「婆様が〈水鏡〉の件をどうするのかと聞いていたわよ」

 顔を合わせるなりヴォータからローゼリアの伝言を聞き、そのことかと頷くリィン。
 水鏡と言うのは、別名〈月冥鏡〉とも呼ばれる魔女の一族に伝わる秘宝のことだ。
 各地の精霊窟やアルノール皇家が秘蔵する〈黒の史書〉とも繋がっていると言うことで、恐らくは以前ギリアスが言っていた大地の記憶≠覗き見るアーティファクトのようなものなのだろうとリィンは推測を立てていた。
 しかし〈月冥鏡〉を使用するには特殊な条件が必要という話で、ローゼリアからリィンは協力を持ち掛けられたのだ。
 リィン自身も九百年前に何があったのか真実を確かめたかったことから、その提案に乗りはしたのだが――

「もうしばらく保留だな。どうせなら面倒事は一度に済ませたい」
「他に誰かを連れて行くつもり? 一応、あそこは魔女にとって神聖な場所なのだけど……」
「心配しなくても関係者≠セ。ローゼリアの許可は貰っている。そのためにも――」

 やっておきたいことがあると話すリィンを見て、エマではなく自分が呼ばれた理由をヴィータは察する。
 ローゼリアが鏡のことをエマに隠しているのは、ヴィータも気付いていたからだ。
 代々、巡回魔女となった者が訪れ、長より管理を任されていた場所。それが〈月冥鏡〉が眠っている月霊窟≠セ。
 エマの亡くなった母親も嘗ては巡回魔女として、月霊窟を幾度となく訪れていた。
 当然そのことはエマも知っているが、霊窟の奥で眠っているものについてまで詳しく説明を受けていなかった。
 だからこそ、ローゼリアの口からエマに伝えるまでは――と、リィンも気を遣ったのだろう。

「何をさせるつもり? 私もそれなりに忙しいのだけど……」

 まったく時間がないと言う訳ではないが、こう見えてヴィータも何かと忙しい立場に置かれていた。
 当然そのことはリィンも理解している。だから――

「ミュゼとクロウには、しばらくお前を借りると言っておいた。だから安心しろ。代わり≠熬uいてきたしな」
「いつの間にそんな根回しを……。それにお姫様は分かるけど、どうしてクロウにまで……」
「誤解はされたくないだろ?」
「変な気の回し方はやめなさい!」

 明らかにからかわれていると分かっていながらも、ヴィータは強い口調で抗議する。
 というのも、リィンのこういうところが彼女は苦手だった。
 人をからかうことには慣れているが、自分がされることには慣れていないからだ。

「そう怒るな。ちょっと遠出するから付き合って欲しくてな。ノルンにもお使い≠頼んだから、しばらくは戻って来ないし」
「まったく……遠出ってことは転位≠ェ目当てなんでしょうけど、何処まで行く気?」

 リィンがこんなことを言うということは、目立つ行動は避けたいという意味だとヴィータは悟る。
 ただ移動するだけならデアフリンガー号やメルカバもあるからだ。
 それにヴァリマールも〈精霊の道〉を使った転位術は使えることからヴィータに頼る必要はなかった。
 そうしないと言うことは、動きを悟られるような目立つ行動は控えたいと言うことだ。
 恐らくは少人数で何処かに潜入するつもりなのだろうと、ヴィータは当たりを付けるが――

「これから日帰りで帝都観光≠しないか?」

 まったく予想しなかった目的地を告げられ、ヴィータは唖然とした顔を浮かべるのであった。


  ◆


「え? 帝都に戻るんですか?」
「ああ、オリヴァルトに依頼の報告をしないといけないしな。だから案内をお前に頼みたい」

 ヴィータと同じく呼び出されてきてみれば、予想もしなかった内容をリィンから告げられ、驚くレイフォン。
 無理もない。そもそも帝国軍の手が自分たちの身に及ぶのを警戒して、リィンたちは帝都を脱出してきたのだ。
 だと言うのに帝都へ戻るというのは、敵地のど真ん中へ飛び込むようなものだ。
 しかも、ただ帝都へ向かうのではなくリィンはオリヴァルトに会いに行くと言った。
 それは即ち、皇城へ忍び込むと言っているも同じであった。

「さすがにリィンさんでも、それは無茶じゃ……あっ、もしかして帝都を壊滅させるつもりですか?」
「……お前は俺をどんな目で見てるんだ」

 忍び込むのは難しくとも帝都を壊滅させることは可能なのでは?
 と考えるレイフォンに、心の底から呆れるリィン。
 普通は後者の方が遥かに難易度が高いのだが、リィンならもしかしたらと思ったのだろう。
 実際それが可能かどうかと聞かれると、リィンも不可能とは言い切れないのだが――
 騎神を使わずともラグナロクを使って焼き払えば、街を一つ消滅させることくらい難しくはないからだ。

「心配しなくても、出来るだけ戦闘は避けるつもりだ」
「それならいいですけど……でも、皇城への潜入ルートなんて私は知りませんよ?」

 或いはミュラーなら知っているかもしれないが、生憎とレイフォンにその手の知識はない。
 幾らヴァンダールの剣士と言っても軍人ですらない者が、皇城へ出入りする機会などないからだ。
 むしろ、そう言う話ならクルトの方が詳しいだろうとレイフォンは考える。
 両親と一緒に皇城へ何度か招かれたこともあり、皇家とも面識があるからだ。

「そっちは心当たりがある。それよりも、お前に頼みたいのは下町≠フ案内だ」

 それなら、とリィンがクルトではなく自分を呼んだ理由にレイフォンは納得する。
 クルトは元々帝都の生まれではなく、リベールとの国境に近い帝国最南端の街パルムの出身だ。帝都の暮らしも長いので道に疎いと言う訳ではないが、帝都は古い建物が多く区画整理の進んでいない下町の方は迷路のように道が入り組んでいることから、地元の人間でも迷うことがあるくらいなのだ。そう言う訳で、帝都の下町で生まれ育ったレイフォンの方が案内役に適任なのは間違いないだろう。
 リィンも過去に帝都で店をだしていたことはあるが、それでも地元の人間ほど詳しい訳ではなかった。

「分かりました。それで、いつ出発するんですか?」
「いますぐだ。ヴィータ、頼めるか?」
「はあ……婆様から話は聞いていたけど、本当に人使いが荒いわね」

 いつからそこにいたのか?
 背後から掛けられた声に驚きながらレイフォンが振り返ると、部屋の角にはいつもの青いドレスに身を包んだヴィータが立っていた。
 ヴィータがコンと杖の先端を床に叩き付けると、リィンたちの足下に転位陣が展開される。

「え? これって……」
「はいはい。話していると舌を噛むわよ」

 そう言ってレイフォンを黙らせると、転位陣に魔力を流し込むヴィータ。
 三人とはいえ、帝都までの距離を考えると使用する魔力は膨大だ。
 本来であればヴィータと言えど、中継を挟まず一度で転位を成功させるには難しい距離だった。
 しかし――

(やはり、呪いの影響で地脈を流れる霊力が活性化しているわね。これなら……)

 リィンも魔女が使う転位術の欠点については理解しているはずだ。
 その上でこんな頼みをしてきたと言うことは、いま帝国で起きている異常≠ノついて最初から気付いていたのだろうとヴィータは考える。
 だとすれば――

(……まさか)

 月冥鏡などに頼らずとも、リィンは呪い≠フ正体に気付いているのではないか?
 と言った考えが、ヴィータの頭に過る。可能性としては、ありえない訳ではない。
 リィンはヴァリマールを通して、巨イナル一の力に触れているのだ。
 だとすれば、確信はなくとも呪い≠フ正体に薄々と勘付いている可能性はある。

「どうした?」

 リィンの態度を見て、やはりとヴィータは確信する。
 しかし、尋ねたところで素直に答えてはくれないだろうと言うことも分かっていた。
 黙っているということは、まだ隠しておきたい理由があると言うことだ。
 恐らくは――

(どうせなら一度に済ませたいって、そういうことなのね……)

 リィンが口にした言葉を思い出しながら、ヴィータはリィンの狙いを察する。
 今回の帝都行きも、そのことと無関係ではないと考えてのことだった。
 相変わらず油断のならない男だと内心溜め息を漏らしながらも、

「なんでもないわ」

 ヴィータは転位陣を発動する。
 そうして三人は転位の光に包まれ、帝都へ向かって旅立つのであった。


  ◆


「ここに連れて来られて、今日で二週間か」

 レンとキーアが〈黒の工房〉の拠点に連れて来られてから、既に二週間が経過しようとしていた。
 不自由と言っても三食きちんと食事は出て来るし、牢屋に閉じ込められている訳ではない。
 二人が監禁されているのは、窓がないことを除けば極普通の部屋だ。
 フカフカのベッドにトイレやシャワーも完備されていて、環境的には言うことはないのだが――

「退屈ね。端末くらい使わせてくれたっていいのに」
「たぶん、警戒されてるんだと思うよ」
「なら、せめて雑誌や新聞くらいは差し入れて欲しいわ」

 娯楽に飢えたレンは退屈で死にそうになっていた。
 導力端末が貸し与えてもらえないのは仕方がないとして、部屋の外へでることも叶わないのだ。
 決まった時間に食事は運ばれてくるが、食事を持ってくるのも機械のような受け答えしか出来ないホムンクルスだけとなると、彼女の退屈を紛らせるのは難しかった。
 キーアが一緒でなかったら、とっくに我慢の限界を迎えていただろう。

「早く助けに来てもらわないと、退屈で死ぬわね」
「さすがに、それは大袈裟だと思うけど……」

 レンの例えは大袈裟にしても、キーアもこのままでいいとは思っていなかった。
 しかし機会を窺ってはいるが、なかなか思うようなチャンスが巡って来ない。
 幾ら天才ともてはやされるだけの才能があっても、二人とも身体的には年相応の子供と変わりないのだ。
 素手で扉を破壊して脱出するなんて真似はキーアは勿論のこと、さすがにレンでも難しかった。
 せめて武器があれば話は別だが、レンの大鎌も既に没収されている。
 まさに八方塞がりと言った状況に二人は置かれていた。

「取り敢えずは待つ≠オかないかな」
「それも、キーアの勘? どのくらい待てばいいとか、具体的な日数とか分からないの?」
「うーん……たぶんだけど、あと半月くらい?」

 こんな生活がまだ半月も続くと聞いて、レンは枕に顔を埋める。
 一応、考えがあって素直に掴まったことは確かなのだが、まさかここまで厳重とは思ってもいなかったのだ。
 もう二週間だ。その間に顔を合わせた相手と言えば、毎日食事を運んでくるホムンクルスを除けばミリアムくらいしかいない。
 そのミリアムも二週間前に一度顔を見ただけで、そこからは完全に接触を断っていた。
 普通、様子くらいは見に来るだろうと思うが、ここまで接触がないと忘れられているのではないかと心配になる。
 食事が運ばれてくる以上それはないと思いたいが、どう言う理由で誘拐したのか? 相手の意図すら見えて来ない。

「団長さんとの取り引きに使うつもりなら、私たちである必要性はないしね」
「うん。そもそも〈暁の旅団〉の正式なメンバーと言う訳でもないしね」

 レンとキーアは〈暁の旅団〉の団員と言う訳ではない。あくまで外部協力者だ。
 人質として使うのであれば、もっと適任な人物は他にもいる。
 どうして自分たちでなければいけなかったのかと、二人が疑問に思うのは当然であった。
 あれだけ大掛かりな陽動作戦を仕掛けておいて、ただの偶然ということはないだろうと考える。
 となれば、何かさせたいことがあるのだと考えるのが自然だ。
 なのに一度もアプローチがないのが不思議で仕方がなかった。

「あ、もしかしたらキーアたち、大きな勘違いをしていたのかも」
「勘違い?」
「私たちを誘拐したのって、アルベリヒって人の指示だと思っていたでしょ? でも――」

 誘拐犯が別にいるのだとしたら、そんなキーアの話を聞いてレンは目を瞠る。
 その可能性は考慮に入れていなかったからだ。
 しかし、それなら誘拐されてからずっと放置されているこの状況も理解できなくはない。
 キーアの推察が正しいのだとすれば、恐らく誘拐した犯人は工房長であるアルベリヒにも黙っているはずだ。
 だとすれば、出来る限り情報が漏れるのは避けたいと考えているはず。
 ホムンクルスに世話を任せて自身がここへ近付かないのも合点が行く。

「でも、どうしてそんなことを? 犯人の目的が分からないわ」
「そこまではキーアにも分からないけど、嫌な予感はしないんだよね」
「……それも勘≠チて訳ね。なら、いまはその話を信じて待つしかないか」

 少なくともキーアの勘を信じるのであれば、その誘拐犯は敵ではないのかもしれないとレンは考える。
 誘拐しておいて敵ではないというのはおかしな話かもしれないが、何か理由があるのだと察せられるからだ。
 それに――

「いずれにせよ、あと半月もすれば団長さんが助けにきてくれるだろうし」

 キーアの勘は良く当たる。それにレンもリィンが助けに来ないとは考えていなかった。
 カレイジャスが襲撃を受けて黙っているとは思えないし、基本的にリィンは仲間を大切にする。
 団のメンバーではないとはいえ、少なくともリィンが身内と考える条件には自分たちも入っているという自信がレンにはあった。
 なら、このまま何もなくとも迎えが来るのは時間の問題だと考えたのだ。
 とはいえ、この場所を特定するのはリィンと言えど困難を極めることは想像に難しくない。
 打てる手は打っておくべきだと、レンは考える。

「退屈しのぎにはなりそうだし、私たちも少し足掻いてみるとしましょうか。キーアも手を貸してくれるでしょ?」
「何をするつもりかは予想が付くけど、余り派手なことはダメだからね?」

 キーアの推察が当たっていた場合、アルベリヒに気付かれては終わりだ。
 誰にも悟られないように、そっと動く必要がある。
 自分たちならそれが可能だという自信を胸に、二人の少女は行動を開始するのだった。



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