「逃げるわよ。エミリー」
「え? ちょっと待ってよ。敵前逃亡は軍法会議ものよ!?」
「それでも死ぬよりはマシでしょ?」
「……本気なの?」

 責任感の強いテレジアらしからぬ言葉に戸惑いを覚えながらも、エミリーは再び意志を確認するように尋ねる。
 冗談でテレジアがこんなことを言うとは思えなかったからだ。
 そこでふとエミリーの頭に過ったのは、先程テレジアが口にしようとしていた言葉だった。

 ――彼は特別≠諱Bだって彼は――

 特別。
 そんな風に言うということは、テレジアは自分の知らない何かを知っているのだとエミリーは考える。
 リィンに関する噂はエミリーも耳にしているが、それはあくまで一般的に知られている情報でしかない。
 先の内戦を終結に導いた英雄にして、灰の騎神の起動者。
 暁の旅団と呼ばれる猟兵団を率い、その力は帝国や共和国さえも警戒するほどと言う。
 しかし、どれだけ強くても本気で大国を相手取れるほどとエミリーは考えていなかった。
 普通に考えれば、一猟兵団が百万近い兵力を有する大国と互角に戦えるなどと想像が付かないからだ。

「……アリサから忠告を受けたのよ」

 ――もしリィンと戦場で出会うことがあったら逃げてください。何も考えず、少しでも遠くへ。
 それが士官学院時代の後輩が、テレジアに向けて口にした言葉だった。
 最初は何の冗談かとテレジアも思ったが、リィンの実力は彼女の想像を遙かに超えていた。
 世間で噂されている情報が、あれでもまだ過小評価に過ぎなかったのだと――
 過去にリィンが関わった事件を調べていく内に、それは確信へと変わっていった。

「――!? 伏せて!」

 何かに気付き、咄嗟に伏せるようにテレジアへ指示を飛ばすエミリー。
 だが、間に合わないと察してか?
 覆い被さるようにテレジアの頭を押さえ、強引に地面に伏せさせる。
 その直後だった。
 空が一瞬光ったかと思うと、北の猟兵と交戦していた領邦軍の部隊が弾け飛んだのは――

 いや、天より降り注いだ炎に焼かれて塵と化したと言った方が正確かもしれない。
 一瞬で機甲兵や戦車が熱で溶かされ、数千の兵士が命を落としたのだ。
 誰がそんな真似をしたかなど、考えるまでもなかった。

「嘘でしょ……」

 自分の目で見ても未だ信じられないと言った様子で、呆然と惨状の後を眺めるエミリー。
 無理もない。目の前で一瞬にして数千の命が奪われたのだ。
 しかも、その攻撃は明らかに彼女の知る常識と一線を画すものだった。
 現代兵器でも再現不可能な一撃。
 天の裁きとでも呼べる破壊力を目にすれば、言葉を失うのも無理はない。

「わかったでしょ? これがリィン・クラウゼルよ」

 圧倒的なまでの力。そして、敵の命を奪うことに一瞬の躊躇いもない。
 ここが戦場である以上、アレを敵に回すことは死を意味するとテレジアは理解していた。
 十万の兵力など、あの力の前には無意味に等しい。この先に待ち受けているのは、戦いなどではない。ただの蹂躙だ。
 軍人としての使命は理解しているつもりでも、こんなところでテレジアは無駄死にするつもりはなかった。
 今回の戦争は納得できない点が多いというのも彼女のなかで大きかった。
 いまの帝国は明らかに間違った道を進もうとしている。
 そうと分かっていても軍人である以上は命令に従わざるを得ない。その矛盾を以前から感じていたのだ。
 それに――

(……エミリーをこんなところで死なせる訳にはいかない)

 エミリーは平民の出だが、テレジアは貴族の生まれだ。
 なのに領邦軍ではなく正規軍への入隊を決めたのは、父との対立が大きな理由としてあった。
 帝国貴族としての在り方。貴族の令嬢としての義務を押しつける父。
 そんな父親が嫌で、彼女は家族の反対を押し切って軍へ志願したのだ。
 そして、テレジアが軍への志願を決めた時、迷わず一緒についてきてくれたのが親友のエミリーだった。
 エミリー自身、卒業後は軍への入隊を考えていたと言うのもあるが、どこか危なっかしい親友を放っては置けなかったのだろう。

「いまの一撃で前線はパニックみたいね。無理もないけど、これはチャンスね。混乱に乗じて戦場(ここ)から離れましょう」
「……わかったわ。でも、あとでちゃんと説明してもらうからね」
「ええ、それは勿論。アリサと彼の馴れ初めから、事細かに話してあげるわ」
「それは楽しみ――って、アリサ、彼と付き合ってるの!?」

 やっぱりそこに驚くかと、苦笑を漏らすテレジア。
 アリサから恋人が出来たと報告を受けた時、テレジアも同様に驚きを隠せなかったからだ。
 それも、あの噂の人物――リィン・クラウゼルが相手だと言うのだから驚くのは当然だ。
 でも、逆にだからかもしれないとテレジアは考えていた。
 これだけの惨状を平然と引き起こすような危険人物だと言うのに、不思議と恐怖を感じない。
 そもそもリィンが本当に危険人物なら、アリサが手を貸すはずがないという確信がテレジアにはあった。
 それに――

(仕掛けたのは、こちらが先。ここが戦場である以上、彼の行いを責めることは出来ない)

 今回の一件。明らかに非は自分たちの方にあるとテレジアは考えていた。
 自らの保身のために先の内戦の責任をノーザンブリアへと転嫁し、戦争を煽る貴族たち。
 革新派も中心人物であったギリアス・オズボーンを失ったことで、中央での影響力を大きく落としている。
 だからこそ利害の一致を試みたのだろうが、そもそもの話、両派閥がどれだけ開戦を望もうと皇帝の裁可がなければ戦争を起こすことなど出来ない。
 しかし、まだまだ若輩とはいえ、セドリックは心優しく聡明な人物として知られている。
 ましてや、プリシラ皇妃やオリヴァルト宰相もいるのだ。
 このような計画に賛同するとは、テレジアには到底信じられなかった。

 貴族たちの思惑を察していながらその思惑に乗っかり、共和国への非難を強める帝国政府。
 いま起きていること、彼等がやろうとしていることは、まるで鉄血宰相の存在を彷彿とさせる。
 既にこの世にいないはずの人物が、まるで世界を動かしているような違和感。
 ギリアス本人が生きているとは思えない。
 しかし、少なくとも彼の意志を継ぐ何者かが、この事件の背後にいるのは確かだ。

「無事に生きて帰ることが出来たら、その辺りも確認する必要がありそうね」

 嘗て同じ部活に所属していた後輩の顔を思い浮かべながら、そうテレジアは小さく呟くのであった。


  ◆


「転位は無事に成功したみたいだな。今回はエマのサポートがないから、少し不安だったが……」
『どうやら期待には応えられたみたいだな』
「ああ、上等だ」

 期待以上の成果にリィンはニヤリと笑みを漏らす。
 いままではエマのサポートがなければ〈精霊の道〉を開くことは出来なかった。
 しかし、起動者と共に成長するのが騎神だ。
 復活した巨神との戦い。異世界でのガイアとの激闘。
 二度の覚醒を経験したヴァリマールは、単独で〈精霊の道〉を開けるまでに成長していた。
 いまのヴァリマールならノルンの力を借りずとも、次元を渡ることさえ可能だろうとリィンは考える。

『とはいえ、少し遅かったみたいですね』

 通信越しにアルフィンの声が響く。
 転位は無事に成功したが、既に地上では戦闘が始まっていた。
 出来ることなら戦争が始まる前に止めたかったというのが、アルフィンの本音にあるのだろう。

「アルフィン。言わなくても分かってると思うが」
『はい。これから起きることを止めるつもりはありません。ですが――』

 しかし、彼女もバカではない。
 今更、何をしたところで開戦を止めることは不可能だと理解していた。
 だからこそ、これからリィンのしようとしていることを止めるつもりはなかった。

『帝国の皇女として、わたくしには見届ける義務があります』

 多くの命が失われるであろうことは理解している。
 だからこそアルフィンは、その結果を自身の目で見届けるべきだと考えていた。
 だから会議の続きはエリィに委ね、自分はリィンと共に戦場へ向かう覚悟を決めたのだ。

「慰めになるかは分からないが、俺の目的はただ一つだ。戦意のない奴を後ろから撃つような真似はしないさ」

 歯向かう敵は殺すが、逃げる敵を追うつもりはない。
 それがアルフィンに向けたリィンの出来る最大限の譲歩だった。
 しかし、逃がす訳にはいかない者たちも存在する。

「アイツ等は別だがな」

 アルベリヒに踊らされたとはいえ、この戦争を引き起こす切っ掛けを作った者たち。
 バラッド候に同調した貴族たちだけは、後のためにも生かして帰す選択肢はない。
 それがリィンの下した非情な決断だった。

「――王者の法(アルス・マグナ)

 力を解放し、ヴァリマールの専用兵装〈アロンダイト〉に黄金の炎を纏わせるリィン。
 この戦いは〈暁の旅団〉の名を、新たな猟兵王の存在を世界に知らしめる第一歩でもある。
 だからこそリィンは戦いの前から、この技を開戦の狼煙とすることを決めていた。

黄金の剣(レーヴァティン)

 王者の法の力を宿したリィンの最終奥義にして、究極の一撃。
 天より降り注ぎし業火が、まるで死者を弔う炎のように大地を明るく照らし出すのだった。


  ◆


「なんのつもりだ! リィン・クラウゼル!」

 北の大地に響く怒声。それは金の騎神からのものだった。
 真っ直ぐヴァリマールに向かって飛んでくるエル=プラドーを一瞥すると、小さな溜め息を漏らすリィン。
 そして――

「それは獲物を横取りされたことに対する苦情か? それとも――」

 死に場所を奪われたことに対する文句(クレーム)か?
 と、リィンはヴァリマールに乗ったまま激昂するバレスタイン大佐に尋ねる。
 予想もしなかった問いに思わず動きを止めるバレスタイン大佐。
 勘は鋭いと思っていた。養父に似て、食えない男だとも思っていた。
 しかし、まさかそこまで見透かされているとは思っていなかったのだろう。

北の猟兵(そいつら)≠ニ一緒にノーザンブリアの業を背負って死ぬつもりなのだろう? そうすれば、帝国はノーザンブリアを攻める大義名分を失う。すべて〈北の猟兵〉がやったことと、歴史に不名誉な名を刻まれて最期を終える訳だ」
「……何が言いたい? 貴様には関係のない話のはずだ」
「ああ、お前たちが何をしようと自由だ。死にたがってる奴を引き留めるつもりもないさ」
「ならば、貴様は何故ここにいる!」
「俺の目的のためだ。帝国軍(こいつら)≠ヘ俺の仲間に手をだした。俺に喧嘩を売ってきたんだ。例え、アルベリヒに踊らされた結果だとしても、その事実は変わらない。なら、落とし前は必要だろ?」

 ヴァリマールから放たれるリィンの闘気に、思わず身を竦ませるバレスタイン大佐。
 以前戦った時よりも遥かに強大な力を感じ取ることで、リィンの本気を悟る。
 猟兵が売られた喧嘩を買うというのは、おかしな話ではない。
 手をだしても報復がないと思われるのは、猟兵にとって致命的だからだ。

「事情は理解した。だが、ノーザンブリアは俺たちの街だ。お前には――」
「関係あるさ。アンタには親父が世話になったからな。息子の俺が借りを返すのは別におかしな話ではないだろ?」
「〈西風〉の起ち上げの話を言っているのか? あれはもう二十年も前のことだぞ?」
「何年前だろうが、受けた恩は忘れない。親父の義理堅さはアンタもよく知っているはずだ」
「……なるほど、その飄々とした物言いと頑固なところも父親譲りと言う訳か」
「ククッ、なかなかよく分かってるじゃないか。なら、俺が引かないということも理解してるんだろ?」

 まるで若い頃の猟兵王と話しているような感覚を覚えるバレスタイン大佐。
 血の繋がりはないはずだが、リィンからは紛れもなく猟兵王の意志を感じる。

「それにアンタはそれで満足かもしれないが、残された者の気持ちを少しは考えたことがあるのか?」

 まさか、リィンの口からそんな問いが返って来るとは思っていなかったのだろう。
 だが、すぐに思い直す。リィンもまた、育ての親を戦場で失っていることに――
 猟兵王は宿敵との戦いで満足して死んでいったかもしれない。
 しかしその結果、西風の団員たちは散り散りとなり、半ば解散に近い状態へと陥ってしまった。
 リィンとフィーも団を去ることになり、いまこうして新たな猟兵団を起ち上げるに至っている。

「闘神との決闘は親父の決めたことだ。そこに文句を付けるつもりはないが、フィーを悲しませたことだけは許すつもりはない。生き返ったのが闘神ではなく親父だったら、真っ先に探し出してぶん殴ってるところだ」

 自分たちの境遇に照らし合わせ、サラのことを言っているのだと大佐には理解できた。
 確かに自分は良い父親だったかと問われると、胸を張ってそうだと言える自信が大佐にはない。
 最後の最後まで、娘を悲しませることしか出来なかったバカな父親。
 それが自分だと、バレスタイン大佐は悔いていた。

「だが、ノーザンブリアの実情を見ればわかるはずだ。俺たちのやり方では、誰一人救うことなど出来やしない。不幸な人間を増やすだけだ。ならば、せめて……」
「バカにつける薬はないか。ヴァリマール。しばらくの間、頼めるか?」
『心得た』

 ヴァリマールから飛び降りるリィンを見て、目を瞠るバレスタイン大佐。
 無理もない。目の前に敵がいると言うのに戦場で騎神から降りて、地上へ身を投げ出したのだ。

「なんのつもり――」

 だ、とリィンに向かって大佐が叫ぼうとした、その直後だった。
 起動者を乗せていないはずのヴァリマールが動き出し、エル=プラドーに一撃を加えたのは――
 咄嗟のことに反応が遅れ、騎神と共に後ろへ大きく弾き飛ばされるバレスタイン大佐。

「起動者抜きで、この動き……くッ!?」

 迫るヴァリマールの猛攻に、バレスタイン大佐は動きを封じられる。
 よもや起動者抜きで、これだけの動きが出来るとは想像もしていなかったのだろう。
 確かに起動者抜きでは、騎神は本来の力を発揮することは出来ない。
 しかし、ある程度であれば、霊力が続く限り自由に動くことが可能だ。
 そしてヴァリマールには、リィンと共に歩んできた戦闘の経験が蓄積されている。
 相手が同じ騎神であろうと、時間を稼ぐ程度のことは可能なほどの戦闘力が今のヴァリマールにはあった。

「猟兵では誰一人救えない。不幸な人間を増やすだけ。それが本当かどうか、自分で確かめるんだな」
「何を言っている!? いや、何をするつもりだ。リィン・クラウゼル!」

 落下しながらの体勢でリィンは腰のブレードライフルを抜き、全身に炎を纏う。
 精霊化――ベルがメルクリウスと名付けた姿。
 炎を纏まったまま領邦軍の陣地に降り立ったリィンは――

終焉の炎(ラグナロク)

 滅びの言葉を口にするのだった。



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