王家の谷の最奥には〈セレンの園〉と呼ばれる場所があった。
 庭園の中央には碧い光を放つ樹が佇み、その周囲には透き通った水が流れていて、涼しげな景色が広がっている。

「このハーブティー、良い香りですわね」

 そんな碧い樹の下で真っ白なテーブルと椅子に腰掛け、優雅にティータイムを楽しむローブ姿の少女の姿があった。
 ベル・クラウゼルだ。そして、その傍らには執事服の眼鏡を掛けた若い男が控えていた。
 彼の名は、フランツ。ラクシャが行方を捜しているロズウェル家の執事だ。

「私の専属使用人になりませんこと? これだけ良い仕事が出来るのであれば、給金は弾みますわよ」
「大変ありがたいお話ですが、既にロズウェル家に仕える身ですので」

 残念ですわね、と肩をすくめながら呟くベル。
 基本的に他人のことなど路肩の石程度にしか思っていないベルだが、それでも能力のある人間は評価する。
 こんな風に彼女が誘うということは、フランツがただの使用人でないことを示していた。
 実際、使用人としてのスキルの高さもそうだが、古代種の意識を素手で刈り取るほどの武術の達人だ。
 それに――

(惜しいですわね。本当に……)

 リーシャと同種の気配をベルはフランツから感じ取っていた。
 どうして執事をしているのかは分からないが、彼の身に付けている技はただの護身術などではない。裏の世界に身を置く者の技術だ。
 それだけに心の底から惜しいと、ベルは感じていた。彼なら、きっと良い手駒になると思ったからだ。
 しかし無理をしてまで彼を手駒に加えたいかと言えば、そうではない。あくまで彼はついでだった。
 身の回りの世話をする人手が欲しいから、拾ったと言うだけに過ぎない。本命は別にいた。

「お帰りなさいませ、ダーナ様」

 フランツは椅子をそっと引き、ベルの向かいの席に後から現れた青い髪の女性を誘導する。
 全体的に露出度の高い、イオとよく似た色違いのエタニアの民族衣装に身を包んだ彼女の名はダーナ・イクルシア。
 エタニアが最期を迎える日まで、運命に抗い続けた大樹の巫女。それが彼女だった。

「ありがとうございます」

 椅子に腰掛け、差し出された温かなハーブティーを手に取りながらダーナはフランツに礼を言う。
 しかし笑みを浮かべつつも、その表情はどこか陰りを含ませるものだった。

「クイナさんは無事に送り届けましたの?」
「……はい」
「では、あとは大樹に封印された想念を解放すれば、計画を最終段階に進められますわね」

 チクリと胸に痛みを覚えながらも、ダーナはベルの問いに答える。
 そんな暗い表情を浮かべるダーナを見て、ベルは溜め息を交えながら尋ねる。

「不満そうな顔をしていますわね。いえ、まだ迷っていると言ったところかしら?」

 ダーナに迷いがあることを察しての質問だった。
 とはいえ、そのことを責めるつもりはない。
 そうとわかっていて、ベルはダーナに取り引きを持ち掛けたのだ。

「私やイオちゃんでは代わりが出来ないことは理解しています。これ以外に〈ラクリモサ〉を止める手段がないと言うことも……」

 それでも、あんな幼い少女に――クイナに重責を背負わせてしまうことに感情が納得いかない。
 代われるものなら代わってあげたい。いや、むしろ自分がその責任を負うべきだとダーナは考えていた。
 しかし思いも至らなかった方法で、ベルは〈ラクリモサ〉を止める方法を提示してくれた。
 上手く行けば、二度と悲劇を繰り返さずに済むかもしれない。
 それに、

「止めたければ止めても構いませんわよ? ですが、私は計画を途中で止める気はありませんわ。それがクイナさんの願いですもの」

 ベルの言うように、これはクイナ自身が望んだことでもあった。
 だからダーナは何も言えなかったのだ。いや、何も言う資格が自分にはないと思っていた。
 だからせめて、ベルに協力することでクイナの望みを叶えてあげようと考えた。
 緋色の予知。絶対に避けることの出来ない確定した未来を覆すには、そのくらいの覚悟が必要だと考えたからだ。
 クイナがベルに願った理由。その苦悩を考えれば、今更止めるなどと言えるはずもない。

「今更、降りるなんて言いません。もう二度と、私は大切なものを失いたくないから……」

 そんなダーナの決断を聞き、ベルは満足げな笑みを返す。
 そして、

「では、始めましょうか。愚かな女神から、世界を解き放つ実験を――」

 ベルは計画の開始を宣言する。
 世界を女神の摂理から解放するベルの壮大な実験が開始されようとしていた。


  ◆


「では、クイナとダーナさんは悪い魔女に騙されていると?」

 ラクシャの例えに言い得て妙だと思いながらも、リィンは間違いを訂正する。

「いや、嘘や誤魔化しは言っていないだろう。すべてを話していないと言うだけでな」

 少なくともベルは出来ないことを出来ると嘘は吐かない。
 彼女が叶えると口にしたからには、確実に願いを叶えてくれるはずだ。
 しかし必要以上のことをベルは語らない。態々、注意や警告を発してくれることもない。
 相手の願いを叶えつつも、しっかりと自分が得をするように動く。
 それがベルに願うと言うことだと、リィンは説明する。

「余計にたちが悪いような……」
「だから言っただろ? 悪い魔女だと」

 それに、なんの代償もなしに叶えられる願いなどない。ベルのしていることが、すべて間違いだとは言えなかった。
 実際キーアが不幸だったかと言うと、リィンはそうとは言い切れないと思っている。
 零の巫女としての力があったからこそ、キーアは大切な人たちを死の運命から救うことが出来たのだ。
 その原因を作ったのは教団やクロイス家かもしれないが、それがなければキーアは生まれてこなかった。
 ロイドたちと出会うこともなかった。いまのような幸せを得ることは出来なかっただろう。
 クイナも同じだ。何を願ったのかまでは分からない。しかし本人がそれを望んだのであれば、ベルだけを責めるのは間違いだ。
 しかし、

(相談もなしに勝手な真似をしたんだ。相応の罰は受けてもらわないとな)

 ベルだけじゃない。それはクイナにあてた言葉でもあった。
 とはいえ、ベルのことだ。逃げ道くらいは用意していそうだとリィンは考える。
 それにアドルたちには話していないが、ベルが何を企んでいるのか、大凡ではあるがリィンには見当が付いていた。
 最初からヒントはあったのだ。この島には〈始まりの地〉に似た力が眠っている。それはベル自身が口にしたことだ。
 それだけじゃない。ベルは、こうも言っていた。

『〈始まりの地〉は不可侵の神域。〈導力ネット〉で例えるなら管理者権限を持つ者しか入ることが出来ない制御室のようなものです』

 ベルは会話のなかにヒントを散りばめ、あの時から自分の思惑を臭わせていた。
 そして今の状況を考えれば、ベルが何をしようとしているかなど、ある程度の察しは付く。
 はじまりの大樹やクイナを使って、実験をするつもりなのだろう。
 碧の大樹の再現。碧き零の計画。いや、あれを超える壮大な実験を――
 とはいえ、ベルの考えも分からなくはない。事前に試しておけば、本番での成功確率も上がるからだ。
 本番というのは言うまでもない。法国に隠されているというオリジナルの〈始まりの地〉のことだ。

(ベルの考えは分かるんだがな……)

 あちらから仕掛けてきたならまだしも、自分の方から七耀教会と事を構えるつもりがリィンにはなかった。
 このままなし崩し的に、そうした方向に話を持って行かれるのは尚更気に入らない。
 そのことを考えれば、すべてが終わるのを黙って見ていることなど出来ない。だから、アドルたちをここへ招いたのだ。
 手の内を把握されている以上、ベルの計算を覆す何かをアドルたちに期待してのことだった。

「アドル、ラクシャ、それにリコッタの三人は、イオやフィーと一緒に別の場所へ向かってもらう」
「……それは、わたくしたちが足手纏いだから連れて行けないと言うことですか?」
「違う。よく見ろ」

 リィンが指さす先には、先程の地図があった。
 その上には相変わらず、ベルたちの位置を示しているものと思われる発信機の光が点っている。
 しかし、

「光っているのは一つだけだろ?」
「あ……」

 リィンが何を言いたのか、ラクシャも気付いた様子で声を上げる。
 そう、リィンは最初にベルとクイナの両方に発信機を付けていると言ったのだ。
 しかし、地図上で反応を示している光は一つだけだった。

「ベルも発信機のことは知っている。だとすれば、いま光っている方は罠だと考えるのが自然だ」

 恐らく、そちらにはクイナはいないとリィンは話す。
 なら、クイナはどこにいるのか?
 可能性として考えられる場所は一つしかなかった。
 それは――

「クイナは恐らくここにいる」

 リィンは、はじまりの大樹を指し示す。
 ベルがやろうとしていることを考えれば、ここ以外にないと考えたからだった。
 根拠を説明することは出来ないが、アドルなら間違いなく引き受けるだろうとリィンは視線を向ける。

「分かった。こちらは僕たちが引き受ける」
「……よろしいのですか?」
「ドギとの約束もあるからね」

 嘘は吐いていないと思うが、リィンがすべてを語っていないことにはラクシャも気付いていた。
 だから心配して尋ねたのだが、アドルは寸分も迷うことなく答える。
 そんなアドルと違い、まだ不満そうな表情を浮かべるラクシャに、リィンは溜め息を交えながら尋ねる。

「ベルの相手がしたいなら、こっちのチームにいれてやってもいいが?」
「え? でも、彼女に敵意はないと……」
「少なくも罠を張って待ち構えてはいるはずだ。運が良くて、全身スライム塗れってところか」

 リィンの話を聞き、顔を真っ青にしてカタカタと小刻みに震えだしたイオを見て、ラクシャは頬を引き攣る。
 ベルの仕掛けた罠に嵌まったことがあるのは、このなかでイオただ一人だ。
 それがどういうものかラクシャには分からなかったが、イオの反応がすべてを物語っていた。

「……遠慮しておきます」

 アドルが素直に引き受けた理由をラクシャは察する。
 敵意がないことと、何もしてこないことはイコールではない。
 ベルが罠を張って待ち構えているような場所へ向かう勇気はラクシャになかった。
 となれば、このチーム分けは理に適っているのだろうとラクシャは考える。
 シャーリィを御しきれる自信はないがフィーやイオとなら、まだ連携を取ることは可能だと思ったからだ。

「懸命な判断だ。正直、戦力を集中すべきかとも考えたんだが――」
「彼女が姿を消したということは、既に準備が整ったと考えるべきだ。余り時間を掛けるべきじゃない」
「ああ、俺も同じ考えだ。それに罠と見せかけて、そっちが本命という可能性も捨てきれないからな」

 アドルと意見を交換し、自分の考えが正しいことを確認するリィン。
 ベルのことだ。裏の裏を掻くくらいのことは平気でやる。
 どんな状況にも対応できるように備えておく必要があるとリィンは考えていた。
 だからアドルたちの方にフィーだけでなく、イオをつけたのだ。
 大樹に関する知識を持ち、理術を使えるという意味ではサライでもよかったが、リィンとイオは盟約で繋がっている。
 イオの身に何かあれば、すぐに気付くことが出来ると考えての人選でもあった。
 とはいえ、

(他に方法がないわけでもないんだが……)

 そもそもベルの計画は〈はじまりの大樹〉が存在しなければ成立しない。
 その〈はじまりの大樹〉を消してしまえば、ベルの計画を阻止することは出来るはずだ。
 しかし、

(妙な胸騒ぎがするんだよな)

 災厄を恐れているわけじゃない。〈はじまりの大樹〉そのものをリィンは脅威に感じていなかった。
 消滅させようと思えば、恐らく出来るという確信がリィンのなかにはある。
 しかし大樹に手をだせば、取り返しの付かない事態に陥るような――そんな嫌な予感が心の中に渦巻いた。
 ベルのことだ。情報が不足しているなかで、リィンがリスクの高い行動にでないことも想定済みなのだろう。
 だとすれば、態と発信機の反応を残しているのは――

(アドルたちではなく、俺たちが狙いってことだろうな)

 手の平で踊らされているようで気に食わないが、いまは誘いに乗るしかない。
 少なくとも現状でベルが裏切る可能性は低いというのがリィンの考えだ。
 なら、本人に会って話を聞くのが一番手っ取り早い。
 アドルたちをクイナの救出に向かわせるのは、その辺りの事情もあった。

「で? アタシはどうしたらいいんだい?」

 話が纏まりそうになっていたところでシルヴィアに声を掛けられ、リィンは渋い顔を浮かべる。
 本音で言えば、彼女はアドルたちのチームに組み込みたかったのだ。
 しかしシルヴィアの力は突出している。足を引っ張ることはないだろうが、アドルたちと上手く連携が取れるとは思えない。
 何より、シルヴィアはシャーリィと相性の良い性格をしている。
 何をするか分からないと言う点で、アドルと一緒に行動させるべきではないとリィンの勘が告げていた。
 それに、

「どうしたらも何も、最初から俺たちに付いてくるつもりだったんだろ?」
「ははッ、よくわかってるじゃないか」

 リィンの力を見たいとシルヴィアは言ったのだ。
 だとするなら、どちらについて行くかと言えば、自分たちの方を選ぶだろうとリィンは察していた。
 敢えてシルヴィアにだけ確認を取らなかったのは、そのためだ。
 しかし出来ることなら、ここに置いていきたいというのがリィンの本音だった。

「一つ聞きたいんだが……なんで、俺の力を知りたいんだ?」
「シャーリィほどの戦士が女の顔≠して褒めちぎる男だ。実力を知りたいと思うのは、自然なことだろ?」

 どんな理屈だと思う一方で、ふとリィンの脳裏にオーレリアの顔が過ぎる。
 シャーリィやオーレリアが歳を食えば、恐らくこんな感じになるのだろうなと考え、

(なんで、こういうのばっかりが俺には寄ってくるんだろうな……)

 また一つ悩みの種が増えたことに、リィンは溜め息を漏らすのだった。



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