水穂に相談をして数日。
 菜々と新曲の件で打ち合わせをしていると、志希がフレデリカを伴って俺を訪ねてきた。

「は? うちに移籍したい?」
「うん。先生も、その方が都合が良いでしょ?」

 まさか、先手を打たれるとは思ってもいなかっただけに俺は目を丸くして驚く。
 考えなかったわけじゃない。菜々のように、彼女たちを移籍させるべきかは迷っていたのだ。
 だが、まさかそのことを尋ねる前に、彼女たちの方から提案されるとは思いもしていなかった。

「ううん……だがなあ……」

 891に所属するアイドルとなってくれれば、いろいろな面でサポートしやすくなるだろう。だが、菜々の時とは事情が異なる。
 志希とフレデリカは現在、美嘉たちとユニットを組んでおり、346の中核を担うアイドルとして活躍している。
 本人たちの意思はともかく346に移籍の話を持ち掛けても、そう簡単に首を縦に振ってはくれないだろう。

「……あれ? ダメだった?」

 首を傾げる志希を見て、まさかと俺は嫌な予感を覚える。

「ちょっと待て。お前、まさか……」
「にゃはは……」

 目を逸らしながら、そう笑って誤魔化す志希を見て、俺は事情を察する。
 この様子からして、もう移籍の件を周りに相談した後なのだろう。
 志希とフレデリカの行動力から察するに、既に担当プロデューサーを通じて上に話が行っている可能性が高い。
 頭の痛い話だった。事後承諾にも程がある。

「なんで、事前に相談しないんだ……」
「菜々ちゃんの移籍の件が噂で広まっててね。あたしたち以外にも何人か上に相談してたみたい。それで遂……」

 初耳だった。まさか、菜々の件がそんな噂になっているとは……。
 そっと菜々の方へと視線を向けると――

「濡れ衣です! 今回は菜々の所為じゃありませんよ!?」

 問い詰める前から反論する菜々。
 今回は――と言うことは、前の一件は自覚があるのだろう。まあ、そうでないと困る。
 とはいえ、菜々の言うように、今回ばかりは菜々だけの責任と俺は思っていなかった。

(去年の一件が、こんなところで尾を引くとはな)

 346は大所帯だけに売れているアイドルと、そうでないアイドルの落差が激しい。
 人気に個人差があるのは当然だが、チャンスすら満足に貰えないアイドルも大勢いるという話を、俺は以前聞いたことがあった。
 一人のプロデューサーが担当できるアイドルの数にも限界があるし、仕事や企画の数も有限だ。
 多くのアイドルを抱える事務所である以上、それは仕方のないことと言えるだろう。だが、それは会社の都合だ。
 誰だってテレビにでたい。舞台に立ちたい。そんな想いで彼女たちは、アイドルの世界へと足を踏み入れたはずだ。
 実力で差が付くのは仕方がないが、チャンスに恵まれないままでは本人たちも納得が行かないだろう。
 昨年346で経営改革が行われようとしたのも、現状では満足なプロデュースが出来ないと判断されてのことだ。武内プロデューサーの言うようにアイドルの自主性を重んじ、そのアイドルの個性にあったやり方でプロデュースが出来れば、それが一番良いことなのかもしれないが、会社とは利益を追及する組織であって慈善事業をやっているわけではない。利益が上がらないのであれば、経営方針を見直すというのはよくある話だ。
 それに彼女たちが夢を追える時間にも限界がある。菜々のように年齢的な問題で切羽詰っているアイドルも少なくないだろうしな。

「また、失礼なことを考えてません?」

 年齢の話になると鋭いな、こいつ……。
 まあ、そんなこんなで一年前のことは俺も少なからず関与していたので事情には詳しい。
 美城の会長とは面識があり『娘のことをよろしく頼む』とも言われていたので、少しは気に掛けていたのだ。
 しかし、どうしてあの会社はこうやることが極端なのか……。
 現実主義の美城専務と、理想を追い求める武内プロデューサー。相容れないのはわかるんだが、間を取るくらいで丁度良い気がする。
 今回の件は俺にも責任があるとはいえ、恐らく346もこんな事態は想定していなかっただろう。

「志希はともかく、フレデリカは本気なのか?」
「さすがのフレちゃんも、こんなことは冗談で言わないよ?」
「どうしてだ? この間のことを気にしてるなら……」

 確かに、彼女たちが891に所属してくれた方が都合が良い。だが、それはあくまで俺の都合だ。
 秘密を知ったからと言って、それを理由に彼女たちを縛り付けるつもりはなかった。
 フレデリカは俺の質問に人差し指を顎に当て、首を傾げながら答える。

「楽しそうだったからかな?」
「楽しそう?」

 フレデリカの言葉の意味がよく理解できず、俺は質問を返す。

「うん。この間のレッスンが新鮮だったって言うのもあるけど、みんな良い表情で笑ってたでしょ。ありすちゃんも凄く楽しそうだったし」
「その言い方だと……いまの事務所は楽しくないのか?」
「楽しいよ? でも面白さに欠けると言うか? お堅いと言うか? 最近はちょっと畏縮しちゃってる感じがするんだよねー」

 相変わらず要領を得ない答えだが、フレデリカの言わんとしていることは理解できた。
 昨年346で行われた経営改革は白紙に戻ったと聞いているが、完全に元の鞘に収まったわけではない。大きく方針を見直すということは、これまで積み上げてきたものを一旦リセットすると言うことだ。そして改革を途中でやめたからと言って、以前の状態に戻るわけではない。そうして崩したものを再び積み直すには前よりも、もっと大きな労力と時間が掛かる。それがアイドルたちの活動にも影響を及ぼしているのだろう。
 去年のことが頭を過ぎり、同じことを繰り返さないようにと思い切ったことが出来ない。
 目新しさのない無難な企画。マニュアル化された退屈なプロデュース。自由なフレデリカには窮屈に感じるのだろう。
 その点で言えば、武内プロデューサーはよくやっている方だが、彼一人の力で組織が動いているわけではない。
 故に現状に不満を持つアイドルたちも出て来る。それが今回の移籍騒動と繋がってくるのだろうと俺は思った。

「……わかった。俺にも責任がないとは言えないしな」

 水穂にも言われたことだが、これは俺が最後まで責任を持つべき問題だろう。
 決して、ちひろさんが怖いわけじゃない。いやまあ、このまま放置すると絶対に呼び出しがありそうだけど……。
 まずは――

(……武内プロデューサーに連絡を取ってみるか)


  ◆


 仕事に身が入らない。今日の撮影も何度も撮り直すことになって、カメラマンやスタッフの人たちには迷惑を掛けてしまった。
 原因はわかっている。この前、立ち聞きした内容が頭から離れないでいるからだ。
 そして遂に昨日、志希とフレデリカが891プロへの移籍願いを申し出た。
 志希は以前から太老さんのことを『先生』と慕い、好意を隠そうともしていなかったことを思えば、特に驚きはなかった。
 フレデリカまで一緒にというのは少し驚いたけど、奏と周子はこうなることを薄々わかっていたみたいだった。

「はあ……ダメだな。アタシって……」

 胸のなかのモヤモヤとした感情が収まらない。
 あの二人みたいに素直になれたら、こんな風に思い悩むこともないのかもしれないと思うと自分が情けなくなる。

「どうかしたの? 溜め息なんてついたりして」

 そうして悩んでいると周子が声を掛けてきた。
 思っていたよりも長い時間こうして悩んでいたみたいで、事務所には周子の他に奏の姿もあった。
 あれから奏とは顔を合わせていなかったので少し気まずい感じでアタシがいると、それを察した様子で周子が話を振ってきた。

「ああ、そう言えば、会長さんのところにお泊まりしたんだよね? 結果は?」
「泊まってないから! その日のうちに家まで送ってもらったから!」
「ええ……」

 残念そうに肩を落とす周子を見て、からかわれているだけとわかっていながら思わず反応してしまう。
 半分くらい本気なのかもしれないけど……でも、少し感謝はしていた。
 お陰で重くなりかけていた空気が軽くなった気がしたからだ。

「何か迷っているみたいね」
「別に迷ってなんか……」
「嘘ね。美嘉は顔に出やすいもの。『太老さんのことで悩んでます』って書いてあるわよ?」
「え、嘘……」

 そんな周子の話に乗って、奏がそう言ってアタシに声を掛けてきた。
 思わず顔を触って確かめるアタシを見て、くすくすと笑う奏に一杯食わされたのだと察する。
 でも、怒る気持ちにはなれない。彼女もアタシのことを心配してくれているのだと理解していたから――

「本当は行きたいんじゃない? 志希やフレデリカみたいに会長さんのところへ」

 そうアタシに尋ねる奏の目は真剣だった。たぶん、奏には気付かれているのだろう。

「もしかして、私たちに遠慮してる?」

 奏の言葉に図星をつかれたみたいで、アタシは何も言えなくなる。そんなことはないと言えなかった。
 でも、きっとそれだけじゃない。アタシにとって346(ここ)はアイドルを志す切っ掛けをくれた……皆との思い出がたくさんある大切な場所だから……。
 気持ちは固まりかけているのに最後の一歩を踏み出せない。未練なんだろうなと言うことはわかっていた。

「あの二人みたいに自由すぎるのも考えものだけど、美嘉ちゃんはもう少し自分に素直になった方がいいよ」

 そのことを二人に指摘され、余計に考えさせられる。
 素直に……なっていいんだろうか? と――


  ◆


「……自分に素直にか」

 仕事を終え、帰宅したアタシは部屋のベッドに横になりながら、昼に奏と周子に言われたことを考えていた。
 自分では隠しているつもりでいても、あの二人にはきっとアタシの悩みなんてお見通しだったのだろう。
 枕に顔を埋め、本当はどうしたいのかを考える。でも、こんな風に悩むと言うことは、自分のなかでは答えがでているのだとわかっていた。
 でも、それを口にすると、いろんな人に迷惑を掛ける。そう考えると志希やフレデリカのように素直に自分をだすことが躊躇われた。

「バカだな、アタシ……。これじゃあ、あの頃と何も変わってないじゃない」

 太老さんと出会った頃のことを思い出す。
 仕事のことで迷っていたアタシを太老さんは優しく諭してくれた。
 失敗を恐れない覚悟。前へと進む決意。新しいことへとチャレンジしていく勇気。
 きっとそれが、これまで太老さんが数々の成功を収めてきた原動力なのだと思う。

「アタシも……」

 あの二人のように素直な自分に、太老さんのように勇気を持ちたい。
 このまま346でアイドルを続けることが嫌なわけじゃない。
 でも、アタシは太老さんと出会って、自分の中にある別の可能性≠ノ気付かせてもらった。

「きっとバカなことをしようとしてるよね」

 いろいろな人を裏切る行為だって理解してる。
 でも、もう二度と後悔はしたくない。それがアタシのだした答えだった。


  ◆


 志希、フレデリカに続き、美嘉も891プロへ移籍するという噂が346内を駆け巡っていた。
 上の方も相当に混乱しているらしく社内には箝口令が敷かれているが、外部に漏れるのも時間の問題だろう。

「もう大分、噂になっているみたいです。……文香さんはどうされるつもりですか?」

 いまもテーブルを囲み、噂話をしている人たちを眺めながら、ありすは文香に尋ねる。
 手元の本から視線を外し、そんなありすの問いに静かに頷くと、文香は逆に質問を返した。

「ありすちゃんはどうしたいですか?」

 文香の思わぬ問いに、ありすは自分がどうしたいのかを考えさせられる。

「よくわかりません。でも――」

 当時、常務だった美城専務が自ら手掛けた企画に抜擢され、ありすは文香と共にアイドルデビューを果たした。
 あれから一年。運に恵まれたこともあって仕事も軌道に乗り、少しずつではあるが応援してくれるファンも増え、成果も出始めている。
 でも、346は昨年の騒動のこともあって、現在は業績が伸び悩んでいた。一方で正木商会と言えば、いま最も勢いのある企業だ。
 チャンスと言う意味では、確かに891に移籍した方が、大きな仕事に恵まれる可能性は高いのかもしれない。
 実際、ありすも891のステージのファンの一人だった。上を目指す少女たちにとっては、魅力的な環境が整っていると言えるだろう。
 でも――

「まずは346(ここ)≠ナ頑張りたいと思っています」

 だからと言って、中途半端に投げだすような真似だけはしたくない。
 勿論、移籍を決めた他の人たちを悪く言うつもりはない。考え方は人それぞれだ。
 志希とフレデリカ、美嘉の三人は以前から太老との交流があったことを考えれば、自然な流れだとも思っている。
 でも、あの三人と自分は違う。それが、ありすのだした答えだった。

「そうですか……。では、私も頑張らないといけませんね」
「あの……私に合わせる必要はないんですよ?」

 例の秘密のこともあり、自分や文香が移籍を望めば、太老は恐らく断らないだろうとありすは考えていた。
 人脈やコネも力の一つだ。上を目指すには、当然そうした力も必要となってくる。
 文香にとっても悪い話ではないし、彼女が望むのであれば、ありすはそれでもいいと思っていたのだ。
 寂しく無いと言えば嘘になるが、自分の我が儘に文香を付き合わせるつもりはなかった。
 彼女にはもっと上を目指して欲しい。そう思うからこそ、ありすは文香がどんな答えをだしても応援するつもりでいた。

「私も、同じです。まだ、やりきったわけじゃない。ここで、これからも多くのことを学んでいきたいと思っています」

 でも、そんなありすの気持ちを察した様子で文香は本を置き、自分の手を彼女の手に重ねる。

「皆さんと……ありすちゃんと一緒に……」

 ありすが文香のお陰でここまで来られたと考えているように、文香もまたありすに感謝していた。
 降って湧いたチャンス。新しい本を開けば、そこには未知の世界が広がっているのかもしれない。
 でも、ここでしか学べないものがある。二人一緒でないと見えないもの、得られない大切な何かも、きっとある。

「だから、一緒に頑張りましょう」

 それが――文香のだした答えだった。



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