危機を脱したアイゼングラーフ号は双竜橋で一旦停車し、車両の点検を受けていた。
 帝国軍にしても自分たちの目と鼻の先で起きたことだ。関係者に話を聞いておきたいと言う思惑があったのだろう。
 居合わせた関係者と言うことでティオも事情聴取を受け、先程ようやく解放されたばかりだった。
 いまは交代で、ユウナが事情聴取を受けているはずだ。

「たくっ……しつこいったらない。同じことを何度も聞きやがって」

 別室で、特に念入りに話を聞かれていたのだろう。
 リィンはポキポキと凝り固まった首や肩を回しながら、砦の屋上から景色を眺めるティオの隣に立つ。
 ティオの視線の先には、太陽の光に照らされ、赤茶けた土肌を晒す標高二千メートルほどの山があった。
 リィンが放った集束砲の直撃を受け、文字通り山が崩れ落ちたのだ。
 恐らくは、そこにいたであろう襲撃者たちも、列車砲と共に土砂に埋まっているはずだ。
 朝から帝国軍の兵士が現場へ赴き、調査を行なっているが、生存者は絶望的と言って良い惨状だった。

「当然です。加減というものを知らないのですか?」

 隣で愚痴を溢すリィンをジロリと半目で睨み付けながら、ティオは当然だとツッコミを入れる。
 しかし、リィンは納得が行かないと言った表情で反論する。

「お陰で助かっただろ? 大体、帝国軍が周辺の警戒をしっかりとしていれば、俺の出る幕はなかったんだ」

 アイゼングラーフ号を手配したのは帝国政府だ。
 なら、目的地へ無事に辿り着けるように進行ルートの安全を確保するのも帝国政府の仕事と言っていい。
 列車砲を持ちだしてくるのは予想外だとしても、見晴らしの良い場所を警戒するくらいのことはやって欲しかったと言うのがリィンの本音だった。

(とはいえ、少し失敗だったかもな)

 本音を言えばティオの言うように、跡形もなく吹き飛ばしたのは失敗だったかとリィンも若干後悔していた。
 ヴァリマールを呼べば近付いて攻撃することも可能だっただろうが、何者かに観察≠ウれているかのような視線を感じ、アイゼングラーフ号の安全を確保するのを優先したのだ。
 そのため、出し惜しみせず一気に叩くことにしたのだが、今回の襲撃には腑に落ちない点が残されていた。

 最初は地上から山道を経由して、新型の列車砲を山の中腹まで運んだものとリィンは考えていたのだ。
 しかし、あの周辺の山には列車砲を運べるような広い道はないとの話だった。
 そのため、軍の警戒からも外れていたのだ。
 だが、実際に列車砲が使われたことは、現場の痕跡からも明らかだった。
 そこは帝国軍も疑問に思っているようで事情聴取が長引いたのだ。

「確かに帝国軍にも責任がないとは言えません。実際にアイゼングラーフ号は襲撃を受けている訳ですから……」

 そんなリィンとティオの会話に、一人の女性が割って入る。
 歳の頃は二十代半ばと言ったところだろうか?
 灰色の制服が特徴の鉄道憲兵隊の制服に身を包んだ青い髪の女性。
 割って入った声に反応して振り返るリィンとティオの視線の先に立っていたのは――

「……クレア?」
「ご無沙汰しています。リィンさん」

 帝国軍・鉄道憲兵隊所属、クレア・リーヴェルト少佐だった。


  ◆


「エプスタイン財団・クロスベル支部のティオ・プラトー開発主任ですね? 危険な目に遭わせてしまい申し訳ありませんでした。私は――」
「クレア・リーヴェルト少佐ですね。お噂はかねがね」

 クレアが名乗ろうとしたところで正体を見破り、そっと手を差し出すティオ。
 少し驚いた様子を見せるも、そんなティオの手をクレアは笑顔で握り返す。
 こうして直接会うのは初めてだが、互いに相手のことはよく知っていた。
 ロイドやエリィ以外の特務支援課のメンバーも、情報局のリストに要注意人物として名前が挙がっているからだ。
 そしてティオも帝国の内情には、以前から眼を光らせていたのだ。〈氷の乙女〉の異名を持つクレアのことを知らないはずがない。
 笑顔で握手を交わしながらも黒いオーラを身に纏う二人を見て、リィンはやれやれと言った様子で肩をすくめる。

「リィンさんも……ご無沙汰しています」

 そんなリィンを見て、複雑な感情を表情に滲ませながら挨拶を交わすクレア。
 こうしてクレアがリィンと直接顔を合わせるのは、ギリアス・オズボーンが引き起こしたあの事件∴ネ来のことだった。
 事件の後始末でそれどころではなかったと言うのもあるが、どんな顔をしてリィンに会えばいいのか?
 クレア自身、心の整理がついていなかったと言うことも、今日までリィンを避けていた理由の一つにあった。

 その原因は、ギリアスにある。

 どれほどの罪を犯したのだとしても、クレアにとってギリアスが恩人であることに変わりは無い。
 だからだろう。貴族派だけでなく革新派の者たちまで、ギリアスを『大罪人』と罵る光景を見るのが、クレアには辛く、苦しかった。
 しかし、そう非難されるだけのことをギリアスはしてきたとクレアも思っている。
 当然だ。ギリアスが罪人だとすれば、自分にも罪があるとクレアは考えていた。
 だから仮に罪を問われることになれば、クレアは甘んじて罰を受ける覚悟でいたのだ。
 しかし、誰一人としてクレアに責を問う者はいなかった。
 いや、出来なかったのだ。

 革新派に所属する者たちにとってクレアの責任を問うと言うことは、ギリアスに従っていた自分たちの罪も認めると言うことだ。
 そんな真似が出来るはずもない。そんなことをすれば、自ら望んでギリアスに協力していたユーゲント三世も同罪と言うことになるからだ。
 表向きユーゲント三世はギリアスを宰相に任命した責任を取り、セドリックに皇帝の座を譲ったと言う話になっている。
 最も信頼を寄せていた友人に裏切られた哀れな皇帝。それが、世間から見たユーゲント三世のイメージだった。

 そうなるように、帝国政府が仕向けたのだ。
 ギリアスの計画に皇帝自身が望んで協力していたなんて話が広まれば、帝国の威信は地に落ちる。
 民たちも国に裏切られたと怒りの声を上げるだろう。そうなれば、再び内乱へと発展しかねない。
 だから革新派だけでなく貴族派までも、この件では口を噤んでいた。

 ハーメルの事件を隠蔽した時と同じだ。あの頃から帝国は何一つ変わっていない。
 自分たちのことを棚に上げて、すべてをギリアスの所為にしてなかった≠アとにしようとしている彼等を見ていると、クレアは思うのだ。
 私のしてきたことは、一体なんだったのかと――

 軍人として、あるまじき考えを抱いていると言うことにクレアは気付いていた。
 それでも考えずにはいられなかった。
 理性では仕方のないことだと理解しているが、感情はギリアスを裏切った彼等を許すなと訴えているからだ。
 この数ヶ月。クレアは誰にも悟らせることなく、その感情を胸の奥底に秘めてきた。
 だから、リィンと顔を合わせるのを避けていたのだ。
 こんな酷い顔を、リィンには見せたくなかったから――
 それに、きっとリィンには隠しごとが出来ない。そんな予感がクレアのなかにはあった。

「そういや、少佐に昇進したんだってな。おめでとう」
「……ありがとうございます」

 素直に喜べずにいるクレアを見て、「やはりな」とリィンは心の中で呟く。
 無理もない。表向きは先の内戦での活躍と、帝都の混乱を鎮めるのに尽力した功績によって昇進したとされているが、その実はクレアの口から真実を明らかにさせないための口止め料を兼ねているからだ。
 相応の地位を与えることで仲間に引き込み、何も言えなくするのが彼等の狙いだ。
 当然そのことにはクレアも気付いている。だからこそ、素直に喜べずにいるのだろう。
 それは即ち、いまクレアが帝国政府にどういう感情を抱いているかを妙実に表していた。

 以前からリィンは、クレアは軍人に向いていないと思っていた。
 氷の乙女なんて二つ名を持っている割りには、彼女は優しすぎるのだ。
 ただ、自分を偽ることに慣れているだけで、本当の彼女は強くない。臆病な女性だとリィンは感じていた。
 そんな彼女がギリアスという心の拠り所にしていた存在を失った時、果たしてどちら≠ノ転ぶのか?
 こうなる前から、リィンはクレアのことを気に掛けていたのだ。
 そして、

(……良くない傾向だな)

 嫌な予感は当たっていた。
 上手く隠せているつもりなのかもしれないが、既に綻びがでている。
 限界に達するのも時間の問題だろう。
 クレアの心が壊れてしまう前に、なんらかの手を打つ必要があるとリィンは考える。

「それで、どうしてここに?」

 とはいえ、ストレートに悩みを聞いたところで、クレアは心の内を明かしたりはしないだろう。
 そこで話題を変え、普段は帝都で指揮を執っているはずのクレアが、どうして双竜橋にいるのかとリィンは尋ねる。

「不審な一団が東へ向かったという情報があったので、その痕跡を追ってきたのですが……」

 そう言って表情を曇らせるクレアを見て、大凡の経緯をリィンは理解する。
 クレアもアイゼングラーフ号が襲撃されることは、予想していたと言うことだ。
 しかし、まさかこれほど大胆な行動にでるとは思っていなかったのだろう。

「連中は列車砲を使っていた。しかも線路以外の場所でも移動できるように改造された奴をな。そっちでは把握してないのか?」
「……ラインフォルト社が西部に拠点を構えるプラントで、そのようなものが開発されたという報告は受けています」

 その新たな列車砲の製造をラインフォルト社に要請したのがバラッド候だと言うところまで、クレアは情報を掴んでいた。
 だからこそ、余計に腑に落ちないのだ。状況証拠はバラッド候の仕業だと示している。
 だが、バラッド候は先の内戦でも失敗した時のことを考えて、貴族連合からも距離を置いていた慎重な男だ。
 愚かで強欲ではあるが益に聡く、慎重且つ抜け目のない人物だとクレアはバラッド候のことを評価していた。
 そんな慎重な人物が立てた襲撃計画にしては、些か大胆すぎると感じたのだ。
 クレアが襲撃があることを予想していながらも、襲撃そのものを阻止できなかったのは、それが理由だ。
 となれば、バラッド候ではない。別の第三者が今回の襲撃を企てた可能性が高いと、クレアは見ていた。

「私からも一つよろしいですか?」
「……なんだ?」
「リィンさんがここにいると言うことは、彼女の側についたと判断しても?」

 今回の襲撃について、ある程度の予測を立てたクレアは、リィンの立ち位置を確認しておこうと尋ねる。
 しかし、

「俺が依頼の内容について話すと思うか?」

 依頼人に繋がる情報を漏らすことなど出来るはずもない。
 クレアのことだ。大方、当たりは付けているのだろうが、敢えてそれに答えてやる必要性をリィンは感じなかった。
 どうしても知りたいと言うのであれば――

「お前が軍を辞めて、うちの団に入ると言うのなら別だがな」

 クレアが帝国軍を辞め、暁の旅団に入る以外にない。
 まさか、そういう返しをされるとは思っていなかったのか?
 リィンの誘いに不意を突かれた様子でクレアは目を瞠る。
 だが冗談などではなく、リィンは本気だった。

「これは忠告だ。お前の抱えている悩みは、このまま軍に残っていても解決することはない」

 ギリアスを慕う。いや、依存していたからこそ、ギリアスから完全に解放されて迷いが生じたのだろう。
 軍人だからと割り切ろうとしているのかもしれないが、リィンの目には無理をしているようにしか見えなかった。
 とはいえ、他人がどうこう出来る話でもない。結局はクレアが自分で解決するしかない問題だ。
 だが、

(選んだのはクレアだが、選択を迫った責任は俺にもある)

 そんな風にクレアを迷わせた責任は、自分にもあるとリィンは思っていた。
 だからクレアにその気があるのなら、彼女を〈暁の旅団〉で受け入れても良いと考えていたのだ。
 クレアを帝国軍から引き抜けば面倒なことにはなるだろうが、オーレリアが入団を希望している時点で今更だ。
 最悪、帝国を敵に回す程度の覚悟はとっくに出来ていた。
 しかし、クレアは首を横に振ると、

「……折角のお誘いですが遠慮しておきます。私にその資格≠ヘありませんから」

 そう言って、リィンの誘いを断るのだった。



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