「そろそろ来る頃だと思ってたよ」
「その様子だと、既に事件のことは知っているようだな」

 食堂で寛いでいると顔をだしたミュラーに、リィンは折り畳まれた新聞を見せる。
 創設百年の歴史を持つ帝国最大手の通信社『帝国時報社』の新聞だ。
 その新聞では、バラッド候が猟兵団の襲撃を受けた事件について一面で報じていた。

「で? 北の猟兵の仕業というのは本当≠ネのか?」

 単刀直入に一番気になっていたことをミュラーに尋ねるリィン。
 帝国がノーザンブリアへの侵攻を企てていたことは確かだが、まだ本決まりと言う訳ではなかったはずだ。
 幾らバラッド候が提議しようと、現在の主流である皇族派を説得できなければノーザンブリアへの侵攻は実現しない。
 先の内戦で急速に勢力を拡大した皇族派と違い、貴族派と革新派は数を減らし、求心力をかなり失ってしまっているからだ。
 そして、いまは国力の回復に努めるべきだと皇族派は主張し、更なる戦火の拡大に消極的だ。
 実際ノルド高原では今も共和国軍との睨み合いが続いていて、油断のならない状況に帝国は置かれていた。
 この情勢下でノーザンブリアへ戦力を割くような余裕はないと言うのが、彼等――皇族派の主張だ。

 そう、このタイミングで〈北の猟兵〉が仕掛けてくる意味は薄いのだ。
 逆にノーザンブリアを危険に晒すだけで、メリットが何一つとしてない。
 バラッド候を襲えば貴族たちは弱腰な政府を非難し、自分たちの意見を通そうと主張を強めてくるだろう。
 帝国政府とて自分たちの国の人間が襲われたとなれば、いままでのように先送りの対応は出来なくなる。
 それは即ち、ノーザンブリアへの侵攻が現実味を帯びると言うことだった。

「……事実だ。少なくとも状況は〈北の猟兵〉の仕業だと示唆している」
「記事には目撃者がいたと言う話だったが、屋敷で襲われたと言うことは、そいつも貴族派の関係者じゃないのか?」

 有利に話を進めるために、嘘の証言をしている可能性を示唆するリィン。
 しかし、そんなリィンの疑問を否定するかのようにミュラーは首を横に振る。

「屋敷の警備に当たっていた領邦軍の兵士にも死傷者がでていることもあるが、使用人からの証言も取れている。そして、現場にはこれ≠ェ残されていた」

 領邦軍の兵士には貴族の出が多いと言うだけで、全員が貴族と言う訳ではない。
 それに使用人の多くは平民≠セ。屋敷の人間すべてが口裏を合わせているという可能性は低いとミュラーは見ていた。
 それでも偽証をしている可能性はゼロと言う訳ではないが、現場には他にも証拠となるものが残されていた。
 ミュラーに渡された一枚の写真を見て、リィンは眉をひそめる。
 そこに写っていたのは、猟兵のものと思しき紫のヘルメットだったからだ。

 戦場で一目で味方と分かるように、団を象徴するエンブレムの他に服装や色を統一する猟兵団は多い。
 赤い星座の団員が真紅のプロテクトアーマーを身に纏っているように、暁の旅団も太陽のシンボルが入った黒いジャケットやコートを団員に配っている。
 そして、数ある猟兵団のなかでも紫≠基調としたプロテクトアーマーを身に付けている猟兵団と言えば数は限られる。
 そのなかでも特に有名なのが――ノーザンブリアを拠点に活動する猟兵団〈北の猟兵〉だった。
 しかし、

「確かに連中の使っている装備に似ているが、それだけでは〈北の猟兵〉の仕業と断定は出来ないはずだ」

 紫の装備を身に付けていたからと言って、北の猟兵の仕業と決めつけるのは些か強引だ。
 当然そうした疑問を持たれることはミュラーも理解していた。
 だが――

「北の猟兵が使っている装備と同一の物であるという調査結果がでている。それに……」

 もう一枚、懐から取り出した写真をミュラーはリィンに手渡す。
 そこには紫のプロテクトアーマーを身に付けた壮年の男性が写っていた。
 サラが好みそうな渋い感じの男だなと思いながら写真を眺め、ふとリィンの頭に一人の男が過ぎる。

「おい、この写真が撮られたのはいつ≠セ?」
「襲撃事件があった日だ。屋敷に備え付けられていた監視カメラに映っていた」

 そういうことか、とリィンは帝国政府が〈北の猟兵〉の仕業と断定した理由を察する。
 直接の面識はない。しかし、写真に写っている白髪の男にリィンは見覚えがあった。
 その昔、ルトガーたちと一緒に写っている写真を見せてもらったことがあるからだ。

(髪の色は違うが、顔は似ている。いや、同一人物と言っていいくらだ)

 それは、団の起ち上げにも力を貸してくれたという〈西風の旅団〉にとって恩人とも言える人物。
 公国軍の元大佐にして〈北の猟兵〉を築き上げた立役者。
 写真に写っていたのは、

「バレスタイン大佐」

 死んだはずのサラの育ての親だった。


  ◆


「レイフォン、今日はどうかしたのか?」

 いつもなら一番に道場へやってくるレイフォンが今日は遅れてやってきたことを心配し、声を掛けるクルト。
 まだ昨晩の疲れが残っているのか? 気怠そうな表情で、レイフォンはそんなクルトに挨拶を返す。

「あ、おはよう。クルト坊ちゃん」
「だから、坊ちゃんはやめてくれと……そんなことより、大丈夫なのか? 顔色が優れないようだが……」

 傍目から見ても、レイフォンの調子は余り良さそうに見えなかった。
 無理もない。昨晩は体力の限界がくるまで、リィンと剣の鍛錬をしていたのだ。
 少し寝て回復したとは言っても、とても万全の状態とは言えなかった。

「うん……ちょっと身体が怠くてね」
「身体が怠い? まさか、風邪を引いたのか? なら――」

 今日は大事を取って部屋で寝ていた方が良いんじゃないか、とクルトは進言しようとするが、

「昨晩はずっとリィンさんと一緒だったんだけど、もう無理だって言っても鬼のように攻めてくるから、今朝はなかなかベッドから起き上がれなくて……」

 レイフォンは首を横に振りながら、そう答えるのだった。


  ◆


 その日の夜、ミュラーから晩餐会の招待状を受け取ったリィンは、オリエと共にアルノール皇家が手配したリムジンで帝都の郊外にあるカレル離宮を目指していた。

「クルトから話は聞きました」
「……話?」
「レイフォンのことです」

 一瞬、オリエになんのことを言われているのか分からず首を傾げるも、例の入団の件かとリィンは察する。
 しかし、

「いいのか?」
「良いも悪いも将来のことは、彼女自身で決めることですから」

 ヴァンダールの剣士が猟兵団に入ると言う意味を考え、本当に良いのかと尋ねたのが、オリエの反応はリィンの想像と違っていた。

「道場の門下生は、私たちにとって家族≠燗ッ然ですから」

 レイフォンの幸せを願うのは当然のことだと主張するオリエの話を聞き、なるほどとリィンは納得する。
 そういうことなら理解できなくもなかったからだ。
 他の猟兵団はどうか知らないが、少なくともリィンは団とは一つの大きな家族のようなものだと考えている。
 それは、あの〈赤い星座〉も同じだ。実際、シャーリィはシグムントだけでなく団員たちからも溺愛されていた。
 その親バカが祟ってノイエ・ブランの権利を譲り受ける時に一悶着あり、リィンは〈赤い星座〉と一戦やらかす災難にあっているのだ。

「どうかしましたか?」
「いや、嫌なことを思い出してな……」

 逆に言えば、レイフォンを粗末に扱えば、ヴァンダールが敵に回ると言うことだ。
 遠回しに釘を刺された気がして、リィンは面倒なことになったと溜め息を吐く。

「それにリィンさんのことは信用≠オていますので」
「……信用を得るほど、長い付き合いではないと思うが?」
「これでも人を見る目には自信があるつもりです。それに、もう私たちは共犯≠ナすから」

 なんのことをオリエが言っているのかを察して、リィンは観念した様子で肩をすくめる。
 オリエはリィンの監視を政府から頼まれているが、実際にはリィンに都合の悪い情報は一切上げていなかった。
 マテウスの件でリィンとは協力関係にあると言うのもあるが、いまの帝国政府を完全に信用してはいないからだ。
 勿論、オリヴァルトのことは信用している。しかし、完全に下を御し切れているとは言えない以上、警戒をするのは当然だった。
 というのも、皇族派が抱える問題が背景にある。嘗て中立派だった者の多くは、様々な理由で中央から距離を置いていた者ばかりだ。そのため派閥争いや宮中での作法になれておらず、多数派でありながら貴族派と革新派に良いようにあしらわれると言った状況が起きていた。
 それに皇族派と言っても一枚岩ではない。内戦では貴族派・革新派のどちらにもつかず、漁夫の利を得ようと日和見を決めていた者も少なくないからだ。しかし、そうした者でも重用しなければ行政が立ち行かない。多数派ではあるものの年若いセドリックではユーゲント三世やギリアス・オズボーンのような求心力を望めるはずもなく、意思統一を図れないまま纏まり切れていないのが現在の皇族派だった。
 同じことはオリヴァルトにも言える。皇族の責務を放棄して諸国を漫遊していたツケを、いま支払っていると言う訳だ。
 信用と言うものは一朝一夕に身につくものではない。日々の積み重ねが大切だと言うことを、オリヴァルトは痛感していることだろう。

「それで自ら、カレル離宮へ呼び出された俺に付き合ってくれると言う訳か」

 レイフォンではなく、オリエが晩餐会のパートナーを買ってでたことをリィンは少し疑問に思っていた。
 しかし、ここで敢えて『共犯』という話を口にする以上、オリエの目的は察せられる。
 マテウス・ヴァンダール。現在はバラッド候の下にいるという夫の情報を、少しでも得ておきたいのだろう。
 今日の晩餐会には、派閥に関係なく国の重責を担う人物が大勢招待されていた。
 バラッド候が襲撃された事件を受けて、浮き足だった者たちを諫めるのがオリヴァルトの狙いなのだろうが――

(どうにも嫌な予感がするんだよな……)

 自分に招待状が渡されたのも、そうした貴族たちを牽制する狙いがあるのだとリィンは察していた。
 それほどにリィンは貴族派に所属する貴族たちにとって、忌まわしき存在となっているからだ。
 革新派のなかにもリィンに恨みを抱いている者は少なくない。所謂、ギリアス・オズボーンに心酔していた者たちだ。
 なかにはギリアスが失脚したことで閑職に追いやられ、逆恨み同然にリィンのことを憎んでいる者もいる。
 だが、何もしない。いや、出来ないのは――アルフィンの依頼で〈暁の旅団〉に粛清された貴族の末路を知っているからだった。

 深入りすれば、今度は自分たちが粛清の対象となるかもしれない。
 そうしたリスクを冒してまで、リィンにちょっかいを掛けられる勇気を持つ者は少ない。
 ゼロとは言わないが、先の内戦で力を大きく落とした今となっては難しいというのが彼等の実情だった。
 だからこそ、リィンが晩餐会に顔をだす意味は大きい。
 皇家に招待されてリィンが晩餐会に出席すると言う意味を、勝手に誤解してくれる可能性が高いからだ。
 オリヴァルトらしい手だと自分が利用されていることを察しながらも、リィンは敢えて招待状を受け取った。
 それはリィン自身にも、オリエのように確かめておきたいことがあったからだ。

(黒のアルベリヒ。恐らくは奴も来ているはずだ)

 現在はフランツ・ルーグマンと名乗っているが、あの男も招待されている可能性が高いとリィンは見ていた。
 フィーたちの前に姿を見せたという闘神バルデル・オルランド。
 そして、バラッド候の屋敷を襲撃したという猟兵団を率いていた人物――バレスタイン大佐。
 どちらも、何年も前に死んだはずの人物だ。正直、ただの偶然とは考え難い。
 二つの事件は繋がっているとリィンは考えていた。だとすれば、最も怪しいのは〈黒の工房〉だ。

「リィンさん。一つだけ注意しておきますが、くれぐれも……」
「暴れたりしないから安心しろ。さっき信用すると言ったところだろ」
「信用はしています。ですが、自分から喧嘩を売るような真似も控えてくださいね?」

 先に釘を刺され、リィンは顔を顰める。
 そうした考えがなかった訳ではないからだ。

「善処する」
「確約して欲しいところですが、いまはそれで納得しておきます」

 政治家のような答えを返してくるリィンに呆れながらも、オリエはこれ以上は言っても無駄と引き下がる。
 少なくともこう言っておけば、無闇矢鱈と喧嘩を売るような真似はしないだろうと思ったからだ。
 どのみち相手の出方次第では、リィンが大人しくしているはずもない。
 何かしらの騒動は起きるはずだと覚悟してのことでもあった。


  ◆


「また溜め息を吐いて、どうかしたのか?」

 朝の稽古に遅れてやってきたかと思えば、今度は心ここにあらずと言った様子のレイフォンに声を掛けるクルト。
 食事も進んでいない様子で、先程からずっと頬杖をつきながらフォークにパスタを絡め、くるくると回していた。

「リィンさん。今日は宰相閣下から招待状を貰って、カレル離宮で開かれる晩餐会に出掛けたのよ」
「ああ、そのことなら母上から聞いているが……」
「そう、それよ! 晩餐会と言えば、パートナー同伴が常識……なのに!」

 どうして自分が選ばれずリィンの同伴者がオリエなのかと、怒るレイフォンにクルトは気圧される。

「まさか、オリエ様もリィンさんのことを狙ってるんじゃ……」
「いや、母上に限ってそんなことは……」
「分からないわよ。あれから総師範、一度も道場に帰ってきてないんでしょ?」
「うっ……」

 旦那に愛想を尽かして若い男に乗り換える可能性もなきにしてあらずとレイフォンに言われ、クルトは反論できずに唸る。
 マテウスが道場を去った日の夜、オリエと言い争いをしているところをクルトは見ているからだ。
 母はそんな人じゃないと思いつつも、相手がリィンだと『もしかして……』と不安が過ぎる。
 武人としては尊敬できる腕の持ち主だと思う一方で、ここ数日一緒に行動をして女性関係は信用ならない人物だとクルトはリィンに厳しい目を向けていた。
 アルフィンとの関係が噂されながら複数の女性(クルト視点でティオとユウナも含まれる)と交友関係を持ち、挙げ句にはレイフォンに手を出したという疑いまであるのだ。
 クルトが疑心暗鬼になるのも無理はない。

「リィンさんのことを、父上って呼ぶようになってから後悔してもしらないから」

 少し驚かしてやろうと、冗談めかすレイフォン。
 しかし、それを真に受けたクルトは眠れない夜を過すことになるのだった。



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