「本当にごめんなさい!」

 346のビルを訪れると、玄関ロビーで待ち構えていた美嘉に頭を下げられた。
 その後ろには、周子の姿もある。話の内容は聞かずともわかる。移籍の件だろう。
 志希とフレデリカだけでなく、美嘉も891への移籍を上に相談したと言う話は俺の耳にも入っていた。
 今日はそのことで武内プロデューサーに相談をしにきたのだ。

「こんなに大騒ぎになるなんて思ってもいなくて……」
「まあ、そもそもの原因は俺にもあるわけだし、謝ってもらう必要はないんだが……本気なのか?」
「うん……いえ、はい」

 そう言って真剣な表情で、俺を見る美嘉。
 事前にフレデリカから話を聞いていたとはいえ、美嘉の意志は固そうだった。
 最悪、今度のことが切っ掛けとなって、年末に予定されている合同コンサートも白紙になるかもしれない。
 自分が何をしでかしたかは自覚しているのだろう。美嘉の反応を見ればわかる。
 しかし迷っている様子はない。もう心を決めてしまっていると言った表情だ。

「以前、アイドルの方向性みたいなもので事務所とぶつかったことがあって……。アタシはギャルのイメージで売ってきたから、今更イメージを変えろ。路線を変更しろ。それが仕事だからって言われても納得できなかった」

 その話は俺も知っている。美嘉に以前、相談されたと言うこともあるが、その件には裏で少し関わっていたからだ。
 昨年、346プロダクションではアイドル事業の経営方針を大きく見直す大規模な改革が実施された。その仕掛け人となったのが、アメリカから帰国したばかりの会長の娘だ。それまで彼女とは会ったことはなかったが、美城グループの会長とは何度か顔を合わせ、酒を酌み交わした間柄から『気に掛けてやって欲しい』と頼まれていたのだ。
 実際、仕事の出来る女性と言った感じではあったが、頑なというか融通の利かないところが彼女にはあった。
 とはいえ、厳しいところもあるが、そう悪い人ではないと俺は思っている。
 彼女が部下に冷たく当たり、所属するアイドルたちに厳しく接するのは、ある意味で期待の裏返しとも言えるからだ。

「でも、いまならあの時、太老さんが教えてくれた言葉の意味が理解できる。奏たちと一緒に仕事をするようになって、自分でも気付かなかった自分に気付かされて、少しずつ考えさせられるようになったから……」

 ――いまのままで本当にいいのか?
 そんな美嘉の告白に、俺は彼女への認識を少し改めさせられる。
 正直、感心させられた。反発し、恨み辛みを口にするのは簡単だ。
 しかし自分の足りないところを理解し、認め、学び、前へと進むことは誰にでも出来ることではない。

「変わることは信念を曲げることだと思ってた。でも――」

 そうして美嘉は言葉を溜め、

「いつの間にかアタシは新しいことにチャレンジする勇気を失っていたんじゃないかって……」

 そう思いを吐き出すように言葉を続けた。
 夢を見ることは簡単だが、努力したからと言って、その夢を成功させられる人間は少ない。
 そう言う意味では、美嘉は成功した側の人間と言えるだろう。それでも彼女は現状に満足していないように思えた。

「だからね。チャンスだと思ったんだ。アタシはもっと上を目指したい。そのためにも今より、もっと輝きたい」
「だから、うちの事務所に移籍したいと? フレデリカにも聞いたんだが、346じゃやれないことなのか?」
「プロデューサーやファンの皆には感謝してるけど、いまのままじゃアタシは変われない気がするから……」

 城ヶ崎美嘉というアイドルは高い水準で完成してしまっている。そこから新たな一歩を踏み出すと言うのは確かに勇気のいることだろう。
 これまでの環境を投げ捨て、ゼロから始める。それは途轍もないパワーのいることだとわかる。
 新たなスタートを踏み出したとして、必ず成功するとは限らない。それでも彼女は前へ、更なる高みへと挑戦しようとしている。
 正直、俺の秘密を知ったことを気にしているだけなら、彼女に移籍を踏み止まらせようと俺は考えていた。
 いまならまだ彼女の移籍を認めず、俺が346に頭を下げれば済む問題だからだ。
 しかし、こんな風に覚悟を見せられては断ることも難しい。ならば、と周子に確認を取るように俺は尋ねる。

「……同じユニットのメンバーなのに良いのか?」

 彼女は二人と同じユニットのメンバーだ。
 思うところはないのかと考えたのだが、

「あたし個人としては応援してるよ? 特に美嘉ちゃんの(恋の)応援とかね」
「ちょ、な、なに言って!? 周子!」

 顔を真っ赤にして拳を振り上げる美嘉を見て、ニヤニヤと笑みを浮かべながら俺の背中に隠れる周子。
 納得済みと言うのなら、俺がとやかく言うことではない。それに、この件に関しては彼女たちの意志を元から尊重するつもりでいた。
 正直、志希はともかく美嘉やフレデリカが移籍を望むとは思ってもいなかったが、彼女たちの話を聞いた後なら少しは納得できる。

「でも、奏はプロデューサーと二人きりの方が嬉しいのかもしれないけどね。あたしとしては一人残って、馬に蹴られないか心配で心配で……」
「馬に?」
「聞きたい? 奏はプロデューサーのことが――」
「おしゃべりが過ぎるようね。周子」
「か、奏……いつの間に?」

 プロデューサーと言うのは武内プロデューサーのことではなく、奏と周子の担当プロデューサーのことだろう。
 何を言おうとしたのかはよくわからないが、奏に腕を掴まれ連れて行かれる周子を見て、迂闊に踏み込まない方がいい話だというのは理解した。


  ◆


「ご足労願い、ありがとうございます」

 指定された会議室へ足を運ぶと、武内プロデューサーが一人で出迎えてくれた。
 今日は、ちひろさんの姿はない。重苦しい空気が漂う中、武内プロデューサーは例の件を俺に尋ねてきた。

「相談と言うのは城ヶ崎美嘉さん、宮本フレデリカさん、一ノ瀬志希さんの移籍の件ですね?」
「はい」

 彼女たちが勝手に言いだしたことだと否定することは簡単だが、俺も言い訳をするつもりはなかった。
 そもそもの原因は俺にもあるのだから――

「言い訳をするつもりはありません。彼女たちが、そんなことを言いだしたのは俺が切っ掛けであることは否定できせんから」
「では一つだけ聞かせてください。この先、どうされるおつもりですか?」

 言葉を選び、この場を凌ぐことは簡単だ。しかし、そんなことを聞きたいわけではないだろう。
 正直、美嘉の話を聞く前なら、346との関係を重視したかもしれない。

「彼女たちが望むのであれば、うちとしては受け入れるつもりです。少なくとも、いい加減な気持ちで言っているわけじゃない。本気だと感じたので……」

 でも、それではいけないのだと感じた。
 水穂の言葉を借りるわけではないが、あそこまでされて責任を取れないようでは男ではない。
 正直、呆れられても、非難されても仕方のないことだと思う。だが、真摯に向かい合うべきだと俺は考えた。

「わかりました」

 だが、そんな俺の覚悟とは逆に、武内プロデューサーは俺を非難することも否定することもなく、そう言って頷く。

「俺が言うのもなんだけど、それでいいんですか?」
「よくは……ないでしょうね。ですが、彼女たちの担当プロデューサーとも、そのあたりは既に話が付いています。彼女たちの好きにさせてやりたいと。それに――」
「それに?」
「あなたの言葉に嘘はないと感じたので」

 恥ずかしげもなく平然とこんなことを口に出来るこの人は、本当にアイドルたちのことを真剣に考えているのだろう。

「一つだけ約束してもらえますか? 必ず、彼女たちを笑顔≠ノすると」

 そうか、この人は……いつかは、こうなることに薄々は気付いていたのだろう。
 菜々の件の時には、彼女のように移籍を望むアイドルが他に現れる可能性を考えていたのだとわかる。

(まあ……だから、彼女たちも彼に信頼を置くんだろうけど)

 こんな風に言われたら断れるはずもない。元より、そのつもりではあったが、これで俺は彼女たちを全力≠ナ支えないといけなくなった。
 だが、彼はプロデューサーであって経営者ではない。346の経営陣を納得させるには、それなりのものを差し出す必要があるだろう。
 どうやって説得するか? これが一番の難題だと俺は思っていた。
 特に美城会長の娘――武内プロデューサーの上司でもある美城専務の説得は骨が折れそうだ。

「……城ヶ崎さん?」

 と考えごとをしていると、バンッと勢いよくドアを開く音と共に金髪の少女が姿を見せた。
 武内プロデューサーが驚いた様子で、少女の名前を口にする。
 城ヶ崎? それって、まさか――

「お姉ちゃんは絶対に渡さないんだから! アタシと勝負よッ!」

 ビシッと指をさしながら、宣戦布告をする金髪の少女。
 ああ、うん。やっぱり彼女≠フ妹だわ。
 ――城ヶ崎莉嘉。それが少女の名前だった。


  ◆


「虫取り勝負で、アタシが負けるなんて……」

 自分が最も得意とする勝負で負け、心を打ちひしがれる少女。田舎の山育ちを甘く見過ぎだ。
 幼い頃から修行と称して山籠もりを強制させられていた身としては負ける気はしなかった。
 俺に虫取り勝負を挑んだのが、そもそもの間違いだ。

「でも、なかなか筋はよかったぞ。これからも精進を怠らなければ、俺を追い越す日も遠くないだろ」
「師匠……」

 勝負の後、互いの力を称え、俺たちは友情を育む。
 本当にノリの良い子だ。美嘉とは違った意味で、アイドルの才能を感じさせてくれる。

「何やってんのアンタたち……」

 声の方を振り返ると双眸を細め、訝しげな表情を浮かべる美嘉が立っていた。
 自分で言うのもなんだが、虫取り勝負の末、子供と友情を確かめ合う大人と言うのは傍から見ると怪しいかもしれん。
 しかも、その相手が自分の妹と知り合いともなれば、複雑な心境にもなるだろう。
 パンパンと土埃を払い、俺は何事もなかったかのように美嘉の方を向くと、二人を昼食に誘うのだった。


  ◆


「お姉ちゃんが移籍するって聞いたから……」
「それで太老さんに勝負を? アンタってバカね……」
「だって最近、家でもずっと楽しそうにお兄ちゃん≠フ話ばっかりしてたじゃない? だから、てっきり……」
「ちょ、アンタなに言って!?」

 俺は美嘉や莉嘉と席を向かい合い、言い争う姉妹を傍で眺めながら昼食を口に運ぶ。平和だな。そして、このカリカリベーコンも、なかなかに絶品だ。
 ここは346の敷地内にあるカフェテリアだ。346は特に保養施設が充実していて、他にもエステや浴場まで完備している。アイドルの仕事は身体が資本だ。そうした彼女たちの体調を管理し、心と体をケアするのもプロデューサーの仕事。それを最大限にフォローするのが会社の役割だ。とはいえ、ここまで会社の中に設備の整ったプロダクションと言うのも珍しい。さすがは芸能全般を手掛けてきた老舗プロダクションと言ったところだろう。
 ――って、あれ? いま莉嘉の奴、俺のことを『お兄ちゃん』って呼ばなかったか?

「お兄ちゃんって、俺のことか?」
「うん。師匠と迷ったんだけど家族≠ノなるんだし、別にお兄ちゃん≠ナもいいよね」
「ああ、まあ……確かにな。そういうことなら俺は構わないけど……」
「え、ええ!? ちょ、太老さん、何を言って!」

 美嘉がうちの事務所に移籍することになったら、それは家族のようなものだ。
 俺は商会で働くすべての人を家族のように考え、大切に想っている。
 莉嘉の言い分にも一理あると思ったのだが、美嘉は顔を真っ赤にしてどうしたんだ?

「あれ? お姉ちゃん、ひょっとして照れてる?」
「莉嘉〜〜〜〜ッ!」

 姉妹で仲が良いな。この騒がしい感じ、柾木の家で世話になっていた頃を思い出す。
 ――と、もうこんな時間か。こんなことしてる場合じゃなかったんだった。

「太老さん? どこへ?」
「ああ、午後から美城専務と会う約束をしてるんだよ」
「あ……それって、もしかして……」

 伝票を手に席を立つと、美嘉が首を傾げながら尋ねてきたので俺は質問に答える。
 俺の言葉で察したのだろう。美城専務と会うのは、例の件が関係していると。まあ、当事者だしな。
 とはいえ、彼女がそのことを気にする必要はない。武内プロデューサーにも言われたからではなく、俺自身が彼女たちの力になりたいと考えていた。
 だから――

「大丈夫だ。お前が気に病むことはない。それが俺の仕事≠セからな」



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