七耀歴、一二〇六年一月四日。
 御前試合の翌日、リィンはミュゼに会うため、聖アストライア女学院を訪ねていた。
 連絡を受けて校門前で待っていたオーレリアの案内で通されたのは、女学院の敷地内にある薔薇園だった。
 そこで――

「凄かったです! 何がなんだか分からないくらい!」
「言っただろ? 俺はまだ二回変身を残してるって」

 一晩経っても興奮冷めない様子のレイフォンに詰め寄られ、苦笑しながらリィンは答える。

「噂に違わない剣の腕前。拝見させて頂きました」
「フフッ、負けてしまったがな。そなたとも一度、手合わせをしてみたいものだ」
「光栄です。父や兄と比べれば、まだまだ未熟な身ではありますが……」

 その傍らで同じ流派の剣を学ぶ者同士、話が合うのだろう。剣術の話で盛り上がるクルトとオーレリアの姿があった。
 アルゼイド流だけでなくヴァンダール流を継承するオーレリアは、クルトやレイフォンにとって姉弟子と言ってもいい。
 一つの流派を極めるのも厳しい鍛練と長い歳月が必要とされるのに、帝国の二大剣術を修めたオーレリアは剣士の憧れでもあった。
 故に良くない噂もあるが、一人の剣士としてクルトはオーレリアを尊敬していた。
 だからか――

「丁度良い機会だ。姉弟子として、少し手解きをしてやろう」
『え?』
「ヴァンダール流を継承する者同士。そなたたちの腕に興味があったのでな」

 話の流れでオーレリアと手合わせをすることになり、目を丸くするクルトとレイフォン。
 なんで私もと動揺するレイフォンだったが、オーレリアは困惑する二人を強引に連れて行ってしまった。

(……気を遣わせてしまったか)

 恐らくは察して%人を連れ出してくれたのだろうと、リィンはオーレリアに感謝する。
 部屋から三人が出て行ったのを確認して、リィンはミュゼに声をかけた。

「二人きりだな」
「フフッ、そうですね。でも、こんなところを見られたら姫様や先輩に怒られますよ」

 確かに面倒なことになりそうだ、とリィンは苦笑しながらミュゼの向かいの席に腰を下ろすと――

「早速だが、新型について分かったことを聞かせてもらえるか?」

 と、尋ねるのだった。


  ◆


 新型――と言うのは、演習場に現れた黒い機甲兵のことだ。
 ミュゼのことだ。既に下調べは済んでいるだろうと察しての質問だった。

「……姫様や宰相閣下にではなく、どうして私に?」
「この手の話は、お前に聞くのが一番手っ取り早いと思ってな。政府や軍の内部にも協力者が大勢いるんだろ?」

 ミュゼは預言者ではない。あくまで知り得た情報から未来を予測して、効率良く立ち回っているだけの話だ。
 しかし、それには多くの情報が必要となる。それも様々な視点からの情報が――
 だとすれば、貴族派や革新派の中にも協力者を潜ませていると考えるのが自然だ。
 それこそ、情報局や鉄道憲兵隊にも内通者がいて不思議ではないとリィンは考えていた。

「分かりました。どうせ、明日には軍から正式に発表があると思いますし……」

 瞬時にメリットとデメリットを計算し、リィンの質問に答えるミュゼ。
 リィンに隠しごとをするのは得策ではないと判断してのことだった。

「魔煌機兵≠ニ言うそうです。第五開発部が開発したという話ですが、開発責任者にルーグマン教授の名前があることからも〈黒の工房〉が関与しているのは間違いないかと」

 黒の工房が開発に携わっていることは最初から予想していたのだろう。
 やはりな、とミュゼの話に納得するリィン。
 元より真っ当な機体ではないと思っていた。
 機体から滲み出る禍々しい気配は、以前に戦った巨神に近いものを感じたからだ。

「先日の工場襲撃事件で強奪された試験用の機体だそうです」

 話の筋は確かに通っているように思えるが、それだけに予め用意してあった言い訳のようにリィンには聞こえる。
 しかし、機体やパイロットを軍に押さえられている以上、それを嘘だと断言する証拠もない。

「なるほどな。どうして軍の演習場を簡単に借りられたのか、不思議に思っていたが……」

 最初から新型のテストをするつもりであの場所を選んだのかと、リィンは軍の背後にいる者の思惑を察する。

「……舐めた真似をしてくる」

 リィンの身体から微かに漏れる殺気に気付き、ミュゼは表情を強張らせる。
 オーレリアから注意を受けていたとはいえ、まだ見通しが甘かったことに気付かされたからだ。
 どれほどの深謀遠慮を働かせようと、計算通りに動かせない相手と言うのは少なからずいる。
 ギリアス・オズボーンの計画を正面から食い破ったのが、リィン・クラウゼルという男だ。
 自分たちのような指し手≠ノとって、リィンは天敵とも呼べる相手だと確信させられたのが昨日のことだった。

(正直、まだ彼のことを甘く見ていたのかもしれませんね……)

 ローゼリアも呆れていたことだが、リィンには一切の常識が通用しない。だからこそ、考えや行動を読むことが難しい。
 結局、百億ミラもの報酬をリィンが要求したのは、新たに街を造るつもりでいるということくらいしか分かっていない。
 何処に街を造るつもりなのか? ノーザンブリアの人々を何処へ連れて行くつもりなのか?
 どれだけ情報を集めても、候補地を特定することは出来なかった。
 それだけではない。オーレリアを圧倒した強さといい、呪いを無効化する力といい――すべてが規格外すぎる。
 指し手の思惑を無視して盤上を自由に動き回り、一撃で盤面をひっくり返すジョーカーのような存在だ。
 それに――

「ぼーっとして、どうかしたのか?」
「――ッ! な、なんでもありません!」
「ならいいが、大事な時期だ。風邪を引かないような」

 テーブルに身体を乗り出し、額に手を当ててくるリィンに狼狽するミュゼ。
 どこまで計算してやっているのかが読めないだけに調子を崩される。
 アルフィンやエリゼの苦労が少しだけ察せられるようだと、ミュゼは物言いたげな視線をリィンに向ける。

「これ以上やると嫌われそうだしな。この辺にして、本題に入るか」
「……やはり、他にあるのですね」

 最初から別の目的があってリィンが訪ねてきたことにミュゼは気付いていた。
 魔煌機兵の情報が欲しかったのは確かだろうが、アルフィンやオリヴァルトからの連絡を待っても遅くはないからだ。

「アルスターの住民を保護することになった」


  ◆


 ミュゼは目を丸くしながらも大凡の事情を察する。
 アルスターが襲撃を受けたとの情報は、ミュゼの耳にも届いていたからだ。

「――なるほど。私に相談というのは、そのことですか」

 アルスターはラマール州北部の山間に位置する辺境の町だ。
 領邦軍が調査に乗り出したという情報もある。
 だとすれば難を逃れた人々は領邦軍に保護され、近くの街に身を寄せているのだろう。
 そして、避難民の受け入れが可能な大きな街と言えば限られる。恐らくは――

「保護された人たちは、海都オルディスに連れて行かれたのですね?」
「ご明察だ」
「当然ですね。領民の保護は領主の責任であり、領邦軍の務めですから」

 オルディスはラマール州の公都。そして、領主には領民の生命と財産を守る義務と責任がある。
 そうしたことからも、故郷を焼かれたアルスターの人々がオルディスへ連れて行かれたのにも納得が行く。
 しかし、この襲撃事件の背後に貴族派の影があるとすれば、オリヴァルトがリィンに住民の保護を求めるのは当然だとミュゼは考える。
 最悪の場合、生き残った人々は再び命の危険に晒される可能性があるからだ。

 仮にアルスターを襲わせたのが貴族派だった場合、真相が明るみとなれば無事では済まない。
 百日戦役の時と同様に厳しい処分が下される可能性が高い。そうなる前に関係者の口封じを試みる貴族も出て来るだろう。
 しかし、オリヴァルトが直接アルスターの住民の保護に動くことは立場上難しい。
 領地の問題は、その領地を預かる貴族が解決するのが筋。基本的に政府は干渉しない決まりがあるからだ。
 帝国で起きた先の内戦は、革新派を率いるギリアス・オズボーンがその暗黙の了解を破ったことに起因する。
 鉄道憲兵隊を設立することで正規軍の活動範囲を広げ、領地の治安を預かる領邦軍の縄張りにまで踏み込んできたからだ。

「私に期待されているのは、ラマール領邦軍の説得でしょうか?」

 ミュゼの本当の名は、ミルディーヌ・ユーゼリス・ド・カイエン。
 前カイエン公の兄、公子アルフレッドの娘にして次期カイエン公の候補者の一人だ。
 まだ正式に当主の座についた訳では無いが、彼女ならば領邦軍も交渉に応じる可能性は高い。
 オリヴァルトからの頼みではあるが、カイエン公爵家からの依頼というカタチを取れば名目上も問題ないだろう。
 公爵家にもメリットはある。少なくともオリヴァルト個人に貸しを作ることは出来るからだ。

「ああ、頼めるか?」
「それは構いませんが、ラマール領邦軍を指揮しているのは――」

 現在ラマール領邦軍は〈黒旋風〉の異名を取るウォレス・バルディアス准将が率いている。
 ノルドの民の血を引く槍術の達人で、オーレリアの右腕を務めていたこともある男だ。
 オリヴァルトの懸念は理解できるが、ウォレスがアルスターの住民に危害を加えるとは思えない。
 彼のことだ。なんとしてでも、領民の安全を優先するだろう。
 そこまでする必要があるのかと、ミュゼが疑問を挟むのは当然だった。

「黒旋風だけならな」

 確かにミュゼの言うように、ウォレスなら信用は出来るとリィンも思う。
 しかし、領邦軍は領主の命には逆らえない。
 そしてラマール州は現在、バラッド候が暫定統治を行なっていた。

「なるほど、そういうことですか」

 少なくともバラッド候に命令されれば、ウォレスの立場では断ることは難しい。
 十分に考えられる懸念だと、ミュゼも納得した様子で頷く。
 しかし、

「そうした懸念を抱くと言うことは、大叔父様の襲撃には裏≠ェあると確信しておられるのですね」

 先の襲撃事件でバラッド候は怪我を負い、床に伏せっていると言う話だ。
 それが事実ならば、領邦軍に直接指示をだせるような状態ではないと考えられる。
 だが、このような懸念を抱くと言うことは、バラッド候の状態をオリヴァルトは把握していると言うことだ。

「怪我を負ったのは事実だろうが、命に別状はないそうだしな。そもそも分かってて聞いてるだろ?」

 ミュゼがその程度のことも把握していないとは思えない。
 恐らくはこの先なにが起きるかのかまで、正確に予想しているはずだとリィンは確信していた。

「分かりました。手紙を用意しても良いですが、ここは私が直接出向いた方が良いでしょう」
「悪いがよろしく頼む」

 感謝しつつも、どこかあっさりとしたリィンの態度にミュゼは首を傾げる。

「一緒にいらっしゃるのですよね?」
「ああ、とはいえ、俺は猟兵≠セ」

 オリヴァルトがアルスターの住民を気に掛ける理由は分からなくもないが、リィンにとっては他人事≠セ。
 猟兵と遊撃士は違う。今回のような仕事は、本来であれば遊撃士に依頼する仕事だとリィンは考えていた。

「なるほど、あくまで仲介役=B宰相閣下からの依頼を受けたのは、姫様の方と言うことですか」

 オリヴァルトが直接ミュゼと交渉をすれば、それを政府からの干渉と受け取る貴族も出て来るだろう。
 だからアルフィンを介してリィンを動かすことで、直接的な交渉を避けたのだとミュゼは察した。

「これでアルフィンから頼まれた仕事は終わりだ。丁度よい機会だし、少し話をしないか?」
「……話ですか?」
「ちょっとした質問に答えてくれるだけでいい。少し聞いておきたいことがあってな」
「……分かりました。私に答えられることであれば」

 先程のこともあって嫌な予感を覚えつつも、取り敢えずリィンの話に耳を傾けるミュゼ。

「黒の工房について、どう思う?」
「……どう、とは?」
「お前がこうまで慎重に動いているのは、奴等の思惑が見えないからなんだろ?」

 ミュゼは甘いところもあるが、ギリアス・オズボーンに匹敵する指し手≠セ。
 リィンの力を借りずとも、バラッド候を出し抜くくらいは簡単にやってのけるだけの力がある。
 しかし敢えてそうせずに静観しているのは、黒の工房の狙いを計りかねているからだとリィンは考えていた。
 ミュゼは優れた指し手≠ナはあるが預言者≠ナはない。あくまで未来を予測して動いているだけの話だ。
 先を読もうにも肝心の情報が足りない状況では、打てる手にも限界がある。

「確かに不可解が動きが気になります。もう少し情報があれば、他に打つ手もあるのですが……」
「巧妙に思惑を隠しながら立ち回っているみたいだしな」

 黒の工房がノーザンブリアとの開戦を望んでいることは間違いないが、その理由がはっきりとしない。
 分かっていることは、騎神と〈巨イナル一〉が関係していると言うことだけだ。
 地精の目的は分かるが、そこに至るまでの方法については何も分かっていない。

「ローゼリア≠燻vっていたほど役に立たないしな」

 そう言って片目を閉じるリィンを見て、ミュゼは話を合わせる。
 何故? 突然こんな話をリィンが振ってきたのかを察したからだ。

「まあ、最初から期待はしていなかったが……魔女の長と言う割には威厳もないしな」
「フフッ、とても可愛らしくて魅力的な方だと思いますけど」
「ただ、見た目相応に子供っぽいだけだろ」

 何一つ間違ったことは言っていないのだが、言いたい放題のリィンに苦笑を浮かべるミュゼ。
 他にも孫に頭が上がらないとか、背伸びをしてはいるが味覚は子供そのものだとか、散々辛辣な評価を口にするリィン。

「子供っぽいとはなんじゃ!? 妾は大人じゃぞ!? 本当はナイスバディなんじゃ!」

 ――訂正を求めるのじゃ!
 と、タイミングよく転位の光と共に姿を現したローゼリアに――

「やっと、お出ましか」

 分かっていたかのようにリィンは呆れた眼差しを向けるのだった。



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