「うわあ……」

 バスを降りた島村卯月は見上げた光景に目を奪われ、感嘆の声を漏らす。
 大小はあれど、他の少女たちも卯月と似たような反応を示していた。
 当然と言えば、当然の反応だ。

「あ、あれってタチコマだよね?」
「うん……それに案内板にも立体映像が使われてるみたい……」

 街の中をタチコマが徘徊し、清掃を行っている姿が目に留まり、本田未央は声を震わせる。
 渋谷凛が視線を向ける先には、半透明の立体映像と思しき案内板が宙に浮かんでいた。
 空間モニターのようなものでテレビ電話をしている人もいれば、店頭に並ぶ商品の値札にさえ、ARが用いられているのが確認できる。
 大都市に住み慣れた若者たちの目からしても現実離れした光景。SFのような世界が目の前には広がっていた。

 人口十万人ほどの山と海に囲われた実験都市。
 正木商会と日本有数の企業が手を組み、最先端の科学技術を駆使し、十年の歳月を掛けて造られたのがこの街だ。
 十年先を行く未来都市と呼称されるだけあって、街の至るところには拡張現実を始めとした最先端科学が惜しげもなく用いられていた。

 実験都市の噂は卯月たちも耳にしたことくらいはあるが、実際に訪れるのはこれが初めてだ。
 街に住むには厳しい審査をクリアする必要があるため、気軽に移住することは出来ない。
 機密保持の観点から立ち入りを禁止されている施設も多く、観光客の出入りにも制限を掛けているほどだった。
 そんな特殊な環境下にある街だけに、891と346の合同コンサートが実験都市≠ナ開催されると発表された時は、世間でも大きな騒ぎとなったのだ。
 実際、太老からステージの開催場所に実験都市を提案された時は、企画を持ち掛けた346でさえ驚きを隠せなかったくらいだった。
 だが、これには日本が抱える、ある問題が関係していた。

 正木商会の台頭によって地球全体の技術レベルは確かに向上しているが、その恩恵を最も強く受けているのが日本だ。
 そこに加え、山田西南や駆駒将と言った日本人が宇宙への切符を手にしたことも各国の上層部に伝わっており、「どうして日本人だけが……」とそのことを不満に思っている国も少なくない。
 だが、だからと言って樹雷を敵に回す愚かしさは彼等も理解していた。
 ならばと日本に対する圧力を強めるのは必然で――実験都市に関しても一部の国が、国連の共同管理にすべきと主張していたのだ。
 しかし実験都市はそもそも西園寺グループを始めとした日本有数の企業が多額の資産を投じ、推し進めてきた共同プロジェクトだ。
 無関係とは言わないが、日本政府が他国の圧力に屈し、勝手に権利を譲渡できるような話ではない。
 ましてや、あの『正木』が関係している以上、迂闊な行動にでれば自分たちの首を絞めかねない。
 更に同盟国との間で板挟み状態の日本政府が「どうにかしてくれ」と、正木商会に助けを乞うのも無理からぬ話だった。

 盤上島の一件から三年。あの時から限界の兆しは見えていたのだ。
 正木商会や実験都市の存在が切っ掛けの一つとなったことは確かだが、何もせずとも現在と似たような状況を迎えていた可能性は高い。
 正木の村を隠し通すことも、彼等がこの先も正体を隠して地球で生活を続けることも、限界に近づいていたことは確かだからだ。
 時代の流れが――彼等の存在を知った世界が、彼等のことを放って置くはずもない。
 だからこそ、時代の流れに沿った新たな仕組み≠用意する必要があった。
 そのための布石として実験都市が造られ、正木商会が地球での経済活動を始めたのだ。

 しかし人間というのは欲深く、愚かな一面を持つ生き物だ。余程、隣の芝生は青く見えるらしい。
 実験都市の情報は常に公開されているし、都市で研究されている技術も特に隠しているわけではない。
 当然そこに至るまでの検証の積み重ねは必要になるだろうが、公開されている情報から再現しようと思えば可能な技術ばかりだ。
 投じられた資金や人材、時間を無視して『成果だけを寄越せ』という各国の言い分の方が横暴極まりないのだが――
 彼等の目には日本だけが優遇され、利益を独占しているかのように見えているのだろう。

 とはいえ、超科学を有する星間国家が、恒星間移動技術を持たない初期文明惑星に介入して滅びを誘発した例は過去にもある。
 地球は異例尽くしの星と言うこともあって、ある程度の介入は仕方なしと考えられているが、それは宇宙の干渉から地球を守りつつ段階的に技術と文明の発達を促すことを目的としたものだ。
 最悪の結果を招かないため、各国の暴走を防ぐと言う意味でもバランスを保つ役割が正木商会には求められていた。
 太老からすれば情報の公開に応じている時点で十分に配慮しているつもりだが、それをどう捉えるかは相手次第だ。
 どの国も自国の発展と利益を優先するのは当然のことで、盤上島に代わる政争の道具として実験都市が注目を集めるのは避けられないことだった。
 そうして持ち上がったのが、

 ――実験都市の開放

 という案だ。
 国内に限定するのでなく海外からも優秀な人材を招き入れ、競い合わせることで技術の向上と発達を促すという計画を日本政府が主導していた。
 891と346の合同コンサートの開催場所に実験都市が選ばれた理由もそこにある。
 いまやアイドルの活動は国内に留まらず、海外へと広がりを見せ、一種の社会現象にまでなっている。そこで、これまで観光客の出入りも制限し、国民の間にも余り知られることのなかった実験都市をアイドルのコンサートを通じて一般開放することで、対外的なアピールもしたいという政治的な思惑が働いているのだろう。
 美城グループの会長や経営に関わる重役ともなれば、そうした日本を取り巻く状況も理解しているだろうが、事務所に所属するアイドルや末端の社員では知る由もない情報だ。
 当然、武内プロデューサーも詳しいことは何一つ聞かされていない。彼の直属の上司である今西部長でさえ、詳細は把握していないだろう。
 この場にいる、たった一人を除いて――

(この街に来るのも半年振り≠ゥあ……)

 各国に配慮し、正木商会やその協力関係にある企業が日本政府の要請に応じたのは確かだろう。
 だが地球の抱える事情を考慮すれば、初期文明惑星という枠組みや連盟の定めたルールなど形式上のものに過ぎない。
 地球を含めた新国家が誕生した時点で、対外的にはどうとでも言い訳のつくものだ。
 実際ルールの抜け道をつくことで盤上島を舞台にしたゲームは開催され、正木商会の地球での経済活動も黙認されている。
 それは地球と言う星が、樹雷にとって無視することの出来ない特別な星だからだ。
 本当に地球が文明の崩壊を招くような危機的状況に陥れば、樹雷が介入しないはずがない。
 となれば――

(先生、本気みたいだね)

 太老がこの街を開催場所に選んだ本当の理由≠ノ一ノ瀬志希≠セけは気付いていた。


  ◆


 実験都市のなかでも有数の規模を誇る西園寺グループが経営するホテル。
 その玄関ロビーの片隅に置かれたマッサージチェアに腰掛ける周子の姿があった。
 革張りの背もたれに身体を預け、疲れきった表情で「あああ……」とアイドルらしからぬ声を漏らす。

 疲れた。本当に疲れた。もう死にそう。
 いや、よくここまで頑張ったと自分を褒める周子。

 こんなにも真面目に仕事をしたのは、アイドルになって初めて――いや、人生で初かも知れなかった。
 346のアイドルは個性豊かな面々が多く、傍から見ている分には退屈しないが、いざ自分が彼女たちの世話を焼く立場になると話は違ってくる。
 プロデューサーの仕事の大変さ、凄さを改めて実感させられる一日だった。
 誰か明日からの引率代わってくれないかな……と、周子が淡い望みを口にした、その時。

「フフッ、お疲れみたいね」
「え……」

 周子が目を開けると、そこには黒髪のよく似合うエプロン姿の女性が立っていた。

「えっと……」
「休んでいるところ、ごめんなさい。随分と疲れているみたいだったから、よかったら甘い物でもどうかと思って」

 そう言うと女性はトレーに載せたケーキをテーブルの上へ置くと、紅茶をカップに注ぎ始める。
 ホテルの玄関ロビーに面した場所に丸いテーブルが並ぶ、オープンカフェと思しき一軒の店が見えていた。
 恐らくは、そこの店員か何かだろうと周子は当たりを付ける。
 しかし――

「来週から店で置く予定の人参を使ったマフィンなんだけど、よかったら食べて味の感想を聞かせてくれるかしら?」

 ケーキを注文した覚えはない。そのことを心配する周子に、女性はそう言ってケーキを勧めた。
 どこかまだ心の中で警戒しつつも甘い匂いに抗えず、「そういうことなら……」とケーキを口に運ぶ周子。
 すると――

「――ッ!?」

 口一杯に広がる優しい香りと甘さに疲れも吹き飛んだ様子で、夢中でケーキを頬張る周子。
 紅茶もケーキの甘さを引き立てる丁度良い苦みで、思わず笑みが溢れる。
 そして、あっと言う間にケーキを食べ終え、幸せそうな笑みで余韻に浸る周子に女性は感想を求めた。

「どうだった?」
「凄く美味しかったです!」
「そう、気に入ってもらえたみたいでよかったわ。少し……元気がでたみたいね」

 ハッとした顔で、頬を撫でる周子。
 周子の実家は和菓子店を営んでいて、病気の時や嫌なことがあった時は、よくこうして実家の和菓子を口にしていた。
 だからだろう。目の前の女性に母親の面影を重ねてしまったのは――

(まいったなあ……)

 警戒していたのがバカらしくなるくらい、相手は善意で声を掛けてくれたのだと今頃になって周子は気付く。
 彼女は余り周囲に弱味を見せることがない。空気を読むことに長けていて他人を気遣うことはあっても、自分が構われること気遣われることに慣れてなく苦手としているからだ。
 しかし気を遣わせてしまったことは間違いない。ケーキをご馳走になった以上、礼を失することは出来ない。
 改めて御礼を言おうと周子が覚悟を決め、顔を上げた、その時だった。

「……母さん、こんなところで何やってるんだ?」
「え?」

 後ろから聞こえた馴染みのある声に振り返ると、そこには太老がいた。
 何やら驚きと呆れ、困惑と言った感情が入り交じった表情で、エプロン姿の女性を見ている。

「息子のガールフレンドを確認しておこうと思って。話に聞いていた通り、良い子たちみたいね」
「え、え?」

 母さん? 息子? と状況を呑み込めない様子で困惑を顕にする周子に、エプロン姿の女性は頭を下げ、

「はじめまして。太老の母、正木かすみです」

 答え合わせとばかりに正体を明かす。
 悪戯が成功したとばかりに小さく舌をだす母親の姿に、太老は天を仰ぐのだった。


  ◆


「太老さんのお母さんがきてた!?」

 何やら必死な様子の美嘉に迫られ、「あ、うん」と若干引いた様子で返事をする周子。
 夕食の時間が近づいても部屋に戻って来ない周子を心配して捜しに行こうとしていた美嘉に、太老の母親に偶然あってケーキをご馳走になっていたと正直に話をした結果がこれだった。
 志希からは「いいなー」と羨ましがられ、フレデリカからは「ケーキ美味しかった?」と感想を求められ、奏からは「頑張ってね」と意味深な言葉で励まされ、美嘉からは詳しく説明を求められる始末。
 どうしてこうなった、と周子が現実逃避をするのも無理はない。
 だが、正直に話さなければよかったと思うのも後の祭りだ。
 どうにかこの場を収めなければと、周子は今にも部屋を飛び出して行きそうな美嘉を宥める。

「でも、もういないと思うよ? この後、店に顔をださないと行けないからって、会長さんに見送られてホテルを出て行ったから……」
「……店?」
「あたしも詳しくはないんだけど、野菜を使ったケーキやパンを味わえる喫茶店をやってるそうで、最近891のビルの近くに二号店をオープンしたらしくて……確か、店の名前は『ベビーズブレス』って言ったかな?」
「あれ? その店って……」

 何かに気付いた様子で、二人の会話に割って入る志希。

「うん。前にフレちゃんとケーキを食べに行ったことがあってね。ふーん、あそこって先生のママの店だったんだ」

 そこは前に志希がフレデリカに誘われて、ケーキを食べに行ったお店だった。
 まあ、実際には約束していた日に二人揃って美嘉に捕まって、後日改めて店へ行くことになったのだが……。
 美味しかったよねーと話すフレデリカに、また一緒に行こうと志希は約束する。
 丁度、二人が店に顔をだした時にはかすみの姿はなく、志希も太老の母親がオーナーをしている店とは思ってもいなかったのだ。
 しかしそう言われてみれば、あのキャロットケーキの香りは、以前『柾木家』でご馳走になったケーキと似てたなと志希は思い出す。
 同じレシピと言う訳ではなくアレンジが加えられていたが、あの優しい香りは『幻のキャロットケーキ』に通じるものがあった。
 周子から、その一号店がホテルの一階に入っていると聞いて、美嘉だけでなく他の三人も興味を示す。

「何時までやってるのかしら? 夕食が終わったら、皆で行ってみる?」

 奏の提案に満場一致で賛成の声を上げるメンバーを見て、ほっと胸をなで下ろす周子。
 うっかりと口を滑らせてしまったが、どうにか詳しい経緯を追及される前に話題を逸らすことが出来たと安堵したからだった。

(言えないよね。会長さんのガールフレンド≠ノ誤解されたなんて……)

 勿論、恋人ではなくただの友達……という意味だと周子は考えているが、そんな言い訳が美嘉に通用するとは思えない。
 美嘉が891への移籍を決めたのは、太老に対する憧れ≠竍想い≠ェ一番の理由にあると周子も察していたからだ。
 そのことを尋ねたところで、本人はきっと否定するだろうが――

(素直じゃないしね。まあ、そういうところが可愛いんだけど……)

 美嘉の想いが太老に届くことを願って、今日のことは胸の内に秘めておこうと周子は心に決める。
 しかし――

(はあ……)

 素直じゃないのは――いや、自覚がないのは果たして、どちらなのか?
 そんな周子を見て、奏は気付かれないように小さな溜め息を漏らすのだった。


  ◆


『太老のところへ行ってたんだろ? どうだった?』
「はい。鷲羽様の仰っていた通りでした」

 二号店へと向かう車の中、かすみは超空間通信を使い、樹雷にいる鷲羽と連絡を取っていた。
 太老にも話さなかったが、あることを確かめるために、かすみは実験都市へ赴いたのだ。
 本当は離れた場所から観察するだけに留め、周子にも接触するつもりはなかったのだが、太老に振り回される彼女を気の毒に思い、声を掛けたというのが真相だった。

「彼女たちは恐らく……」

 ギャラクシーポリスの英雄、山田西南の周囲にいる女性たちのように――
 特定の条件下で『確率の天才』の因果に干渉する力を持った者たち。
 現在、太老の力に干渉することが出来る人物は十名ほど確認されているが、監視下に置いている少女たち≠ノも同様の能力があると鷲羽は考えていた。
 そして、かすみの見解も鷲羽と同様だった。
 林檎が菜々を宴会の席に連れてきた時から、ずっと監視を行ってきたのだ。
 そうしたなかで起きた秋の定期ライブの事件だ。恐らく間違いはないだろうと、鷲羽は確信を得ていた。

「どうなさいますか?」
『わかってて聞いてるんだろ?』

 確率の天才の力を抑えることが出来るとは言っても、完全に打ち消せるわけではない。
 特に太老の場合、周囲に与える影響が広範囲に及ぶこともあって、正確な予測は鷲羽にさえ出来ない。
 予測が付かないのであれば、対策を講じたところで意味はない。
 出来ることと言えば効果を期待して、運を天に任せると言ったことしか出来ないのが現状だった。

『ぶっちゃけ、神頼みだしね。まあ、女神(あたし)が言うことじゃないけど』

 開き直った様子でアハハと笑う鷲羽を見て、かすみは溜め息を漏らす。
 とはいえ、腹を痛めて産んだ自分の子供のことだ。
 申し訳ない気持ちが半分、呆れが半分と言ったところだった。



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