聖アストライア女学院のクロスベル訪問は、二週間の日程が組まれていた。
 オルキスタワーの見学以外にも、テントや仮設住居に身を寄せている避難生活者とのふれあい。
 日曜学校で子供たちに勉強を教えたり、最近注目を浴びている若手演奏家≠ニの共演も予定されていた。
 卒業旅行と言っても彼女たちの主な役目はクロスベルとの友好を深め、帝国に対する悪いイメージを払拭するのが狙いと言っていい。
 謂わば、対クロスベルの占領政策に置ける政治的なパフォーマンスだ。
 そんな風に母校が利用されて、アルフィンが気をよくしないのは当然のことだった。

「では、アストライア女学院のクロスベル訪問を計画したのは、オリヴァルト兄様なのですね?」
「はい。本来であれば、私一人でお伺いするつもりだったのですが……」

 道中の安全を危惧したオリヴァルトが政府専用列車を手配するために、今回のことを仕組んだとミュゼは答える。
 ミュゼ一人のために政府の専用列車を動かす訳にはいかないが、政府にもメリットのある話であれば別だ。
 そう聞けば、聖アストライア女学院中等部の卒業旅行の行き先がクロスベルに決まったのも納得の行く話だった。
 とはいえ、ミュゼの話をアルフィンは全面的に信じた訳では無かった。
 オリヴァルトが手配したというのは事実だろうが、彼女がそう仕向けたという可能性もなくはないからだ。
 いや、むしろその可能性の方が高いとアルフィンは見ていた。

「何か気になることでも?」
「いいえ、それよりもリィンさんに手厳しくあしらわれたみたいですわね」
「ええ、大変ためになる薫陶を頂きました。姫様がご執心≠ネのも、いまなら納得できます」

 互いに牽制するかのようにテーブルを挟み、笑顔で語り合うアルフィンとミュゼ。
 ピリピリと肌を刺す剣呑な空気が漂う中、少し呆れた口調のエリゼの声が割って入る。

「兄さ……〈暁の旅団〉のリィン・クラウゼル様が到着されました」

 表向きはアルフィンやエリゼとの交流――
 聖アストライア女学院の関係者を集めたお茶会≠ニなっているが、他の生徒たちは別の場所で持て成しを受けていた。
 ミュゼが例の返事をリィンにするために、元々予定されていた茶会を利用したのだ。

「エリゼ先輩、私の前では兄様≠ナ結構ですよ」
「うっ……あなたは、またそんな……」

 と反論しつつも、半ば諦めた様子でエリゼは溜め息を吐く。
 アルフィンと同じで、何を言っても無駄と理解しているからだった。

「もう、揃ってるのか。少し待たせたみたいだな。ん? アルフィンもいたのか」
「ついでみたいに言われるのは納得が行かないのですけど……結局、帰ってきた挨拶にも来ませんでしたし、わたくしへの対応だけ適当すぎませんか?」

 約束の時間丁度に顔を見せたリィンに不満を言うアルフィン。
 というのも――

「いろいろと、こっちもやることがあったからな。一応、帰ってきた日には顔をだしたんだぞ?」
「……エリゼから聞いていますわ。ですが、もう少し気を遣ってくれても良いと思います」

 あれ以来、リィンの方から一度も挨拶に来なかったことをアルフィンは不満に思っていた。
 もう、あれから五日だ。政務が長引いたこともあるが、リィンの方から会いに来てくれることをアルフィンは期待していたのだ。
 なのに一度も顔をださないのだから、もしかしたら忘れられているのではないかと、アルフィンが不安を覚えるのも無理はなかった。

(いろいろとあって、忘れてたとか言えないな……)

 ジーッとアルフィンに睨み付けられ、居心地の悪そうな表情で肩をすくめると、リィンは手土産をテーブルの上に置く。
 それは駅前の広場に店を構えるカフェレストラン『ヴァンセット』のお持ち帰りケーキだった。
 他の女生徒たちの分も用意してあると聞き、アルフィンは呆れた顔を見せる。

「それだけの気遣いが出来るのに、どうしてわたくしの時だけ……」

 頬に手を当て、ハアと溜め息を溢しながらアルフィンは不満を漏らす。
 明らかに自分に対する時だけ、リィンの態度が違うというか、対応が適当な気がしてならなかったからだ。
 しかし、ずっと傍らで様子を見守っていたミュゼは、不思議そうに首を傾げながら口を挟む。

「姫様が特別≠セからではないのですか?」
「え?」

 まるで気付いていなかったと言った様子で、驚きの声を漏らすアルフィン。
 確認を取るようにリィンに視線を向け、何も答えないリィンを見て、一人納得した様子でニヤニヤと笑みを浮かべる。
 リィンが何も言わないのは、ここで余計なことを口にしてアルフィンの機嫌を損ねるのは面倒だと思っただけなのだが、

「そういうことなら、仕方がありませんね」

 すっかり機嫌を良くしたアルフィンを見て、エリゼとミュゼは『チョロイ』と感想を同じくするのだった。


  ◆


「で、話があると聞いてきたんだが――」

 当たり前のようにテーブルを囲んでいるアルフィンとエリゼに視線を向けるリィン。
 先日、エリゼに伝えた条件の返事だと言うことはわかっていた。
 エリゼに伝言を頼んだのはリィンだが、ミュゼにとって都合の悪い§bになるかもしれない。
 この二人に聞かせていいのか? と言った意味もあった。

「構いません。お二人には証人≠ノなって頂こうと思いますので」

 しかし、二人に聞かせても構わない。むしろ証人になってもらうと、はっきりと答えるミュゼにリィンは以前とは違うものを感じる。
 常に予防線を張り、一歩引いた位置から踏み込んでは来ない。そんな用心深さが、以前のミュゼからは感じ取れたからだ
 なのに今日のミュゼは大胆と言っていい。表情からも覚悟が伝わってくるようだった。

「率直に申し上げます。そちらから提示された条件を、すべて呑もうと思います」

 目を瞠り、最初に驚いた様子を見せたのはアルフィンとエリゼの二人だった。
 百億ミラの報酬など、普通に考えればありえないような条件だ。
 カイエン公爵家の資産であれば払えなくはないが、それもミュゼが次期カイエン公とならなければ約束を果たすことは難しい。
 いや、仮にミュゼがカイエン公となっても、それだけの私財を投じるのは多大なリスクを被ることが予想された。
 場合によっては、ラマール州の領民の生活にも影響を及ぼしかねないほどの額だからだ。

「ですが、当然それは私がカイエン公爵家を継ぐことが条件となります。ないものをお支払いは出来ませんから」
「当然だな。だが、何の保証もなく口約束では――」

 そこでアルフィンとエリゼを見て、リィンは気付く。
 アルフィンに貸しを作ってまで、この場をミュゼが用意した理由を察したからだ。

「アルフィンやエリゼを証人に仕立てたのは、そういうことか」
「はい。必要とあれば、念書をしたためても構いません」

 たまに忘れそうになるが、アルフィンはエレボニア帝国の皇女にしてクロスベルの総督という地位にいる要職の人間だ。
 証人に仕立てるのであれば、これほどの人物はいない。
 仮にミュゼが約束を破るようなことすれば、それはアルフィンの顔に泥を塗ることになるからだ。
 それにエリゼも下級貴族の生まれとはいえ、アルノール皇家と深い縁がある家の娘だ。本人もアルフィンの従者を務めており、そこらの貴族よりも強い発言力を持つ。
 そうしたことから、この二人の前でした約束を反故にすると言うのは難しい。納得の行く話だった。

「ですが、相応のリスクを負うわけですから、こちらの条件も幾つか呑んで頂きたいのです」

 当然そうした交渉を持ち掛けられることは、リィンも覚悟していた。
 どのような条件をだしてくるのかと、リィンは頷きながらミュゼの言葉を待つ。

「まずは報酬の百億ミラ。これほどの現金を一括で用意するのは、公爵家と言えど困難と言わざるを得ません。ですので、帝都銀行発行の手形を用意させて頂きます」

 何もおかしなことはない。当然と言えば、当然だった。
 公爵家と言えど、百億ミラもの大金を屋敷に保管しているはずもない。ましてや、すぐに用意できるような金額ではないだろう。
 代わりに手形を用意するというのは、分からない話ではない。
 公爵家が取り潰しとなれば意味のないものだが、依頼が失敗した際の保険の意味合いもあるのだろうとリィンは考える。

「次に大量の食糧や物資を購入される際は、海都オルディスの商会を通して頂きたいのです。この二つの条件を呑んで頂けるのあれば、依頼の成功報酬として百億ミラをお支払いすることを確約させて頂きます。どちらにせよ、まだ復興の終わらぬクロスベルでは手に入らない物も少なくはないのではありませんか?」

 現在クロスベルでは、人もそうだが物も不足している。
 ここ数日、セイレン島へ送る物資の手配に奔走していたのだが、思うように集まっていないのが現状だった。
 そのため、足りない物はルバーチェ商会を通して、他国から買い付ける方向でリィンは動いていた。
 ガルシアには派手に動くようにと頼んでおいたことから、その筋から情報を掴んだのだろうとリィンは察する。
 しかし、

「確かに、俺は大量の物資を求めている。だがそこまで知っていて、俺たちと本当に取り引きをしていいのか?」

 暁の旅団は猟兵団だ。通常これほどの食糧や物資を必要としていると言うことは、戦争に備えていると考えるのが自然だ。
 実際リィンは派手に動くようにとガルシアに頼んだが、それは情報を掴ませることで戦争の準備をしていると周囲に臭わせるためだ。
 だが、次期カイエン公の座をバラッド候と競っているミュゼの立場からすれば、ノーザンブリアとの戦争は確実に回避したいはずだ。
 だからこそ、腑に落ちなかった。普通この時期に物資を集めていると聞けば、帝国とノーザンブリアの戦争を結びつけるのが自然だからだ。
 ミュゼの立場からすれば理由を尋ねてくるのなら分かるが、行き成り商談を持ち掛けてくるのはおかしかった。

「戦争を回避できたとしても、ノーザンブリアの問題は残ります。明日の食事にも困るほど、彼等は困窮していますから」

 なるほど、そこに結びつけたのかとリィンはミュゼの考えに納得する。
 だが、同じ猟兵のよしみでノーザンブリアを助けると考えているのなら、それは大きな間違いだとリィンは答える。

「それを俺が助けると? ノーザンブリアの事情はどうあれ、恵んでやる義理はないぞ?」
「そこが、ずっと疑問でした。これまでの行動を見ても、情だけで動くような方でないことはわかっていましたから」

 しかし、そんなことはミュゼもわかっていた。
 少なくとも過去にリィンは〈北の猟兵〉の部隊を全滅させている。いまのノーザンブリアの状況を招いた元凶とも言っていい。
 同じ猟兵だからと、情にほだされて手を貸すようなことはないだろう。
 リィンの性格から予想するに、ノーザンブリアを救済するために自発的に動くとは思えなかった。
 だから、ミュゼは計算を誤ったのだ。
 しかし――

「ですが、メリットがあれば話は別だと考えました」
「ノーザンブリアを困窮から救うことが、俺のメリットになると?」
「はい。具体的にそれがなんなのかまではわかりません。ですが、あなたは確実に人≠ニ物≠欲している。それも街≠造れるほど多くのものを――」

 ノーザンブリアに施しをしたところで、あの国から得られるものなど何もない。対価を払えるほどの余力があるのなら、民が飢えに苦しむこともないからだ。
 あるのは作物の育たない不毛な大地。資源に使えるものなど、有り余る塩くらいしかない。
 なのに、幾らなんでも〈北の猟兵〉だけでなく、ノーザンブリアの人々を抱え込むのは負担が大きすぎる。
 砂漠化が進んでいるという噂の東の大地のように、塩に覆われたノーザンブリアの土地を蘇らせるのは人の力では困難だ。
 金の力で出来るのは、あくまで一時凌ぎだ。それにノーザンブリアの人々に飢えないだけの食事を与えるだけなら百億ミラもの大金は必要ない。
 だからミュゼは確信を得るために情報屋≠ニ接触し、ここ数日のリィンの足取りの調査を依頼したのだ。
 そして、ルバーチェ商会を通じてリィンが集めさせている物資について情報を掴んだのだった。

 その多くは食糧だが、工業用のオーブメントや建築用の資材なども必要としていることが分かった。
 しかし、ノーザンブリアの人々を飢えから救済するだけなら、食糧を手配するだけで良いはずだ。
 なのにオーブメントや建築用の資材を必要とする理由。それはノーザンブリアを救済することが目的なのではなく、多くの人≠必要としているからノーザンブリアを取り込もうとしているのではないかとミュゼは考えたのだ。
 それだけの多くの人と物資を必要とする狙い。現在ノーザンブリアが置かれている状況。そこから導き出せる答えは、一つしかなかった。
 共和国の東方人街のように移民によって造られた街――新たな都市をリィンは造ろうとしているのではないか、とミュゼは考えたのだ。

「ただの想像だろ? ハズレていれば、大損することになるぞ?」
「当たっていれば、ラマール州は新たな交易先を独占≠キることが出来ます。百億ミラの投資≠煬して高くはありません」

 ――賭けるだけの価値はある。
 そう答えるミュゼに、リィンは心から愉しそうに笑う。
 幾つかヒントは与えるようには動いたが、セイレン島のことをミュゼが知るはずもない。
 なのに、この僅かな期間でそこまで想像を膨らませ、辿り着いたことに対する賞賛だった。
 それに、

(悪くない。条件≠ヘ満たしていると見ていいだろうな)

 決断力があり、肝も据わっている。
 ノーザンブリアの件に猟兵として介入するには、やはり依頼人≠ェ必要だ。
 ダメならアルフィンを巻き込むつもりだったが、これなら必要な条件は満たしているとリィンはミュゼは認める。

「〈暁の旅団〉団長リィン・クラウゼルだ。名前を聞かせてくれるか?」

 以前は聞こうとしなかった本当の名前≠尋ねるリィンに、ミュゼは目を丸くする。
 しかし、すぐに認めれた≠フだと理解した。
 オーレリアが言っていた器≠示すと言うこと――
 そしてリィンの言葉を思い出し、単純なことを見落としていることにミュゼは気付かされたのだ。

 猟兵は対価がなければ動かない。メリットのない仕事はしない。

 なら一番にすべきことは策を講じることではなく、リィンが欲しているものを見抜き、そこから交渉を始めるべきだった。
 随分と遠回りをしてしまった、とミュゼは苦笑する。
 でも、ようやく始めることが出来る。
 嘗て、アルフィンやエリィがそうしたように、ミュゼもまた――

「先の内戦で戦死したクロワール・ド・カイエンが姪――ミルディーヌ・ユーゼリス・ド・カイエンと申します」

 席を立つと優雅に頭を下げ、悪魔と契約を交わすかのように本当の名を告げるのだった。



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