ロープで拘束され、大きな柱に身体を括り付けられたレイフォンの姿が道場の片隅にあった。

「……何やってるんだ?」
「ううっ……助けてください」

 リィンが事情を尋ねると、涙目で助けを求めるレイフォン。
 詳しく話を聞いてみると、リィンを置いて一人で帰ってきたことが、オリエにバレて怒りを買ったらしい。
 身動きが取れないように拘束された上で、しばらく反省するように命じられたと話を聞かされたリィンは――

「自業自得だな」

 と、あっさりレイフォンを見捨てる。
 涙ながらに助けを求めるレイフォンに背を向け、自分の部屋にリィンが戻ろうとした、その時。
 レイフォンと色違いの胴着を纏い、手には双剣を携えたオリエが道場に顔を覗かせた。

「リィンさん、帰っていらしたのですね」
「ああ、それよりその格好は……これから鍛練でもするのか?」
「はい。そのつもりだったのですが……よかったら、手合わせ願えますか?」

 そう言って好戦的な笑みを向けてくるオリエに、リィンは溜め息を漏らす。
 やはり彼女もクルトやレイフォンと同じ、ヴァンダールの剣士なのだと悟ったからだ。
 恐らくは昨夜の一件で、オリエの闘志にも火が付いたのだろう。
 だが、

(……さすがと言ったところか)

 クルトやレイフォンとは違う強者特有の気配を、リィンはオリエから感じ取る。
 オリエが戦場で活躍をしていたのは、リィンが〈西風〉に拾われる前の話だ。
 しかし、実際に戦うところを見たことはなくとも、大凡の強さは察することが出来る。
 ヴァンダールの風御前。その名に恥じないよく練られた闘気を、オリエは自然体で身に纏っていた。

「丁度、俺も練習相手が欲しいと思っていたところだ」

 調整には丁度良い相手だと考え、リィンはオリエの挑戦を受ける。
 オリエもリィンがどういうつもりで、自分の挑戦を受けたかは察していた。
 オーレリアとの戦いに向けての調整。あくまで自分との戦いは、その前哨戦に過ぎないと言うことに――
 それでも不満一つ口にしないのは、昨晩の戦いを目にしているからだ。
 少なく見積もっても、リィンの実力は〈光の剣匠〉と同格か、それ以上。
 若い頃の自分を軽く凌駕しているとオリエは見立てていた。
 しかし、

「挑戦を受けて頂き、感謝します。ですが――」

 甘く見ていると怪我をしますよ?
 と、口にした瞬間、オリエの全身から溢れんばかりの闘気が噴き出す。
 確かに戦場を離れて久しい。実戦の勘という意味では、戦場で活躍していた十代の頃と比べて鈍っているだろう。
 しかし、決して腕を鈍らせたつもりはなかった。むしろ、あの頃よりも現在の方が勝っているものがある。
 それは――

「いきます」

 積み重ねてきた修練の時間だ。
 一瞬で間合いを詰め、剣を振り下ろしてくるオリエの動きに驚きながらも、リィンは剣を合わせる。

「やるな」
「そちらこそ」

 武術に置いて『縮地』や『瞬動』と呼ばれる移動技術。一瞬で相手との距離をゼロにする歩法の奥義だ。
 オリエの瞬動は完璧で、動きに入ってから攻撃に移るまでの動作に一分の隙もなかった。
 流れるような動きから繰り出される連撃。まるで舞台の上を舞うようにオリエは剣戟を放つ。

(……これほどとはな)

 クルトよりも遥かに鋭く速い一撃を受け止めながら、完全に模倣≠キるのは無理だとリィンは分析する。
 スピードでは、フィーやリーシャの方が上だ。一撃の破壊力はヴィクターに遠く及ばない。
 しかし、純粋に戦い方が上手いとリィンはオリエを評価する。間合いの取り方や外し方が絶妙なのだ。
 そこに加え、次の攻撃へと移る動作にほとんど隙がないこともあって、見た目以上に動きを速く感じる。
 これまでにリィンが余り戦ったことのないタイプの剣士だった。
 相性もあるのだろうが、やり難い相手だとリィンは感じていた。

「――ッ!?」

 達人同士の立ち合いだ。これほどの戦いは滅多に見れるものではない。
 本来であれば目を凝らして注目するところだが、レイフォンはそれどころではなかった。
 剣戟の音が道場に響く度に、カマイタチに似た衝撃波がレイフォンの身体を掠めていたからだ。
 達人クラスの戦いは、時に近代兵器をも凌駕する。
 限りなく本気でやっていると言っても、それはあくまで模擬戦≠ナの本気。
 周囲への被害を考えずに本気で殺し合いをすれば、この程度の建物は簡単に消し飛んでしまうほどの威力が二人の剣にはある。
 衝撃波とはいえ、当たれば無事では済まない。レイフォンが悲鳴を上げるのは当然だった。

「……純粋に剣の腕じゃ敵わないか」
「いえ、たいしたものです。その歳で、これほどの使い手を私は他に知りません」

 オリエはヴァンダール流において、双剣術では並ぶ者なしと言われるほどの強者だ。
 むしろ、同じ双剣でここまで自分と互角に戦える剣士をオリエは知らない。故に、心からの賞賛を口にする。
 しかし、このまま戦いを続ければ、間違いなく自分が勝つという自信がオリエにはあった。
 リィンの剣は鋭く速いが、洗練されていない。それだけに動きを予測しやすいからだ。
 だが――

「この程度≠ナはないのでしょう? 本気をだしては如何ですか?」

 リィンがまだ力を隠していることにオリエは気付いていた。
 噂に違わぬ力をリィンが隠し持っていることは、既に昨日の時点で確信している。
 しかし、実際に剣を交えてみなければ、正確な実力を推し量ることは出来ない。
 マテウスを止められるだけの力が本当にリィンにはあるのか?
 それを自分の目で確かめて置きたいと、オリエは考えていた。
 そんなオリエの考えを察してか?

「いいだろ。このままじゃ、勝ち目はなさそうだしな。だが――」

 後悔するなよ、と口にした瞬間、リィンは内なる力を解放する。
 リィンの全身から立ち上る黒い闘気。
 髪が白く染まり、双眸が血のように赤い輝きを放つ。

「それが、あなたの全力ですか……」

 鬼の力を解放したリィンの姿を見て、想像以上だとオリエは息を呑む。
 しかし、その一方で――

(女神様、エイドス様! どうか、御守りください!)

 拘束されて動けないレイフォンは天を仰ぎ、女神に祈っていた。
 常人であれば、この場にいるだけでも気を失いかねないほどの陰の気が、道場には満ちていたからだ。
 この状態のリィンとオリエが本気でぶつかれば、今度こそ戦いの余波だけで道場は消し飛んでしまう。
 そう、レイフォンが錯覚するほどの闘気をリィンは身に纏っていた。
 なのに――

「いや、全力はこんなものじゃないぞ」
「え……」

 それは、オリエとレイフォン。どちらの口から漏れた言葉か?
 リィンが全身に纏う闘気は、既に人間の域を超えている。それこそ、高位の幻獣に匹敵するほどの力だ。
 それが、まだ全力をだしていないなどと――俄には信じがたい話を聞いて、オリエとレイフォンは信じられないと言った表情を見せる。
 そんな彼女たちに――

「俺はまだ変身を二回℃cしている」

 リィンはニヤリと笑い、冗談のような言葉を告げるのだった。


  ◆


「……演劇の指導ですか?」

 女学院に潜り込む口実として、リーシャのためにミュゼが用意したのが演劇指導の特別顧問という立場だった。
 聖アストライア女学院では、学問以外にも芸術や音楽と言った習い事に力を入れている。
 そのなかでも多くの生徒が参加しているのが、演劇と合奏のカリキュラムだった。

「ですが、私には指導なんて……」
「指導と言っても難しく考えず、軽くアドバイスを頂ければ十分です。劇団アルカンシェルの看板スター、リーシャ・マオに自分たちの演技を見て貰えると言うだけでも、生徒たちの励みになりますから」

 自己評価の低いリーシャだが、ミュゼの言うように彼女が劇団アルカンシェルの看板スターである事実は揺るがない。
 リーシャに憧れる生徒も少なくなく、こうした話が持ち上がったのも生徒からのたっての願いがあったからだ。

「わかりました。私に出来る範囲で良ければ……」

 骨を折ってくれたミュゼに、これ以上の迷惑を掛けるのも心苦しいと考え、リーシャは了承する。
 そんなリーシャに感謝するミュゼ。しかし、この場にリィンがいれば、裏があると見抜いただろう。
 実際、生徒が楽しみにしていることは確かだが、そうなるように仕向けたのはミュゼだった。
 女学院に潜り込むだけなら他に幾らでも理由を作ることは出来たのだが、どうせならと――悪知恵を働かせたのだ。
 早速、生徒たちが待つ教室に案内しようと、リーシャの手を引くミュゼ。
 そして、

「クレア少佐もよろしければ、見学されますか?」
「いえ、折角のお誘いですが、私は任務≠ェありますから」

 クレアを誘うも軽くあしらわれ、ミュゼは追い縋ることなくリーシャと共に職員室を後にする。
 諦めた訳では無いが、強い拒絶の意志を感じ取り、無理強いするのは逆効果だと悟ったからだった。

「〈月の舞姫〉と〈氷の乙女〉の共演。さぞ、絵になったのではないか?」
「……冗談はよしてください。人前で演技なんて、私には無理です」

 からかうような口調でオーレリアに声を掛けられ、溜め息を交えながら答えるクレア。
 オーレリアの言うように、ミュゼについていけば見学≠セけでは済まないとわかっていて断ったのだ。
 リーシャと違い、ミュゼの考えに気付かないクレアではなかった。
 それがわかっていて、オーレリアはからかっているのだろうとクレアは察する。

「そんなことよりも、将軍閣下に確認したいことがあります。ここにいらっしゃる方々は全員が関係者≠ニいう認識で合っていますか?」
「フフッ、さすがだな。今更、隠しても意味はないだろうし、そうだと答えておこうか」

 あっさりと認めながらも油断のならない気配を放つオーレリアを、クレアは警戒する。

「ああ、それと私はもう軍籍≠ナはない。爵位も剥奪された身だ。名前を呼び捨ててもらって構わぬ」
「……では、オーレリアさんと」

 聖アストライア女学院に勤務する教職員。
 いや、この学院の運営に関わる人間のすべてにオーレリアの息が掛かっていると、見抜いての質問だった。
 しかし、半年やそこらで出来ることではない。何年も前から準備を進めていたのだと、クレアは察する。
 恐らくはミュゼが女学院へ入学した時から、計画は進められていたのだろう。
 クロワール・ド・カイエンの計画が失敗し、バラッド候が台頭してくるところまで予見して――

「噂に違わぬ深謀遠慮ですね。どこまで、彼女には見えているのですか?」
「さてな。私にも、あの方の考えは読めぬ。だが、そなたなら察せられるのではないか?」

 遠回しに探りを入れるつもりが、逆にオーレリアに見透かされ、クレアは苦笑する。
 確かにミュゼは凄い。しかし、クレアもそんな彼女に劣っているつもりはなかった。
 ミュゼが未来を読む力に長けているように、クレアも過去を暴くことを得意としているからだ。
 いや、その気になれば僅かな手掛かりから相手の考えを読むことすら可能なほどに、クレアは情報の分析≠ノ長けていた。
 一を聞いて十を知る。ある種の異能――統合的共感覚とも言える彼女の能力を使えば、辿り着けない真実はない。
 その能力使い、これまでクレアは多くの不正を暴いてきた。
 赤の他人だけでなく、実の叔父すらも断頭台に送ったことがある。
 そうした血も涙もない所業から、クレアは〈氷の乙女〉と揶揄され、恐れられるようになったのだ。
 しかし、そんな彼女にも分からないことが一つあった。
 それは――

「このことを政府に報告するのなら、好きにするがいい」
「私はそんなつもりでは……」
「何、我等に遠慮をすることはない。そなたは軍人≠ネのだから」

 ――自分の心≠セ。
 オーレリアの言うように、ここで見聞きしたことを上に報告するのは組織に身を置く者の義務だ。しかし、クレアは迷っていた。
 カイエン公亡き後、貴族派の中心的人物となり、いまやバラッド候は政府の中枢にも強い影響力を持っている。
 仮に報告を上げれば、バラッド候の耳に入るのは避けられないだろう。
 そうなれば最悪、女学院を襲撃する口実を与えることになる。

(上に報告しないのは、事件を未然に防ぐため……)

 そう考えるも、そんなものは建て前に過ぎないことに、本当はクレアも気付いていた。
 上に報告することを迷っている本当の理由。
 それは――

「意地悪な言い方だったか? しかし昔のそなたなら、この程度のことで迷う≠アとはなかったはずだ」

 オーレリアの言うとおりだった。
 ギリアスに心酔し、彼の言うとおりにやっていれば間違いはないと盲目的に従っていたあの頃の自分なら、きっと迷うことはなかったはずだとクレアは思う。
 でも、いまの帝国にギリアスはいない。
 何が正しくて、何が間違っているのか?
 その判断をずっと他人に委ねてきたクレアは、自分の行動や考えに自信を持てなくなっていた。
 そんなクレアの葛藤に、オーレリアは気付いていた。

「はっきりと言おう。そなたは軍人に向いていない」

 だから、敢えて厳しい言葉を口にする。
 しかし、クレアはそんなオーレリアの言葉に反論することが出来なかった。
 彼女自身も、いまの自分は軍人失格≠セと理解しているからだ。

「反論する気概もないか。そなたには期待をしていたのだがな」

 貴族派と革新派。対立する立場に身を置きながらも、クレアの能力にオーレリアは一目を置いていた。
 相容れない相手だとわかっていながらも、貴族たちを手玉に取るその手腕に感心させられたことが何度もあるからだ。
 力のある者は敵味方を問わず、敬意を払う。それが彼女――オーレリア・ルグィンだった。
 それだけに、いまのクレアは見るに堪えなかったのだ。
 お節介と思いつつも苦言を呈したのは、それが理由と言っていい。

(私に出来るのは、ここまでか。だが、或いは――)

 リィンならば、クレアの迷いを晴らすことが出来るかもしれないとオーレリアは考える。
 いや、恐らくはリィンにしか出来ないことだと、オーレリアは密かに期待を寄せるのだった。



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