応接室に通されて五分。無言でプレッシャーを掛けてくる美城専務と、太老はテーブル越しに向かい合っていた。

「やってくれましたね」

 そう言いながら睨み付けてくる美城専務を見て、太老は頬を引き攣る。とはいえ、それも当然だと太老はこの状況を受け入れていた。
 アイドルとは商品だ。彼女たちをプロデュースし、プロのアイドルとして世に送り出すには大変な労力と時間が掛かる。
 ましてや、そこまで手間暇を掛けたとしても、成功するかどうかはやってみるまでわからない。
 なのに手塩に掛けて育てたアイドルを引き抜かれ、黙っている経営者はいないだろう。

「言い訳をするつもりはない。だけど、そんな話を聞きたいわけじゃないだろ?」
「……と言うと?」
「ビジネスの話をしよう」

 そう言って太老は持参した鞄から一冊のファイルを取り出し、それを美城専務の前に置く。

「彼女たちの移籍を認めてくれるなら、俺からはこれ≠そちらへ提供する準備がある」

 太老が差し出したファイルを手に取ると、目を瞠る美城専務。
 当然だ。それは、891に協力を要請してまで346が欲していたもの。正木商会が誇る最先端のAR装置のカタログだった。
 ましてや、ファイルに挟まれたカタログの機材は891が使っている特注品。市場にも出回っていないものだ。
 金銭に変えられない価値があることは一目見ればわかる。その価値が理解できない彼女ではなかった。

「……それほどの価値が彼女たちにあると?」
「ああ、むしろ安い投資だと思っている」

 少しの迷いもなく、そう断言する太老の答えに、美城専務は眉根を寄せる。
 正木商会を僅か十年足らずで、世界有数の企業へと成長させた太老の能力を彼女は少しも疑っていなかった。
 それだけにバカな話と切り捨てることが出来ない。人を見る目がなければ、これほどの成功を収めることは不可能だとわかっているからだ。
 有能な人材を好む彼女だからこそ、太老の人を見る目の確かさには一目を置いていた。

「確かに検討の余地はあるようです。ですが――」
「使いこなせない。ノウハウが足りないって話なら、うちから技術者を出向させよう。なんなら俺が教えにきてもいい」

 故に太老の真意を探るため、交渉を引き延ばそうと美城専務は話を切り返すが、思わぬ提案に二度驚かされる。
 技術者の出向。それだけでも346にとっては魅力的な提案だが、太老から直々に教われる機会など本来であれば考えられない話だった。
 天才発明家として知られ、一代で世界有数の大商会を築き上げた彼のもとには、様々な国の大学や研究機関から誘いが掛かっている。
 だが、その何れの誘いも断り、太老から直接教えを受けた人物は公式にはいないとされていた。志希は例外中の例外と言っていいだろう。
 もし彼女が太老の弟子であることが世間に知れれば、移籍騒動どころではない。世界を巻き込んだ大騒ぎになることは間違いなかった。
 故に、その太老が直接教えにきてもいいと言うのは、そのことを知る人間からすれば考えられないような話だ。
 当然、美城専務も太老の噂や彼が世間でどう評価されているかは熟知している。それだけに驚きは隠せなかった。

「どうして、そこまで……」
「さっきも言ったが安い投資だと俺は思ってる。それにだ。この件、これで終わると思うか?」

 そう問われ、太老が何を言わんとしているのかを美城専務は察し、苦い顔を浮かべる。
 安部菜々、一ノ瀬志希、宮本フレデリカ、城ヶ崎美嘉。この四人の移籍の話だけで済めばいいが、話はそこで終わらない。彼女たちに続く、第二、第三の希望者が現れてもおかしくない状況に346は置かれていた。
 いや、既にその兆候は現れていると言っていい。だが、それを止める手段がない。そのことで彼女も、ここ最近はずっと頭を悩ませていたのだ。
 そもそもの原因は老舗のブランドを過信して手を広げ過ぎた346の落ち度と言えるものだが、本来であれば十分に採算が取れる見通しはあったのだ。
 だが、346がアイドル事業部を立ち上げて間もない頃に正木商会が業界に参入し、話題を攫っていったことで計算が大きく狂ってしまった。
 勿論そのことで太老を恨むのは筋違いだと理解している。それでも原因の一端を担っている人物から言われると、彼女としても複雑な心境だった。

「一年前の続きをしないか?」
「……続き?」
「そう、アンタがやろうとした改革の続きだ」

 そして太老からだされた思いもしなかった提案に驚き、彼女は疑念を持つ。
 346から協力を要請した時、あっさりと891が提案を受け入れいたことや、その後の安部菜々を移籍させる話まで――
 こうなることは、最初から仕組まれていたのではないかと? そんな疑惑が頭を過ぎったからだ。

「俺の責任でもあるしな。そのために必要な協力は惜しまないつもりだ。それに今のアンタなら上手くやれるだろ?」

 そして確信する。
 やはり彼は最初から、ここまで計算して動いていたのだ、と――


  ◆


 太老との話し合いを終え、美城専務が物思いに耽るように窓から見える景色を眺めていると、初老の男性が入ってきた。
 武内プロデューサーの上司、今西部長だ。
 美城が今のように大きくなる前、黎明期から社を支えてきた古参の社員で、会長からも一目置かれる存在だった。
 幼い頃から世話になっていたこともあり、美城専務にとっても頭の上がらない人物と言える。
 そんな今西部長が腰に手を当て、ほがらかな表情で彼女に声を掛ける。

「おや、もう彼との話は終わったのかね?」
「……ええ」

 彼――と言うのが、正木太老のことを指しているのは、すぐに彼女も理解した。
 彼女の父親、美城グループの会長を通して、太老と今西部長は面識がある。
 最初、帰国したばかりの彼女に太老を紹介してきたのも今西部長だった。

「随分と不機嫌そうじゃないか。その様子では交渉は上手く行かなかったのかな?」
「いえ、有意義な話し合いでしたよ。少なくとも美城にとって悪い話ではありませんでした」

 そう言いながらも、どこか不満げな表情の彼女を見て、今西部長は苦笑する。
 初めて会った頃からそうだが、彼女が太老を苦手としていることに今西部長は気付いていたからだ。

「相変わらず、彼のことが苦手のようだね」
「……尊敬はしています。父が一目を置くのも頷けると」
「だが、気に入らない。いや、実際のところはよくわからないと言った方が正しいのかな?」

 尊敬をしているという言葉に嘘はないだろう。
 彼女は能力のある人間を評価する。社のメリットになると考えたからこそ、今回も太老に会うことを決めたはずだ。
 しかし、そんな彼女でも――いや、そんな彼女だからこそ、正木太老という人間のことがよくわからなかった。
 十年という短い時間で、一代で会社をあれほど大きく成長させるには普通のことをやっていたのでは難しい。
 勿論、正木商会の技術力には目を瞠るものがある。それが急成長の後押しとなっていることは確かだ。
 しかし、それを理由に太老をただの発明家。科学者と捉えるのは危険だと彼女は考えていた。

「彼はキミと違って自由な人間だからね。普通の人なら納得の行くまで答えを探すか、迷った末に諦めるか妥協するかが普通だけど彼にはそれがない。即断即決。直感で物事を見極め、自ずと結果を導く。所謂、天才と言う奴なのだろうが、効率的に物事を考える癖があるキミには理解の及ばない苦手な相手だろうね。彼、正木会長は……」

 今西部長の言うように太老の持つ決断力と行動力――何よりチャンスを確実に掴み取る嗅覚を、美城専務も高く評価していた。
 だが、それだけに彼の考えが読めない。柔軟という言葉は都合が良いが、ようは決まった型がないと言うことだ。
 ある意味で究極の型破り。しっかりと計画を立て、効率的に物事を進めようとする彼女からすれば、それで結果を導きだす太老は理不尽な存在と言える。
 今回の件もそうだ。最初にあった安部菜々の移籍話。その意味を深く考えず、社にとっても都合が良いからと了承をだしたが、あれがそもそもの布石になっていたのではないかと、いまになると思えてくる。これまで346は老舗のブランドに絶対の自信を持ち、所属するアイドルたちが自分から他所へ移りたいと言いだすはずがないと思い込んでいた。
 しかし安部菜々という前例を作ってしまうことで、そういう可能性――選択肢があると言うことを会社自ら示してしまった。

 現状に不満を持っているアイドルはそれなりにいる。そんな彼女たちがチャンスを求め、891への移籍を希望するというのは考え得る話だ。
 契約で縛り付けるにも限界がある。それが露呈したのが、今回の一ノ瀬志希とフレデリカ。そして城ヶ崎美嘉の件だろう。
 本気で彼女たちが移籍するつもりなら会社としては止める手段がない。そして891へ抗議するにしても、それで合同コンサートも中止と言う話になれば困るのは346も同じだ。いや、891の持つ最先端技術を駆使したステージは業界のどこの会社も再現できていないものだ。それだけに891のステージは話題を呼び、一目見たさに集まる客を取り込むことで半ば独占市場と化している現状がある。だからこそ、そのノウハウを学ぶことは、千金の価値があると346は考えたわけだ。企画を白紙に戻したところで、一方的に損をするのは346の方だろうと美城専務は考えていた。
 それに891の親会社である正木商会は特定の国や企業との繋がりを持たない公正な企業として知られている。ようは技術を隠すこともないが、詳しく説明することもない。真似られるものなら真似てみろというのが彼等のスタンスだ。数多の国の圧力に屈しなかったばかりか、手痛い代償を支払うことになった者たちも多く、現在では正木商会に関する暗黙のタブーが存在するほどだった。
 美城グループも当然そうした正木商会の噂を知っている。だからこそ、891との合同コンサートは他社に先んじる好機だと考えたのだ。

 それがご破算となるかもしれない事態。幾ら891との関係を重視してはいても、所属アイドルを引き抜かれたとあっては黙っているわけにもいかない。
 何か落としどころはないかと頭を悩ませていたそんな時に、太老から提示された条件は346として――いや、美城グループとしても飛びつきたくなる破格の条件だったと言う訳だ。
 彼女が納得が行かない。不満に思っている理由の一つがそれだ。
 会社としては受けるべき話だと理解しているが、最初から手の平の上で踊らされていた気がしてならない。

「前にも言ったと思うけど、もう少し肩の力を抜きなさい。柔軟な思考を持たなければ、彼を理解することは難しいだろう」

 そんな今西部長の言葉に返事をすることもなく、美城専務は部屋を後にする。

「やれやれ、相も変わらず頑なだね。会長が彼に期待するのも無理はないか」

 首を左右に振りながら、今西部長は溜め息を漏らす。
 彼女の父親でもある美城グループの会長が、太老にどんなことを期待しているかは予想が付く。
 しかし以前よりはマシになったとは思うが、それでも彼女の凍り付いた心を溶かすには、まだ時間が必要なようだと今西部長は感じていた。


  ◆


 守蛇怪・零式の亜空間内に、二つ浮かぶ人工惑星の内の一つ。そこに建てられた宮殿が、現在の私たちの職場だ。

「太老くんから連絡があったわ。例の件、上手く交渉がまとまったそうよ」
「そうですか。さすがは太老様ですね」

 私――柾木水穂の話に、柔らかな笑みを浮かべる彼女、立木林檎ちゃん。私と同じく瀬戸様の下で働く女官の一人だ。
 現在は瀬戸様の指示で、太老くんの仕事を共にサポートする立場にあった。正確には太老くんがやり過ぎないように監視するのが役目なのだけど……。
 そんな矢先のことだ。志希ちゃんと菜々ちゃんの件は仕方がないにしても、他に四人もの人間に秘密がバレたと相談を受けた時は、正直なところ目眩がした。
 いや、相手はあのフラグメイカー≠フ異名を持つ太老くんだ。この程度のことは想定して然るべきだった。
 すぐに彼女たちに護衛と監視を付け、身辺調査をさせたが、幸いにも自分から秘密を漏らすような子達ではなかったのでそこは安心した。
 昔からそうだけど人を見る目があると言うか、太老くんに引き寄せられる子達は有能で性格的にも好感の持てる子が多い。
 瀬戸様が彼の好きなようにやらせているのも、実際にそれが巡るに巡って樹雷のためになると考えているからだろう。

「でも、本当によかったの? 随分と昔の話とは言っても、あれって太老くんの作ったものでしょ?」
「はい。地球の技術でも再現可能なものですし、あれは〈MEMOL〉がなければ真価を発揮できませんから。それに――」

 交換条件に太老くんが346に提示したもの。それは過去に太老くんが作った発明品を一部の機能を制限して量産したものだ。
 とはいえ、子供の頃に作ったものなので、それほど高性能な代物と言う訳ではない。ただ私たちの基準で考えれば、という要約は付く。
 林檎ちゃんの言うように、確かに地球でも再現が可能な技術だろう。実用化するには最低でも十年は掛かると思うけど……。
 それに量子コンピュータもまだ実用化していない地球の技術レベルでは、林檎ちゃんの言うようにアレの性能を完全に引き出すことは出来ない。
 先の盤上島の一件で、地球が連合国に組み込まれていなければ、銀河法に抵触しかねないギリギリのグレーゾーンだ。
 とはいえ、地球が初期文明の保護惑星であることに変わりはない。事後承諾になってしまうが、地球連合国の代表を太老くんに押しつけられた将くん≠スちには一言、連絡を入れておくべきだろう。

「この件は、もうしばらく経過を見守るしかなさそうね」
「あ、水穂さん。例の海賊の件はどうなりましたか?」
「うん? ああ、海賊ギルドの残党の件よね?」
「はい。脱獄を手引きした者は捕まったと言う話でしたが、その後の報告を受けていないので」
「ううん。それなんだけど、木星で消息が途絶えたままなのよね。引き続き、追跡と警戒は行っているのだけど……」

 海賊ギルドのほとんどは先の盤上島の一件で、地球連合国に組み込まれたが、それをよしとしない者たちも当然いた。
 そうした者たちが連盟から承認を受けたばかりの連合国を乗っ取ろうと反乱を企てたのが三年前のこと。しかし盤上島の勝者となり、第四世代の皇家の樹のマスターとなった駆駒将くんと、アドバイザーとして地球にきていた山田西南くん。そして商会の仕事で地球にいた太老くんの確率の変動に巻き込まれるカタチで、完膚なきまでに叩きのめされ捕縛された。
 そして捕縛された海賊たちは連盟での裁きを受ける手はずとなっていたのだが、木星に設けられた仮設の収容所から半年前に脱獄してしまったのだ。
 正直、連合国とは名ばかりで、国としての体制は整っているとは言い難い。財団や正木商会の支援を受けることで、現在は傘下に収めた元海賊たちが輸送業務に励んでいるが産業と呼べるものも乏しく、太陽系内で唯一開発が進んでいる地球も未だに恒星間移動技術を持たない初期文明惑星にカテゴリーされている。そうしたことから人や資源、金と言ったあらゆるものが連合国には足りておらず、代表である駆駒将くんが連盟の承認式典に出席するため、地球を離れている隙を海賊の残党につけ込まれたと言う訳だ。

「……心配ですね」
「そうね。地球には太老くんがいるし、別の意味で心配というか……」

 脱獄した海賊たちが、地球に潜伏している可能性を林檎ちゃんは疑っているのだろう。
 そして太老くんは海賊たちに畏怖される存在であると同時に、彼等から大きな恨みを買っている。そのことを考えれば、彼等が太老くんの命を狙う可能性はないとは言えない。でも、あの程度の海賊たちに太老くんが後れを取るとは、私も林檎ちゃんも思ってはいなかった。
 むしろ、太老くんにちょっかいを掛けて周囲に及ぼす影響の方を私たちは心配している。
 善意には善意を、悪意には悪意を――それが太老くんをフラグメイカー≠スらしめる能力だからだ。

「そう言えば、今回の件。太老様に一任すると瀬戸様が……」
「……それって、そういうことよね?」

 海賊の件を瀬戸様が把握していないとは思えない。報告書には目を通されているはずだ。
 となれば、そういうことなのだろう。一石二鳥、いや……三鳥くらい狙っているのかも知れない。
 そして、これから起きるであろう問題。その後始末を考え、私は深い溜め息を漏らすのだった。



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