嘗て、はじまりの大樹を奉る寺院があった遺跡。大樹へと続く一本道を駆け抜けるアドルとラクシャ、それにリコッタの姿があった。
 しかし真っ直ぐな道のはずなのに、どれだけ走っても大樹との距離が縮まらない。
 それどころか――

「ラクシャ姉、アドル兄、前にイオとフィーがいるぞ!」
「え?」

 大樹を目指して走っていたはずなのに、目の前に何故かイオとフィーの姿を見つけて、ラクシャは困惑の声を漏らす。
 そして周囲を見渡して見覚えのある建物を確認すると、

「……どうやら、元の場所へ戻ってきたみたいだね」

 アドルの言葉で、通路の入り口に戻ってきたことをラクシャは実感させられた。
 大樹に向かって真っ直ぐ走っていたはずなのに、その反対の場所へ辿り着くなど、普通に考えればありえないことだ。
 だが、同じような現象を前にアドルたちは経験したことがあった。
 そう、アドルとフィーが不思議な古代種と戦い、肩に紋様を刻まれた一件だ。
 霧の結界。大樹の周りに発生している濃霧に原因があると考えたアドルとラクシャは、イオに視線を向ける。
 ダーナと同じ大樹の巫女でもあるイオなら、何か知っているのではないかと考えたからだ。

「ん……アタシ?」

 期待するような視線を向けられ、面倒臭そうな表情を見せるイオ。
 しかしそんなイオを見て、ラクシャは訝しげな表情で責めるように尋ねる。

「……最初から、この霧が原因で大樹に辿り着けないと知っていましたね?」
「だって、注意する前に走っていくんだもん」

 追い抜かれた覚えがないことを考えれば、最初からイオとフィーは入り口で待機していたと言うことになる。
 だとすれば、この霧が原因で大樹に近付けないことを最初から知っていたと考えるのが自然だ。
 しかし、それは酷い言い掛かりだとイオは主張する。それにフィーも――

「ん……今回のは少し注意すれば分かることだし、先走ったラクシャが悪いと思う」
「フィーまで……」
「それにアドルは気付いてたよね?」
「え……?」

 フィーの指摘に、誤魔化すように苦笑を漏らしながら頬を掻くアドル。
 実際、真っ先に飛び出したのはラクシャとリコッタだ。アドルは、その後を追い掛けたに過ぎない。
 何かあることには気付いていたが、ラクシャとリコッタだけには出来ないと判断しての行動だった。

「ラクシャって頭は良いけど、後先を考えないで行動するようなところあるよね。ちょっとアリサに似てるかも」
「うっ……」

 アリサと言うのが誰のことかは分からないが、フィーに注意不足を非難されるとラクシャも何も言い返せずに黙るしかなかった。
 実際、感情に任せて突っ走ってしまう悪い癖があることは、ラクシャも自覚しているからだ。
 クイナが危険な状態にあるという話をリィンから事前に聞いていたため、気が急いていたのだろうと自分でも反省する。

「確かに注意が足りなかったようです。すみませんでした」
「まあ、わかってくれればいいんだけど、ほんと気を付けてよ。チームで行動してるんだから」

 イオに言われると腑に落ちないものを感じずにはいられないが、突っ走った自分が悪いのだからとラクシャは何も反論せずに耐える。

「反省しています。ですから、この状況をどうにか出来るのなら、手を貸して頂きたいのですが?」

 全面的に非を認め、下手にでながらイオに助力を求めるラクシャ。
 自分の不注意が原因だったことは確かだし、ここで言い争う時間も惜しいと考えてのことだった。

「まあ、そこまで頭を下げて頼むなら仕方がないかな」

 ラクシャの態度に気をよくした様子で胸を張るイオを見て、フィーは「単純」と小さな声で呟く。

「エタニアにその人ありと言われた最強の理術士。イオちゃんの力を――」

 ご照覧あれ、と空に向かってイオが叫んだ、その時だった。
 霧が――

「あれ?」

 晴れたのだ。
 ようやく出番がきたと思ったところで出端を挫かれ、上を向いたまま固まるイオ。

「……霧が晴れたみたいですね」
「ん……ここまで来いって言ってるみたい」

 まるで誘っているかのようだと話すフィーに、アドルとラクシャも頷く。
 この先にクイナがいる。そう確信したアドルは、

「行こう。クイナのもとへ――」

 そう皆に声を掛けるのだった。


  ◆


「これが〈はじまりの大樹〉……」

 呆然とした表情で巨大な大樹を見上げるラクシャ。

「ですが、クイナはどこに?」

 しかし大樹に辿り着いたのは良いもののクイナの姿は疎か、先に進む入り口らしきものも見当たらずラクシャは困惑の声を漏らす。
 先程、言われたことを思いだして周囲を警戒しながら大樹へ近付いていくラクシャを、

「ラクシャ、そこで止まって。その先に誰かいる」
「え?」

 フィーは呼び止めた。
 一瞬戸惑いを見せるも、すぐに腰のレイピアを抜き、構えるラクシャ。
 アドルとリコッタもラクシャに習い、武器を構える。
 そして、

「彼女の言っていた通りになりましたか」

 ギョッと目を瞠るアドル、ラクシャ、リコッタ。
 物陰から姿を見せたのは、異形の姿をした者たちだったからだ。
 全身をすっぽりと覆うローブを羽織った竜人の他、頭に角が生えた獣のような大男に、肌が緑色の羽根が背に生えた女性と思しき人物もいる。
 エタニア人のイオと比較しても、余りに人間と懸け離れた姿をしていた。
 意を決してラクシャが何者かと尋ねようとしたところで、イオの声が響く。

「スーパー・ダイナマイト・ドラゴンキーック!」

 光を纏い、異形の姿をした者たちに向かって跳び蹴りを放つイオ。
 だが、

「ちッ! かわしたか」

 イオの放った攻撃は空を切り、地面に小さなクレーターを作る。
 咄嗟に〈転位〉を使って回避したのだと察したイオは、すぐに追撃へ移ろうとするが――

「何をやっているのですか!?」
「ん? アタシの活躍を邪魔した不届き者に制裁を加えようとしているだけだけど?」

 ラクシャに止められ、不満げな表情を浮かべる。
 先程、霧を晴らしたのが目の前の三人の仕業だと、確信を持っての行動だったのだろう。
 根に持っているのは、その態度を見れば一目瞭然だった。

「あなたは相変わらずのようですね。初代・大樹の巫女。いえ、聖者イオとお呼びした方がいいですか?」

 大樹の巫女ではなく敢えて聖者と呼び直され、イオは不快げな表情を見せる。

「……それは、どういうことですか? それに、あなた方は一体?」

 フィーが見たという夢の話は、ラクシャも情報交換の対価としてリィンから説明を受けていた。
 その夢の話のなかで登場した災厄を鎮めたとされる聖者。しかし、その名はイオではなくウリアヌスだったはずだ。
 イオは聖者の従者にして、最初の巫女となった少女。それがどうして聖者と呼ばれるのか、ラクシャは疑問を持つ。

「私の名前は、ヒドゥラ」

 ラクシャの疑問に答えるようにローブを纏った竜人が自分の名を口にすると、続くように他の二人も自己紹介をする。

「儂の名は、ミノス」
「妾はネストールじゃ」

 毛むくじゃらの一際大きな身体と、牛の角のようなものが頭の左右から生えた彼の名はミノス。
 背に赤く透き通るような羽根を持ち、緑色の肌をした彼女の名はネストール。

「あなた方が想像している通り、我々は〈進化の護り人〉です。そして先程の話ですが――」

 彼等はウーラと同じ〈進化の護り人〉だった。
 だが、ここまではラクシャたちも予想していたことだ。特に大きな驚きはない。
 気になるのは、ヒドゥラが口にした先程の言葉。彼等とイオの関係だった。

「そこにいる彼女は不完全とはいえ、嘗て〈はじまりの大樹〉がもたらした災厄を鎮めることに成功した、ただ一人の存在。伝承ではウーラさん――いえ、ウリアヌスが災厄を鎮めたことになっているようですがね」

 ヒドゥラから想像もしなかった話を聞かされ、唖然とした表情でラクシャは確認を取るようにイオへと視線を向ける。 
 余計なことをしてくれると溜め息を漏らしつつも、誤魔化したところでラクシャたちは納得しないだろうとイオは観念した様子で答える。

「アタシがやったのは、ただ大樹のシステムを逆手に取って滅亡を遅らせただけだよ。結局、エタニアは滅びちゃったしね」
「それでも、私たちが誰も成し遂げれなかったことを、あなたは実現して見せた。その功績には敬意を表します」

 ヒドゥラは敬意を表すると言うが、イオからすれば決して誇れる昔話ではなかった。
 自分たちが助かるために、災厄を未来の人々に押しつけたという罪悪感があったからだ。
 だからこのことだけは、リィンにも打ち明けずに黙っていたのだ。
 しかしラクシャは疑問を持つ。〈はじまりの大樹〉がもたらす災厄は止めることが出来ないという認識があったからだ。
 実際、ダーナも最後まで諦めずに足掻いて見せたが、エタニアの滅亡を防ぐことが出来なかった。
 イオはそれをどうやって遅らせることが出来たのかと、ラクシャは尋ねる。

「一体どうやったのですか?」
「元々エタニア人の血に備わっていた竜の力を封じて、古代エタニア人と新しいエタニア人は別の種族だと大樹に誤認させたんだよ」

 エタニア人は人間とよく似た姿をしていはいるが、古代種――竜を祖先とする種族だ。
 その血には竜の力が宿っていて、優れた術士や戦士は竜≠ノ姿を変える変異術を行使することが出来た。
 しかし災厄を鎮め、滅びを回避する代償にエタニア人は〈竜化〉の力を失ったとイオは説明する。
 だが、そうして得た束の間の平和も長くは保たないとイオは気付いていた。
 だから王都の地下に真実を隠した聖堂を密かに建造し、後世の巫女にエタニアの未来を託すことにしたのだ。
 せめてもの罪滅ぼしとして――

「……想像と違って、凄い方だったのですね」
「想像と違うって、どんな想像してたのさ?」

 イオに睨まれ、そっと視線を逸らすラクシャ。
 なんとなく想像が付くけど、とイオは不満げな表情で溜め息を漏らす。
 そんな二人を見て苦笑を浮かべつつも、アドルは気を入れ直して、ヒドゥラに尋ねる。

「こうして待ち伏せていたってことは、僕たちの邪魔をする気かい?」
「とんでもない。私たちにあなた方と争うつもりはありませんよ」

 警戒を滲ませるアドルに、そう答えるヒドゥラ。実際、彼等からは敵意を感じない。
 だからと言って、その言葉を信じられるかと言えば否≠セ。
 アドルたちが罠を警戒するのも無理はなかった。
 しかし、

「嘘は言ってないと思うよ。基本的に〈進化の護り人(こいつら)〉は見届け役だから」

 エタニアの時もそうだった、とイオはヒドゥラたちを擁護する。
 庇うつもりなどないが、少なくとも彼等は邪魔をしたりはしないという確信がイオのなかにはあった。
 あくまで〈進化の護り人〉は〈ラクリモサ〉を見守るために存在しているからだ。

「では、どうしてここに?」

 ヒドゥラの言葉を完全に信用することは出来ないが、イオがそういうのであればとラクシャは話を進める。

「小さな魔女殿から、案内役を頼まれましてね」

 小さな魔女――それが誰のことを言っているのか分からないラクシャたちではなかった。
 だが、一つだけ分からないことがあった。いや、ずっと気になっていたと言った方が正しい。

「あなた方はどうして彼女と手を組んだのですか?」
「それは少し誤解があります」
「誤解?」

 ベルと〈進化の護り人〉が手を組んだ理由。その目的がラクシャたちには見えなかったのだ。
 リィンは薄々クイナの願いの内容について察している様子だったが、最後まで教えてくれることはなかった。
 だから、この機会に直接彼等から目的を聞こうと尋ねたのだが、

「協力しなかったら大樹が消滅することになるって、儂等を脅しやがったんだ。あのちびっこは……」
「正確には、あのリィンという小僧が世界を消し去ると言っておった。真実かどうかは分からぬがな」

 予想の斜め上を行く話を聞かされて、ラクシャはなんとも言えない顔を浮かべる。
 リコッタはよくわかっていない様子だが、アドルもラクシャと同様に複雑な心境を表情に滲ませていた。
 まさか脅されて協力させられているとは、思ってもいなかったためだ。
 これでは本当に、どちらが悪者か分からない。
 しかし、

「緋色の予知。そっか、それでダーナは……」

 イオだけは別の反応を見せる。
 ダーナがどうしてベルと手を組んだのか、その理由を察したからだ。
 そんな彼女を見て、どういうことかと説明を求めるラクシャ。

「夢で見たなら知ってるんじゃない? 緋色の予知は避けることの出来ない未来を映し出すと言われてるの。エタニアの滅亡を予知した時のように……たぶんダーナは世界の終わりを見たんだと思う。そして恐らく――」

 クイナも同じ予知を見たのだろう、とイオは説明する。
 はじまりの大樹をリィンが消し去り、世界を終わらせる予知を――
 だからダーナはベルに協力することを決めた。そう考えれば、クイナの願いについても想像が付く。
 ダーナとクイナは未来≠変えるつもりなのだろう。

「ん……諸悪の根源は、ベルじゃなくリィンだった?」
「まだ何もしていない彼を責めるのは間違いだと思いますが、我々としても世界の消滅は望みません」

 だから緋色の予知を回避する方法を提示したベルの話に乗ったのだと、ヒドゥラはフィーの問いに答える。
 ここへ何れアドルたちがやってくる。そしたら為すべきことを説明し、道案内をするようにとベルに頼まれたとの話だった。

「もっとも私たちにも〈進化の護り人〉としての役目があります。直接、力を貸すような真似は出来ませんが……」

 出来るのは、あくまで道案内だけだとヒドゥラは話す。
 彼等の立場を考えれば、それも仕方のないことだとアドルたちも納得する。
 しかし道案内をすると言っても一体どこへ? と、アドルたちは疑問を表情に浮かべる。
 そんな彼等を見てヒドゥラは、

「では、案内すると致しましょう。〈見届けの丘(オクトゥス)〉へ」

 そう告げるのだった。



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