岩陰に身を潜めながら様子を窺うガイウス。その視線の先には、領邦軍と思しき集団の姿があった。
 数は千ほどだろうか? 機甲兵や戦車の姿も確認できる。
 まるで、これから戦争でも始めようかという物々しさにガイウスは眉をひそめる。

(この緊迫した雰囲気。ただの演習ではないな。狙いはやはり……)

 リィンの言っていた悪い方の予感が当たったのだと察するガイウス。
 領邦軍の部隊はラクウェルへと続く山道を封鎖するように展開されていた。
 ここと同様に、アルスターへと続く道も軍によって封鎖されているのを既に確認している。
 蟻一匹、通さない徹底振りだ。ラクウェルは現在、陸の孤島と化していた。
 だとすれば、領邦軍の狙いも自ずと察しが付く。

 互いに殺し合わせることで始末するつもりでいた〈銀鯨〉と〈ハーキュリーズ〉のメンバーが無事だったばかりか、これらの作戦を指揮していたワッズがリィンに捕らえられたことは黒幕≠スちにとって大きな誤算だったはずだ。
 仮にワッズの口から計画の詳細が漏れ、それがリィンの口から皇族の耳に入るようなことになったら政府の調査が入ることは間違いない。ラクウェルの異変を放置した領邦軍は勿論のこと、関与した貴族たちも処分を免れないだろう。
 そうなる前に証拠となるものを隠滅する必要がある。最も手っ取り早いのは、関係者の口を封じることだが――

(無理だな)

 リィンが相手では、それも難しいとガイウスは考える。
 その程度のことをリィンが予想していないはずもなく、刺客を差し向けたところで徒労に終わるだけだ。
 普通のやり方では無理。となれば、彼等の取るべき選択は限られる。そのなかで一番簡単なのは、罪をでっち上げることだ。いや、手続きそのものは正しいものなのだろう。
 基本的に貴族の領内で起きた事件の対処は、正規軍ではなく領邦軍が行なうことになっている。捜査の優先権は中央政府にではなく領主にある。暁の旅団やリィンには手をだせなくともハーキュリーズが違法な手段で帝国へ密入国したことは間違いなく、裏で彼等と繋がり暗躍していたと思われるワッズも重要参考人だ。銀鯨も事情はどうあれ武装をした集団が暴れ、街の人々の生活を脅かしていたのは事実で理由は幾らでもこじつけられる。
 恐らくは街に立て籠もったテロリストを捕縛すると言う名目で、軍を動かしたのだろう。
 しかし一つ気になることが、ガイウスにはあった。

(ウォレス准将が指揮を執っている訳ではないのか?)

 展開されている部隊のどこにも、ウォレスの姿が見当たらないことをガイウスは怪訝に思う。
 ウォレス・バルディアス准将。ガイウスと同じノルドの民の末裔で、黒旋風の異名を取る槍の名手だ。
 オーレリアが爵位を剥奪され、軍を辞めてからは、ウォレスがラマール州の領邦軍を束ねていたはずだ。
 しかし、どこにもウォレスの姿はない。
 常に前線で指揮してきた彼が砦に引き籠もり、部下だけを危険な場所へ向かわせるとは考え難い。

(よくない風を感じる。……少し探りを入れてみるか)

 何か裏があると考え、ガイウスは風の導きに従って行動を開始するのだった。


  ◆



 ラクウェルの街へと続く山道を見下ろせる高台に複数の人影があった。

「ダメですね。通信がジャミングされています」

 通信端末の反応を確かめながら、恐らくはノルド高原で用いられた通信妨害と同じものだろうとクレアは説明する。
 状況から考えて、山道を封鎖している領邦軍の仕業で間違いないだろう。
 とはいえ、外部と連絡を取らせないつもりなのだろうが、リィンたちにはユグドラシル≠ェある。
 いざとなれば〈転位〉という手段もあるため、軍の包囲網を突破することも難しくはない。
 一見すると無駄に思えるが――

「アリサから連絡。街の人たちがリィンに会わせろって、店へ押し掛けてきてるみたい」

 そんなことを知らない街の人々が不安を覚えるのは無理もない。
 領邦軍から『共和国のテロリスト≠ニ事件の関係者を引き渡せ』と通告があったのが半刻ほど前のことだ。
 態々飛空艇で押し掛け、拡声器を使って通告してきたのは街の人間に自分たちの正当性を訴える狙いもあるのだろう。
 実際それに踊らされた人々が、フィーの報告にあるようにノイエブランに押しかけていると言う訳だ。
 店へ残してきたアリサたちには悪いが、住民の相手は彼等に任せるとリィンはフィーに話す。

「じゃあ、私たちはどうするの? 領邦軍を叩く?」

 出来る出来ないでいえば、ガイウスから報告のあった戦力程度であれば十分に対処が可能だろう。
 しかし領邦軍を全滅させるような真似をすれば、確実に帝国との関係に亀裂が生じる。
 少なくともリィンの方から攻撃を仕掛けると言った真似は出来なかった。
 だが、そのことをフィーが理解していないとは思えない。
 なのに珍しく好戦的な質問をしてくると言うことは、何か裏があるのだとリィンは察する。

「フィーが自分からシャーリィみたいなことを言うなんて珍しいな」
「シャーリィと一緒にされるのは、ちょっと……」

 そんな返しをされるとは思っていなかったのだろう。
 シャーリィと一緒にされて、なんとも言えない複雑な表情を浮かべるフィー。
 しかし自分の口にした言葉を振り返ってみると、確かにそんな風に聞こえなくもない。
 リィンが止めなければシャーリィなら嬉々として、領邦軍と一戦交えに行くことは目に見えているからだ。

「そういうことじゃなくて一戦も交えずに引き下がったら、これからも同じような嫌がらせをされるんじゃない?」

 フィーもさすがに領邦軍を殲滅することまでは考えていない。
 しかし落とし所を模索するにしても、戦いは避けられないだろうと考えていた。
 いま帝国や共和国が大人しくしているのは、暁の旅団と事を構えるのを恐れているからだ。
 力で押さえつけている以上、与し易いという印象を与えるだけで厄介事を呼び込みかねない。
 ここで軍に脅されて何もせずに逃げたという風評が広がれば、今後の活動に支障をきたすだろう。
 何よりリィンの性格を考えれば、このまま大人しく引き下がるとは思えなかった。

「確かに対応を誤れば、余計に面倒事を呼び込みそうですね」

 具体的には勘違いした連中が、クロスベルへの侵攻を企てる可能性があるとクレアは話す。
 帝国に併合されたとはいえ、現状のクロスベルの体制を快く思っていない貴族は多い。総督にアルフィンが就任したとはいえ、実質的な権力はクロスベルの自治政府が握っている。経済的に独立し、軍事力まで要するクロスベルは、もう一つの経済特区として知られるジュライと比べても大きな権限を与えられていると言えるからだ。
 属州化にあたり税収の一割を国に納めることが帝国とクロスベルの間で約束されているが、これもこれまでと変わりがない。むしろ、共和国に支払っていた供出金が必要なくなった分、クロスベルの負担は併合前よりも減少しているくらいであった。とある事件でハルトマン元議長が逮捕され、その後ディーター・クロイスによって帝国・共和国出身の議員の多くが収容所送りとなり立場を追われたことも、帝国の力がクロスベル政府に及びにくくなっている理由の一つとして挙げられるだろう。
 とはいえ、何もクロスベルだけが特別扱いを受けている訳ではない。四大名門が治める四つの州と条件面はほとんど同じなのだが、帝国に併合されたばかりの属州が自分たち貴族と同じ扱いを受けているのが納得の行かない者も多いと言うことだ。
 そんな彼等の不満を抑えているのが、暁の旅団――そしてリィンの存在だ。
 ここで甘い対応を取れば、そこにつけ込もうとする輩が出て来るのは自明の理だった。

「で、どうするつもりなの?」

 リィンのことだ。当然、考えがあるのだろうとフィーは尋ねる。
 でなければ、ガイウスに領邦軍の動きを監視させるような真似はしなかったはずだ。
 それは即ち、ハーキュリーズやワッズを捕らえれば、貴族たちがどう動くかを予想していたと言うことになる。
 なら、対応策も既に練っているはずだと考えたのだ。

「こちらから手を出す訳にはいかないし、しばらくは籠城だな」

 だが、リィンの口からは想像していたのと違う消極的な意見が返ってきて、フィーは眉をひそめる。
 シャーリィほどではないが、リィンも敵に対しては容赦のない苛烈なところがある。
 どう言う方向に決着を持って行くにせよ、力の差を見せつけるくらいのことはやると思っていたのだ。
 微妙に納得の行っていない様子のフィーを見て、リィンは逆に質問を返す。

「〈北の猟兵〉を動かしている黒幕は誰だと思う?」
「……〈黒の工房〉じゃないの?」
「なら、その〈黒の工房〉が操っている連中は?」

 この国の貴族たち――バラッド候の派閥に所属している者たちだ。
 リィンの質問の意図を察し、確かに奇妙だとフィーも〈北の猟兵〉の不可解な行動に気付く。
 貴族派は先の内戦で失った影響力を取り戻すために、ノーザンブリアへの侵攻を計画している。
 それなのに〈北の猟兵〉が間接的にとはいえ、貴族たちに力を貸すのは奇妙と言わざるを得ない。

「もしかして、こう考えているのですか? 彼等の本当の狙いは――ノーザンブリアではない、と」
「大半の貴族共は、少なくともノーザンブリアへの侵攻を本気で考えているはずだ。だが、アルベリヒは別だ」

 クレアの質問を肯定しながらも、恐らく貴族たちは気付いていないはずだとリィンは答える。
 ずっと不思議に思っていたが、アルベリヒの目的がノーザンブリアへの侵攻ではなく別にあると考えれば納得が行く。
 ハーキュリーズを泳がせていたことや、帝都でのテロ騒ぎ。更にはアルスターを襲撃させ、ラクウェルでの騒動。
 少しずつ帝国の人たちの不安を煽るようなやり方で、まるで状況証拠を積み重ねて言っているようにも見える。
 ただノーザンブリアと戦争をするだけなら、ここまでの手間暇をかけて準備をする必要もない。
 なら、考えられることは――

「ノーザンブリアは周囲の眼を欺くための囮。彼等の真の狙いは……」

 共和国への侵攻。そのことにクレアも気付く。
 いや、彼女の反応を見る限りでは薄々と察してはいたのだろう。
 ただ、出来ることなら杞憂であって欲しい最悪のシナリオだった。

「共和国の諜報員が帝国で暗躍していたことは事実だ。だが、こうした情報は憶測を呼び、人々を疑心暗鬼にする」
「それじゃあ、領邦軍が街へ通告してきたのって……」

 フィーもようやくリィンが動かない。いや、動けない理由を察する。
 ここでハーキュリーズを捕らえに来た領邦軍を殲滅するような真似をすれば、暁の旅団が共和国に味方をしたという認識を帝国の人々に植え付けることになる。疑惑の芽を植え付けることが出来れば、確かな証拠などなくとも世論を動かすことは可能だ。国民を味方に付けた貴族たちは、ここぞとばかりに今回の件を糾弾の材料とするだろう。
 リィンだけでなく、その疑惑はクロスベルを襲うことになる。
 クロスベルは裏で共和国と繋がり、帝国の安全を脅かしているなどと言って騒ぎ立てるはずだ。

「そうなったら、ノーザンブリアは卑劣な共和国に利用された可哀想な連中ってことになる」

 一転して、ノーザンブリアへと向かっていた帝国臣民の怒りは、共和国へと向かうことになるはずだ。
 共和国の圧政からノーザンブリアの人々を解放しろという声も高まるだろう。
 バレスタイン大佐は恐らく共和国の支配からノーザンブリアの解放に立ち上がった英雄ということで祭り上げられるはずだ。
 そうなったら〈北の猟兵〉は、共和国との戦争で先陣を切らされることになるだろう。
 だが、それも承知の上でバレスタイン大佐はアルベリヒの計画に乗ったのだとリィンは考えていた。
 すべては故郷を守るため。ノーザンブリアの人たちを飢えの苦しみから救うために――

「……止められないの?」
「無理だな。仮に俺たちが真実を語ったところで、民衆の耳には届かないだろう」

 むしろ、実際に犠牲者がでている以上、反発を招く可能性の方が高いとリィンはフィーに答える。
 ハーキュリーズを領邦軍に引き渡せば、開戦の材料とされるのは明らかだ。しかし引き渡さなければ、今度はリィンが共和国との繋がりを疑われることになる。動かないのではなく動けない。敵の狙いに気付くのが遅すぎたというのがリィンの感想だった。
 とはいえ、実際に気付いていたからと言って止められたかと言えば、難しいと言わざるを得ない。
 これは数百年もの間、血で血を洗う戦いの歴史が繰り返されてきた帝国の抱える問題とも言えるからだ。
 ――呪い≠ニローゼリアは言っていたが、それだけが原因ではないとリィンは見ていた。
 国家百年の計という言葉があるが、それほどに国を維持していくのは難しい。どれほどの名君が治める国であっても政治の腐敗は避けられないからだ。むしろ、安定した治世が長く続けば続くほど、歪みは大きくなっていくと考えて良いだろう。
 帝国は千年近い歴史のある国だ。ゼムリア大陸に現存する国のなかで、最も古い歴史を持つ国と言って良いだろう。
 それほど長い間、国家として歩んできた歴史を考えれば、歪みが生じないはずがない。
 そこに加えてギリアス・オズボーンがとった領土拡大政策で、帝国は大きくなりすぎた。

 自らの重みに耐えきれないほどに――

 呪いは、ただの切っ掛けに過ぎない。
 争いの火種は、最初から帝国のなかにあったと言うことだ。
 ここにきてギリアスの影がまたちらつくことになるとは、リィンも思ってはいなかった。
 生きてても死んでも厄介な男だと思う。
 しかし、

「しばらくは……ってことは、やっぱり何か考えがあるんだよね?」

 リィンが動けない理由は分かった。
 しかし、リィンは動かないと言った訳ではない。
 それは即ち、この状況でも諦めてはいないと言うことだ。
 そんなフィーの疑問にリィンは――

「確かに状況は最悪だ。帝国と共和国の間で戦端が開かれれば、嘗て無い数の死傷者がでるだろう。だが、逆に言えば――」

 ――俺たち猟兵にとってはチャンス≠セと思わないか?
 と、ニヤリと口元を歪めながら答えるのだった。



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