頂上付近にある岩場の陰から、アドルたちの戦いを観察する人影があった。
 フードで顔を隠し、全身をすっぽりと覆う黒いローブに身を包みんでいる謎の人物。

「赤髪の剣士……」

 フードの下から呟いたその声はこもっていて性別までは分からないが、何処か哀愁の漂うものだった。
 断末魔がジャンダルムの空に響く。翼を失い、胸に大きな傷を負って崖下へと落ちていく古代種。
 長い戦いの末、アドルたちがジャンダルムのヌシを遂に倒したのだ。
 アドルたちの勝利を確認すると、もう用事は済んだとばかりに踵を返すローブの人物。
 その場から立ち去ろうと〈転位陣〉を展開した、その時だった。

「――ッ!?」

 咄嗟に半身をそらすことで、ローブの人物は死角から放たれた攻撃を回避する。
 だが迫る追撃に反応しきれず、光のように鋭い一撃がローブを切り裂く。

「お前は……」

 暴かれたローブの下から顔を覗かせたのは、歳は二十過ぎと思しき黒髪の女性だった。
 そしてローブの女は、険しい表情で攻撃を仕掛けてきた相手を睨み付ける。
 その視線の先には、巨大な武器を手にした赤い髪の少女――シャーリィ・オルランドがいた。

「さっきのをかわすなんて、お姉さんなかなかやるね」

 心の底から愉しそうに話すシャーリィを見て、

(どうやってここに? いや、そもそも……)

 攻撃の直前まで気付かないほどに接近を許したことにローブの女は疑問を持つ。
 微塵も隠そうとしない強烈な殺気。圧倒的な強者の気配。
 こんなにも強い命の輝きを放つ者をローブの女は見たことがなかった。
 シャーリィほどの存在感を持つ相手であれば、接近に気付かないということはありえないと考えたからだ。

「不思議そうな顔をしてるね。でも、種明かしは禁止されるんだよね。それよりも、お姉さんの名前を教えてよ。そっちだけシャーリィたちのことを知ってるのって不公平≠ナしょ?」

 シャーリィの話から、密かに観察していたことも知られているとローブの女は理解する。
 となれば、シャーリィがここに現れた理由も察しが付く。
 戦って勝てるかと考えるが、否とローブの女は冷静な判断を下す。
 遠巻きに観察するだけに留めていたのは、シャーリィたちが自分たちにとって危険な相手だとわかっていたからだ。

「……ウーラだ」

 勝率はゼロに近い。なら戦闘は避けるべきだ。
 いまは少しでも時間を稼ぐしかしないとローブの女は考え、シャーリィの質問に答える。
 だが、

「……お姉さん、もしかして逃げられると思ってる?」

 身体の芯が震えるような殺気に当てられ、思わず身構えるローブの女――ウーラ。
 そして、

「これは……」
「ベルの結界が張ってあるから、もう〈転位〉は使えないよ」

 もう、逃げ場がないと言うことに気付かされる。
 そんな困惑を隠せない様子のウーラに、

「じゃあ、素直に話してくれる気になるまで殺し合おうか? たっぷりシャーリィを愉しませてよね」

 シャーリィは狂気の笑みを浮かべながら迫るのだった。


  ◆


「やり過ぎるなって言ったよな?」
「うん、だから殺してないよ?」

 確かに殺してはいない。だが、不死身でなければ死んでいてもおかしくないほどの重症をウーラは負っていた。
 それに身体が受けた傷よりも精神的なダメージが大きかったのだろう。
 傷の治療は終わっているのに目を覚まさない。あれから丸一日が経過していた。
 もう少し手加減を覚えろとリィンがシャーリィを叱っていると、クリスタルが点り――

「ん……ただいま」

 光の中からフィーが現れる。
 タナトスの案内を兼ねて、ベルと共に集落の様子を見に戻っていたのだ。

「ああ、おかえり……って、ベルは?」
「カトリーンのところにいる。例の鉱石について、もう少し調べることがあるって」

 フィーが言っているのは、タナトスが依頼の報酬としてリィンに渡した緋色の鉱石のことだ。
 それをカトリーンに見せたところ『ヒイロカネ』と呼ばれる鉱石であると判明したのだ。
 金剛石より硬く決して錆びることがない金属。これを求める好事家や蒐集家が後を絶たないとも言われている幻の鉱石。
 実在すると祖父から聞いてはいたものの存在自体が疑わしい代物で、カトリーンも半信半疑でいたものだった。
 で、ベルはというとカトリーンと工房に籠ったまま出て来ないという話をフィーに聞かされ、リィンは呆れた様子を見せる。
 しかし、

(いや、いまだからこそか)

 焦ったところで、あと一週間は動けない。だから、いまのうちにと言うことなのだろうとリィンはベルの考えを読む。
 アドルたちが山を越えたことは把握している。現在位置から見て、この地下聖堂があるエタニアの遺跡に辿り着くのは明日の昼か夕方と言ったところだろう。
 リィンもウーラが目を覚ますまでは、次の行動に移るつもりはなかった。
 それに――

「シャーリィ、フィー。しばらく交代で集落に詰めてくれるか?」

 仲間を取り戻すために〈進化の護り人〉がやってくる可能性がゼロとは言えない。
 最悪の事態を想定しながら、リィンは次の戦いに備えるのだった。


  ◆


 ウーラはそっと身体を起こし、頭の痛みに耐えるように額を右手で押さえる。
 そして、

「……ここは?」

 どうして自分がこんな場所にいるのか分からず、ウーラは困惑の声を漏らす。
 見覚えのない景色。見慣れない道具や装飾品。そこはリィンが地下聖堂に設けた天幕の中だった。
 ベッドから立ち上がろうとするが、身体に思うように力が入らないことにウーラは気付く。
 下着などは身に着けておらず、肩口から脇に掛けて、手足にも包帯が巻かれていた。
 そして、何があったかを思い出す。

「私は赤い髪の少女と戦って……」

 いや、あれは戦いと呼べるものではなかった。
 一方的に弄ばれ、嬲られ、文字通りに一度殺された≠フだと理解する。
 違う。それすらも正確ではない、とウーラは頭を振る。
 シャーリィと戦い、殺されたのは――

「目を覚ましたみたいだね。ウリアヌス――いや、サライ女王と呼んだ方がいいかな?」
「あなたは……」

 ウーラでもサライでもなく、最初に懐かしい名を呼ばれてウーラは目を瞠る。
 ウリアヌスとは、エタニアを災厄から救い、後に『救国の聖者』と讃えられた人物の名だ。
 そして、それは嘗てウーラが呼ばれていた名でもあった。
 いまや、その名で彼女のことを呼ぶ者はいない。
 そのことを知る者は、ただ一人だけ――

「まさか、生きていたのですか? それに、その姿は……」

 イオはウリアヌスの付き人にして弟子でもあった少女だ。
 ウリアヌスが亡き後は、はじまりの大樹を奉る巫女となることで寺院を設立したエタニアの歴史に名を残す偉人だ。
 国に並ぶ者はいない卓越した理力の使い手ではあったが、それでも人はいつか死を迎える。イオの死因は老衰だった。
 彼女の死を大勢の人々が嘆き悲しみ、大々的に国を挙げての葬儀が執り行われたことをウーラは記憶している。
 だが、いまのイオはウリアヌスが――いや、ウーラが出会った頃と変わらない若々しい少女の姿をしていた。

「アタシはイオであってイオではない。大樹の真実を後世の巫女に伝えるために、初代が遺した思念体さ」

 目を瞠るウーラ。だが、納得が行く。理力の扱いだけで言えば、後年のイオは聖者ウリアヌスを凌ぐほどであった。
 その卓越した理力で長い歳月を生き、エタニア人の平均寿命が五十年ほどと言われている中で、実に二百年≠烽フ間エタニアの歴史を裏から支えてきたのだ。
 彼女ほどの才と腕があれば、知識と記憶を受け継いだ思念体を用意することが出来ても不思議な話ではない。

「それに、いまは『イオ・クラウゼル』という新しい名がある」
「その名前は……」
「そう、アンタがこっぴどくやられたシャーリィ・オルランドの仲間だよ」

 イオの言葉で、ウーラの頭に黒髪の青年――リィンの顔が浮かぶ。
 シャーリィは確かに強かった。しかし、それよりも恐ろしいと感じたのはリィンの方だった。
 はじまりの大樹を前にしているかのような存在感を、以前からウーラはリィンに感じ取っていたからだ。
 だが、ただの人間が〈はじまりの大樹〉に匹敵するほどの力を内包しているなどと信じられない。
 だから、そのことを確かめるために危険を承知で観察を行っていたのだ。

「で? アタシはアンタのことをなんて呼べばいい? シャーリィには『ウーラ』と名乗ったんだろ? それとも昔みたいに『ウリアヌス』って呼ぼうか?」

 イオにそう尋ねられ、ウーラは困った顔を見せる。
 シャーリィに嘘を吐いたつもりはない。彼女の名は間違い無く『ウーラ』だ。
 しかし『ウリアヌス』も『サライ』という名前も、すべてが偽りと言う訳ではなかった。
 むしろ、ここにいるのはウーラではなく――

「サライと呼んでください。ウーラさんは意識を閉ざしてしまったようなので……」

 ダーナの友人にしてエタニア最期の女王、サライだった。


  ◆


「……二重人格みたいなものか?」

 イオからサライが目を覚ましたと聞き、大凡の説明を受けたリィンは首を傾げながら、そう尋ねる。

「正確には違います。ウーラさんは太古の時代、遥か天空から地上に降り立った擬態≠フ力を持つ種≠フ代表ですから」
「擬態? それって動物や昆虫とかが、他の動植物の姿を真似る能力のことか?」
「はい。概ね、その認識で間違ってはいません。ウーラさんたちの種族の持つ力は、取り込んだ者の姿だけでなく人格さえも真似ることが出来る強力なものですが……」

 そんな能力を持つ種族ですらラクリモサに抗うことは出来ず、ウーラ一人を残して滅んでしまった。
 そして時は流れ、次にラクリモサの対象となったのが、エタニア人だったとサライは話を続ける。

「いつかエタニアが滅びを迎えることは、彼等が〈はじまりの大樹〉に接触し、理力に目覚めた時点でわかっていました」

 そして更に数千年の時が流れ、ラクリモサの日が近いと悟ったある日――
 進化の護り人として『最も輝く魂を持つ者』を間近で観察するために、ウーラは王族に近付くことを決めた。
 そんななか王女が危篤状態にあることを知り、王宮に忍び込んだウーラは既に事切れていた幼い王女を見つける。

「ウーラさんから見れば、事切れた王女は都合の良い存在でした。生きている者に成り代わるよりは、心を痛めずに済みますから……」

 そうして王女の人格と容貌を取り込むことで再現されたのが私なのです、とサライは話す。
 俄には信じがたいような話だが、嘘を言っているようにも見えない。
 それに、

(擬態型の宇宙人ってことか? なんか、そういうSFを昔読んだような……)

 遥か天空というのは話の流れから考えるに、恐らく宇宙のことだとリィンは察しを付ける。
 宇宙からやってきた異星人が現地の住人に成りすまして生活を送っているという話は、小説や映画で使い古されたネタだ。
 リィンも似たような話をテレビやネットなどで、幾度となく目にした記憶があった。
 恐らくは生物の記憶を食らうことで、その補食した相手に成り代わることが出来る種族なのだろう。

(ファンタジーな世界と思っていたら、宇宙人までいるとはな……)

 前世の知識があるから話を呑み込めたが、普通に聞いても理解しがたい話だろうとリィンは思う。
 実際、シャーリィとフィーは話を聞いてもよくわかっていない様子で、眠そうに大きな欠伸をしていた。
 ベルなら興味を持ちそうな話ではあるが、そんなことよりも気になるのは、

「自覚があるってことは、記憶や知識は共有しているのか?」

 サライがウーラの記憶や知識を共有しているのかと言ったことだった。
 ようするにサライがウーラの作った疑似人格であるというのは、なんとなく理解できた。
 だが、亡くなった王女の人格を完全に再現していると言うことは、それはもうウーラではなく別の人間と言ってもいいだろう。
 リィンが知りたいのはサライが生まれた理由やウーラの境遇などではなく、はじまりの大樹のことだ。
 進化の護り人としての知識がサライにないのでは意味がない。

「ある程度は共有しています。ですが……」

 ウーラしか知り得ないこともある、とサライは答える。
 ある意味で予想通りの答えではあったが、リィンは念のためサライに尋ねる。

「どうにかして起こせないのか?」
「私の声が届かないほど、完全に心を閉ざしています。それにウーラさんはそこにいる赤い髪の少女に恐怖を刻まれ、死を体験することで精神に深い傷を負っています。不死と言えど、感情がないわけでも痛みを感じないわけでもありませんから……。少なくとも傷が癒えるまでは、目を覚ますことはないでしょう」

 そう言ってシャーリィを睨み付けるサライを見て、リィンは事情を察する。
 ようするに、いつものようにシャーリィがやり過ぎたと言うことだ。
 シャーリィの責任だと言われればリィンもそれ以上は何も言えず、溜め息を交えながら今度はイオに尋ねる。

「お前が〈はじまりの大樹〉や〈進化の護り人〉について詳しかったのは、ウーラから直接話を聞いていたからだな?」
「うん。アタシが生きていた頃は『ウリアヌス』って名乗っていたけどね」

 最初はフィーの夢に出て来たという石碑に書かれていたのかと思ったのだが、それを考慮してもイオは〈はじまりの大樹〉――特に〈進化の護り人〉について詳しすぎた。そうしたことからウーラとイオが昔からの顔見知りと聞いて、もしかしたらと思っていたのだ。
 そしてイオの答えを聞き、やはり意識を閉ざしたのはそういうことかと、リィンはウーラの行動の意味を理解する。
 情報の漏洩を避けるために意識を閉ざし、サライに身体を預けたのだとすれば合点が行くからだ。
 ようは、ウーラの方が一枚上手だったと言うことだ。
 とはいえ、擬態の能力を持つ種族がいるなどと予想できるはずもない。
 やり過ぎ云々は別として、シャーリィだけを責める訳にはいかなかった。

「……どうするの?」
「一応ベルにも相談するが、その前に――」

 フィーの問いに答えながら、リィンは視線をサライにやる。
 ベルなら良い案を思いつく可能性はあるが、その前に確かめておきたいことがあったからだ。

「サライと言ったな。お前はどうするつもりだ?」
「私は捕虜です。選択肢など……」
「違う。俺はウーラではなく、お前はどうしたいのか≠ニ聞いているんだ」

 ウーラについては理解した。
 だが、それはウーラの考えであって、サライの本心を聞いたわけではない。
 王女の記憶から再現した疑似人格であろうと、ここに彼女がいるのは確かだ。
 サライとして生きてきた時間までが、嘘になるわけではない。
 自分を生み出したウーラの肩を持つなら、別にそれでもいい。だが、もし他にやりたいことがあるのなら――

「……私がそれを口にすれば、力を貸して頂けるのですか?」
「さてな。それは、お前次第だ。観察していたなら俺たちがどういう人間か、わかっているんだろう?」

 ベルの魔術によって、現在サライの理力は封じられている。
 転位で逃げられないようにするための処置だが、それでも協力しないという選択肢は取れたはずだ。
 しかし彼女は素直に聞かれたことに答え、自分やウーラのことを打ち明けた。
 それは捕まって観念したからなどではない。イオのように未練がある。まだ諦め切れていないからだとリィンは感じたのだ。

「私は……」

 ふと、サライの頭に過ぎったのは親友――ダーナの笑顔だった。
 ――大丈夫だよ。そう彼女に言ってもらえるだけで、どれだけ勇気付けられたか分からない。
 いつも前向きで、絶望的な状況の中でも彼女だけは決して諦めることはなかった。

(ダーナさんを追い込んだのは私たち……今更そんな資格はないとわかっている。なのに……)

 真実を知った後でも責めることなく『サライちゃん、あなたたちを助けたい』と言ってくれた大切な親友の顔が今も忘れられない。
 ウーラも本心では迷い、後悔していることをサライは知っていた。
 そして海水を蒸発させたリィンの力を目にした時、恐れを抱くと同時に迷いが生まれた。
 絶望に蝕まれ、とっくに諦めていたはずの心に希望の光が灯ったのだ。
 あの太陽の如き力なら、もしかしたら――

「ダーナさんを助けたい。そのためなら私は……」

 悪魔に魂を売ることになっても、その先に希望があるのなら――
 親友を助けたい。裏切られても信じてくれた彼女の想いを無駄にしたくはない。
 それが〈進化の護り人〉ウーラではなく、エタニアの女王サライの望みだった。
 そして、

「要求を言ってください」

 こんなことを尋ねてくるからには、リィンにも何か望みがあるのだとサライは察する。

「この件が片付いたら、国造りに協力しろ」
「……え?」

 言葉の意味が理解できず目を丸くするサライにリィンは、

「この島にエタニアを再興する」

 そう言い放つのだった。



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