーカーがすべての元凶ではなかった時点で、ある程度の予想は出来ていたのだ。
 そしてこの光景を見れば、嫌でも理解せざるを得ない。

「あの悪魔は……」
「殺した」

 あっさりとシーカーを殺したというリィンに、気になって尋ねたリオンは息を呑む。あの化け物を倒したという事実より、淡々とした表情で殺したと答えるリィンに寒気を感じた。
 リィンの反応を見るに、そこに罪悪感や忌避感と言った一切の感情がないことは明らかだ。化け物とはいえ言葉を交わした相手を、なんの感傷も抱かずに殺せるかと言えば、普通の人間には難しい。だからこそ、アスカは険しい視線をリィンに向ける。こうなることを一番恐れていたのは彼女だからだ。

「シャーリィは一緒じゃないのか?」
「はい。てっきり、リィンさんと一緒だと思っていたのですが……」
「アイツ……どこで油を売ってるんだ?」

 シャーリィを野放しにする危険性を、リィンはここにいる誰よりも理解していた。
 嫌な予感を拭いきれないが、いまはどうしようもない。シャーリィが下手なことをしないように祈るだけだ。
 それに目の前の問題の方が先だと、リィンは空を見上げる。
 視線の先にいるのは、黄昏ノ魔王。姿形は以前に見た〈紅き終焉の魔王(エンド・オブ・ヴァーミリオン)〉を少し小さくしたような外見だ。小さいとは言っても全高で七アージュ(メートル)ほど、騎神と同程度の大きさはある。

「リィンさんなら、アレどうにか出来ますか?」
「出来なくもないが、いまは異能(チカラ)を使えないんだよな……」
「……え?」
「シーカーを相手に最後の手段を使っちまってな。あれすると、しばらく異能が使えないんだ」

 ラグナロクを使った後は、しばらくの間、異能を使えなくなる問題点があった。
 当然、〈王者の法〉だけでなく〈鬼の力〉も使えない。そもそも〈王者の法〉が使えないということは、その力を利用した戦技オーバーロードも使えないということだ。それでも並の相手くらいはどうにかなると思うが、さすがに異能が使えない状態で魔王に勝てると考えるほどリィンは自信家ではなかった。
 とはいえ、契約のこともある。やろうと思えば方法がまったくないわけでもないため、リィンは確認の意味を込めてミツキに尋ねる。

「お嬢さん。契約で考えると、こいつは俺たちの獲物という認識でいいのか?」
「それは……」

 返事に窮するミツキ。契約では彼女たちでは勝てそうにない敵に対して、リィンたちが対処することになっていた。
 その契約に基づいて、リィンはシーカーを倒した。そして契約の内容に則るなら、魔王の対処もリィンたちに任せるべきだろう。実際こうしてリィンが急いで合流したのは、彼等では手に余るだろうと考えてのことだ。しかしリィンに任せていいものか、ミツキは判断できずにいた。
 シーカーを当たり前のように殺したことからも、リィンなら元凶を排除するために魔王ごとシオリを殺してしまっても不思議ではない。それはアスカが心配をしていたように、ミツキとしても望む結果ではなかった。

「待ってくれ! こいつは……俺が、俺たちにやらせてくれ」
「それがどう言うことか、わかってて言ってるのか?」

 鋭い視線で威圧しながら、リィンはコウに尋ねる。
 以前にも聞いたことだが、それは言ってみれば自分だけでなく仲間を危険に晒すということだ。コウがシオリを助けたい。戦うと言えば、彼女たちはその意思を尊重するだろう。しかしその結果、以前のように仲間の命を危険に晒すことになる。彼女たちを巻き込む覚悟があるのかとリィンは再度コウに尋ねた。
 だが、その質問に答えたのはコウではなく彼の仲間たちの方だった。

「見くびらないでよね。それを決めるのは、あたしたちよ」
「私もシオリ先輩を助けたい。皆さんと気持ちは一緒です!」
「当然、最後まで付き合うわ。これは、私の戦いでもあるのだから」

 リオン、ソラ、アスカはコウとリィンの間に立ち、決意を口にする。
 そんな彼女たちの反応に目を丸くするリィン。だが、確かにどうするかを決めるのは彼女たちだ。コウ一人に責任を押しつけるような問題でもない。
 本人たちが自分の意思で戦いたいと言っている以上、それを止める権利はリィンにもなかった。

「お願いします。少し待っては頂けませんか? 私たちに勝てない敵と判断するのは、戦いを見てからでも遅くはないと思います」

 ミツキはそう言って、リィンに頭を下げる。
 そんな彼女たちを見て、リィンは「はあ……」と溜め息を漏らすと床に腰を下ろした。

「……リィンさん?」
「楽をさせてくれるって言ってるんだから、高みの見物をさせてもらおう。エマもその様子だと結構な魔力を消耗してるんだろ?」
「……はい。そうですね。彼女との約束≠烽りますから……」

 そう答えながらエマはアスカを一瞥すると、リィンの言葉に従って隣に腰を下ろす。
 それにリィンがラグナロクの後遺症で異能を使えないように、エマもロストアーツを使った影響で魔力の大半を消耗し、まだ完全に回復していなかった。
 もしもの時に備えて回復に努めた方が良いというのは理解できる。リィンもそのつもりなのだとエマは察した。

「……恩に着る」
「前にも言っただろう。結果こそすべてだ。感謝なんて必要ない、行動で示せ」
「わかってるさ。アンタにも、いろいろと教わったからな。そこで、ゆっくりと見ててくれ」

 リィンに礼を言い、コウは仲間たちと共に広間の中央へと歩みを進めた。
 そして空を見上げ、シオリの変わり果てた姿――黄昏ノ魔王を視界に納める。

「シオリ……」

 どうすればシオリを助けられるかとか、確実なことは何も分からない。しかし、まだシオリは生きているとコウは確信していた。
 魔王は器を探していたとシオリは言っていた。その器となっているのが、いまのシオリなのだろう。ならば、あくまで核となっているのはシオリで、魔王はシオリの身体を介して顕現しているに過ぎないということだ。
 だとすれば、可能性がないわけではない。魔王だけを弱らせることが出来れば、シオリの意識を取り戻せるはず――

「待ってろ。必ず助けてやる!」

 ソウルデヴァイスを顕現し、コウは空に向かって決意を確かめるように叫ぶ。
 杜宮の地を舞台とした物語の終着点。異界事件を介して心を通わせた少年少女の最後の戦いが幕を開けようとしていた。


  ◆

 エマの張った結界の内側でコウたちの戦いを見守っていたリィンは、予想とは少し違った展開に驚いた顔を見せる。
 既にコウたちをただの足手纏いだとはリィンも思っていなかった。少なくとも戦場(ここ)に立つだけの覚悟はあるのだと認めていた。しかしはっきり言ってコウたちの実力では勝てる見込みは薄いと考えていたのだ。
 リィンの攻撃ならシオリごと傷つけてしまっていただろう。しかし、ソウルデヴァイスは魂の力が具現化したものだ。なら、シオリを助けたいという彼等の想いが、彼女を傷つけるはずもなかった。
 コウたちの振うソウルデヴァイスの一撃は、シオリと同化している魔王の力だけを確実に削ぎ落としていく。どんな策があるのかと思えば面白いことを思いつく連中だと、リィンは感心した顔で戦いを見守る。
 しかし、リィンにとっては悪くない誤算だった。時間稼ぎと言ってはなんだが、勝算を上げるためにリィンはコウたちの気持ちを利用したのだ。シーカーとの戦いはあっさりと勝負がついたように見えて、リィンにとってもギリギリだった。最後の手を切ることでしか、シーカーを殺しきることが出来なかったからだ。その結果、異能を使えなくなるというデメリットを負ってしまった。
 ラグナロクを使った後、どのような後遺症がでるかは予想が出来ていた。それでも使わざるを得なかった。あのまま時間を無為に費やせばコウたちに追いつけなくなるばかりか、〈王者の法〉の制限時間内にシーカーを倒せなければリィン自身も危なかったためだ。

(……回復に努めたとして、一発が限度か)

 手の感触を確かめながらリィンは力の回復に努める。異能が使えなくなるというのはリィンにとって大きな問題だ。完全に回復するまで、どのくらいの時間を要するのかも分からない。現状では完全に回復するのを待っているような時間はなかった。
 それだけに出来ることなら、このままコウたちが魔王を倒してしまうのが一番いいとリィンは考える。だが同時に、それが困難なことも理解していた。

(ある意味、聖痕の亜種と言ったところか。七耀教会あたりが知ったら大騒ぎだろうな)

 ソウルデヴァイスの力を、リィンは冷静に分析する。
 リィンのグングニルも霊体に直接ダメージを与えるものだが、あれは対象を選ぶことが出来ない。魔に対して圧倒的な威力を持つが、グングニルをあの魔王に放った場合、同化しているシオリごと滅してしまうだろう。
 シオリが普通の人間であればそうはならないが、いまのシオリは夕闇ノ使徒によって生かされている存在だ。いや、夕闇そのものと言ってもいい。元凶となる怪異を滅ぼせば、当然のことだがシオリも消える。
 リィンではどうやっても魔王の力だけを削ぎ、シオリを助けることは出来なかった。

「思ったより良い勝負をしてるな。あのソウルデヴァイスって武器、敵との相性も良いみたいだ」
「ですが、リィンさん。あのままでは……」
「ああ、シオリって子は助からないだろうな」

 確かに魔王の力だけを削げば、シオリの意識は戻るかもしれない。しかし結局のところ、元凶である〈夕闇ノ使徒〉をどうにかしなければ問題は解決しない。
 それに魔王の力を削ぐということは、シオリがやろうとしていた世界の改変も出来なくなるということだ。それは彼女から希望を取り上げるということでもあった。
 そのことに彼等が気付いていないはずもない。だからエマも不思議なのだろう。

「何か考えがあるのでしょうか?」
「逆だ。何も考えていないんだろう」
「でも、それでは……」

 リィンが何を言おうとしているのか理解して、エマは複雑な表情を見せる。
 しかし、これは世界とシオリ。どちらの方がコウにとって大切か? 優先順位が高いかの問題でしかない。
 コウにとっては杜宮で起きている異変よりも、シオリという一人の少女の方が大切なのだろう。

「シンプルでいいじゃないか。世界よりも一人の少女の方が大事ってのは――どっちつかずでグダグダ悩んでいるよりは俺好みだ」

 以前のコウより、ずっと好感が持てるとリィンは話す。
 仮にも組織の一員であるアスカやミツキまで同調するのはどうかと思うが、彼女たちにも彼女たちなりの考えがあってのことなのだろう。ならば、その選択にケチをつけるつもりはリィンにはなかった。
 だが、それはあくまで彼等の事情だ。エマが気にしているのはリィンのことだった。

「リィンさん。もし、彼女を殺さなければ元の世界に帰れないとすれば、どうしますか?」
「それ、なんて答えるかわかってて聞いてるだろ?」

 リィンなら、どう答えるのか分からないエマではない。短い付き合いではあるが、誰よりも深くリィンのことを知ろうと彼を観察してきたのはエマだ。それでもリィンの口から直接聞いておきたかった。
 これを感傷と言っていいのかもしれない。エマが少なからずコウやシオリの境遇に同情をしていることは確かだった。

「アイツらに譲れないものがあるように、俺にも譲れないものがある。なら、答えは自ずと一つしかない」

 それ以外に言葉はいらないとばかりに簡潔な答えを得て、エマは嘆息する。
 リィンはこの世界に骨を埋めるつもりなどない。それはエマも同じだが、リィンの場合は元の世界に戻るためなら多少のことには目を瞑る決断力と実行力がある。だがエマには、まだそこまで割り切れる自信がなかった。

「約束は約束だ。いまは黙って見守らせてもらうさ」

 アスカの危惧が現実となるか、それとも――
 コウたちの戦いを不安げな表情でエマは見守る。どちらか一方に味方するとなれば、エマはリィンの方に付くだろう。
 誓いを立てたというのもあるが、エマにとっても元の世界に帰ることは最優先と言っていい問題だからだ。
 しかし出来ることなら――

(とっくに覚悟を決めたつもりなのに、これも未練……なのでしょうか?)

 コウたちの姿に嘗ての自分を重ね合わせるエマ。
 エリオット、アリサ、ガイウス、ユーシス、マキアス、それにラウラ。
 彼女の頭に過ぎったのは目的のために利用し、切り捨てたはずの過去。
 袂を分かったクラスメイトの顔だった。



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