「……空が見えるな」
『……うん』

 呆然とした表情で見上げるリィンとノルンの視線の先には、茜色の空が広がっていた。
 はじまりの深淵は、大地神マイアの創った夢の世界と現実世界を隔てる異界だ。
 本来は結界で隔てられた二つの世界の壁に穴が空き、セイレン島と繋がったのだった。
 原因は言うまでもない。ヴァリマールの放ったレーヴァティンが原因だ。
 流れに乗せられたとはいえ、さすがにやり過ぎたとリィンは額から嫌な汗を流す。
 一つだけ弁明をするなら、巨神と戦った時よりも明らかにレーヴァティンの威力が上がっていた。

 アリアンロードやエレボニウスとの戦いでコツのようなものを掴んだのか?
 アルス・マグナを使った後の負担が小さくなっていることにはリィンも気付いていた。
 それにレーヴァティンを放った際の騎神と一体化したかのような感覚。
 ヴァリマールの成長も影響しているのだろうが、ノルンの助けが大きいとリィンは感じていた。

(帰ったら一度、本格的に鍛え直す必要がありそうだな……)

 強くなるに越したことはないが、加減を覚える必要があるとリィンは苦い表情を見せる。
 コントロールの利かない大きな力が、どれほど危険なものかをリィンはその身を持って知っていた。
 初めてアルス・マグナに目覚めた時のことだ。
 力に呑まれ、暴走した挙げ句、あやうくフィーを殺し掛けたことがあったのだ。
 リィンにとって、それは言い訳の出来ない苦い思い出だった。
 そんなことを考えていると――

「クイナは!?」

 ふと思い出したかのようにリィンはクイナの名を叫ぶ。

『折角、妹が出来たと思ったのに……』

 不穏な言葉を口にするノルンを他所に、ガイアの気配を探るリィン。
 シャーリィに注意しておきなら、加減を誤ってクイナを殺してしまったら立場がない。
 最悪の事態はクイナも覚悟していたはずだが、後味が悪すぎるとリィンは焦る。

『リィン、海中から霊子反応を感知した』
「ガイアか?」

 ヴァリマールからガイアと思しき反応があると聞いて、リィンは安堵する。
 ガイアが生きているなら、クイナも無事である可能性が高いと考えたからだ。
 だが生きているにせよ、レーヴァティンを受けて五体満足とは思えない。
 急いでクイナを救出しようと、ヴァリマールを海底に向かわせようとした、その時だった。

 ――その必要はありません。

 頭の中に直接響く女性の声に驚き、リィンは周囲を警戒する。
 その直後、大きな音と共に水飛沫が上がり、海面から光の柱が空に向かって立ち上った。
 そうして、

「この気配……何者か、尋ねる必要もなさそうだな」

 光の中からクイナと共に現れた女性を見て、リィンは確信する。
 ヴァリマールが捉えた反応。
 彼女こそが、この夢の世界を創った神。
 大地神マイアなのだと――

「まずは警戒を解いて頂けますか? 私にあなた方と敵対する意志はありません」
「それを信じろと?」

 少なくとも信じられるだけの根拠がないと、リィンはマイアの要求を拒む。
 リトル・パロや〈進化の護り人〉を使い、マイアが裏で暗躍していたことは明らかだ。
 ガイアを倒すために自分たちが利用されたと言うことにも、薄々ではあるがリィンは気付いていた。
 自分を利用した相手を信用しろというのは無理がある。
 だが、

「ガイアを再び封じるためとはいえ、あなた方を利用したことを謝罪します」

 あっさりと自分の非を認め、頭を下げるマイアにリィンは驚かされ、目を丸くする。
 効率的に〈進化の理〉を運用するには必要なこととはいえ、ラクリモサのような仕組みを作った女神だ。
 もっと冷酷で身勝手な性格をしていると思っていただけに、想像していた反応と随分違っていた。
 だが、マイアからすれば当然の対応だった。

「あなた方は躊躇うことなくガイア≠消滅させようとした。敵対すれば、どうなるかは明白ですから……」

 クイナが取り込まれていることを知っていながら、リィンはガイアにレーヴァティンを放ったのだ。
 そのことを思えば、敵に回そうとは思わない。
 情に訴えたところで無駄。人質を取ろうものなら人質ごと消されかねないのだから――
 神にも得手不得手がある。リィンと敵対すれば、戦いに不慣れな自分に勝ち目がないことをマイアは理解していた。
 だとすれば、彼女に出来ることは降伏しかない。選択肢など、最初から一つしかなかった。

「ぐっ……それを言われると辛いんだが……」

 マイアが何を誤解しているかに気付き、痛いところを突かれたと言った様子で苦い表情を見せるリィン。
 最初からガイアを消滅させるつもりはなかったとはいえ、力の加減を誤ったことは確かだ。
 クイナが無事だったからよかったものの、それは結果論に過ぎない。
 しかも、

「リィン、私は別に気にしてないから……覚悟はしてたしね」

 当事者のクイナに気を遣われ、リィンは「ぐ……」と唸りながら胸を押さえる。

『リィン、ちゃんと謝らないとダメだよ?』
「…………」

 そう話すノルンも同罪なのだが、何も言わずにリィンは溜め息を漏らす。
 とにかく、この話は分が悪いと判断したリィンは、確認を取るようにマイアに話題を振った。

「……本当に敵意はないんだな?」
「はい。信じられないのであれば、盟約で縛って頂いても構いません」

 盟約が持つ意味の重さを、イオとの一件で痛感しているリィンは目を瞠る。
 特にマイアほどの女神が、それを口にする意味は重い。

「分かった。だが、幾つか条件を呑んでもらうぞ」

 条件付きでマイアの言葉を、取り敢えずリィンは信じることにするのだった。


  ◆


「……白竜の子供?」

 唖然とした表情を浮かべるダーナ。その理由はクイナの腕の中にあった。

「か、可愛い! わ、わたくしにも抱かせて頂けますか?」
「うん、アルバ」

 クイナが名前を呼ぶと、パタパタと小さな翼を羽ばたかせてラシャラの胸に飛び込む白竜の子供。
 ベルが立案した計画と同じ『夜明け』を意味する名前を与えられた白竜の正体は――
 ヴァリマールによって倒されたはずのガイアだった。
 正確には、ガイアが倒されることで解放された星の想念≠集め、大地神マイアが再生したのだ。
 力の大半は封じられているが、小さくともガイアの一部。星の力によって産み落とされた聖獣だ。
 いつかまた、同じようなことが起きるかもしれない。しかし、意志があると言うことは人間と同じように心を持つと言うことだ。
 アルバと仲良く出来れば、世界の意志とも共存できるのではないかと考えたクイナの計画にマイアが手を貸したのだった。
 上手く行くかは分からないが、ベルでは決して考えつかないクイナらしい解決策だった。

「ダーナさんも撫でてみますか?」
「えっと……それじゃあ、ちょっとだけ……」

 ラクシャに促され、恐る恐ると言った様子でアルバの頭を撫でるダーナ。
 キュイキュイと鳴き声を上げながら、くすぐったそうにするアルバを見て、自然とダーナの表情も緩む。

「サライちゃん。この子、凄く可愛いよ」
「ええ……正直、複雑な気分ですけど……」

 ラクシャだけでなく最初は警戒していたダーナがメロメロになるのも分かると、サライはアルバを観察しながら思う。
 女性の腕で抱えられるほど身体は小さく、好奇心旺盛で放って置けない可愛さがアルバにはあったからだ。
 そんな、ほのぼのとした空気が漂う中、

「……なんで、お前等がここにいるんだ?」

 セルセタに避難したはずのアドルとラクシャが、どうしてまだ島にいるのかとリィンは疑問の声を漏らす。
 いや、アドルとラクシャだけではない。フィーやベル――それにイオの姿もあった。
 説明を求めるような視線をリィンに向けられ、イオは自分は悪くないと主張する。

「ちゃんとアタシは避難しようって言ったよ!? でも、ツァイトの背中に乗ったアドルとラクシャがやってきて……」

 キャプテン・リードやヒュンメルを乗せた〈エレフセリア号〉は、予定通りにセルセタへ向かったという話だった。
 アドルとラクシャだけが、ツァイトに同行するカタチで引き返してきたと言う訳だ。
 どういうつもりか、と尋ねるリィンに、

「ノルンとツァイトから話はすべて聞きました。世界が消えるのなら、何処にいたって同じことでしょう?」

 ラクシャはアルバを抱きしめながら、そう答える。
 セルセタに避難したところで、世界が消滅してしまえば何処にいたって同じことだ。
 それなら死に場所くらい自分で選ぶと言われれば、リィンはラクシャの行動を責めることが出来なかった。
 なんとなく、こうなるのではないかと言った予感も少なからずあったからだ。
 肩をすくめるアドルを見て溜め息を吐くと、リィンは原因を作った一人と一匹に視線を向ける。

「ベルから話を聞いてると思ってたから、遂ね……」
『口止めをされていた訳では無いからな』

 ノルンとツァイトにそう返されては、リィンも何も言えなかった。
 恐らくはクロスベルに避難するかどうかを、アドルたちに尋ねたのだろう。
 どうアドルとラクシャが答えたかは、ここに残っている時点で察しがつく。
 この際、それについては仕方がないとリィンは諦める。
 だが、

「フィー。お前まで、どういうつもりだ?」

 アドルやラクシャはこの世界の人間だから分かるが、フィーは違う。
 ベルは何を言ったところで自分の思うようにしか行動しないので半ば諦めているリィンだが、フィーについては別だった。

「現場の判断。私が頼まれたのは、イオとベルのお守り≠セから」

 どういうことかとリィンに説明を求められ、そう答えるフィー。
 あらかじめ、どう言い訳するか考えてあったのだろう。答えるまでに一切の迷いがなかった。
 それは即ち、最初からアドルとラクシャのことがなくても、島に残ると決めていたと言うことだ。

「……この世界が消滅してたら、どうする気だったんだ?」
「大丈夫。リィンは絶対に失敗しないって信じてたから」
「いや、でもな……万が一ってこともあるだろ?」
「ない。まだグリゼルダから報酬を受け取ってないし、リィンは約束を破らないでしょ?」

 まったく疑っていないと言った様子で、はっきりとそう答えるフィー。
 本当はもっと叱るべきなのだろうが、そんな風に言われてはリィンも返す言葉がなかった。
 猟兵を名乗るからには、男も女も、大人も子供もない。結局のところは自己責任だ。
 フィーに命じたのは、イオとベルのお守りだ。
 はっきりとクロスベルへ帰るように命令しなかったリィンにも責任はある。
 その上で、避難の必要はないとフィーが判断したのなら、その決定を責めることは出来なかった。

「フフッ、あなたの負けですわね」
「……お前、全部わかっててやってるだろ?」
「なんのことか、わかりませんわ」

 白を切るベルをジッと睨み付けるも、諦めるかのようにリィンは溜め息を吐く。
 これ以上、追及しても時間の無駄。口では勝てないと理解しているからだった。
 しかし、いつか目にもの見せてやると、密かにリィンは心に誓う。

「ところで、そのオウム≠ェ女神というのは本当ですの?」

 訝しげな表情で、リィンの左肩に止まっているオウム――リトル・パロを睨み付けながら尋ねるベル。
 リトル・パロを連れて帰ってきて、これが捜していた女神だとリィンに紹介されたのだ。

「そうだ」

 ベルの問いに対して、はっきりとそう答えるリィン。

「こんなのが女神だなんて……」

 間の抜けた表情でキョロキョロと周囲を見渡すオウムを見て、ベルは残念そうに溜め息を吐く。
 多少は期待していただけに、ショックを隠せないと言った様子が見て取れた。
 だが、そんなベルの見る目のなさをリトル・パロ――改めマイアは嘆く。

「ソノ目ハ節穴ノヨウデスネ。コノ美シイ羽ノ色彩ガ理解デキナイトハ」
「私には、ただの丸々と太った派手な鳥にしか見えませんわ」
「フクヨカナ身体ハ豊カサノ象徴デス。ソノ貧相ナ身体デハ理解デキナイノモ、ワカリマスガ」
「なッ――私だって成長すれば……! そもそも、どう取り繕ってもデブはデブですわ!」

 傍から見れば、ムキになってオウムと喧嘩をする十歳の女の子と言った構図だ。
 微笑ましくもあるが、相性は最悪と言っていい様子が見て取れる。
 女神を心の底から憎み、嫌っているベルだ。
 マイアに会わせれば、こうなることは予想していたとはいえ――

「焼き鳥にしますわよ!?」
「出来ルモノナラ、ヤッテミナサイ。コノ仮初メノ姿デモ、魔女如キニ遅レハ取リマセン」

 これは酷い、とリィンは天を仰ぐのだった。



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